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NO.2115 やらせてみる。やってみなきゃわからんめえもん?!

 陶友には今、学生の実習生が入っています。

     地行浜4090

 実習生は事前のオリエンテーションに参加し、それを受け初日朝礼時、全職員の前で「実習の目標」などを発表してもらいます。そして日々の終礼で一日の総括をする・・・。

 何事もやりっぱなしだと成果が確認できず、何を学んだのか自分でもわかりません。言語化して伝え、討論することによって深める・・・。陶友での実習の基本的なスタイルです。

 しかし、この総括が、「・・・でした」で終わり、「ああそうですか」で終わりがち。突っ込みどころが無いのです。盛り上がらず学びも深まりません。

 そこで、昨日から、「質問をひとり三つ準備すること」にしました。結果、上々でした。上々の意味は、若い職員がそれに答える中で鍛えられるという点において。
今日は発展させて、「実習生で話し合いみんなで5つの質問を」・・・、実習生にとっては交流し共有するこの話し合いが大事なのです。


 ところで、事前オリエンテーションですが、これまで私がやってきました。
「次から、じきょうくんとたなかさんにもやってもらいます」って発表すると、「え~~~!」て顔してましたが、他流試合の真剣勝負に挑まないと、勉強しません、身につきません。「何をどう話すか、俺が聞くからな」と言うと、青ざめて(笑)いますが・・・。

「緊張します!」という。
「誰が聞こうが同じじゃないか。実習生なら緊張しないなら、彼らに失礼じゃないか。自分をさらすことで自分に向き合うことが大事だ。恥をかいて、自分を知らな、成長せんとよ。やってみなきゃ解らんめえもん。いい機会やろうが・・・。どんなヘマをしても、取り返しのつかない事はないやん。プラスになるだけやろうが!」
・・・ナンテ、こういうふうに私は職員をいじめるのです。

 実習生に、陶友をどう伝えるか、どういう実習を求めるか、それは即ち自分が何をどう見ているのか、どういう職員なのかを問う作業でもあります。・・・だから、「オレは職員が何をどう考えてるかを見たいんよ。」

 後に引けない真剣勝負の他流試合で自分を研く機会だ、と心得よ!というこことです。これまでもそういう機会を作ることで若い職員の変化を作り出してきました。

 参考までに以下なども紹介しながら。
「俺んごとやる必要も、その真似をする必要もないけん、この機会に自分の「体系」つくりに着手してみぃ」と。

 ■NO.486 大学で出前道場、「現場実習の心構え」について。(人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作をぜひ読んで!)
  http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-529.html
 ■NO.1856 「『障害=個性』は一度も口にしたことはない」(乙武洋匡さん) 
  http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1897.html
 ■NO.241 障害は個性か?
  http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-254.html
 ■NO.245 障害は構造的。
  http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-258.html

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2011.08.04 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.969 がんばれ若者たち!・・・2月のいろり塾。

 陶友には、「いろり塾」というものがあります。

囲炉裏


「いろり塾」を始めたきっかけ



工房陶友には年間を通し数十名の学生実習・ボランティアが来ます。
障害を持った仲間と同じ体験をし、一緒に笑って感動する。
見えない障害の壁を越えていく。

そんな体験を一緒に経験したみんなは陶友の仲間です。
いつまでもここで感じた気持ち、経験した事を忘れないでほしい。
今後も陶友とのつながりをもっていられる場、自由に学べる場を!!

そんな想いから始めた若者の学びと交流の場です。


「いろり塾」とは


 「いろり」は昔から家族団らんの中心となる場所であり、食卓として、暖をとったりする場所として、各家庭で使われてきました。
そんないろりの火をみんなで囲み、話しているとなんだかなつかしい感じがします。
みんなで輪になり、あったかいいろりの火を肌で感じながら、たくさんのはなしをします。
そこに集まる人はみんないろいろな立場で人生を歩んできています。
世代を越え、自分とは違う立場の人達と交流を深めていく。

いろいろな人の考えを聞いていると、自分はちっぽけだなあと感じるかもしれません。
もっと広い視野で!もっと自由な発想で!主役は自分だけれど、自分ひとりだけでは生きられない。そんな中、自分は何ができるだろう・・・?

一人ひとりが自分と向き合ったとき、本当の自分に出会えると思います。
「いろり塾」はそんなきっかけを与えていける場所でありたい。
ここにまた帰ってきたいと思ってもらえるような、心のつながりのある、あたたかい場所であり続けたいと思っています。

 




 ・・・そんな感じのところです。
はじめは、私がでしゃばって「塾長」になって、偉そうなことを話そうかという魂胆でしたが、すぐに方向転換し、「若者の 若者による 若者のための」塾にしてもらいました。
 若者たちは希望です。
自分たちで考え自分たちで運営しながら、少しづつ成長していって欲しいものです。

           ちゃんぽん 021

 2月のいろり塾 では、私に講師依頼がありましたが、他の会議があったために、若い職員が頑張ったようです。見直しに直面している障害者自立支援法について、改めて学んだそうです。
私も会議終了後に、飲み会に参加したかったのですが、気おくれしてやめました。(昨日もしこたま飲んだし・・・)
では、感想の一部を紹介します。


「全ての人が大切にされる社会を――政治の責任で」
「つながる まなぶ かえられる」
障害者自立支援法によって起こっている問題は政治の責任です。政治が作り出したことなら政治の力で元に戻す事ができるはずです。
みんなが持っている愚痴や思い・願いを交流する場を増やして、何でも交流してつながること。つながった仲間と社会のしくみを学び、根本を知ること。そしておかしな社会を一緒に変えることを引き続きやっていきたいです。              (ガンダム)

僕が福祉を学び始めて心から思うのは、
その人がその人らしく生きるために行う活動に、なぜお金を払わないといけないのか、自立支援法を含め様々な社会保障関連のこの国の考え方を伺ってみてそう思います。「もし私自身が~だったら・・・、もし自分の親が~だったら・・・」そういう捉え方から福祉は始まると僕は考えています。その上で、今のこの国の建前的な社会保障は本当に腹立たしく、また自分も含めて国民はいつまで他人事で済ませていくんだろう、とまた腹立たしく思いながら、自立支援法のお話を聞かせていただきました。これからは、もっと広い視野を持って、大きな声あげて、みんなのためはもちろん何より自分のために、行動を起こして行きたいです。     (イシバシ)

『何もしない事は 賛成を意味する』
先日、テレビで見た中で出ていた言葉。それは、戦後、原水爆禁止の署名活動をした女性たちの物語でした。
戦争が終わったあと、水爆実験によって、第五福竜丸が被爆。その当時、食べる魚は放射能に汚染されているかもしれない、降る雨も汚染されているかもしれない・・・「安心して生活することができない」そう感じた女性たちが原水爆をなくすために、署名活動をはじめました。
その中で、通行人から、「ただ名前を書いて何になるんだ?」と聞かれたときに答えたセリフです。
「何もしない事は、賛成を意味します。 だから、反対に名前を書く事に意味があるのです。」と。
今日は、自立支援法の話をしました。私たちがいつも訴えていることが本当に普通の人に伝わっているのか、どう感じられているのかを少し聞くことが出来ました。
おかしいと思ったら、小さいことでも行動にうつさないと!!            (とくい)

私が正直に感じた事は・・・
弱い立場に置かざるを得ない立場の方々からお金をとり、更に障害者に対しての理解と今おかれている状況も知らないということにとても腹が立ちました。       
自分も知らなかったのですが私は少なくとも知ろうと考えています!!もっと知ろうと努力してくれる方が増えてくれれば今の不都合かつ厳しい状況も打開できると思うし、国{日本}自体も良くなると考えています。
今国民と政治家が協力して行動を起こさないと福祉に対しての意識がまた薄れていき、ずるずると引きずってどうでもいいやと考える人が増えこれから先改善はされないと考えています。また、議論する機会がありましたら!!
ぜひ!!!!時間を作って参加させて頂きたいと思います。
                                       (ムトウ)

『スウェーデンに住みたいな! {輪}になりたい。』
人が手を握り輪を作ると、そこにぬくもりが生まれます。その手が離れてしまったときみんなが考え、思いやることでまた、一つの輪ができます。 日本はこのようなぬくもりある輪を作る社会であって欲しい。                                 (ひっこしのさかい)

久しぶりの 「いろり塾」は
福祉の内容の事を切り口に、社会保障や人間らしさ、そして社会のあり方を考える良い場になったと思います。また、皆でつながる事に意味があります。私自身、もっと学んで人間性を高めないといけないなと感じました。まだまだです・・・。  (くり)


 
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2009.02.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.939 「今生きることを大切に」 宗教者との対話。

 久々の出前道場の報告でも。

大濠公園と梅 013

陶友が土地を貸していただいているお寺さんで、浄土真宗本願寺派の「壮年会」の研修会があり、久々にお話をすることになった。この方達は、お寺が地域福祉にどう貢献できるかを、いろいろ勉強されてもいる。

 仏教の話はあまりわからないが、日ごろから住職は「今生きてることを大事に」「命を大事に」と話されている。

 ご住職の法話とのコラボ。

私は、「障害者自立支援法 障害と命」と題してわずか20分。
内容は、ずっとブログに書き溜めてきたようなことだが、こういう機会があることがありがたい。
中心は「応益負担問題」と「障害自己責任論」。

生きとしいける命は、38億年一度も絶えることなく、命のバトンを渡して今日ここにあること。
人間の個々の命は、遺伝子レベルでは、70兆分の1の確率で生まれたと言うこと。この高度な生命体が、何の狂いも無く生み出されること自体が奇跡であり、障害は人類にとっては「ある意味では必然」だということ。誰かがしょわなければならなかったものであり、それを自己責任とすることは、人間存在のあり方から言って間違いだ・・・。障害は、我々の一部であり、ともに受け容れあいながら支えあって生きる道こそが、人間らしい道では無いか。

 まあ、そんな事から自立支援法がいかに理不尽なものであるかについて知っていただき、署名にも協力をお願いする、というものでした。

 終わって、陶友に移動して囲炉裏を囲み、住職お得意のちゃんこ鍋と炭火でのあぶりモノで、みなさんで一杯!お世辞もふくめ「いい話でした」と声をかけていただきながら、飲み交わしました。

 宗教者は宗教者として、いろんなことを学び交流しながら、「今生きること」を大切にと語りかけている。



 


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2009.02.07 | | Comments(0) | Trackback(1) | ・道場日記・オッス!!

NO.486 大学で出前道場、「現場実習の心構え」について。(人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作をぜひ読んで!)

 先日近所の大学で福祉学科3年生に、表題のテーマで話す時間があった。
実習指導室から感想文がまとめられ送られてきた。
自分の言葉が、どう届いたかを検証するために、いつも感想文をいただけるようにお願いしている。
ありがたい事で、感謝!です。

ヌード処理0004

ヤクシマアジサイ
白から薄緑に変わる。葉も細く特徴的。


 25人程の小さな講座だったが、汗かいてしまった。
話すネタは一杯経験的に詰め込んでいるのだが、今回は「話し始めれば何とかなるさ」と、組み立てをしっかりやらないままに臨んでしまった。

「こりゃまずい」と思った瞬間、汗が噴出した。
申し訳ない。

にもかかわらず、感想文を見るとおおむね好評だったようで、胸をなでおろしている。
何故か?
それは難しい専門用語も使わず、日常話での語り口がわかりやすかったからのようだ。

話したポイントは、

★自分の頭で考える。
 予め設定されて隠されているであろう「正解」探しをするな。(これは受験勉強の仕方で、考える力はつかない)現場の事実を自分の目でリアルに見て、自分の頭で考え、自分の「正解」をつくる。それは紛れもなく「自分の正解」だから自信を持っていい。ただし、それが主観的な独りよがりのものかもしれないから、検証が必要だ。その検証の過程が本当の勉強だ。それは集団論議で試される。皆で話し合う勉強を。

★「障害」を観ても、それは見えない。生きているその人を丸ごとリアルに見ること。障害の中に人が居るのではない。その人の中に障害がある。障害は、その人の部分に過ぎない。

★変革と創造の視点・・・施設や制度のために彼らがいるのではない。人間が、人間らしく生きるために施設や制度があるのだ。そのために、福祉は創造的に変革しなければならない。

★己の存在に引き寄せ、生き様に重ね合わせて、観る、考える。如何に生きるかが問われているのだ。
人間とは何か、どう生きるかを考えよう。

 えらそうに大体、以上のことが話の柱。
ネタは、この間ブログで整理してきたもの。

 特に共感的に理解してもらえたのは、「障害にとらわれて相手を見たらいかんよ。その人を丸ごと見ようとするときに、障害が理解でき、その人への理解(福祉的支援の課題も)が深まるんだよ」ということ。異口同音に殆どの人が感想文に書いてくれていた。

 これは、障害者と接する機会がなく初めて施設実習に行く学生にとっては大切なことだ。この間の実習生受け入れで、多くの学生はこの入り口でつまづき固まり、自分を出すことが出来なくなるからである。腫れ物に触るようにしたり迎合したりするところからは、「関係」は築くことが出来ないのだ。

 次に、これも多くの学生がコメントしたのは、「人間らしさと障害」について考えるために話した逸話?について。内容は、以下の過去ログそのもので、資料として全文配布した。

人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作
       NO.258 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(1)
       NO.259 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(2)
       NO.260 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(3)

 この3部作は、今日の新自由主義政策の福祉切捨てを概観し、考古学資料の人骨・重い障害を持った後期ネアンデルタール人と対話しながら、新自由主義の人間観を批判し、人間と福祉について考えたものです。
 とはいえ、学術的ではなく「浪花節的」ですが、最も自分らしい記事で、思想的原点ともクロスするものです。「大脇道場」イチオシです。お読みいただければ、涙が出るぐらい嬉しいです。

 長くなりますが、せっかくですので学生の感想文から、一部紹介します。

 「ネアンデルタール人ナンディの話を、今日はじめて知りました。私たちの先祖は、生きのこるために助け合うことを覚え、障害のあるナンディとも仲間として生きていたようです。人間とは本来優しいものだと分かって心がとても温かくなりました。」(YHさん)

 「ナンディのお話で、人間はお互いを助けていく動物だと思いました。重度の障害を持っていても40歳(今で言えば80歳)まで生きたナンディは、奇跡的に生きのこったわけではないと思います。その集団において必要な存在だから長生きできたのだと思います。たとえ狩が出来なくても、もしかしたら、狩で疲れた仲間を癒す存在だったのかもしれないし、けがした仲間を手当てしていたのかもしれません。この話を読むと、生きる意味のない人はいないと感じました。・・・何万年も前の私たちの先祖から、助け合って人間は生きてきたという事実を知ることが出来て嬉しいです。また逆に、今の社会は少し寂しいものに成りつつあると思います。人間は本来、助け合って集団の中で生きていくものだと、ナンディから学べたように思います。」(OTさん)

ネアンデルタール人が、・・・助け合って生きていくことを選んだ背景には、『人間は弱い』ということを認めたたことがあると思います。無駄な存在はいない、人は何か役割を持って生まれ、弱いと思えたことさえも力になる。障害者は生きることの困難さを私たちに教えてくれ、ありふれたものへの感謝を喚起させてくれます。この事実は、物質的な豊かさの過渡期にある我々に、人間としての感性を取り戻す可能性を教えてくれます。」(MKさん)

「・・・またナンディのお話ですが、私自身考えてみました。考えすぎて息が詰まり友達に話したところ、帰ってきた答えは『ナンディが族長の子どもだったので、食料がもらえた』でした。やはり現実的に考えてしまいがちです。しかし私自身、おいしいものを食べた際、家族や友人にも食べさせたかったりします。そういう幸せや喜びを分かち合う気持ちを、3万年前から持っていたのではないかと思います。だからこそナンディは生きられたのではないでしょうか。これが私の正解、と思いたいです。」(KMさん)

「ナンディの話がとても印象的で感動しました。ナンディが、皆がとってきた食料を一番おいしそうに嬉しそうに食べるからという話しが、とても素敵だと思いました。そしてそれが本当だったらいいなあと思いました。そうやって2,3万年前から、障害者と共生する事実があるのに、今のほうが障害を持つ人にとって生きにくい社会のように感じるのは、少し残念に感じました。」(MMさん)

 ナンディの話に限らず、全部紹介したいぐらいですが、・・・この辺で。



最後までお付き合いありがとうございました。
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テーマ:福祉のプロを目指す - ジャンル:福祉・ボランティア

2008.06.15 | | Comments(0) | Trackback(1) | ・道場日記・オッス!!

NO,419 青春とは 若き精神のなかにこそ ある(サムエル・ウルマン)・・・61歳憲法君とおじさんたちへ。

 先ほど、旭さんにコメント返しをしようと思い、青春時代について思いをめぐらしていたら、
サムエル・ウルマンの「青春とは」を思い出してしまった。

 有名だから、多くの方がご存知で有難くもなんともないかも知れないが・・・。
自分自身も含めて、おじさんたちに声に出して詠んでみて欲しいと思い、アップすることにした。
あわせて、古臭いといじめられてきた61歳になった憲法君にも捧げたい。
 声に出して読んでみて下さい。おじさんたちといわず、老若男女を問わず。ぜひとも!

nikon 001
オキナグサ(翁草)


青春とは
原作詩:サムエル・ウルマン
自由訳:新井 満


真の 青春とは

若き 肉体のなかに あるのではなく

若き 精神のなかにこそ ある

薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体

そういうものは たいした問題ではない

問題にすべきは つよい意思 

ゆたかな想像力 もえあがる情熱

そういうものが あるか ないか

こんこんと湧きでる 泉のように

あなたの精神は 今日も新鮮だろうか 

いきいきしてるだろうか

臆病な精神のなかに 

青春は ない

大いなる愛のために発揮される

勇気冒険心のなかにこそ 

青春は ある



臆病な二十歳がいる 既にして 老人

勇気ある六十歳がいる

青春のまっただなか 

年を重ねただけで 人は老いない

夢を失ったとき はじめて老いる

歳月は 皮膚にしわを刻むが 

情熱を失ったとき 精神

しわだらけになる

苦悩 恐怖 自己嫌悪 

それらは 精神をしぼませ

ごみくずに変えてしまう

誰にとっても大切なもの 

それは 感動する心

次は何が起こるのだろうと 

眼を輝かせる 子供のような好奇心

胸をときめかせ 未知の人生に 

挑戦する 喜び



さあ 眼をとじて 

想いうかべてみよう

あなたの心の中にある 

無線基地

青空高くそびえ立つ たくさんの 

光輝くアンテナ

アンテナは 受信するだろう 

偉大な人々からのメッセージ

崇高な大自然からのメッセージ 

世界がどんなに美しく 

驚きに満ちているか

生きることが 

どんなに素晴らしいか

勇気希望 ほほえみを忘れず 

いのちのメッセージを

受信しつづけるかぎり 

あなたはいつまでも 青春



だが もしあなたの 

心のアンテナが 倒れ

雪のように冷たい皮肉と 

氷のように頑固な失望に 

おおわれるならば

たとえ二十歳であったとしても 

あなたは立派な 

老人

あなたの心のアンテナが 

今日も青空高くそびえ立ち

いのちのメッセージを 

受信しつづけるかぎり

たとえ八十歳であったとしても 

あなたはつねに 青春

青春とは 真の 青春とは 

若き 肉体のなかに あるのではなく

若き 精神のなかにこそ ある





 サムエル・ウルマンは1840年ドイツ南部に生まれ、11歳の時に両親と共にアメリカ南部に移住。1924年バーミンガムで84年の生涯を終えた。
 彼は、ユダヤ人であり、生涯に亘って敬虔なユダヤ教徒だった。社会的弱者である孤児や女性、黒人、労働者を救済する運動に生涯を捧げた。

 この詩を日本に伝えたのは、1945年8月、連合軍最高司令官マッカーサーマッカーサーは執務室の壁に『Youth』(青春とは)を掲げ、日々愛しょうしたといわれている。
 これに感動した一人の日本人、日本羊毛工業界の発展に寄与した岡田義夫氏が紹介し広まったそうだ。
戦後多くの日本人が、この詩に励まされ、困難な時代を頑張ったと聞いている。

 新井によると、マッカーサーの愛しょう版はウルマンの原詩とは違っていたらしい。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」ではじまり、
「・・・
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
                       ・・・」
という風に抽象的でちょっと硬い。

 この訳は、ウルマンのオリジナルから新井満が、最近再生したものである。
新井満は作家・作詞・作曲家であり、また写真家でもある。
最近のヒット作「千の風になって」の作者である。(以上 講談社 同名書参照)

nikon 002
確かに若いときはみずみずしく美しい・・・


 ついでに、私は軽度の知的障害のある娘に、次のようなことを考えさせられたことがある。

     過去ログ:NO.29 お父さんは将来何になりたいと?

NO.29 お父さんは将来何になりたいと?
 
「お父さんは将来何になりたいと?」

 少し知的な遅れがある四女が、夕食のとき話しかけてきた。
みずきが、小5の時だった。

 普通小学5年生が、その父親にこんな質問はしないだろう。
「ふーん。この子の遅れは、こんな時間認識にも、こんなふうに現れるんだ。」と思いながら、
「そうだな、蕎麦屋さんをして、金魚やさんも花屋さんもするかなあ。」と答えた。「おちゃわんも作って売ったら?」と、返してきた。

 何気ないやり取りの後、考えてしまった。

 50歳にもなると、大体人生が見えてきて、あとは規定の人生を流して生きる・・・。そして老後のことを考えるのが、関の山じゃないか?

 娘の言葉に目を覚まされた気がした。将来というものは、どんな年になっても、決まってしまっているものではない。これから自分で作り上げていくものだ。

 それから、同年代と飲む時、時々「おまえ、将来何になるんや?」とつっこみ、この話をするようになった。結構、聞いてもらえる。受けるといったほうが近いかな。

 あれから自分も、少し若返ったような気がする。未来を創造できるのは、人間だけが持ちうる力である。

 娘は遅れていて、常識的なことが理解できないこともある。しかしそれは、常識にとらわれない理解の仕方、発想でもある。そこには新しい価値や、真理までもあることがある。

 「おとうさんは、決め付けたらいかんよ。」と、生意気なことを言う時もある。それは、正しい、と脱帽するしかない。



nikon 021
で、年をとるとこういう風になる。
この姿が、翁のポヨポヨとした頭髪に似ているので「オキナグサ」と名前がついた。
この野草は、この姿に特徴があり名前がつけられたというわけで、若いときのきれいさだけが値打ちじゃない・・・、とかこじつけたりして・・・(笑)


旭さん、61歳の憲法君も、みなさんも。

「真の青春とは 若き肉体のなかにあるのではなく 若き精神の中にこそある」のです。
いつまでも青春しようぜ~~~!

老婆心ながら・・・、
 生き方が個人の心の持ち方だけでどうにかなるとは、もちろん思ってはいません。
今日の政治が生きづらい社会状況をつくり、少なくない青年を「老い」させてしまっていることは重々承知で・・・。
と言うことで、マッカーサーをどう評価するかということも含めて、ここではそういう野暮な議論はなしと言うことで、・・・ちょっと心の栄養になればいいかな。


声に出して読んでくれてありがとう
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テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

2008.05.05 | | Comments(8) | Trackback(3) | ・道場日記・オッス!!

NO.376 学ぶ若者達・・・実習生の報告より。(その3)

 今日はいい天気に恵まれました。で、・・・陶友は開所日でした。
月例の親の会では、困難を抱える仲間の話も語られて、お互いに共感・共有できたんじゃないかと思います。

実習生の報告(その3)です。

 二次障害

 この実習でもっとも印象に残ったのが「二次障害」についてである。
生育歴の中で虐待やいじめ、周囲の人が障害を受容しない、社会の環境や制度による困難など、環境によって引き起こされる障害で、知的には軽い人のほうによく見られる。
周囲が障害を受け入れられずに大きな期待をかけ、無理に本人の能力以上のことをやらせようとした結果、精神障害を引き起こしたり、ストレスが脳にダメージを与える事もある。
突然泣き出したり、取り乱してしまったりと、心の抱える傷はとても深いものである。知的に軽いとされる人たちはそれゆえの生き難さを抱えており、障害の様相は複雑である。ありのままの自分を受け入れてくれるところがどんなに必要か。
障害ををどう捉えるか、障害とどう生きていくか。私達に問いかけてくる問題だ。(Kさん)



 先日、その仲間の一人が精神病院に「医療保護入院」した。最近家庭で暴力的になり、家族で支えるのは無理な状態になった。・・・なかなか難しいものがあります。。

 自分と向き合う

 「・・・共に働いて感じた事は、その人と本気で関わりあいたいと思うならば、自分自身と向き合ってありのままの自分で関わろうとする事が必要だということだ。彼らの問題を自分の経験と重ね合わせて考えたり、自分の弱いところを知ったり、時には自分が彼らに映し出されているように思われる。
そうやって自分自身を見つめなおす事ができた。
ありのままの自分で向き合い関わっていく時、彼らの抱える問題の深い部分が見えてきて、それが個人の問題から地域・社会の問題へと広がる。そして、障害を一面的でなく、社会や地域とのかかわりの中で捉えるようになったと思う。」(Mさん)


 障害を持つ持たないかに関わらず、人と向き合う事は自分自身に向き合う事です。これは実習で正面から問う課題です。福祉労働は人間が丸ごと関わり合う、コミュニケーション労働です。

 思いを伝える

 ・・・実習中に感じた事を日誌に書きコメントを頂き、更に深まった自分の思いを多くの人に伝えたいと思うようになりました。友人に自分の言葉で話し、関心を持ってもらった時、少しづつでも社会を変えることが出来ると実感しました。
 自分の想いを周囲に伝え共感してもらい、一人ではなく多くの人と一緒に、社会を変えていかなければならないと思いました。
・・・そして社会の中の障害を軽減していくためには、何が必要かを考えて生きていきたいと思いました。実習を通して、社会環境が整っていれば社会参加が可能であり、生き辛さを感じずに生活する事ができるんじゃないかと思う事が度々ありました。社会的不利をなくすため、物理的環境だけではなく、偏見や無知も無くして行かなければなりません。
・・・自分とは関係ないと思うのではなく、関わり合い、社会全体で考えていき、すべての人にとって生きやすく住みやすい社会になるように、学んでいきたいと思います。」(Rさん)


 伝える想いを強くもてること、そして伝える力は福祉労働には必須です。多くの人々の力を繋ぐこと抜きには、この貧しい日本の福祉を変えることは出来ません。組織する力が求められます。

 これから

 「これからの人生で色々な問題があると思う。そして色々な人に出会うと思うが、その人の一面や問題の一面だけ見るのではなく、いろいろな角度から多面的な見方や考え方をしていかなくてはならない。
みえないものを見る目、聞こえない事を聴く耳、これらの力がとても必要である。
実習中、仲間の還暦祝いに参加させていただいたが、障害の有無に関係なく、生きていく事のすばらしさを感じた。これからの長い人生を、生きる事の価値や、人間としての豊かさとは何かを、自分なりに見つけて行くことが、これからの最大の課題である。」(wくん)


 「この1ヶ月は、泣き、笑い、怒り自分と向き合いことが多かったと思う。自分を知ることができ、変わる事ができた。この経験を無駄にしないように、これからの人生に生かしていきたい。」(Mさん)

 福祉の仕事に限らず、仕事には生き方が表れます。特に人の生き方、人生に関わるこの仕事では、自分の生き方に自覚的でなければなりません。
つまるところ、私たちは実習を「生き方を考える場」ととらえて、関わっています。

 3回にわたって、4人の学生の実習報告から紹介しました。
学生実習にはかなりエネルギーを使います。実りあるものにして欲しいし、現場にはいろいろな角度から学ぶ事が無数にあるからです。もちろん職員にとっても、真剣勝負の学びの場です。
実習の日を重ねるごとに、若者の顔つきが変わっていく事は、私達の喜びです。

今時の若者は、なかなか捨てたもんじゃなかばい!・・・失礼。


長々とお付き合い、ありがとうございました。
なんだか、意地で記録に残そうって感じになりましたが、まあ、そこはそれで・・・。
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テーマ:★大学生活★ - ジャンル:学校・教育

2008.04.12 | | Comments(3) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.375 働くことは感動 。(ヒロシさんのコメントより)

 皆さん おはようございます。
春は三日と天気は持ちませんね。鹿児島では桜の開花から満開まで2週間かかるそうですね。
心と身体、元気ですか?

 さて、昨日の記事で、実習生が「働くこと」について書いた部分を紹介しましたが、ヒロシさんが下記のコメントを寄せてくださいました。

 昨今、過労死から始まり、ワーキングプア、ただ働き、派遣、日雇い派遣、名ばかり管理職etc・・・この国では、働き方が大きな問題になって来ています。

 生活のために「お金を稼ぐ」働きが、今や「働いても生活ができない」という深刻な事態にまでなってきています。生活設計ができない、未来設計ができない「その日暮し」ほど、非人間的なものはありません。人間的貧困のきわみです。

 こうした事態を変えるべく、国民の運動が始まっています。その中で、働くとはどういうことか、何のために働くのかといった基本的な問題が問い直されていると思います。

 私は、過去ログNO.93 心に届いて欲しい・・・・陶友の歴史(4)のなかで、作業所を作るときの決意(趣意書)を紹介し、その中で次のようの書いています。

 5)、本来、人類の発生史からしても、「労働」こそがまさに「人間発達の源泉」でした。労働こそが社会的富を生み出すだけでなく、その主体=人間そのものの発達を保障してきたと言えます。

しかし、今日では「労働の産物」から疎外されるだけでなく、
命までも疎外される、労働が人を殺す(過労死)時代になって来ています。

そうした時代にあり、障害を持つ仲間たちの、働き社会参加を目指すなかでのたくましい成長は、人間にとって働くことの意味を改めて問うことになるでしょう。

人間らしく生きて働く(このすこぶる今日的なテーマ!)。

働くことを通じて、より自由に、より個性的に個々人が全面発達への取り組みを展開するという、ささやかな実践の試みが私たちの目指すところとなるでしょう。


 ただなんとなく、働くのが当たり前だから働くというだけではなく、今という時代だからこそ、自覚的に「働く」ことが求められていると思います。企業や会社に働かされるのではなく、主人公として働く・・・。

 以下が大企業のエンジニアをされた経験に基づく、「働くこと」についてのヒロシさんのコメントです。
一緒に考えていただくために、大変参考になるこの一文を紹介させていただきます。

働くことは感動

 私は半導体製造の職場で長年、エンジニアとして働いてきました。
いわゆる最先端の技術を駆使して新製品を世の中に送り出す職場です。 そこに働くエンジニア達は一流大学出身のエリートばかりです。  このようなイメージの職場では、リアカーを曳くKさんのような心の温かさや感動など無縁だと思いませんか?

 実は働くということはどんな職場でも同じく、心のつながり、苦楽感動笑いといった実に泥臭い人間的なものが生き生きとしている時、本物になるのです。

 私が入社した時、製造現場では装置の故障が多発していました。 その原因を見つけて解決するのが私の任務でしたが、歴代のエンジニアが解決できなかった難題は簡単には片付けられなかったのです。  装置が止まれば生産は停滞します。

  私は必死で頑張りました。  すると私を応援すべく、生産ラインの人たちが密かに徹夜で追加生産をしてくれたのです。  上司も技術面で助言をくれました。 このようにして組織のメンバーが一丸となって問題解決に当たるムードが生まれ、これまで困難であった問題が間もなく解決したのです。 

 新入社員の私が必死で頑張っている姿に周りの人たちが応援しようという気持ちになったのでした。 今のように、職場に請負や派遣といった立場や処遇の異なる人たちが複雑にからみあった職場では、はたして私が経験したような心のつながりがあるのかどうか心配です。 

 人は心が繋がり、生き生きとした時、持てる能力を目いっぱい発揮します。 『この人にこんな力があったのか?』と驚くようなことが起こります。  それが働くということなのだと知りました。 わかっている人には当たり前のことです。 

 人間の可能性は無限と言ってもいいほど可能性にあふれています。 実際、私の重度知的障害者の息子はこれまで私たち両親の想像を絶する発達を遂げてきました。 今でも発達し続けています。

 天理教では働くとは『ハタ(傍:他の人たち)をラクにすること』と説明していると聞いたことがあります。  それは心のつながりであり、『生きる』ことそのものだと思います。 

 今の世の中では『金を稼ぐこと』とされています。 働くことに対する冒涜であります。  生きることへの冒涜であり人間の否定でもあります。


どげんですか?
気軽にコメントしてくださると嬉しいです。



人間らしく働くために!
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2008.04.12 | | Comments(3) | Trackback(1) | ・道場日記・オッス!!

NO.374 学ぶ若者達・・・実習生の報告より。(その2)

学生の実習報告(その2)です。

 働くということ

 「陶友の理念に『すべての障害者に働く場を』とあるが、最初はなぜ彼らは”働く”のか考えていなかった。しかし、彼らと働く経験を通して少しづつその意味がわかってきた。
 ここでは、『街の豆富屋さん』としてリヤカーを引いて豆腐を売っている。
注文をとるためにお客さんの名前を書くために今まで苦手にしていた”字を書く”と言う事を、60歳近くなって挑戦している人、包丁を握って料理をする事ができるようになった人、苦手な犬がいる家に我慢して配達に行く人、働く事で、人はいくつになっても成長し続ける。
 彼らの働く姿は、生きることそのものだと思った。」(Kさん)


 「利用者の働く姿を見ていて、与えられた仕事に誇りを持っているように見えた。
特に食品判のKさん。彼は商売のプロだ。天気が悪くリヤカーを出せない時も、他のメンバーより率先して、「オレが歩いて届けてくるけん!」とアピールしていた。なぜそこまでするのかと尋ねると、「お客さんが待っとるけんね!」と笑顔で答えてくれた。その時の笑顔はとても輝いてまぶしかった。。
 利用者一人ひとりが、自身を持てるような、輝くことができる場を提供するということは、支援するに当たり大切な事だと思った。」(Tさん)



 「障害を持つ人たちを働かせてかわいそうだ』・・・一昔前は、この世界にもあった見方。
働くということはどういうことなのか。生計を立てるためにのみ、心身をすり減らすがごとき資本主義的労働。その対極から、私たちは「発達を保障する労働」ととらえた実践をしている。
実習期間中に「労働とは何か」の講座も持って理論を学び、その姿を仲間たちの中に見る。


 地域に根ざし、人とつながる

 「・・・地域の人々との結びつきの強さを感じた。お客さんと利用者のや、リヤカーに集まってくるお客さん同士のがここから生まれる。
 現在私たちの回りで失われている、人と人との関わりや信頼といったものを彼らが再生している。街の小さな範囲のことにすぎないが、彼らが作るつながりは、今なくなりつつたる大切なものだ。
 利用者さんたちは、待っているお客さんのために重いリヤカーを引き、お客さんたちはそんな彼らを温かく受け入れてくれて、計算が苦手なことを知り「ゆっくりでいいよ」と、待って力を貸してくれる。
 互いに助け合って生活していくという、人として大切な事を、彼らが働くということを通じて学んだ。」(Mさん)


 「・・・リヤカー販売に同行し、利用者の方々と地域の人たちのやり取りを見て、陶友・仲間たちと地域社会の信頼関係が形成されているということを何度も感じた。
 ここまで地域に浸透するまでにはどれぐらいに時間がかかったかわからない。一ついえるのは毎月の通信の発行や、祭りの開催や様々なちいきに開かれた取り組みをして積み上げてきたのだろう。
 地域障害者が活躍する場を作るためには、地域に開かれていることが重要である事を学んだ。」(Tさん)


 地域で理解を得ることは、なまやさしいきれいごとではありません。それでも、百の言葉よりもこつこつと、仲間たち自身を知ってもらうことが、一番です。
応援団「ゆうゆう」のみなさんをはじめ、沢山の人たちとの関わりを積み重ねて、支えられてきた。

                                          ・・・つづく。

 次回から、若者達の内面の変化についての報告です。

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2008.04.11 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.373 学ぶ若者達・・・実習生の報告より。(その1)

 私もかつては若者
最近学生達との交流の機会が増えた。
介護福祉系の学生現場実習に受け入れる事がきっかけで、大学に講師として呼ばれたり、実習卒業生と囲炉裏塾で交流したり・・・。(囲炉裏塾はこちらをクリック)
若者達との交流は、テレもあるがこちらも若返るような気がしてなかなか楽しいものだ。いつも若者エールを送っている。(怖がられているだけのようだが・・・?)

 このほど、さる大学から学生の「実習報告書」が届いた。
筆者の了解を得て、ここで彼らが何を感じ学んだのか、紹介してみたい。

 一人の人間として向き合う


「実習で一番初めに学んだ事は、仲間(利用者)は「障害者」ではなく、一人の人間であるということです。
 私は、初め、仲間を障害者だからと言う姿勢で接していたため、本当の仲間を知ることが出来ませんでした。そのため、仲間が理解できないと勝手に思い込み、尊重してしていると思ってした事が、実際は仲間に迎合しているだけだと言う事を知りました。
 しかし、障害者である前に一人の人間だという事を学び、接していくうちに真剣に向き合い、信頼関係を築いていくことができるようになりました。
また、人を理解するためには、その人の歴史や育ってきた環境を見ることが大事合うことも学びました。  一人ひとりが何十年も人生を積み重ねてきたからこそ、色々な考えや感じ方があり、その違いに疑問やや関心を持って、理解するきっかけをつくる事が大事だと言う事を知りました」(Kさん)


 初めての時はみな、及び腰です。受身です。仲間が言うがままにされる時があります。
私は「君は友達にもそういう対応をするのか?」と聞きます。「障害を見ているんじゃないか?障害の前に彼は一人の人間だ。人間を見るときに、その中にある障害を理解する事ができるんじゃないか?」と。

 制度は現場に現れている

 ・・・現場の雰囲気に触れ、そこに集う人々と交流する事で、まず障害者自立支援法についての捉え方が変わった。陶友通信を読み、職員の話を聞くことで、法律がもたらす利用者への影響、施設への影響を知ることが出来た。
 仲間にはすごい能力があり、すbらしい作品がつくれるのに、給料はたったの月1万円程度であることに大きな衝撃を受けた。通信には仲間の直の声が書かれていた。
 「給料の中身は明細だけ、とてもくやしい。」「応益負担になり、1割負担になり作業所を辞めなければならないかも知れない。仲間も職員も好きで陶友にかよいたい」
 この方は、30度を越した暑い日でも「お得意さんが待っとるけん」とリヤカーを引いて販売にでる。これ以上ガンバレとはいえないぐらいに、本当に頑張っていた。
 わずかな期間だが、仲間の頑張る姿を見てきたからこそ、この法律はおかしいと思うし、早急な改善が望まれる。又、報酬単価の引き下げで、職員の給料がカットされたり、名k間だけでなく施設の経営面でも影響を受けていることを知った。」(wさん)


 法律や制度を机上で学ぶだけでは・・・。事は現場に起こっている。徹底して現場の「事実」に目を向けるように学習しあいます。


 余り長くなると・・・。
今日はこの辺で。
このシリーズは3回ぐらい続けたいと思いますのでどうぞ、感想などを右下「komments」欄よりお寄せ下さい。


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2008.04.10 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.279 「今時の学生は・・・」と言うおじさん。

何の話からどう廻って来たのか、とおるさんが次のコメントを書いてくれた。

うちの学生達は、僕の学生時代よりよっぽど勉強はするよ。授業にもまじめに出るしね。

でも、云われたことをちゃんとやるけど、自分であれこでやってみるのは少ないね。
よくみると、みんな個性があるんよ(当たり前やが)。
でも、個性を押し出したらいかん、という雰囲気を感じる。KYと云われたくない・・みたいな。

それと、間違ったり失敗したらいかんという思いが強い。

そら、医療の現場に出たらおいそれと失敗できんけど、学生のうちは命にかかわらん失敗を経験せんとね。
目の届く卒論生には、失敗の価値を教えるのが最初の仕事になってます。

彼は大学教師です。
今時の学生について話すのは、おじさんの証拠かな?ははは、とっくにおじさんだけどぉ。

今、うちの作業所に実習学生が2人来ている。
今日の終礼で、一人が報告をした。
カゴさんが「給料から、利用料が取られて1500円ぐらいしか手に入らん。議員さんやら、居眠りしよるとに、利用料払わんで、国会から給料をもらっとる」と言って、これに対しなんと言って良いか解らず、困ったと。

なるほど。・・・相手が知的障害者ではなく、ただの友人だったらどうだろう。

相手は知的障害者でよく解らないし、こちらは実習生だし年下だからという遠慮を差し引いても、このようなシーンは、実習初めに良く見かけます。
「なんで?何がわからんと?」と聞く。
???である。

思うに、結果に対する評価が気になるのでは?
小さい時から、予め答えが決まってる問いに対し、正解を探すことが勉強だと叩き込まれてきている。
だから、自分が探す答えが正解かどうかが、先ず気になってしまう。
どう評価されるかが気になってしまう。
私は、そうじゃないか?と問う。
首をかしげ、反応は薄い。

何も言わなければ、何も始まらないし、解らない。それで終わりだ。
立派な言葉かけは要らない。そもそも、人と人の関係に決まったものはない。
自分が思ったそのままを返す、それに又相手から返ってくる。
そうこうする中で、お互いのことが少しづつ分かり合える、と言うことを話した。
その中に君の「正解」がある、まず自分なりの正解を自分で探すのだ。
それらを又持ち寄り、話し合い、より正解に近づくために、こうして集団的に話し合っているのだ。、と。

これまでの学校での勉強では、結果が気になるクセがついているのはしょうがない。
しかし学ぶということは、自分で動き、自分の頭で考えることからしか始まらない。
人間がそんなに簡単にわかるもんか。俺なんか、30年も知的障害者と関わって、いまだにわからんことばかりや。1日か2日実習して解ってたまるか。解らんからこそ、ぶつかり働きかけて、自分の答えを捜すんだ。そんな事で、多少の失敗しても、相手は死にゃせん」
・・・乱暴だが、私はそう言う。

「主体的に働きかける。自分をさらけ出して相手にぶつかる。その中で自分が見え、相手が見えてくる。ここでの実習は、そいいうこと。失敗したら、そこに学びの課題があるということだ。人に関わる仕事は、関わる中からしか始まらないし、答えは見えてこない」と。
・・・偉そうなことを言う。
やっぱり、おじさんの証拠だな。


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2008.02.06 | | Comments(5) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.157 「いじめについて」・・・囲炉裏塾報告

 昨日の囲炉裏塾は、僕のぎっくり腰のために、
当初予定の蕎麦打ちが急きょ、ミニ学習会に変更となりました。
 (大変申し訳ない。腰の調子は、ボチボチ。痛み止めで何とか昨日のうちに窯詰めを終え、今日日曜出勤で火入れにまで漕ぎ着けました。ご心配いただいた、希少な皆さん、ありがとうございます。)

 囲炉裏塾(→こちらをクリック)のほうは、
現役の青年教師が「いじめについて」報告し、若干の討論と交流をするというものになりました。

参加は10人で、予定よりは少なかったけど、初参加も2人あり、先ず先ずでした。
僕は、立派なことに、後半の飲み会には参加せず、今日に備えて10時には退席しました。酒席を去るのは僕にとっては大変なことなのです。(ははは)

ちょうど15日に文部科学省が、小中高校におけるいじめや暴力などに関する2006年度の調査結果を発表したところでした。
それによると、いじめお認知された件数が2万5千件、昨年度の6倍と言うものでした。
もともと認知が難しいという面がありますが、これまでの「いじめ」の定義を拡げたのが一因です。

ちなみにそれまでの定義は、
「①自分より弱いものに対し ②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え ③相手が深刻な苦痛を感じているもの。発生場所は学校の内外を問わない。」と言うものでした。

新しい定義は、
「当該児童生徒が、一定の人間関係にあるものから、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と、拡げられました。
今回は私立学校も対象に入れています。

それ自体は妥当なことでしょう。
それまでは「いじめは減少傾向にある」というのが、文科省の認識でした。
しかし、1昨年いじめ自殺が大きな社会問題になる中での、定義の拡大でした。

それまで、文科省や教育委員会は、
「5年間で半減」「いじめゼロ」などと数値目標を立ててその達成を求めることにより、「いじめかくし」が行われてきたのです。
いじめが多いか少ないかが学校や教師の評価に直接つながり、いじめの実態が見えなくなり、教師も実態を明らかにして協力すると言う学校作りも出来にくくしてきました。

どうすればいじめを無くせるのか。
2006年11月、政府の教育再生会議が「いじめ問題への緊急提言」を発表しました。
ここに要点を観てみましょう。

①いじめは反社会的な行為として絶対許されない。見てみぬ不利をするものも加害者であると指導する。
②学校は、問題を起こす子どもに対して、指導懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応を取る。(例えば社会奉仕、個別指導、別教室での指導など)
③いじめ発生時には、子どもや保護者に学校が取る解決策を伝える。希望があれば、いじめを理由とする転校も制度として認められていることを周知する。
④いじめに関わり、あるいは放置・助長した教師は懲戒処分を行う。
⑤・・・

引用していて、馬鹿らしくなってくる。
ご丁寧に、学校がいじめを隠すことが無いように、「いじめが発生するのは悪い学校ではない」と強調し、「いじめを解決するのがいい学校と言う認識を徹底すること」「いじめやクラスマネジメントへの取り組みを学校評価・教員評価に盛り込む」事まで提唱しています。

皆さんいかがでしょうか。

道徳を説き、懲罰主義と管理主事でやれば、いじめは無くなるのであれば、とっくの昔にいじめなどはなくなっているでしょう。

懲罰管理で子どもたちを追い込んでも、いじめはますます隠れ陰湿化するでしょう。
40人学級のゆとりの無い教室で、教師の尻を叩いて、懲罰で脅したところでところで子どもたちが見えてくるだろうか、救えるだろうか。

「いじめはだめだ!」と、家でも学校でも地域でもお題目を唱えろとでも言うのだろうか。

障害者や弱者への国家的いじめが堂々とまかり通り、
働くものへのいじめが横行する、
テレビでは「いじめられキャラ」が成り立ち、お笑いやバラエティーでは、茶の間にいじめを垂れ流す・・・。

ユネスコは、
日本の子どもたちは、極度の競争に駆り立てられストレスが一杯だから、何とかしなさいと言う趣旨の勧告を日本政府に出して久しい。

一人ひとりの子どもたちが、夢や希望を育むことができる社会や国を、そして教育を。
私たち一人ほとりに出来ることは何か。

囲炉裏塾のさささやかな学びが、その小さな芽になって欲しい。
いじめ問題もまた、私たちに関係し関わっている。
考えること、参加すること。

とりあえず、「30人学級を求める署名」をお願いした。




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2007.11.18 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.127  「自分の感受性くらい」 茨木 のり子 によせて。

先日の金八先生で、触れられた以下の詩について、
先輩のブログ上のちょっとした討論に参加しました。
    こちらを参照・ここをクリックしてみてください!


自分の感受性くらい 茨木 のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかもの




ひとつは、これは今日、為政者が使う「自己責任」論に通じるものではないかという問題提起。
その時のコメントは、舌足らずなところもあったし、ここで改めて考えてみるのも有意義かなと思い書いています。

「 さて『感受性』ですが・・・、抽象化された詩の表現は読み方次第だなと思ってしまいました。文学的な素養がないので・・・。私は単純にいいな、心に言い聞かせておこうと言う程度の読みです。

 コメントのやり取りを見る限り、個と世界(社会、他者)を対立的に固定的に捉える傾向が見えるんですが。個は相対的に独立しつつも、基本的には世界に規定される。
じゃあ、運命論的に絶対的に規定されるのか、。

個と、その感性はただ受動的な存在なのか。


世界だって個の働きかけによって変わっていく、そういう関係ではないでしょうか。これは、その主体性の確立の問題を問う詩じゃないでしょうか。

 相対的独立性自立性を高めながら、世界に対して能動的に働きかける中でこそ、個の確立や感受性の豊かな実りと言うものはあるのではないでしょうか。

 私は、この詩の中に、そういうエールを感じます。主体性には自己責任は当然伴うものですが、『自己責任』と言う言葉は誰がどういう立場で言うかによってその持つ意味は違ってくると思います。ま、言葉と言うものはそう言うものなんで。
 支配者の言葉に飲み込まれない感性こそが今求められていると思います。

ひとつひとつのの言葉を、どういう世界観を持って語るか、生かすか。
この時代の中でも「わずかに光る尊厳」への希望をこそ、読み取る感受性がもとめられるでしょう。」


以上のように書き込みましたが、不本意なので少し説明を加えます。


「個は相対的に独立しつつも、基本的には世界に規定される。」
ここは正確に言えば
「個の意識と言うものは、その社会的な存在・現実に規定される」と言うほうがより正確な表現です。

もっと平たく言えば、私たちの思考や感性というものは、
自分の中から純粋培養されるのではなく、その起源を社会的現実に持っていると言うことです。
しかしそれは、鏡のように機械的に反映されるのではなく、一人一人のフィルターを通して映し出されると言うことです。

だから、同じものを見ても、同じ社会的な出来事にに出会っても、その考え方や感じ方は、十人十色です。
このフィルターこそが「主体性」であって、それは、「現実」の鎖を解き放ち、自由に発展するものです。

もっと正確に言えば、
「現実への働きかけ」という営みを通じてこそ、自由な発展が保障されるものだと思います。

ここに、運命論を越えて、社会を変革し発展させていく人間の可能性があると思います。

私たちの作業所運動も、障害者福祉を変えながら、自らを変えていく取り組みです。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかもの


これは、そういう主体性への自戒と決意であり、エールであると読み取るというのが、
私のこの詩の読み方です。

私たちは、障害者作業所運動と言う困難な課題に立ち向かいながら、
一人一人が、個性的で豊かな人格を鍛えて、磨き上げていくのだと言うことをもっともっと意識する必要があると思います。

そう言う意味においても、
私の当面のテーマは、
自分自身を生きる、共に生きる」です。

偉そうにカッコつけて理屈っぽくなりましたが、
ばかもの」にならないため、自戒のために。




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2007.10.29 | | Comments(5) | Trackback(1) | ・道場日記・オッス!!

NO.108   「赤いノート」・・・・金八さんを観て

3行日記・・・07.10.18。

金木犀初香り。介護士の次女「いいかおり!」ゲンチャリで走る風は涼を越え、さぶっ!
更に本日ブログランキング登録3日目で、カテゴリー「福祉・ボランティア」部門12位、その中の「障害」ジャンルで、堂々1位!(マイナーなところだけど)皆さんのお陰。感謝。





今日も、金八さんには間に合わなかった。
最後の「3Bのホームページに書き込みがありました」の所から少しだけ・・・。
それは、「私」というノートの提出があったということ。

実は私も、交換日記の経験がある。

それは新人の若い職員と。

初めのうちは対面して話すのは、なかなか難しいものがある。
間が持てないし、いろいろ。
まして仏頂面の私には、若い新人は、ビビルでしょう。
私も、見かけによらずシャイなんで、いろいろと気を使う。

あるとき、新人の女子職員が「交換日記をしましょう」と提案してきた。
「私は話すのは苦手だが、書くのは好きで筆まめです。」と。


私も書くのは好きだったので、応じることにした。
相手のペースに気を使わず、ゆっくり考えながら自分の考えが書ける。
時々の問題や悩み、あるいは家族のことや生い立ちのこと。
書く内容は自由。渡すのも不定期の自由。

その職員とは、半年ぐらい続いたろうか。
お互いを知り合い、気兼ねなく自由に話せるようになった頃、
ノートは必要なくなり、いつの間にか行き来しなくなった。

それから私は、若い職員が入るたびに、「赤いノート」を渡した。
赤い・・・には、理由は無い。だだ、どこかから沢山貰ってあったからだ。

現職員の栗などが、よく「赤いノート」の事を、実習生なんかに話してるのを聞く。

それぞれのペースで、話したいこと、聞きたい事、を書く。
自分に正対し、相手に向き合う。
幾たびかの往復の後、ノートは役割を終える。
忘れていた頃に来ることもある。

正面から、飾らない等身大の自分に向き合えない人は、
この仕事には、向かない。いい仕事はできない、と思う。


己にまやかしや、斜めな人間は、相手にも誠実に向き合う事は出来ないだろう。
ある時には、未熟な自分をさらけ出す勇気がいる。
そういう覚悟と、勇気、力が無ければ、福祉の仕事を深いところではできない。

私は、技術や知識よりもまず、そういう人間としての構え、あり方を求めてきた。

赤いノート」が又活躍するように、
福祉職場・業界を、若い人たちが跳びこんで来る
魅力ある世界にするために闘わなければならない。


金八さんを見て、「赤いノート」のことを思い出した。


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2007.10.19 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.99 さわやかな青春短編集

今日は囲炉裏塾の日でした。10人ほどの若者が集まりました。
テーマは、「私を変えた言葉
それぞれに発表してました。
皆さん是非、陶友HPの「活動報告」を読んでください。
リアルタイムでアップしてるので、なかなか雰囲気も出てますよ。

シンプルですが、さわやかな青春短編集を読む思いで聞きました。
最近の若者は、つるんで議論したりするのが苦手のようですが、緩やかに交流を続けています。

私は今回は中途で失礼しました。
平均年齢をあげてもいけないし、若者たちが遠慮したらいけないし・・・。
焼酎飲むと、日ごろ無口な分しゃべりまくるから・・・。

次回は、蕎麦打ちらしいから、少ししゃしゃり出ようかな。
近く活動予定がHPにアップされるはずですので、
私の蕎麦を食べたい人、若者と語り合いたい人は是非ご参加ください。
準備の都合がありますので、事前にご連絡ください。

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2007.10.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.67 「ひさの星」・いわさきちひろの絵本より

 今日実習総括があった。

S君は、控えめなタイプで、話し合いのときなど引き気味だと、自分から言った。
みんな、あんまり積極的に積極的にと言うもんで、ちょっと考えた。

いわさきちひろの絵本に「ひさの星」というのがある。

ある村にひさという女の子がいました。
ひさは、物静かな子で目立たず、いつもいるかいないかのように、みんなの後ろにちょこんといるような子でした。
ある日、村に大雨が降り、男の子が川で流されかけました。
助かった男の子が泣きながら
「ひさが、ひさが」と叫ぶので、村人たちは、てっきりひさが川に突き飛ばしたと思い、ひさを懲らしめようと探すが、見当たりませんでした。。
落ち着いた男の子に話をよく聞くと、ひさが男の子を助けようとして川に流されたらしいのです。
そこで村人たちは、ひさをさがすが、とうとう見つかりませんでした。

その夜、空に新しい星がかがやいていたそうです。
村人たちは、その星を「ひさの星」と呼んで、手を合わせました。

というような話。

世の中には、声高に叫んで、前に出る人もいるが、そういう人に限って、困難な時には逃げ出すことがある。
目立たず物静かでも、芯のしっかりした人は、逆風にもぶれずに困難にも負けないものだ。

私は、学生運動に参加したり、労働組合づくりや、作業所作りに取り組んできたので、人の前に出て、声高にか叫んだりする役回りを演じてきた。
本当にどうしようもない困難に直面しても、揺れずぶれずにおれるだろうか。

私の中には、ひさへの憧れがある。
物静かで目立たないが、芯からの本当の強さがある。

「ひとそれぞれでいいんじゃないか。それぞれに自分の出し方があって。課題にきちんと向き合って、ぶれない確かな自分というものをもっていれば。人にはそれぞれの役回りというものもある。」

S君に、ひさの絵本の話をした。

テーマ:頑張れ自分。 - ジャンル:日記

2007.09.19 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.52 学生実習受け入れ記

今、現場実習の学生が6人来ている。
(ちょっと多すぎ、私の調整ミスで。)
社会福祉士や教職のために単位が必要なのだ。
私は、「単位を取りに来た人は帰ってください、作文でも何でも書けば単位はあげます、人が生きていることを自分の食いぶちにするな」と恫喝する。

実習を受け入れるにあたっては、学校側の実習教育目的も考慮したうえで、最も基本的なことに重点を置いている。
ひとつは、人と関わるということ、自分に向き合うこと。
2つ目に、学ぶということ、自分の頭で考えるということ。

私の主観的な印象で申し訳ないが、今時の学生は人と関わると言うことが、希薄である。
大学では、特別な目的を共有する集団に関わるとかでもない限り、人と深く関わる経験を積む場はないようだ。
気が合わなければ、「はい、さいなら」で済まされるのだ。

実習と言う場は、関わらざるを得ないのである。逃げられない。
しかも、相手はこれまでに関わったこともない、理解しがたいことも多い知的障害者である。

みんな緊張もあり、無難に、上手くやろうとして、腫れ物に触るようであったり、初めは消極的である。

まずはそこを一歩踏み出さなければ…。

一日彼らは、それぞれの作業に入り、仲間たちと関わる。
そして毎日最低でも1時間の反省会。体験し学んだこと、感じたことを出してもらいながら、討論する。
必要に応じて、テーマを決めて学習会も。
「障害とは何か」「憲法」などなど。驚くほど、基本的なことを学んでいないのである。

今時学生がよく使う言葉が「コミュニケーションをとる」。
ほとんどが「会話をする」ぐらいの意味で使っているので、私はその言葉を使うことを禁止する。
関わった事実をそのまま報告するように。

たとえば
衝撃的な話を聞いて、何も話せずにちょっとへこんでしまう。「コミュニケーションがとれなかった」と。
それは違う。相手があなたに話そうと思い、それを聞いてあげることが出来たこと事態が、コミュニケーションである。
関わった事実の質や内容を、具体的に検証することが大事だと言うことに気づかせなければならない。

結果を気にせずに、自分をモットさらけ出してぶつかっていくように求める。「あんたが何かして上手くいかんでも、死ぬようなことはないから」と、乱暴なことを言いながら。

実際、静止していくら眺めても、相手は見えないのである。
ぶつかり格闘しながら、少しずつ見えてくるものなのだ。

実践とはやってみることなのだ。結果を見て検証し、又仮説を立てやってみて…、そうやって考えが深まり、やることも発展していく。
理論と実践はそういう関係にあるのだということを教え、励ましていくのである。

そして大事なのは、ぶつかっていく時に、自分が相手に映し出されていくのである。
未熟で情けない自分、ちょっとほめたくなるような自分…。

人と関わると言うことは、そこに映し出される自分に向き合うことでもあるということ。自分に、真摯に正直に向き合えない人がどうして人と向き合えるだろうか。ましてや、援助を必要とする仲間たちに…。

日誌にコメントを書いたり、討論会をしたり、学習会をしたり・・・結構、大変ではある。
こんなに実習に力を入れる現場は聞いたことがない。自分の学生でもないのに。うちに就職するわけでもないのに…。

私は、「日本一の実習現場だからね。」なんて恩着せがましく言う。
「これは私たちの若者たちへの期待なのだ」と。

学ぶ、考えると言うことについて。

討論の時も、人と比べたり、いい事を言おうと思うな、率直な等身大の自分を出せ、と要求する。

悪しき教育のお陰で、あらかじめある、どこかに隠されている回答を探そうとしてしまうから、自信がなくて発言が消極的になる。
周りの評価も気になる。
実際に、能力差は学校間、個人間ある。
だからこそ、人と優劣を比べるのではなく、昨日の自分、今日の自分より明日の自分が成長することが一番大事だと教え励まさなければならない。

あなたの答えがあなたの正解、それぞれの正解を出し合いながら、討論し皆でモットいい正解を探すのだ、学ぶとはそういうことだ、だから自分の頭で考え自分を出そうと、討論する意味も教えなければならない。
集団討議は、自分の頭や心が、皆の頭や心とつながり大きくひろくふかくなっていくのだと。

・・・そうやって、日を追うごとに、若者たちの表情が、目の輝きが目に見えて変わっていく。

一方、職員は?
討論も関わり全て全職員参加が原則である。調理員も事務員も。
それぞれに、自分の仕事ぶりをさらけ出しながら、自己点検する機会なのだ。討論でも、お客さんはいない。

特に若い職員にとっては大いなる学びの場である。
日誌のコメントを書く。
ああでもないこうでもないと、自分に引き寄せ、自分を振り返りながら。
 この際、身内の若者をほめておこう。彼らは、実習生の指導と言う任務を非常に積極的にとらえ、取り組んでいる。仕事は大いに増えるのに。その取り組みの中で、自ら成長しようと言う率直な努力をしている。だから、楽しいと言う。

私は立場もあるし、少しは偉そうなことも言わなければならない。
世代が離れすぎ、テレもありフォーマルな場での関わり程度でいるが。
望んでも「友さん、これこれについてえ…。」なんて声かけたくなるような顔つきはしてないし…!
「いいんです。ぼくはこどくにたえます」

実習指導は、職員教育の機会でもある。
職員の発言やコメントを見て、その成長ぶりや課題も見えてくる。

こうして、職員も実習生も、自分と向き合いながらぶつかり合いながら、今日も、真剣勝負。

初めはそうでもなかったが、ここ3,4年、実習生の受け入れには力を入れてきた。それは、実習生のためにしてあげるというものではなく、陶友自身のためであると言うことが明らかになったから。
共にかかわりあう中で、新しい力を育ててきた。

実習の仕方も発展がある。
ある程度まとめ、現時点で定式化する必要もある。

先日、学生の日誌にコメントした。
「支援とは、共にかかわりあう中で、新しい価値を創造するものじゃないといけないんじゃないか」と。
横で見ていて、何かしてあげようというような印象を持ったので。

すると、リヤカーで豆腐を売りに行った学生が、どういう声賭けをしたらもっと売れるか、いろいろ工夫して、仲間と一緒に試そうとしたり、もっと買ってもらえるようなチラシを作ろうとしたりの変化が出てきた。
 これもひとつの発展である。

あらら!ちょっとまとまりなくなった。

こうして、1週間、あるいは2週間、4週間とそれぞれの実習を終えていく。

最終日は総括会議とお疲れさん会。
やったという確信に満ちた顔を見ると、今時の若者も捨てたもんじゃないなと思い、可愛くなって、うちの職員にして元を取らな…、なんて思ってしまう。



         今日はここまで。         ご愛読(?)に感謝。

2007.09.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.9 囲炉裏塾で、若者のエキスを・・・!

久しぶりに囲炉裏塾に参加。(ホームより活動報告参照)
 2回り、1世代も違う若者の中にいるというのは、なんとなく照れがある。
 塾は、最初は、実習に来る福祉系の学生たちとミィーティングしていて、きちんと向き合い話すと、若い者もなかなかいいジャンと、勝手に思い、この出会いを、実習終わりでサヨョナラにせず続けたいと思ったのがきっかけ。

 俺が塾長で、気の利いた話でもしてやろう、とえらそうに考えていたが、途中から方向転換して、若者たち自身の手で運営してもらうことにした。
 試行錯誤、四苦八苦しながらやっているようだ。
 うまいカタチを作ることよりも、そのプロセスに意味があると思う。

 これから秋にかけて、たくさんの実習生がくるので、新しいメンバーにも呼びかけ、塾も賑わうだろう。
 真面目で、真摯で、自由な討論と学びと交流のひろばを、若者自身で作り上げていって欲しい・・・。

 私は、ちょっとテレながら、ちょっと先輩ぶって時々覗かせてもらおう。こっそり、若さのエキスを吸い取るぞ!
 年配の方も、入門しませんか?
 
 照れ隠しもあり、チビチビ(がぶがぶ?)飲み続けていた。気がつくと朝。一人取り残されていた。
 そう言えば、あいつら「3次回行こう。ボーリング行こう!」と夜の街に繰り出していったんだった。
 あっちは若者、こっちはおじさん。さびしくひとり、朝帰り・・・。
 状況を受け入れ、決してイジケないこと。

 

2007.08.06 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

NO.4 出前道場 西日本短大編

 西日本短大に道場を出前。
何回目かなので、仲間と職員をつれていきました。
先鋒・順君、次鋒・つよし君、中堅・朋君、副将・栗、大将が私のオーダー。90分1本勝負。

 施設実習前教育でしたが、中堅までの3選手は、自分の仕事など個性的に、のびのび語り(通訳もつき)なかなかのパフォーマンス。 「障害持つ一人の仲間 」をリアルに伝え、試合は圧勝ムード。

 副将の役割は、青春のさまよいの中から、福祉現場に来てつかみかけた人生論。それをヒントに、現場実習で人と人とのかかわりの大切さ、価値を考えてもらう、それが実習で大切なことだと伝えたかった。
 作戦はよかったと思うけど、副将はまだまだ他流試合の経験が足りなかったかな?(これからよ!熱い気持ちがうわすべりするってあるもんだ) 


 かくて、大将の持ち時間は20分。得意技を出すにはあまりにも・・!!
 ま、そこそこに締めたし、全体としては、優勢勝ち!かな?

 ここ数年、大学や専門学校の講師に呼ばれ、若い学生に話す機会がふえました。
 一言で言えば、いまどきの若者も昔同様、「捨てたもんじゃない!」
大人が、正面から、きちんと向き合う力を持とう!ということだ。

 道場訓。大人よ、大人たらん!(気合!)


2007.07.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・道場日記・オッス!!

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