やっとでたか、という感じで・・・。 日本共産党・板橋区議会議員「松崎いたるの日々雑感」 より転載です。
日本共産党の志位和夫委員長の下記の談話を紹介します。北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃について 2010年11月24日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫 一、 北朝鮮は23日、韓国の延坪島に対して砲撃をおこない、韓国軍との間で交戦状態となった。これにより、韓国軍兵士2人が死亡し、さらに同島の民間人にも負傷者が出て、住民1600人が緊急避難する事態となった。 民間人が居住する島への無差別の砲撃は、朝鮮戦争の休戦協定はもとより、国連憲章にも、北朝鮮自身が当事者である南北間の諸合意にも反する、無法な行為である。日本共産党は、北朝鮮の軍事挑発行動を厳しく非難する。 一、 北朝鮮は今回の行為を、韓国軍が「北朝鮮の領海」で軍事演習をおこない砲撃したことへの反撃だとしている。 この領海における境界線については、韓国と北朝鮮の主張が異なっているが、それを武力攻撃の理由にすることは、断じて許されるものではない。しかも、砲撃を受けた延坪島と同島への航路の領有権が韓国側に属することは、北朝鮮自身も認めていることであり、北朝鮮の言い分はまったく成り立つものではない。 一、 日本共産党は、北朝鮮が、攻撃とそれによる被害の責任をとり、挑発的な行動を繰り返さないことを厳重に求める。 韓国をはじめ関係各国が、事件をさらなる軍事的緊張や軍事紛争につなげることなく、外交的、政治的な努力によって解決することを要請するものである。 以上。
偉そうにいうわけではないですが、内容は○。
北の言い分やら色々情報を分析していたのでしょうが、
世間の流れから見れば、明日の「しんぶん赤旗」で、ではいかんでしょう。
ちょっと、共産党中央にメールで注文をつけておきました。
こんにちわ。 「北朝鮮による韓国砲撃についての志位委員長の談話 」について。 内容は毅然としており、支持します。 もっと早く出すべきだと思いましたが、やっと。 地区委員会に届いたFAXをアップしたという、地方議員のブログとツイッターで知りました。→ http://bit.ly/ejFwpv ちなみにこの議員さんは、昨日のうちにビラも造って今朝から配布しているようです。 「中央待ちにならないで・・・」と。 政治的敏感さと対応は、評価できる立派な活動だと思います。 小生は、ブログやツイッターでつぶやくだけですが・・・。 まだ中央委員会のサイト(http://www.jcp.or.jp/ )にはアップされていないようです。* 外向けの発信をお願いします。
*18時30分時点でも。
共産党はもう少しネットを重視し、位置づけるべきだと思いますが・・・。
かたや、政府のお偉いさん方! 「朝鮮学校無償化停止」を言い出した政府のおろかさ加減を今日のツイートから。
●オタオタして外交戦略が無いとこうなる。恥かしい。→「重大な決断も」朝鮮学校無償化で高木文科相。「これまで外交上の配慮で判断すべきではなく、教育上の観点から…しかし、今回の事態は、正常な教育、平和を揺るがす、根底にかかわる問題だ」 http://bit.ly/eCUzmO posted at 12:40:11 ●キターー!仙石!つける薬なし。→朝鮮学校無償化、手続きを停止=北の韓国砲撃で―仙谷官房長官 「まだ申請も出ていないし、審査も行っていないが、与える影響は大きいと思っている」http://bit.ly/dS7BhP posted at 12:54:50 ●仙石さん、在日朝鮮人とその子ども達は人質なんだ?子どものケンカ以下のレベルだよ!ったく。→朝鮮学校無償化、手続きを停止=北の韓国砲撃で―仙谷官房長官 http://bit.ly/dS7BhP posted at 13:06:12 ●民主が野党に「問責やってる場合か」といえる局面だと!? RT @zeki0702: 誰にとって、どう神風なのかRT @hanayuu: 民主党幹部が狂喜「北朝鮮の砲撃は民主党にとって神風だ」 | http://bit.ly/fiYX3g posted at 13:13:27 ○RT @kikko_no_blog: 本当に民主党幹部が「北朝鮮の砲撃は民主党にとって神風だ」と言ったのなら、柳田どころの騒ぎじゃない問題発言なのだから、報じる媒体は責任を持って民主党の「誰」が言ったのかを明確に報じるべき。それができないなら世論を操作するための検察のリーク情報と同レベル。 posted at 13:21:14
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2010.11.24 |
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「どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)」さんの[時代の証言者]共産党・不破哲三(11)(12)【読売新聞】 より転載させていただきます。 主観的な、部分紹介だけですので、ぜひリンク先で全文お読みください。 [時代の証言者]共産党・不破哲三(11)/毛沢東の提案拒否、断絶 (2010.11.16 朝刊)
「一致点だけの簡潔なもの」という条件で、会談が始まりました。中国側はソ連を共同で非難するよう求めました。これでは国際統一戦線を求める私たちの立場がなくなります。「我々は、我々の立場と事情でソ連と論争している」と主張し、一致する範囲内でコミュニケを作り、周恩来との会談で公式に確認しました。 ところが、「上海にいる毛沢東主席に会ってくれ」との要請に応じて28日に行くと、話が違いました。毛沢東はコミュニケを「軟弱だ」と否定したうえ、「北京の連中も軟弱だ」と自分の党指導部も批判しました。修正案にはソ連批判がみっちり書き込まれています。 会談後の昼食会は穏やかなものでしたが、翌日、修正案を正式に拒否すると、状況は激変しました。毛沢東は「これ以上話すことはない」と会談を打ち切り、「コミュニケも自分との会談もなかったことにしよう」が最後の言葉でした。 ・・・・・ 「50年問題を経て、日本の問題に外国の党の干渉は許さない「自主独立」路線を決めても、血とな り肉となるには一定の期間と闘争が必要でした。しかし、中ソとの闘争を通じて、全党は鍛えられまし た。若者が大量に入党し、党が前進する時期となりました。嵐に鍛えられるという感じでした。
[時代の証言者]共産党・不破哲三(12)/下町の選挙演説で苦労 (2010.11.17 朝刊)
「次の参院選に出てもらうつもりだ」 宮本顕治書記長がいきなり、国政選挙出馬の話を持ち出しました。1968年8月、宮本さんが団長を務めた党代表団の一員として2度目の北朝鮮訪問中、平壌の迎賓館で庭を散歩していた時のことです。 当時の写真を見ると、路地の街頭演説で聴いているのは子供ばかりとか、人出の多い錦糸町駅前の演説では、足を止めている人が全くいないとか、そんな光景がいくらでもあります。 ・・・・・ 一番苦労したのは演説でした。論文は読み返してもらえますが、演説は耳ですぐ分かる論理でないと、聴衆がうなずいてくれません。文章を書く時も、演説で通用する「太い論理」を目指すようになりました。 宮本さんは、その時々の私の演説をテープで聴いてくれて、「拍手が出てきた」などと、よく論評してもらいました。「笑いが出るようになったな」と言われたのは、本番が半年ほど後に迫った時期でした。 ・・・・・ 初出馬の時から、墨田区の地蔵坂にある居酒屋のおばあちゃんが、選挙の度に群馬・高崎名物の大きなダルマを持ってきてくれました。93年の選挙前に亡くなっても、息子さんが「不破さんの選挙の時はダルマを持って行け」との遺言通り、しょってきてくれてね。今も家に残してあります。 そういう情の深さがありましたから、下町の選挙は面白かったし、政治家として鍛えられましたね。
[時代の証言者]共産党・不破哲三(13)(14)【読売新聞】 より。
[時代の証言者]共産党・不破哲三(13)/40歳、まさかの書記局長に 2010.11.18 朝刊
衆院選で初当選した翌年の1970年7月に開かれた第11回党大会で、新設された書記局長に就任しました。書記局長人事は当時大きな関心事で、私の自宅まで夜討ち取材に来る新聞記者もいたほどです。 何も知りませんでした。人事を発表する大会最終日の前夜遅く、宮本さんから「明日、提案するからな」と言われ、驚きました。私は労働組合から直接党本部に入り、政策委員会などで働いてきて、党組織を運営した経験がないのです。 「党全体を運営する仕事は無理です」と固辞しました。しかし、宮本さんは「そういうことは、明日の会議で言ってくれよ」と取り合ってくれません。 翌日の会議でも言いましたが、みんなに「足りないところは助けるよ」と推されて、逃げるわけにもいかず、結局引き受けました。国会議員候補になった時と同じく、断るのはなかなか難しいんですよ。 何で私に書記局長のポストが回ってきたのか。・・・・
[時代の証言者]共産党・不破哲三(14)/予算委員会で初の論戦 2010.11.20 朝刊
1969年の衆院選で共産党は11議席を獲得し、国会での質問時間も大幅に増えました。70年2月27日、衆院予算委員会での総括質疑(現在の基本的質疑)が、私の最初の国会論戦となりました。持ち時間はたしか、1時間38分でした。 ・・・・出版妨害は野党の公明党にかかわることなので、政府への質問としてどんな角度から取り上げるかは、なかなかの難問でした。 先輩議員に聞いても、名案は出てこない。共産党が衆院で二けたの議席を得たのは49年以来のことです。私が当選する前、質問時間は5分とか10分でした。こうなったら、自分で考えるしかありません。私の出番は総括質疑の最終日でした。初日から委員会に詰め切りで各党の質疑をずっと聞き、質問の仕方を勉強しながら備えました。 ≪不破氏は国会論戦を通して、与野党の間で「論客」との評価を高めていった。ロランCは船舶などに電波で位置を知らせる施設。不破氏は「核戦争時に攻撃目標になりやすく、人口密集地に置くことは危険だ」と追及した。反対運動が高まる中、米軍は79年2月に予定地の返還を発表。跡地では現在、東大柏キャンパスなどが整備されている≫ ・・・総括質疑では、大きなテーマだけでも五つか六つは取り上げます。政府の答弁に応じて質問を展開しなければなりませんから、必要な資料はテーマごとに大学ノートに張り付けて持ち込みます。一つのテーマのノートが何冊にもなり、十数冊のノートを質問席に持ち込んだこともありました。
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2010.11.23 |
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ブログ、「どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)」のgataroさん が、多忙な中、お金もかけてアップしていただいている電子版にはない読売新聞の連載記事「[時代の証言者]共産党・不破哲三」 シリーズ第2弾。(青文字クリックからリンク先で全文どうぞ。) これも陽だまりの頃の秋 ある人が家を手放した時、長年親しんだ花の球根を分けてくれた。 ■[時代の証言者]共産党・不破哲三(5)~(7)【読売新聞】 ★[時代の証言者]共産党・不破哲三(5)労組書記各地で闘争支援 イメージと違い現場を踏んだ幹部。資本と闘争の現場で鍛えられた姿はあまり知られていないのでは・・・?
「東大卒業後、労働組合の書記として11年間働きました。書記は縁の下の力持ち的な存在ですが、若い時に労働運動の現場に触れたことは、その後、党本部で活動するようになってからも非常に役に立ちました。 会社側が活動家を脱落させようと、家族の就職を邪魔することもあり、資本のやり口がよく分かりました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(6)結婚式会費は1人150円 こういう話は親しみがわきます。「俺の時は会費4000円だったなあ」とか・・・。
「東大を卒業した1953年3月は、慌ただしい毎日でした。1週違いで就職、結婚も重なり、人生の三つの節目が1度にきたんです。」 「結婚式は、当時珍しかった実行委員会形式で、会費は150円。総合雑誌が100円前後だったと思います。案内状の印刷も会場の飾り付けも自分たちでやりました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(7)ペンネームで論文寄稿 理論家としての頭角を現す。やはりずいぶんな勉強家で・・・。
「私は、晴間があれば本を読む方なんです。読むのも割と早く、鉄鋼労連時代はミステリーに凝りました。勤務先近くと、自宅周辺の貸本屋さんとそれぞれ契約し、勤務地の店で借りた本は帰りの電車で読んでしまう。朝、地元で借りた本は出勤の間に読む。こういうやり方で外国の作家の作品をずいぶん読みました。」 「58年の党大会前後からは、また「前衛」などに論文を書き出しました。53年以来のいきさつもあり、「不破」を使い続けたんですが、「鉄鋼労連にいる上田のことらしい」という話が広まってね。労働組合、時には社会党からも、「不破」あてに講師依頼の電話がかかることもありました。シラを切り通しましたが、自宅に“偵察”に来る人もいました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(8)~(10)【読売新聞】 ★
[時代の証言者]共産党・不破哲三(8)/党専従政策委員会に いよいよ職業革命家として共産党の専従に・・・。研究室の責任者は宮本賢治だったが、療養中のため会えなかったそうで・・・。
「党中央に政治研究室をつくる。非常勤でいいから部員にならないか」。1961年の末ごろ、共産党から私と兄の上田耕一郎に、こう声がかかりました。 「上田はそのころ、雑誌などに論文を発表していました。私も鉄鋼労連に勤めながら、党の綱領や革命の問題について論文を書いていましたから、その辺に注目する人がいたと思います。」 「国際的な論文を書く時は、みんなの意見を聞いて仕上げるんです。どんな論文でも、一番熱心に読んで意見を言ってくれるのは宮本さんでしたね。 重要な問題は会って議論するのが普通でした。大抵は欄外に直しを書き込んだりするのですが、宮本さんの字は達筆すぎて読みにくかった。〝解読〟の特技を持った人の知恵を借りることがよくありました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(9)/ソ連水面下で「敵対工作」 国際舞台での理論活動。ワープロさえない時代の論文書き、書き換えに徹夜の連続・・・。
「党本部の政策委員会で最初の大きな仕事は、当時のソ連との論争でした。 「1960年の81か国共産党・労働者党代表者会議で、世界の共産党は「独立した平等の党」と確認し合いましたが、ソ連は自らの政策に同調しない党を攻撃するようになりました。その大きな転機は、63年の部分的核実験禁止条約でした。」 「ソ連の干渉に対する闘争はその後も続きますが、最初に書簡を受け取った時は「これが社会主義の党なのか」と本当に思いました。社会主義を名乗る国の政権党が、資本主義下の厳しい条件で闘っている党を全面攻撃するのですから。それが、私たちのソ連批判の実感的な原点となりました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(10)/圧巻のホー・チ・ミン発言 ホー・チ・ミンの「我が民族は英雄」、読んだものだった。短い演説集。
「1966年2月から2か月間、初めて外国を訪問しました。共産党がベトナム、中国、北朝鮮に送った代表団の一員としてです。」 「中でも、ホー・チ・ミン主席の飛び入り発言は圧巻でした。会談の途中、予告なしに入ってきた主席が「今、ソ連も中国も援助してくれています。しかし、こういう援助です」と言いながら、指を広げた手を突き出したのです。続いて「我々が欲しいのはこういう援助です」と、開いた手を握りしめました。団結した力で援助が欲しい。問題の核心を表現した力強い握りこぶしでした。」
gataroさんのご苦労に感謝しつつ・・・、続きをお楽しみに・・・。
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2010.11.20 |
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あの「読売」が共産党幹部を、しかも50回シリーズで?と違和感?を持って期待していましたが。いや、なかなか・・・。 いつも貴重な情報を提供いただくブログ、「どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)」のgataroさん が、多忙な中、アップしていただいている電子版にはない読売新聞の連載記事「[時代の証言者]共産党・不破哲三」 シリーズ。 ついこの間の秋が ウソのようです。 短い秋でした。
40歳の若さで共産党書記局長に就任して以来、党を指導してきた不破哲三さん。当選11回の衆院議員として18人の歴代首相と論戦を繰り広げ、「自主独立」を掲げて旧ソ連や中国の共産党とも論争した。党の歴史と半生を振り返ってもらう。(政治部 鳥山忠志)
読売新聞は近くにないし・・・、おかげさまで毎回ワクワクしながら読んでます。皆さんにもリンク先(青文字をクリック)で読んでいただきたく、サワリを転載・紹介させていただきます。(gataroさん、無理をお願いした挙句、勝手に転載、ご了解ください。)
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(1)16歳で入党、人生の転機【読売新聞】 不破さんの共産党入党の動機はかねてから聞いていましたが・・・。
「誰にも人生の転機となる出来事があると思います。今年80歳になった私の人生の転換点は、戦後間もない1947年に16歳で共産党に入党したことです。それで生き方が定まったという思いがありますからね。」 「当時は非常に混乱した時代でした。この社会状況は敗戦のショックだけでなく、旧体制が壊れたことにより生み出されたのです。」 「混乱といっても、今のような閉塞(へいそく)感はないんですよ。生活はめちゃくちゃだったし、明日食べる物にも苦労していた。それでも、どう生きるべきかという自分の問題と、これからの日本をどうしたらいいかという政治的な問題を重ね合わせて、針路を探求しようという意欲は、社会のいろいろな面で底流になっていたと思います。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(2)~(4)【読売新聞】 ★
[時代の証言者]共産党・不破哲三(2)「神国」信じた軍国少年 「幼いころは体が弱くて、「虚弱児童」「腺病質」という言葉がついてまわる子供でね。学校を休むのも当たり前でした。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、感情を動かされる出来事があると、床の間に行ってこっそり泣くので、家では「床の間」というあだ名がついていました。」 「42年4月、府立六中(現新宿高)に進学しました。3年生になると勤労動員が始まり、2学期からは大崎にあった「明電舎」という飛行機用の通信機器工場で働きました。戦況がどんどん悪化しても、「神国日本は負けるはずがない」と本気で思っていました。 忠実な軍国少年でした。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(3)「反戦・獄中の党」に傾倒 「健二郎君。拷問、大丈夫か?」
「私には、戦争中たたき込まれた軍国主義が1日で崩れたのが衝撃でした。敗戦の日、涙ながらに「臥薪嘗胆がしんんしょうたん」を訴えた中学の教師が、一番早く学校を辞めてヤミ屋に転身する。そんな変わり身の早さも目の前で見ました。」 「日本が突き進んだ戦争の真相もわかってきます。戦争に反対し、獄中で頑張り抜いた党があったという事実には、敗戦以上に大きな衝撃を受けました。それが共産党に傾いていく一番の動機でした。」 「一高は全寮制で、兄と同じ「社会科学研究会」の部屋に入りました。47年の正月早々、友人が「どうも共産党細胞ができたらしい」って家に来ましてね。兄たちが46年暮れにつくったようですが、我々には声がかからない。「我々も入ろうじゃないか」と、すぐ入党手続きを取ったんです。 先輩には「拷問、大丈夫か」と脅かす人もいました。戦前のようなことはないだろうが、覚悟はいると思いましたよ。もちろん、党の一員になったという誇らしい気持ちはあったし、将来は職業革命家になると思いこんでいましたね。 それからは、党活動が生活の中心になりました。」
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[時代の証言者]共産党・不破哲三(4)学部ストの責任、停学 学生運動中心で授業にもでない学生時代。なんか、似てるわ。このころ宮本賢治との出会いも語られています。
「1949年、東大物理学科に進学しましたが、物理学の研究を仕事にするつもりはなかったんです。「党に入った以上は」と考え、まじめに党活動をしようと思っていたから、物理学教室に行っても、自治会活動のためで授業は数えるほどしか出ていないですね。」 「その間、ある出版社の「社会見学博物館」という企画の原稿を書くアルバイトを始めました。各産業の代表的企業を取材し、産業史や社会的意義、生産工程を紹介するものでした。」 「学生運動で忙しい日々の中、うまく休みが取れると日程を詰め込む。在学中に全国50か所くらい取材に回り、トヨタ自動車や日立製作所、鉱山や発電所などの現場を見ました。アルバイトでは一番面白く、就職後も何か月か続けました。」
続きをお楽しみに・・・。
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2010.11.18 |
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「政治とカネ」とともに、埋没してしまった感がある「普天間基地問題」。 無条件撤去しか解決の道はない。 【社説】普天間問題 政権党が語らぬ異様さ (東京新聞 2010年7月10日)
投開票日をあすに控えた参院選で、米軍普天間飛行場の返還問題をめぐる論争が低調だ。前首相を退陣に追い込んだこの問題を、政権党である民主党が語ろうとしないのは異様な選挙風景でもある。 民主党代表である菅直人首相は六月二十四日の参院選公示後、沖縄県を訪れていない。県出身の比例代表候補はいるが、選挙区での候補者擁立を見送ったからだ。・・・
異様ではないだろう。争点を外し、隠して逃げたい無責任与党・民主党のそのままの姿と言うべきだろう。
沖縄県議会が日米共同声明の見直し要求を決議した。
日米共同声明見直しを決議 県議会 (沖縄タイムス 2010年7月9日 13時16分)
県議会は9日の本会議で、米軍普天間飛行場移設の日米共同発表の見直しを求める日本政府あての意見書と、米政府・議会あての決議を、退席者2人を除く全会一致で可決した。 意見書と決議の内容は同じで、日米共同発表(声明)について「県内移設反対という沖縄県民の総意をまったく無視するもので、民主主義を踏みにじる暴挙として到底許されない」と強く批判している。・・・
以下は、
「普天間問題解決の道は」 のデフォルメ版です。
太平洋戦争で凄惨な地上戦を体験し、米軍占領下で土地を無法にうばわれ、戦後65年にわたり基地の重圧をおしつけられてきた沖縄県民。もはや忍耐の限界をこえています。 “新たな基地をつくってもいい”という場所は、沖縄はもちろん、日本のどこにもありません。「日米合意の白紙撤回」「無条件撤去」─この日本の要求をはっきりとアメリカに伝え、そこから交渉をスタートさせることしか、普天間問題を解決する道はありません。
「海兵隊は(日本を)まもる部隊ではない。地球の裏側まで飛んでいって、攻める部隊だ」「沖縄に海兵隊がいるかいないかは、日本にとっての抑止力とはあまり関係がない」(菅民主党代表代行・06年6月1日の講演)
かつては、「海兵隊撤退を米国にもとめていく」(01年)「日本の抑止力と関係がない」(06年)といっていた菅首相。志位和夫委員長が国会で、この事実を指摘すると、“過去にいろいろいったが、変わるのは政治家として当然だ”とひらきなおることしかできませんでした。 アメリカいいなりに自分の態度を180度変え、国民への約束もホゴにして平気─こんな政治が許されていいわけがありません。参院選では、日本共産党を大きくのばすことで、基地おしつけ勢力にきびしい審判をくだしましょう。
米国務省でメア日本部長(右から2人目)と会談する志位委員長(左から2人目)=5月7日、ワシントン
「4・25県民大会で、沖縄の怒りをあらためて痛感した。アメリカに、その声を直接とどけたい」 ─志位委員長は5月、米国務省の日本部長と会談しました。 志位委員長は、「沖縄県民の怒りは、限界点をこえた。『抑止力』というが、もはやその言葉は県民には通用しない。この事実を直視すれば、無条件撤去しかない」と、はっきり提起しました。
会談では、意見がまっこうから対立しましたが、米国の担当者は、「見解はちがっても意見交換するのは有益です。民主主義の基本です。これからも大いにつづけましょう」と発言。志位委員長も「その言葉には完全に同意します」と応じました。 かつて共産党員を入国させなかった国が、「共産党とも対話すべき」と大きく変化しています。国民の立場にたって、アメリカにたいしてはっきりとモノをいう─これは本来、日本政府がおこなうべき外交ではないでしょうか。
「沖縄県民には立派なことをいう国会議員も、アメリカではなにもいわなかった。私は、今回の共産党の訪米がいちばん意味があったと思っている」 ─町の面積の83%を基地に占領されている嘉手納町の宮城町長は、志位委員長の訪米をこう評価しました。 事実と道理にたって、アメリカにもきちんとモノがいえる党・日本共産党がのびてこそ、日本の政治を前にすすめることができます。
くわしくは↓ 「普天間基地問題――“アメリカいいなり”政治から、日本国民に顔をむけた政治に転換を」 (日本共産党の参院選公約。部分)
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2010.07.10 |
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