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NO.2429 「体罰」は日本の伝統ではなく、「近代の遺物」だそうですね。

 土筆が出ていました。
春はすぐそこまで来ていますね。

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 さて、三月末が自治会の総会で、その折に町内学習会を予定しています。
テーマは「『体罰』、いじめ・・・、人権を考える」。

 もともとは「解同」が、社会教育の中に「同和教育」を押し付けてきて、公民館が町内ごとに押し付けてきた企画なんですが、今は自由に企画してやっています。
公民館は、講師を呼んだりして欲しいらしいのですが、私は「自分たちで!」と。

 世の普通の親父たちは、「先生!息子が言うこときかんやったら叩いてください!」と平気で言ってきたのです。 みんな身に覚えのあることを、ざっくばらんに話しながら、考えられるといいな・・・と。

「体罰は日本の伝統」などではなく、むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあったそうです。

 体罰の起源は、軍隊(特に日露戦争以降)、そして学校にも「軍事教練」で導入され、「大和魂(やまとだましい)」の精神が注入されたのだそうです。

 結論を押し付けるものではありませんが、そこら辺はみんなで振り返っておく必要があるでしょう…、ってことで、資料をメモしておきます。

『体罰は近代日本の遺物 「持たざる国」補う軍隊の精神論
  政治学者・片山杜秀(かたやま・もりひで)』朝日新聞2013.2.19

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・・・ 実際、日本の軍隊では体罰は日常茶飯事だった。戦後5年めの座談会。政治学者の丸山真男は徴兵体験をこう振り返る。「(なぜ殴られるのか)考えているうちに十くらい殴られてしまうん(笑声)ですからね」
 軍隊での暴力的指導はいつからのことか。明治維新期の建軍当初からか。そうでもないらしい。敗戦時の首相、鈴木貫太郎は海軍軍人。日清戦争前に海軍兵学校を卒業した。自伝を読むと、その頃の兵学校は暴力と無縁だったという。
     ■     ■
 転機は日露戦争。元陸軍大将の河辺正三が戦後に著した『日本陸軍精神教育史考』にそうある。相手は超大国。ロシア軍は大人数で装備もよい。「持たざる国」の日本が張り合えるのか。大慌てで新規徴兵した。しかし中身が伴わない。練度が低い。弾も少ない。戦闘精神も上官への服従心も不足。おまけに敵は西洋人。体格がいい。小柄な日本人が白兵戦を挑むとなるとつらい。
 苦心惨憺(さんたん)のやりくりの末、日露戦争は何とか負けずに済んだ。が、次は分からない。仮想敵国は西洋列強ばかり。常備戦力を彼らに太刀打ちできるほど増やす。装備も訓練も一流にする。そうできればよい。しかし、日本は人口も武器弾薬も工業生産力も足りない。結局、期待されたのは精神力だ。戦時に動員されうる国民みなに、日頃から大和魂という名の下駄(げた)を履かせる。やる気を示さぬ者には体罰を加える。痛いのがいやだから必死になる。言うことも聞く。動物のしつけと同じ。
 もちろん軍隊教育だけではない。大正末期からは一般学校に広く軍事教練が課された。過激なしごきは太平洋戦争中の国民学校の時代に頂点をきわめた。
 『日本人はどれだけ鍛へられるか』という戦争末期の児童書がある。日本人はしごかれると英米人よりもはるかに高い能力に達するという。理屈はよく分からない。でもそう信じれば勝てるという。これぞ精神論である。
     ■     ■
 戦後、日本から軍隊は消えた。しかし暴力的指導の伝統はどうやら残存した。「持たざる国」の劣位や日本人の体力不足は気力で補うしかない。日本人は西洋人に個人の迫力では劣っても、集団でよく統率されれば勝てる。そういう話は暴力的な熱血指導と相性がよい。体格の立派な外国人と張り合うスポーツの世界ではなおさらである。・・・

  1963年、仙台生まれ。政治学者、音楽評論家。慶応大法学部准教授。著書に『音盤考現学』『近代日本の右翼思想』『未完のファシズム――「持たざる国」日本の運命』など。


   
 以下は、三橋貴明の「新」日本経済新聞より。

http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/02/08/se-6/

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

おはようございます(^_^)/

最近、何かと「体罰」が話題になっていますね。

周囲の学生などに訊くと、「体罰は日本の伝統」だと考えている子が多いようです。マスコミの議論でも、体罰は、「日本型組織運営の伝統」などと断定しているものを見かけました。

これ、間違いです。
(`・ω・´)キリッ

体罰は日本の伝統なんかではありません。むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあるといえるでしょう。

渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)では、日本の温和な子育てについて、昔の多くの欧米人の記述が引用されています。

たとえば、戦国時代(16世紀)に日本を訪れたポルトガル出身の宣教師フロイスは次のように記しています。

「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。

江戸時代以降でも同じだったようです。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」(18世紀後半に日本を訪れたスェーデン人ツュンベリ)。

「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」(19世紀前半の日本を訪れたオランダ人フィッセル)。

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」(19世紀後半(明治初期)の日本をみたアメリカ人モース)。

実際、江戸時代の子育ては、非常に温和で、子供を大事にしたようですね。
( ^^)/(^^) ナデナテ
「溺愛」といっていいほど子供をかわいがり、その一方で子育てに対する人々の知的関心も庶民にいたるまで高く、数多くの育児書が出版されていました(中江和恵『江戸の子育て』(文春新書、2003年))

日本における体罰の歴史を研究した江森一郎氏によると、江戸時代の始め(17世紀前半)ごろから、日本人は、家庭や学校(寺子屋など)で体罰をほぼ用いなくなったそうです(『体罰の社会史』新曜社、1989年)。

上記で触れた日本を訪れた欧米人の言葉からもわかるように、同時代の欧米や中国ではムチで打つなどの体罰がさかんだったため、体罰の少なさは、日本のしつけや教育の際立った特徴でした。

江森氏は、庶民教育を担った寺子屋では、罰として、居残りさせたり、立たせたりすることは行われていたようですが、体罰は非常に少なかったと推測しています。

藩校など武士の教育機関でも、同様だったようです。武士は誇りを重んじ、体罰は体面を傷つけると考えられたことから、武士の教育でも体罰はあまり用いられなかったというわけです。

江森氏は、「武士のモラルがわかり興味深い話」として次のエピソードを紹介しています。

明治六年に、できたばかりの日本の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)は、英国海軍少佐ドークラスを招聘し「新兵学寮規則」を制定しました。ただ、その際、佐賀藩士出身の校長・中牟田倉之助は、英海軍式の鉄拳制裁を、「武士の伝統と作法を説き、頑として受け付けなかった」そうです(江森氏が参照している元ネタは、鎌田芳朗『海軍兵学校物語』(原書房、1979年))。

つまり江戸時代には、庶民も武士も、子供への体罰を強く嫌っていたといえるでしょう。

明治12年(1879年)に教育令が定められるのですが、そこには「凡そ学校に於ては、生徒に体罰を加うべからず」(第46条)と体罰禁止規定が明文化されました。

日本が体罰禁止規定を法文化したのは、欧米の大多数の国々よりむしろ早かったのです。江森氏によれば、「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、(日本の)教育令の規定より8年遅れている」のですから。

日本の学校で体罰が結構みられるようになったのは、1930年代から第二次大戦中にかけてのようです。
近代化が進み、江戸の記憶が薄れてきたころから、まず日本の軍隊が徐々に変質し、鉄拳制裁が行われるようになった。そして、その影響が、学校での軍事教練などを通じて、次第に、1930年あたりから学校教育の現場に伝わった。そのように描けるのかもしれません。

この点について、著名な文化人類学者・梅棹忠夫氏(1920年生まれ)は、あるシンポジウムで、自身の体験にもとづき、「一つの証言」として体罰について次のように述べていました。

「私は、1920年代に幼稚園、小学校教育を受けた、まさに戦前の非民主主義教育を受けた人間ですけれども、私の記憶の中には、たたかれたという記憶は一切ありません。…体罰というのは考えたこともない。全然ありません。…日本はもともと幼児に対する観念が(欧米などと)非常に違うんだ。たたいたりはしない」(梅棹忠夫・栗田靖之編『知と教養の文明学』中央公論社、1991年)。

同じシンポジウムで、日本政治思想史の研究者・渡辺浩氏も次のように述べています。

「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。明治時代にはやらなかったというのです。

それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。

軍隊の私刑は…、…むしろ武士的なものがなくなってから軍隊ではじまったんだという説があるのです。それが1930年代になったら、学校教育へ還流してきたと言えるのかもしれません」(同上書)。

戦後は、どうなんでしょう。

読者の皆様のなかにも、個人的体験から、「結構、先生にたたかれた」という人、あるいは逆に「ほとんどたたかれたりしなかった」という人が、それぞれいらっしゃるんではないかと思います。

一般的には、日本の家庭や学校でのしつけや教育(特に初等教育)は、意外だと思われるかもしれませんが、欧米と比較して、温和で、情緒や人間関係を大切にし、非権威主義的だと言えるようです。

たとえば、アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、現代日本の学校教育、特に初等教育をとても高く評価しています。

ルイス氏は、日本の親や教師は、アメリカに比べて、頭ごなしに命令したりルールを押し付けたりするなど権威主義的にふるまうことが少なく、子供の自発性を大切にしている、学業面だけではなく情緒や共感性や意欲など全人格的発達を重視している、と論じています。

また、そういう日本の教育の良さは、江戸時代以来の日本の伝統的な子ども観や教育観の影響が大きいとルイス氏は述べています(土居健郎、キャサリン・ルイス『甘えと教育と日本文化』PHP研究所、2005年。またはLewis, C. C., Educating Hearts and Minds: Reflections on Japanese Preschool and Elementary Education (Cambridge University Press, 1995)。

***
えーと、結局、何を言いたいかといえば、体罰は日本の伝統とは言えない、日本のしつけや教育の伝統はまんざら捨てたもんじゃなく、誇るべきものがある、ということです。

経済の議論でよくみられますが、どうも日本の議論というのは、「悪いのは日本の文化や伝統だ! それをとっぱらい、世界に学んで、もっと合理的にしていくべきだ! 良いものは日本の外にある!!」というようなのが多い気がするので、そうとは言えない例も大いにあるぞ、と言いたかったのでした。





 政党も討論を呼びかけています。
学校教育やスポーツから「体罰」・暴力をなくすために、府民的討論と共同をよびかけます
2013年2月18日  日本共産党大阪府委員会

大阪市立桜宮高校バスケットボール部キャプテンの2年男子生徒が、同部顧問の教員から暴力・「体罰」を受け、自ら命を絶った痛ましい事件は、多くの府民と学校・スポーツ関係者に強い衝撃を与えました。
私たちは、改めて亡くなられた男子生徒に哀悼の意を表明し、遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
「なぜこうしたことが起こったのか」、「生徒の自殺を防ぐことができなかったのか」――二度とこうしたことを繰り返さない固い決意で、また、遺族の知る権利を尊重して、関係機関が徹底した事実調査と解明をおこなうことを求めます。

「いじめ」、「体罰」など子どもたちのかけがえのない命を脅かし、発達を損なう問題をどうなくしていくか――これは日本社会の大問題であり、その解決は私たちおとなの責任です。
日本共産党は、学校教育やスポーツから「体罰」・暴力をなくすために、学校、地域、社会の各分野で解決の道を語り合う府民的討論と共同を広げることをよびかけます。

子どもへの「体罰」・暴力は許されません
子どもの心身を傷つけ、苦痛を与える教師の「体罰」は暴力行為そのものです。子どもの命と安全を守るべき教師が、どんな理由であれ、「体罰」という名で暴力をふるうことは絶対に許されません。「体罰」は子どもの人権を侵害し、子どもの人格を否定するものです。

戦前の軍国主義教育では事実上、「体罰」・暴力は当然のこととされました。こうした軍国主義教育の痛切な反省の上に立ち、戦後の憲法・教育基本法(1947年)のもとで、教育の目的は人格の完成にあり、子どもの人権を尊重する立場から、学校教育法(11条)では「体罰」を禁止することが明記されました。子どもの権利条約(1994年批准)は、「体罰」など学校における暴力を根絶する視点に立っており、これが世界の流れです。

子どもの人権を尊重し成長・発達を中心においた教育は、「体罰」など権威にもとづく威嚇や強制によらず、教師の専門性を高め理性の力を発揮することによって成り立ちます。

人間の身体的な能力を伸ばすスポーツのあり方や、スポーツ精神の発揮ということからみても、スポーツの場での「体罰」・暴力は許されません。生徒の自主的な活動の場である学校の部活動で、顧問の教員が「体罰」をふるうことはあってはならないことです。

しかし、今日なお、「体罰」が教育の場に少なからずある事実に直面して、多くの府民が心を痛め、関係者が「体罰をなくそう」と声を上げ始めています。私たちは改めて、学校教育やスポーツの場で「体罰」・暴力は許されないという基本的な認識をもつことが大切だと考えます。

学校教育から「体罰」・暴力を一掃するために――日本共産党の提案

 学校教育から「体罰」・暴力を一掃するために、日本共産党は次の5つの提案を行います。府民のみなさんのご意見をお寄せ下さい。

(1)「体罰」の実態を調査し、学校での徹底した民主的議論と取り組みを進める
いま必要なことは、「体罰」の実態を調査し、「愛のムチ」などと「体罰」・暴力を容認する姿勢を改め、学校教育から「体罰」・暴力を全面的に排除・一掃する取り組みを進めることです。
子どもの命と人権を守る立場から、学校では「体罰」・暴力をなくすための徹底した民主的な議論と取り組みが必要です。保護者との話し合いや子どもの発達段階に応じた意見表明権を尊重することも大切です。「改革」の押し付けなど教育行政が命令・統制することで、問題を解決することはできません。

(2)「体罰」問題などへの相談と対応を行うセンターの設立
「いじめ」、「体罰」問題など解決の困難なケースの相談・対応をおこなう「いじめ・体罰防止センター(仮称)」を国と自治体の責任で設立します。医師や心理の専門家、法律家、ケースワーカー、教育研究者などで構成し、高い独立性を保障します。
「体罰」・暴力問題について、被害者、遺族の知る権利を保障します。

(3)背景にある「勝利至上主義」や競争主義の克服
学校教育での「体罰」・暴力の土壌となっている問題を解決することが大切です。部活動における「勝利至上主義」の克服や、大阪府や大阪市の高校「多様化」など競争主義的な「教育改革」の抜本的な見直しが必要です。

(4)教育条件整備を進めることが教育行政の役割
ひとり一人の子どもにゆきとどいた教育を行うために、35人学級・少人数学級を小・中学校の全学年から高校へ広げることは、この問題の解決にとっても土台となる教育条件です。長時間・過密労働など教職員の多忙化の解消も必要です。
学校教育から「体罰」をなくし、子どもの成長・発達を保障する教育実践にむけた教職員の自主的な研修、職場ごとの研修などで指導力の向上やチームワーク強化をはかることも大切なことです。教育行政の役割は、教育条件整備をはじめ、こうした学校でのとりくみを支えることにあります。
改めて学校の部活動を生徒の自主的な活動として位置づけることも重要です。

(5)政治権力による教育への介入をやめる
学校教育から「体罰」・暴力を一掃する取り組みや学校改革は、学校関係者の真剣な議論と合意により進めることが基本です。ところが、橋下徹大阪市長は、政治権力を振りかざして教育に乱暴に介入し、“従わないなら予算を執行しない”と脅して、多くの府民が反対する体育科「入試中止」を押し付け、教職員の総入れ替えを要求しました。これは、今回の問題の事実調査と解明、今後の学校改革への議論を遅らせ妨げるものです。「体罰」問題は理性の力で解決すべきです。政治権力の教育への介入はやめることを強く求めます。





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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

2013.02.19 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.2627 いじめとその議論・報道について

 大津の中学生いじめ自殺事件は、警察の捜査が入り、学校や教育委員会への批判が激しくなっている。

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 報道を見る限り、その隠蔽体質と無責任ぶりは明らかであり批判されて当然であろう。
しかし、そういう批判や議論だけでいじめを解決することができるのだろうか。
むずかしい問題なので、ここではいくつか参考になる論考を照会するにとどめることにする。

 昨日、テレビで、内藤さんが「あきらめないで頑張れ、誰かに相談するように・・・」と語っていた。
彼は、苦しいいじめを克服し世界チャンピオンになった自身の体験を通じて、正直な気持ちを述べたに過ぎないだろう。
 しかし、それだけなら、「頑張れ!」というだけで「自分で解決しなさい」というだけのことである。

 朝日新聞が同様のことを記事にしている。
《いじめられている君へ》内藤大助さん

■相談はカッコ悪くない

 いいか、絶対にあきらめるな。いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。

 俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。

 北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。

 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。

 中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだ」って叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだけど……。

 高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。

 強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。暴走族に誘われたら、入っていたよ、たぶん。

 そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。

 入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。

 ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。

 「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。

 俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。(ボクシング元世界王者)


 ある司法関係者が、「モンスターこそは学校、教育委員会である」と指摘している。
大津の中学生いじめ自殺事件で驚いた教育長の一言 そして教育者と司法は今まで何をやってきたのか(Everyone says I love you !)より。

 こういう教育関係者と司法の体質について、学校事故・事件を語る会を創立時からサポートされてきた先輩弁護士がこういうことをおっしゃっています。

私が思うに
1 これまでの長い歴史において、教育委員会によって、いじめやこれに関連する
  事実が隠蔽されてきたこと。
2 その結果、学校・教育委員会がいじめや自殺問題に正面から取り組まなかった
 ことによって、今日の事態がもたらされたこと。
  加害者にいじめられた者の死以上の苦しみが伝わらず、その責任の自覚を促すという
  教育が一切されなかったこと。教師もいじめに加わっているという認識も作られなかった。
3 以上によって、被害者側は、事態の真相を知らされず、事実を歪められ、謝罪もされず
 二重三重の苦しみを味わってきたこと。
 モンスターこそは学校、教育委員会である。
4 長年遺族らは司法的救済からも排除されてきたこと。公の統計上いじめ自殺が学校現場
 では無いに等しい状態にある。日本の裁判所が、教育委員会の対応を是認し現状を肯定し
 てきたもので、司法の 責任は重大である。
5 長年にわたっていじめ及び自殺を無かったことにされた重大な弊害であり、教育委員会は
 過去に対し重大な責任を負わなければならない。
  日本の教育の根源が問われています


 まさに、日本の教育の根源が問われている今回の事態。7月14日になって、大津市教委が、自殺の原因とされるいじめについての正式な報告書を、遺族から損害賠償請求訴訟を起こされていることなどを理由に、現在も県教委や文部科学省に出していないことがわかりました。

 それこそ、 「モンスターこそは学校、教育委員会である」を地でいっています。

 これまた、うなずけるのではあるが、果たしてその論議だけでいいのか?
以下のような、もっと根源的な、学校そもそも論、教育そもそも論に立ち返って議論すること抜きに、学校と教育委員会の責任追及だけでは問題の本質を捉えこれを国民的な力で克服することは難しいように思う。

 そこで、本田宏医師(済生会栗橋病院院長補佐)はい亜kのように指摘している。
フジテレビ、コンパス「いじめ自殺をなくすために何ができる」に私見を述べました。

 本来教育は、この世に生を受けた人間の個々の才能を伸ばし活かして、職をえて社会貢献をしながら充実した人生をおくることができるように教え育むこと。
 しかし日本では明治維新以降、公教育は国家の統治と殖産興業・富国強兵の目的で機能してきた。人間の「ごく一部の能力である偏差値」で国民を選別、偏差値教育の究極の勝者が高級官僚となって国民を支配し、敗者はお上に反抗せずに従順に生きるように育てられてきた。まさにクレプトクラシー(盗賊・収奪政治)を支える教育となっている。
 そのため現在の日本社会では大人社会の「いじめ」が放置されている。①国民の多くが反対しても消費税増税断行・原発再稼働、②官僚主導政治打破を唱えると証拠ねつ造までされてバッシング、③最低賃金が生活保護受給額より低く、世界でも高い貧困度や自殺大国放置、④子育て支援等を「ばらまき」と揶揄する風潮、⑤医療費だけでなくGDP当たり教育予算も先進国最低クラスで貧しい家庭の子弟が高等教育を受ける機会少なく貧困が世代間で伝わっていく現実・・・・・等々。
 「その社会の質は、最も弱き人がどう扱われるかによって決定される」、前ドイツ連邦副議長のアイティェ・フォルマー氏の言葉だ。子供は大人社会をよく観察し知っている。大人が自身のいじめ社会を容認したままで、子供社会のいじめを減少させることは困難。


 さらに、内田樹先生は、いじめは社会と、学校・教育の「成果」だ、必然的帰結だ、そんな社会と学校のあり方でいいのか、とより厳しいく根源的な問いを突きつけている。

学校や教育委員会をたたけば、われわれ大人や社会は免罪されるのか!・・・そう聞こえる。

 以下二つの論考をそのまま添付しておく。

いじめについて

ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。
書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。
以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。

今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。

それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。

私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。

子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。

であれば、子供たちにとって級友たちは潜在的には「敵」です。同学齢集団の中での相対的な優劣が、成績評価でも、進学でも、就職でも、すべての競争にかかわってくるわけですから。

だから、子供たちが学校において、級友たちの成熟や能力の開花を阻害するようにふるまうのは実はきわめて合理的なことなのです。

周囲の子供たちが無能であり、無気力であり、学習意欲もない状態であることは、相対的な優劣を競う限り、自分にとっては「よいこと」だからです。

そのために、いまの子供たちはさまざまな工夫を凝らしています。「いじめ」もそこから導き出された当然の事態です。

「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、それ以上に、「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きているのです。

生産性の低い個人に「無能」の烙印を押して、排除すること。そのように冷遇されることは「自己責任だ」というのは、現在の日本の組織の雇用においてはすでに常態です。

「生産性の低いもの、採算のとれない部門のもの」はそれにふさわしい「処罰」を受けるべきだということを政治家もビジネスマンも公言している。

そういう社会環境の中で、「いじめ」は発生し、増殖しています。

教委が今回の「いじめ」を必死で隠蔽しようとしたのは、彼らもまた「業務を適切に履行していない」がゆえに、処罰の対象となり、メディアや政治家からの「いじめ」のターゲットになることを恐れたからです。失態のあったものは「いじめ」を受けて当然だと信じていたからこそ、教委は「いじめ」を隠蔽した。自分たちが「いじめ」の標的になることを恐れたからです。でも、隠蔽できなかった。

ですから、これからあと、メディアと政治家と市民たちから、大津市の教員たちと教委は集中攻撃を受けることでしょう。でも、そのような「できのわるいもの」に対する節度を欠いた他罰的なふるまいそのものが子供たちの「いじめマインド」を強化していることにはもうすこし不安を抱くべきでしょう。

私はだから学校や教委を免罪せよと言っているわけではありません。責任は追及されなければならない。でも、その責任追及が峻厳であればあるほど、仕事ができない人間は罰を受けて当然だという気分が横溢するほど、学校はますます暴力的で攻撃的な場になり、子供たちを市民的成熟に導くという本来の目的からますます逸脱してゆくだろうという陰鬱な見通しを語っているだけです。

いじめについての続き

ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。
それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。

Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。

A: 学校は本来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを本務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。
ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子供を守る」ためでした。当時のヨーロッパで子供たちは親の所有物とみなされており、幼年期から過酷な労働を強いられ、恣意的な暴力にさらされておりました。イエズス会は「神の前での人間の平等」という原理に基づいて、「親には子供を殺す権利はない」としたのです。

学校の歴史的使命は、何よりもまず「子供を大人たちの暴力から守る」ことでした。それは今も変わりません。

子供を幼児期から実社会の剥き出しのエゴイズムの中に投じると、どのように悲惨な結果を生じるかは、マルクスの『資本論』の中の19世紀イギリスの児童労働についてのレポートを読むとよくわかります。

子供を心身ともに健全に育て、強者からの暴力や収奪から自分を守ることができるだけの力をつけさせるためには、彼らを一時的に世俗から切り離し、一種の「温室」に隔離することが必要だったのです。

学校に弱肉強食の競争原理を持ち込んで、「子供の頃から実社会の現実を学ばせた方がいい」としたりげに言う人々は、その考えが学校教育の本質の一部を否定しているということを自覚していません。

質問に対するお答えは、ですから「学校に競争原理を導入すべきではない」というものです。最優先するのは、「子供を暴力と収奪から守る」ということです。

「いじめ」は学校に滲入してきた「外の原理」です。
学校で子供がまず学ぶべきことは、相互支援と共生の原理です。
でも、今学校では、何よりもまずその原理を教えていると胸を張って言える教師が何人いるでしょう。
「きれいごとを言うな。社会はそんな甘いものじゃない」と言う人がいるかも知れません。その人には、毎年200人の子供が学校でのことを苦にして自殺しているという事実を「甘い」と言えるかどうか、本気で考えて欲しいと思います。

Q:また、学校の役割が市民的成熟を支援するための組織である、よき市民を生み出すための組織であるという点については全面的にその通りだと思います。ただ、戦後の教育を見た時、そういった市民的成熟の培地だった期間が本当にあったのか、と考えると、よく分からない面があります。私自身、昭和50年代後半~平成初期にかけて学生生活を送っているので、そう感じているだけかもしれませんが・・・。学校や教育委員会は次世代育成という重大な役割をなぜ忘れたのでしょうか。

A:学校が次世代の成熟した市民を育成するための場であるということを人々が忘れたのは、戦後67年日本が例外的に豊かで平和な時代を享受できたせいです。
豊かで平和な時代が続けば、社会の成員たちは共同体を維持するために身銭を切るという仕事を免ぜられます。そういう公共的な仕事は税金を払っておけば行政がやってくれる。個人はただ自己利益の追求と、「自分探し」とか自己実現とかいうことに専念していればいい。
だから、日本から「大人」がいなくなったのは、平和のコストだと私は思っています。
でも、あまりに長く続いた平和と繁栄のせいで、ついに日本社会から「大人」らしい大人がほとんどいなくなってしまいました。自分のことしか考えない幼児的な市民ばかりになってしまった。
自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保ちません。
今の日本のすべての制度劣化は「大人がいなくなった」ためだと私は思っています。
でも、今のような危機的状況が続けば、どこかで誰に言われなくても、「せめて私だけでも大人にならなければならない」と思う若者たちが散発的に出てくるはずです。

それは自分のまわりで「いじめ」が行われたときに、黙って立ち上がって「やめなさい。それは人間として恥ずかしいふるまいだ」と言えるよう若者というかたちで現れるはずです。(そのような若者は年齢がどうであれ、もう「子供」ではありません。それは「青年」と呼ぶべき存在だろうと思います)。

そのような若者たちを支援する体制がいまの学校には存在しませんし、教育行政もそのような若者の育成には一片の関心も持ちません(彼らが欲しがっているのは、「グローバル人材」のような「能力が高くて、賃金の安い、規格化された労働者」だけです)。

子供が大人になることを、この社会では誰も求めていないのです。

そんな社会で、有形無形の無数の抑圧をはじきかえして、「やめなさい。それは人間として恥ずかしいことだ」ときっぱり言えるためには、どれほどの勇気と決断が要るか。

学校の教員や教委を「いじめる」暇があったら、そういう若者たちの登場をどうやったら支援できるのか、私たちはそれについて考えることに限られた資源を投じるべきではないのでしょうか。







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2012.07.16 | | Comments(1) | Trackback(3) | ・教育問題

NO.2571 突然ですが・・・、世界でも恥ずかしい、日本の「奨学金」という学生ローンについて 

 え?!いきなりなんなのよ、って言っても!
傑作を紹介したいので。・・・という「他人の褌で手抜き」なんですが・・・。

教育のコストはだれが負担するかってことは、その成果がどこにカエルかってことでしょ!?

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「宮城高教組書記局だより」より「給付制奨学金の実現を求める街頭宣伝」
   http://mykokyoso.blog86.fc2.com/blog-entry-2230.html

今日は12時10分から40分間、みずほ銀行前で
民主教育をすすめる宮城の会の街頭宣伝に参加しました。
つい先日、被災地の奨学金についての『クレスコ』の原稿を書いたばかりだったので
それにをもとにして40分間マイクで訴えさせていただきました。
前回の街宣で「給付制奨学金」がなかなか理解してもらえないような感じだったので
それを理解してもらうために、以下のように訴えました。

「みなさんは日本の奨学金制度が世界的に見て異常で
  貧しく、恥ずかしいものであることをご存知ですか?

 ヨーロッパを中心にして、世界では奨学金は給付制が主流です。
 日本のように返す必要がないのです。
 
 なぜそんな違いがあるのか。それは教育に対する考え方が違うからです。
 ヨーロッパでは、奨学金を得て学んだ子どもたちが、健やかに育ち
 学びを深め、社会人として成長することが豊かな国づくりに資すると考えています。
 子どもたちはお金を返済しなくとも、社会に貢献することできちんと
 与えられた奨学金を活かし、返しているのです。決して返さない奨学金ではないのです。
 そもそも奨学金を等価のお金で「返す」という発想がヨーロッパでは普通ではないのです。
 子どもたちの学びを社会で支えることは国の責任、大人の責任であるという考えが
 ヨーロッパでは当たり前です。
 
 一方、日本では、お金がないなら借りなさい。借りたら返しなさい。
 返さない人は社会では生きていけないよう、ブラックリストに入れますよという奨学金です。
 奨学金は子どもの学びを支えるものであることを考えれば、どちらが奨学金として
 相応しいかは、賢明な皆さんなら分かるはずです。

 今回、震災で被災した生徒のために国が予算を付けた奨学金について
 文科省は給付制を検討しましたが、財務省が頑なに拒み
 貸与性としてしか実現しませんでした。
 ただ返済要件の緩和で給付制に限りなく近くなりました。
 しかし、結果的に予想の6割くらいの生徒しか申し込みませんでした。
 ある奨学金担当者は保護者にいわれたそうです。
 『これ以上の借金はできません。』
 いくら給付制に近いと説明しても、借金になるかもしれないものには
 手をつけられないというのです。

 今、日本では「奨学金」イコール「借金」が当たり前の感覚になっています。
 この常識を変えなければ、「お金がない」という理由だけで学べない生徒が
 これからも救われることはありません。
 今こそ子どもたちの学びを支える社会の実現のために
 給付制奨学金を実現させましょう」


この訴えが功を奏したのか、今回は署名集め名人が揃ったからか
前回の3倍以上の筆数を集めることが出来ました。
署名にご協力いただきありがとうございました。


 わかりやすいですね。
橋下みたいに解りやすけりゃいいってものではありませんが、解りやすさは大事です。

 日本の貸与制の奨学金は「奨学金」 と言うより「教育ローン」ですね。
教育を受けて、知識や技術を身につけると、高い賃金や尊敬に値する社会的地位を得るチャンスがある。
だから「教育を受ける」ということは自己利益の追求であり、教育費は自己投資だという考えが根っこにあるのです。

 国連の人権規約に、大学までの教育費の無償化を推進するという条項がありますが、署名国が160カ国あります。
日本も一応その中に入っているのですが、「国家財政条件が調うまで実施を延期する」という但し書きをつけ、いまだに実施をさぼっています。ほかにルワンダとマダガスカルも但し書きを付けたそうですが。そのルワンダも3年前に撤廃したそうです。

 日本が遅れているのは、そもそも教育という社会的な営みはどういうものなのか?この認識のゆがみに問題の基本あるようです。
そこで、この世界でも稀な「学生ローン」とその思想を根本的に批判解明したブログがあります。
是非、以下をリンク先でお読みいただきたい。

教育のコストは誰が負担するのか?(内田樹の研究室)
     http://blog.tatsuru.com/2010/10/22_1013.php

現在の奨学金は本質的に「学生ローン」であり、その根本にあるのは、「教育の受益者は学生自身(および保護者たち)である」という信憑である。
人間が教育を受けるのは、「自己利益を増大させるためである」という考え方そのものが現代教育を損なっているということについては、これまでも繰り返し書いてきた。
しつこいようだが、これが常識に登録されるまで、私は同じ主張を繰り返す。
教育の受益者は本人ではない。
直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体である。
共同体の存続のためには、成員たちを知性的・情緒的にある成熟レベルに導く制度が存在しなければならない。
それは共同体が生き延びるために必須のものである。
だから、子どもたちを教育する。
いくらいやがっても教育する。・・・



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2012.05.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.2168 「ポア」されるかもしれない教師のもとで子どもたちは?・・・橋下「教育基本条例」を考える 

 管理された教師と教育は、子どもたちにとってどういうことになるのか。

夜明け

 橋下「教育基本条例」を考えるにあたって、誰が言ったかはわからないが、大学時代に教育学徒の端くれとして出会った言葉を紹介しておきます。

 教師が、彼の基本的権利を奪われたとき、
    子どもは、支配者の奴隷としてのみ育てられる。

 教師が、来るべき社会の理念を忘れたとき、
    子どもは、現実に適応する人間としてのみ育てられる。

 教師が、訳もなく支配者に頭をたれたとき、
    暴力は子どもたちを支配する。


 教師が首をちらつかされて管理されたら、子どもたちはどうなるのか?
 橋本氏は、知事が決めた教育目標を押し付け、校長に教師を「採点」させ、出来の悪い教師は「ポア」するという。そうなれば、教師たちは自らの保身に走り、校長のご機嫌をうかがうようになる。無論、子どもたちのことは視野の隅っこに追いやられる。・・・そうなれば子どもたちは「サリン」にまみれ…。(極端な比喩だが)

 大阪府教育基本条例案 (平成23年10月5日・大阪府議会提出版)前文には、次のようにある。

 ・・・大阪府における教育の現状は、子どもたちが十分に自己の人格を完成、実現されているとはいい難い状況にある。とりわけ加速する昨今のグローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する教育には、時代の変化への敏感な認識が不可欠である。大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない。教育行政の主体が過去の教育を引きずり、時宜にかなった教育内容を実現しないとなれば、国際競争から取り残されるのは自明である。

 この認識を受けて、基本理念は次のように謳う。

 六 グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること

 教育の目的が、あたかも労働市場での付加価値の高い立派な労働力を身につけることにあるといっており、それは、口先では批判できても実際には、多くの親や国民が受け入れているといわざるを得ない。それが「教育市場」を形成している。

 子どもたちの健やかな成長は脇に押しやり、まさに「支配者の奴隷」としての、資本のもうけの手段としての人間つくりがまかり通っているのである。

 そもそも教育や福祉や医療…、人間が生きる基本に関ることに、政治とか市場とかが介入すべきではない事は自明の理のようだが、現実には学校も含めた「教育市場」で受験競争に追い込まれているのである。

 橋下氏は、さらに教育に政治的・強権的に介入し、力でもって市場原理を貫徹させようとしているのである。

 一部ネット上では、大阪での選挙戦について、「ファシズム」や「独裁」の定義がどうかとか、政治対決の構図がどうかとか問われているようだ。

 しかし、「橋下を止める」と言うことはこういう教育や社会を問うということじゃないだろうか?迫り来る危機から子ども達をを守るかどうかだと思う。

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2011.11.24 | | Comments(1) | Trackback(7) | ・教育問題

NO.2063 原発の暴走 橋下の暴走

 原発事故の暴走は止まらない。未だに止められないでいる。

     110512fuji4062.jpg

 西の方にも暴走しまくりのものがある。
一部でファシモトと呼ばれている橋下大阪知事である。

@oowakitomosan 2011.05.17 13:07
バカな主義主張意を貫く首長→起立しろ!俺に逆らう気か!「国旗・国歌を否定するなら、公務員を辞めればよい。自分の職場環境だけでしかバカな主義主張を貫けない教員はとっとと辞めてもらう。辞めさせるルールを考える」http://bit.ly/kHtDwY

@oowakitomosan 2011.05.17 14:27
暴言止まらず!→橋下知事「国歌斉唱で起立しない教員は免職」http://bit.ly/igesjk 「府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない」「繰り返し違反すれば、免職になるというルールを」

@oowakitomosan 2011.05.17 20:43
橋下の暴走→教員免職の条例案検討 君が代起立で橋下知事 - 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/R24axn2

 橋下与党の「大阪維新の会」大阪府議団が、君が代斉唱時に起立を義務付ける条例案を府立学校だけでなく、府内の政令市を除く市町村立小中学校の教員も対象にする方針を固めたそうだ。
 
 橋下党首が勢いづいて暴走発言。
「政令市も含め、府議会が決めたルールに従うべきだ」。さらには、「国旗・国歌を否定するなら、公務員を辞めればよい。自分の職場環境だけでしかバカな主義主張を貫けない教員はとっとと辞めてもらう。辞めさせるルールを考える」と罰則を設ける方針。

 橋下知事は「府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない」「繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、9月議会をめどに成立を目指したい」と息巻いている。

 条例案は19日開会の5月議会に提出する予定で、成立の見込みという。

 政令市の大阪、堺両市を除く府内の公立小中学校教員の処分権は府教委にある。府教委の処分は懲戒処分で最も軽い戒告にとどめている。

 具体的に知事は、免職処分の基準を定めた条例案を9月議会で審議する意向だという。
「(校長などからの)職務命令違反を繰り返した場合、段階を踏み停職を入れるが、最後は免職処分とする」。ご丁寧に「免職になるルールを作った後は政治が介入せず、どういう職務命令を出すかは学校現場に任せればいい」と、最終的な処分の判断は学校側に委ねる意向だそうだ。

 教育基本法で教育委員会が首長から独立した存在と位置付けられていることを考慮した?
そんなことに配慮する考えの持ち主か!?

 現場の管理者に手を汚させるという汚い「考慮」だ。

 この弁護士知事には、自らのファッショ的権力欲の前には憲法などはどうでもいいようだ。思想・良心の自由を踏みにじり、処分権を乱用して恥じない。

「国旗国歌法」成立の際の国会での論議や答弁で国民への義務づけや強制はしないと確認している。日本国憲法の国民主権(1条)、基本的人権の尊重(11条)、個人の尊重(13条)、思想および良心の自由(19条)に反する。

 暴走を止めよ!
原発を暴走を止めるには専門的技術がいるが、橋下の暴走を止めるには府民の声があればできるはずだ。


★作業所・施設の復旧・復興にご支援ください  
きょうされん「東日本大震災きょうされん被災対策本部」
   被災地の作業所・施設・事業所、障害のある人びとやその家族への支援金を呼びかけます。
   皆さまのご支援・ご協力をよろしくお願いします。
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2011.05.17 | | Comments(3) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.1988 「憲法は生きていた!」 「君が代」処分取り消し 逆転勝訴

「懲戒処分を取り消す」
心の自由を奪うことはできない。

「憲法は生きていた!」「民主主義は生きていた!」
「7年間、言葉にできなくても、夜明けが来ることを現場で待ち続ける仲間たちがいる・・・」

 もっとも自由であるべきはずの教育の現場。

 都教委の強制をめぐってはほかの裁判で敗訴が続いていた。最高裁は「君が代」のピアノ伴奏を強制した職務命令を合憲とする判決を出した。
 都立学校の現場では、上からの命令ですべてが決められる空気が一気に強まり、教職員と生徒との人間的なかかわりから、自由な教育実践をつくりあげることが困難にされてきたという。

 そんな中での逆転勝訴にエールを送りたい。

★先ずは動画を。→東京「君が代」裁判、逆転勝訴!

「ともかく勝ちました!素晴らしい。このような厳しい状況の中で、裁判所の良心は生きていました。かろうじて憲法も生き残った・・・。」

「校長に『担任をしたかったら立つ練習をしたら』といわれる状態だった。それでも疑問を持つ教員がいつづけることが大事だと思ってきた。(きょうの判決で)教師をつづけてきてよかったと思う」。

「同じ高校で8人処分された。ずっと負け続けて教員は希望を失っていた。明るい自由な精神をめざす都立高校の核心をつぶす通達。これで現場の先生も希望をもっていってほしい」。

「最高裁の判例があるなかで、通達の違憲・違法が認められなかったのは残念だが、それでも原告を勝たせようという裁判官の苦心の判断があったと思う。原告が陳述のなかで教育の条理を訴えてきた成果だ」。

国歌斉唱せず懲戒…東京高裁ほぼ全員取り消し(2011年3月10日15時29分 読売新聞)

 入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌斉唱するよう教職員に義務付けた東京都教育委員会の通達に反したとして懲戒処分を受けた都立学校の教職員ら168人が、都に処分の取り消しと1人当たり55万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が10日、東京高裁であった。


 大橋寛明裁判長は通達は合憲とした上で、「処分は重すぎ、裁量権の範囲を逸脱している」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を変更し、1人を除いて処分を取り消した。賠償請求は棄却した。

 原告側によると、この通達に基づく教職員らの処分を取り消す判決は初めて。大橋裁判長は同日、君が代のピアノ伴奏を拒否するなどして戒告処分を受けた元小学校教諭ら2人が起こした別の訴訟でも、処分を取り消す判決を言い渡した。

2011年3月11日(金)「しんぶん赤旗」

「君が代」処分取り消し都教職員167人 逆転勝訴
懲戒権の逸脱、違法 東京高裁判決

-------------------------------------------------------------
 東京都教育委員会による「日の丸・君が代」への起立・斉唱の強制に従わなかったことを理由に処分された都立学校教職員168人が、処分は思想・良心の自由の侵害だとして、都を相手にその取り消しと損害賠償を求めた(1人は損害賠償だけ請求)第1次訴訟の控訴審判決が10日、東京高裁でありました。大橋寛明裁判長は、原告の請求を棄却した一審判決を変更し、処分を取り消す判決を出しました。
--------------------------------------------------------------

 判決は、教員の不起立行為は、生徒に対し正しい教育を行いたいという真摯(しんし)な動機による「やむにやまれぬ行動」であり、不起立によって卒業式が混乱した事実はなかったと指摘。また、国旗・国歌法の制定過程において、政府が国歌斉唱の義務付けはしないと強調していたと認めました。

 そのうえで都教委の懲戒処分は「社会観念上著しく妥当を欠き、重きに失する」として、懲戒権を逸脱した違法行為だとしました。

 一方で、「日の丸・君が代」を強制する都教委の通達や校長の職務命令自体については、憲法に違反しないとの従来の判例を踏襲、損害賠償は認めませんでした。

 原告で都立高校教員の女性は「処分は不当だと裁判所が認めてくれてうれしい。担任を外され、息がつまるような毎日のなかで光が見えてきた」と目に涙をためて語りました。

 原告で都立高校教員の男性は「卒業式、入学式を控えて職務命令でがんじがらめになっている職場を明るくする判決だ。生徒にまで向かっている強制がなくなってほしい」と語りました。

 原告弁護団の澤藤統一郎弁護士は「東京都の異常な教育行政が断罪された。この判決を守りぬいていきたい」と述べました。

 大橋裁判長は同日、都内の元小学校教員ら2人が起こした同様の訴訟でも、懲戒処分を取り消す逆転判決を言い渡しました




 
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2011.03.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.1532 高校授業料無償化 朝鮮人学校への適用と人権規約留保の撤回を。

 高校無償化法案が12日に衆院文部科学委員会で可決された。政府は新学期から実施方針だが、朝鮮学校への適用を先送りにする方針だという。

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      キッチンのカウンタートップに生けてみました。

政府の責任放棄
 朝鮮学校の課程が「高校に類する課程」かどうかを判断する「客観的な基準」づくりのために、「ある程度時間がかかる」(鳩山首相)からだそうだ。平野博文官房長官は12日の記者会見で、文科省に設ける「第三者委員会」で検討する考えを示した。

 政府は、教育の機会均等や民族・国籍などでの差別の排除という問題について、政府の基本姿勢が問われているにもかかわらず、自らの判断を避けて「第三者委員会」という“外部関係者”に押し付けようとしている。

 「教育内容が日本の高校に準じているかどうか」が問題だという。しかし、朝鮮学校の高校課程が「高校に類する」ことは、国公立大学を含む大半の大学が卒業生の受験や入学を認めていることなどからも、、無償化から除外したり、判断の先送りすることには道理が見つけられない。朝鮮学校は、高校野球や全国高校サッカー選手権などにも当たり前に受け入れられているではないか。何を「ケツのアナの細かい」ことを言い、かたくなに拘るのか・・・。

国際的な差別問題
 この問題は、すでに国内の教育問題の枠を超えて国際的な差別問題となってきている。
韓国内では約50の民間団体が、在日韓国・朝鮮人の生徒が新たな差別を受けかねないとして、4日に、ソウル市内で朝鮮学校除外反対の集会を開き、無償化適用を求める声明を採択したことが伝えられている。国連の人種差別撤廃委員会でも、複数の委員が人権保護の観点から懸念を表明したことも。

 日本の政府は、「人種差別撤廃条約」を1995年に批准し、国や地方自治体などのすべての公共機関が人種や民族などで差別する行為や慣行を行ったり、差別を扇動、助長したりしないと約束した。鳩山政権が朝鮮学校除外を口にし、判断を先送りすることは、政府がみずから同条約に違反することにほかならない。


 鳩山首相は1月の就任後初の施政方針演説で「すべての意志ある若者」に教育の機会を与えると表明している。無差別に平等に与えるべきだ。

人権規約留保の撤回を
 日本は、国際人権規約の高等教育・中等教育の無償化を定めた国際人権A規約13条の(b)、(c)項をいまだ留保している。
国際人権規約 学費無償化をめざす条項
 国際人権A規約(社会権規約) 1966年国連総会で採択

□13条2項b 高校教育の無償化
 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること

□13条2項c 大学教育(高等教育)の無償化
 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること



 今回の高校授業料無償化の流れは、新政権の歓迎すべき前進である。
 この機会に、政府は人権規約留保を撤回し、教育無償化に向けて国際的な水準に近づく努力をすべきだろう。

 高校と大学の学費を段階的に無償化することを定めた国際人権規約のA規約(社会権規約)第13条を留保している国は、条約加盟国160カ国中(09年5月現在)、日本とマダガスカルの2カ国だけだという

国際人権規約は「締結国は、教育についてすべての者の権利を認める」と明記している。今回の高校無償化法案を朝鮮人学校にも差別なく平等に適用することを改めて強く求めたい。 

 高校無償化法案、朝鮮人学校にも差別なく平等に!
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2010.03.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.1527 突然飛び出した「朝鮮学校除外」論。・・・おいおい、鳩山君もう少しはしっかりせんか!

 高校授業料無償化問題。
国際人権規約にも逆行し、教育に新たな差別をもたらす「朝鮮学校除外」は、許せない。

     手料理3175

 繰り返す迷走と後退の中で、高校の授業料無料化については一直線の前進を期待していたのだが・・・。
政府はこれを朝鮮学校にだけは適用しない方向で検討中だそうだ。拉致問題にかこつけて。朝鮮学校除外」は政府が先頭に立って新たな差別を作り出すもので到底容認できるものではない。

 そもそも高校無償化は何のためか。
お金が無いから教育を受けることができないという、この問題を解決し全ての子ども達に教育を保障しよう、教育の機会均等を保障というもので、高校や大学の学費無料化をめざす国際人権規約にも沿う崇高な政策ではなかったのか。


 鳩山総理は初の施政方針演説で、「生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい」と高らかに謳い、「未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません」「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう、高校の実質無償化を開始します」と述べ、衆院選での高校授業料無償化という公約の実現を約束していた。

 ところが、北朝鮮の「拉致問題」などを理由に、「朝鮮学校を無償化の対象としない」という閣僚らの発言に迎合しだしたのだ。

 この問題は、村野瀬玲奈の秘書課広報室「朝鮮学校の高校無償化の件を通して、「日本の内なる差別」に向かい合う。」というエントリーで、多くの方の発言を紹介しておられるので、関心のある方はぜひリンク先でどうぞ。

 ・・・と言うことでもう一言。
「民族服チョゴリの制服を着て通学することさえ勇気のいる」
「なぜ朝鮮語を学ぶのかと考えたとき、在日(朝鮮人)の歴史があって、受け継いでいくべきものがあると分かりました。この学校では朝鮮や民族の歴史を勉強できる」
「朝鮮学校も、日本学校と同じく自分の国の言葉を習い、数学や理科も習い、友達と話したり、掃除をしたり、部活をしたり。日本の子どもたちと変わらないのに何で?と何度も思いました」
「これからずっと苦労してお金を払い続ける父母を見ることになると思うとすごく胸が痛いし、悲しいです」

 在日コリアンの高校生にどんな責任があるというのか。
無償化法案からの除外という議論に、傷ついた生徒たちの発言だそうです。

 政府の高校無償化法案では、その対象は公立、私立の高校とともに、「高校課程に類する各種学校」を対象と明記している。予算案の文科省予算にも朝鮮学校やブラジル人の学校のほか、多国籍の子どもが通うインターナショナルスクールなども対象とする予算が組まれている。
 実際に、朝鮮学校では、朝鮮史や朝鮮語の授業以外は日本の学習指導要領に準拠した教科書が使われ、国公立大学を含むほとんどの大学が朝鮮学校生徒の受験や入学を認めているという。

 朝鮮学校の生徒の比率も、北朝鮮籍と韓国籍がほぼ半分ずつで、数%の日本人や他の国籍の生徒がいるという。特定の国との関係だけを理由に排除することは現実的ではありません。

 同法案に対する期待は、迷走、後退政権のなかでも高いものであろう。
突然飛び出した「朝鮮学校除外」論。・・・おいおい、鳩山君もう少しはしっかりせんか!


 鳩山君もう少しはしっかりせんか!
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2010.03.10 | | Comments(3) | Trackback(5) | ・教育問題

NO.1360 お寒い日本の子どもと教育支援 OECD二つの報告より

 子ども支援と教育支援に関するOECDの二つの報告が発表された。
日本はお寒いかぎりである。

        ご近所風景2818

2009年9月7日(月)「しんぶん赤旗」
子ども支援 日本乏しい
6歳未満の公的支出 加盟30カ国平均の半分以下
OECD報告


 経済協力開発機構(OECD)はこのほど、経済先進国を中心とする加盟30カ国の「子どもの幸福」についての初の報告書を発表しました。同報告書は、年少の子どもへの公的な支出を増やすべきだと主張。各国政府は6歳未満の子どもへの支出を増やし、社会的不平等を緩和し、すべての子ども、特に最も弱い立場に置かれた子どもを支援すべきだと提言しています。

 同報告は日本について、子どもへの公的支出がどの年齢層でもOECD平均を下回っていると指摘。特に6歳未満の子どもに対しては、6歳から17歳までの子どもへの支出の3分の1に満たないと述べています。

 報告によると、2003年時点で日本の子どもへの公的支出は、6歳~17歳が累積で1人当たり平均600万円であるのに対し、0~5歳では180万円で、OECD平均420万円の半分以下でした。子どもの貧困率は13・7%で、OECD平均の12・4%を上回っています。


         子どもへの公的支出
 特に就学前の子ども達への支援は、認可保育所の増設をはじめ待ったなしである。
では、就学後はどうか・・・。
 これまた、惨憺たるものだ。

日本、教育の公的支出は最下位層 OECD06年調査(東京新聞 2009年9月8日)

 経済協力開発機構(OECD)は8日、加盟国の06年国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合について調査結果を公表、比較が可能な28カ国で日本は3・3%と下から2番目だった。

 日本は調査で下位低迷が続き、支出割合は1992年以降ほとんど変わらない。幼稚園や大学段階の家庭負担は国際的に大きいことも判明した。

 文部科学省は昨年、教育振興基本計画にGDP比5%とする目標を盛り込もうとしたが、財務省の猛反発で見送った経緯がある。「5%」への引き上げを目指す民主党が財務省の抵抗を突破し、来年度予算で教育費の拡充を果たせるかは新政権の試金石になりそうだ。

 結果によると、加盟国の対GDP比平均は4・9%。1位はアイスランドの7・2%、デンマーク、スウェーデンが続き、北欧が上位を占めた。日本は最下位だった05年調査の3・4%より0・1ポイント減少。文科省は「教育費の多くを占める教員の人件費が減ったため」と分析している。

 公的支出を教育段階別に見ると、日本は小中高までの初等中等教育は2・6%で下から3番目、大学などの高等教育は0・5%と各国平均1%の半分で最下位。

 全教育費に占める私費負担の割合は33・3%と韓国に次いで2番目に高く、平均の2倍以上だ。


 「世界一高い学費」問題!

 高校入学から大学卒業までにかかる費用は平均で1023万円。
世帯年収に占める教育費の割合は34・1%。
日本の国内総生産に占める教育の公的支出の割合はわずか3・3%、比較できる28カ国中27位。

日本国憲法/第3章 国民の権利及び義務
第26条〔教育を受ける権利・義務教育〕
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。

2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
 義務教育は、これを無償とする。

 これは絵に描いた餅か。
「世界一高い学費」が、「経済的な地位」によって国民を教育上差別している。

 こうした事態を招いた最大の原因は、歴代の自民党政府の極めて貧困な教育対策にある。

 1970年代から「教育で利益を受けるのは学生だから本人が負担せよ」という財界仕込みの「受益者負担論」を打ち出し、学費値上げを繰り返してきた。その結果、70年に1万2000円だった国立大学の授業料は53万5800円(標準額)へと、45倍にも高騰している。しかも自民党政府は、授業料値上げと並行して、学ぶ権利を支える奨学金に有利子制を導入し、いまでは有利子が7割を占めるまでに拡大してきた。

 この結果が、OECDが指摘する数字となって現れているのだ。

 教育を受けることは国民の権利であり、その権利は出身家庭の貧富で左右されてはない。

 教育は人を豊かにし、国と社会を豊かにする。
世界では、学生が人類の英知に学び、技術を身につけて社会に生かすことは社会全体の安定と発展につながる、したがって教育の最大の「受益者」は国と社会に他ならないという考え方にたって、高校と大学を無償化し、奨学金は返還なしの給付制とする流れが主流になっている。

今度こそ政治の出番
 総選挙の中で全政党が給付制奨学金の導入で一致する変化が生まれてきた。
与野党を超えて協力し、給付制奨学金を実現する時が来た。
 高校や大学の授業料の無料化も目指すべきである。

 国公立大では「世帯年収400万円以下は免除」などの動きが東大などで広がっているが、これを全国に広げ、さらには私立大でも授業料の直接助成制度などを作る必要もあろう。


 民主党政権は、貧困を極めた自民党政治の教育政策を根本から転換し、高等教育の無償化に踏み出すべきだ。




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2009.09.12 | | Comments(4) | Trackback(2) | ・教育問題

NO.1244 経済格差が学びの格差を生み、貧困が連鎖する。

 金曜日の夜9時のNHKだったと思うが・・・、
こういう話を聞くにつけ、切なくて涙が出てくる。



 7715人、昨年、経済的な理由で大学での学業を途中で断念せざるを得なかった若者の数だそうだ。

 中学のときに父親を亡くし、病気がちの母親と暮らす娘さんは、中卒の両親の苦労を見ながら育ち、奨学金を借りて高校に進学する。そして、親をなくした若者への奨学金を貰い、大学に進み、早朝からバイトをしながら勉学にはげんでいた。

 しかし、母親が病気で倒れ入院することになり、蓄えていた次年度の学費は全て入院費用に消え、娘さんは国の奨学金を得て学業を続けようとする・・・、しかし!

 これまでの奨学金は150万にのぼり、大学を卒業するときには400万円の借金を抱えることになる・・・。就職の保証もない今日、彼女は、学業を断念し、大学をやめることにした。

 日本の奨学金はほとんどが”貸与”式である。
”奨学”どころか貧困ビジネスである。

 件の娘さんは、学業への思い捨てがたく、大学で使っていた教科書を処分できないという。
・・・彼女の健気さと無念を思うと涙が出てきてしまった。


 給付式の奨学金を増やすべきだ。 
それよりも先進国並みに大学も学費はタダにすべきだろう。

 貧困と格差が固定され、貧乏人のうちに生まれたら最後というような、封建時代の身分制度のような実態が未だに解決されない教育後進国を返上しなければならない。


参考過去ログ:NO.974 世界の学費 「教育費はタダ」をめざそう!
        http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-981.html

「世界一高い日本の学費」と「OECD加盟国の高校大学の授業料無料化と給付製奨学金の有無」に関する表あり。
 世界でも、日本がどれだけ後進国か良くわかります・・・! 



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2009.07.06 | | Comments(0) | Trackback(3) | ・教育問題

4NO.1203 高い学費を払って 居眠りか・・・。

 先日、友人が勤める大学に一コマ講師を依頼されて行ってきた。
医療福祉系の大学で、「障害者の地域生活の実態を」という話だったが。

        マリノア 030

 
 80人の学生である。
 障害者福祉で働いていると聞けば、みんな一定の優しいおじさんというイメージを抱くのが常で、私が教室に入ると一種の意外性の空気が動く。「ヤクザじゃありませんからご安心を」・・・、これだけでもツカミはかなり行けている。

 次に、私はいつも最初に言うことがある。
「私は不利な状況にいる。だって君達のことを何も知らずに一方的に話さなければならない。これは大変なことだ。だから思いやりを持って向き合って欲しい」と。そして正直に言う。「眠い人はどうぞ遠慮なく寝て結構です。それは私に聞かせる力が無いということだから、あなた方の責任ではありません」と。

 大体はこれで向き合いが始まる。
少々の居眠りはあっても「眠らせずに聞かせる」では定評もあり少々自信はあったのだが・・・。
ところが、次の瞬間に、堂々とうつぶせになる学生が数人現れた。友人に聞いていたところではあるが、心配になった。

 後で色々と友人と話したことだ。
「とにかく講義に向き合えない」「バイトでもして眠いのだろうか」「そもそも講義の中身について行けないから最初から意欲が無い」・・・などなど。

 この大学では半数が推薦枠らしい。ひどい場合は、数学零点とか、まともな作文が出来ないとか。
「推薦枠を減らすとか、推薦とは言え一定の線で切らなければ教育そのものが成り立たない」と意見すると、大学側は、「推薦枠受け入れで高校側とつながらないと学生が来なくなる」と言い、国家試験合格へ向けて猛烈に尻を叩くだけだそうだ。当然、一部は高い授業料を払った後に、ぼろぼろに落ちこぼれていくのだが・・・。

 今や、大学教育もビジネスである。
「もったいない。どれだけの学費を払っていると思っているのか」 友人の奥さんが言う。「私は働きながらの勉強だったから必死だったけど、勤労学生を入れて刺激にもしたら・・・」などなど。

「大学は教育の素人ばっかりで経営のことしか話が出てこない。今の学生は昔の学生と違いもっときめ細かい教育が必要なのに・・・」と、友人は嘆いていた。

 しかし、事は単純ではなく、一部の学生にはカウンセリングを始め、退学し進路を変えることも含めて、個別の相談・支援が必要だという話になったのだが・・・。


 そして、「俺たちのころは年間1万2000円だったよな」「そう、次の年に3倍化され3万6000円になった」と、学費の話になった。・・・聞くところによると年間の学費がなんと130万円という。
 親はこのどら息子のためにも、切り詰めに切り詰めて学資を捻出していることであろう。

ダントツの学費

 1970年代初頭から、物価は2~3倍になったのだろうか、国立大学の学費は60~70倍である。
「負担にも感じず、どちらとも思わず」に、大学に居眠りをしに来るのだろうか。




 以下は「赤旗」記事より。

国際人権規約
高校・大学の学費無償化条項
留保 日本など2国だけ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-06-08/2009060801_03_1.html


 高校と大学の学費を段階的に無償化することを定めた国際人権規約のA規約(社会権規約)第13条を留保している日本など3カ国のうち、ルワンダが昨年12月に留保を撤回していたことが分かりました。これで、同条項を留保している国は、条約加盟国160カ国中(09年5月現在)、日本とマダガスカルの2カ国だけとなりました。

 国際人権規約は1966年、国連総会で採択されました。日本政府は79年にこの条約に加わりながら、中等・高等教育の学費無償化条項は留保したままです。

 国連の社会権規約委員会は2001年、日本政府に対し、留保を撤回するよう勧告しました。ところが政府は、回答期限の06年が過ぎても、まだ回答をしていません。

 日本の学費は世界でも異常な高額です。とりわけ貧困と格差の拡大の中で、学費が高すぎるために毎日深夜までアルバイトをして体を壊す学生や、学校を去らざるをえない若者が増えていることは見過ごせません。

 日本共産党は、無償化条項の留保を直ちに撤回して国の姿勢を転換し、学費を計画的に引き下げることを求めています。

国内総生産
 日本        2位
 マダガスカル 125位
 日本の国内総生産は、515兆837億円(2007年度)で世界2位。それに対し、マダガスカルは125位で73億ドル(07年、約7200億円、1ドル=98円で換算)、ルワンダは150位で33億2000万ドル(同、約3300億円)です。



 国際人権規約 1966年の国連総会で採択され、76年に発効した人権の国際的保護を定めた条約。48年の国連総会決議であった世界人権宣言の内容の条約化をはかったもの。A規約は「社会権的基本権」を、B規約は「自由権的基本権」を規定しています。



こちらも、
ゆうPRESS
高い学費 もう限界

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-06-08/2009060805_01_0.html


 
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2009.06.12 | | Comments(6) | Trackback(2) | ・教育問題

NO.1027 15の春を泣かせるな。

 「あ、雪!」・・・作業中の仲間が窓の外を見る。
昨日は、桜の開花が全国一番で観測された福岡地方。一転強い北風とともに、今日は冬に逆戻り。ほんのチラッと雪も舞った、そんな土曜日です。

  さて、授業料が払えなかった生徒から卒業証書を回収したり渡さなかったり・・・、晴れの日に陰湿なイジメまがいのことが、教育の名で現場で起こっている。
 「15の春」を泣かせるな。心に傷を残さないことを祈りたい。

        hana 013

2009年3月12日(木)「しんぶん赤旗」
「共産党提案 この春、高校生を泣かせるな 緊急の学費援助策を」より紹介します。

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 日本共産党は11日、緊急提案「学費が払えず高校卒業、入学できない若者を一人も出さない」を発表。石井郁子副委員長が国会内で発表し、解決にむけた国民的な運動を呼びかけました。

 提案では、緊急に求められる対応として、学費滞納を理由にした退学・除籍をやめさせることと、現行制度では救えないケースへの無保証人、無利子の救済貸し付けを提起しました。同時に、授業料減免の拡充や通学費補助制度の創設などを提案しました。

 石井氏は、雇用破壊などが深刻になるなかで「生活困難が、子どもたちに及んでいる」と指摘。高校の授業料滞納者数は急増し、全国調査で私立高校の場合、前年度比の3倍(2万4490人)にのぼる「放っておけない重大な事態になっている」と強調しました。

 また、石井氏は、学費滞納を理由に卒業証書を回収するなどの問題が各地で起こっているなか、「卒業証書を人質に取るとは、あまりにもひどい」という声が上がっていることを紹介。緊急提案を通じた対話を広げ、「経済的理由で高校から排除される若者を出さないことを行政と政治の責任で保障する。そのような社会的な合意をつくりたい」と語りました。
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 ◇政策の骨子

 1、この春、学費が払えずに卒業できない、入学できない若者をなくそう
 ・学費を理由にした処分・除籍をやめる
 ・高校生救済貸し付けを緊急におこなう

 2、国と自治体の責任で、授業料減免と奨学金を拡充し、交通費補助制度をつくる
 ・公立高校授業料減免の拡充
 ・私立高校授業料減免の拡充
 ・高校通学費補助制度の創設
 ・高校奨学金制度等の拡充
 ・外国籍の生徒への支援
 ・国際人権規約・学費の段階的無償化条項の留保撤回


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学費が払えず高校卒業、入学できない若者を一人も出さない
                        日本共産党の緊急提案
(全文 3月11日)

 高校の卒業、入学の季節を迎えました。ところが今、「派遣切り」などの雇用破壊や国内外の未曽有の経済危機のなかで、「学費が払えなくなった」「通学費がないので退学した」などの深刻な事態がひろがっています。全国調査によれば、私立高校の授業料滞納者数は前年の3倍、2万4490人にのぼります。多数の若者が学費が払えず高校を卒業できない、中退させられることになりかねません。また、学費が準備できず高校進学をあきらめる若者がふえることも心配です。

 今日、高校卒業は多くの職業につくための必要条件となり、進学率は97%を超えています。経済的な理由による高校教育からの排除は、若者一人ひとりへの大きなダメージであり、同時に社会の健全な発展を掘り崩すものです。

 憲法は国民に「ひとしく教育を受ける権利」(第26条)を保障しています。経済的な理由で高校から排除される若者を出さないことは、政府もわが党の質問に「最大限努力する」(官房長官、2月24日)と答弁したように、誰もが否定できない政治の責任です。

 私たちは、この問題の解決のための国民的な運動をよびかけ、以下の政策を提案します。

一、この春、学費が払えずに卒業できない、入学できない若者をなくそう
 何よりも、この春、行政と学校、社会が力をあわせて、学費が払えず高校が卒業できない、中退させられる、入学できない若者を一人も出さないことをよびかけます。そのために緊急に以下の措置を講じることを提案します。

 ○学費を理由にした処分・除籍をやめる……学費滞納を理由にした退学・除籍は、子どもの教育を受ける権利を無視した措置であり、回避すべきです。行政の側から公立高校の学費滞納生徒の退学等を促すことは直ちにやめるべきです。また昨年のような、学費未納を理由にした入学式の出席禁止は、教育の場であってはなりません。学校は親身に相談にのり、学費延納などの手をつくして、子どもを守る立場にたつことが求められています。

 ○高校生救済貸し付けを緊急におこなう……学費滞納が高額の場合など、現行の諸制度を活用しても十分対応できないケースがあります。この問題を解決するために、国及び都道府県の責任で、卒業予定者で学費滞納がある、入学希望者で学費が工面できないなどの高校生を救済するための、無保証人・無利子・返済猶予付(本人所得が年300万円超となるまで)の貸し付けをおこなうことを提案します。

二、国と自治体の責任で、授業料減免と奨学金を拡充し、交通費補助制度をつくる 経済的に困難をかかえる高校生の教育を保障するための現行制度はあまりに貧弱です。公立高校の授業料減免は自治体によって制度がバラバラで、減免されている生徒の割合は県によって10倍以上の開きがあります。私立高校の授業料減免も自治体の制度がバラバラで、しかも、どんなに困窮していても授業料に程遠い補助しか受けられない自治体がほとんどです。奨学金や貸し付けも不十分で、少なくない自治体で保証人が必要など、困っている家庭ほど利用しにくくなっています。

 私たちは、提言「『世界一高い学費』を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために」(昨年4月16日)で、現行制度の改革を訴えました。その実現はますます急がれます。高校通学費補助制度の創設等をくわえ、あらためて提案します。

 公立高校授業料減免の拡充……公立高校授業料減免のための国の予算を引き上げ、全国的に少なくとも年収500万円以下(4人世帯)で減免されるようにします。減免される生徒の割合が低すぎる都道府県は、制度の周知徹底や利用条件緩和などの対策をとるべきです。

 私立高校授業料減免の拡充……国の責任で、年収500万円以下の世帯で全額免除・年収800万円以下の世帯で一部減額となるような私立高校授業料への助成制度をつくります。そうなる以前でも、各自治体は授業料補助制度を少なくとも授業料実額に見合うよう改善すべきです。生活保護生業扶助の高校就学費を私学の場合、施設整備費等をふくむ学費の全額に引き上げます。

 高校通学費補助制度の創設……高校統廃合や高校学区の拡大などによって高校生の通学費は月数万円の場合もあります。一部の自治体で通学費補助がはじまっています。国と自治体の責任で全国で高校通学費補助制度をつくります。

 高校奨学金制度等の拡充……国と都道府県の責任で高校奨学金を、無保証人・無利子・返済猶予付(本人所得が年300万円まで)にし、成績要件も撤廃します。母子家庭への貸し付けも無保証人とし、実態として単親家庭であれば誰でも利用できるようにします。大きな困難をかかえる生徒のための返済不要の「給付制奨学金制度」を創設します。

 外国籍の生徒への支援……国際人権規約、子どもの権利条約の立場にたち、インターナショナルスクール等に通う生徒が教育から排除されないよう公的支援をおこないます。

 国際人権規約・学費の段階的無償化条項の留保撤回……国際人権規約(A規約)第13条は、高校と大学を段階的に無償化することを定め、無償化は世界の流れです。高校授業料が無料でない国は、OECD(経済協力開発機構)加盟30カ国中、日本など4カ国しかありません。無償化条項への留保を撤回し、「世界一高い学費」の負担軽減をすすめる国の姿勢を明確にします。




  
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2009.03.14 | | Comments(0) | Trackback(2) | ・教育問題

NO.979 不況で大学生の生活も厳しく・・・。

 こんな記事N.974 世界の学費 「教育費はタダ」をめざそう!を書いた後だったので、余計にこんなニュースが耳に入るんですね。

        ちゃんぽん 021

不況で大学生の生活も厳しく(NHKニュース)

 景気の悪化が深刻になるなか、親元を離れて下宿している大学生のうち、仕送りがゼロの学生が過去最多に上るなど、大学生の生活も厳しくなっていることが、大学生活協同組合の調査でわかりました。

 この調査は、全国大学生活協同組合連合会が去年10月から11月にかけて行い、全国の35の大学の学生およそ1万人から回答が得られました。 

 それによりますと、親もとを離れて下宿している大学生が受けている仕送りの額は、1か月の平均で7万7580円と、前の年より2350円減りました。さらに、仕送りが5万円未満の大学生がこの30年間で初めて20%を超えたうえ、仕送りがゼロという学生も8%余りに上り、データを比較できる昭和48年以降で最も多くなりました。 
 
 こうした下宿生たちに1か月の食費を聞いたところ、平均で2万4430円と、過去30年間で最も低くなりました。また、生活の中で何を節約しているか複数回答で聞いたところ、外食費が69%、嗜好(しこう)品が22%、衣料品が15%などとなりました。(以上、部分引用)

 これは、生活費の仕送り分だけで、ほとんどは学費は別でしょう。学費だけでも、国立で年間54万円、私立では100万から百数十万円!これでは多くの親達は子どもを大学に以下説ために生きて働いていると等しいんでは無いでしょうか。

 我が家は、娘達が自宅から通える私立大学と専門学校でしたので、生活費や小遣いなどは自宅外通学に比べればずいぶん安く上がりましたが、それでも学費は年間百数十万円の3人、述べ8年間ですから、1000万以上かかった事になります・・・。

 ドイツでは50万円あれば、50年も大学ににいけるそうだ。・・・そんなに行く人はいないでしょうけど(笑)。とすれば・・・え?1000万円あれば、1200人を4年間大学に行かせた事になるのか!ま、学費だけの計算だけど。

 世の親御さんたち。
こんな苦労に縛られるよりは、「教育費はタダ」を目指し政治にも参加しましょうよ!・・・と言うところですね。

「世界一高い学費」を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために
                                     2008年4月16日 日本共産党

 

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2009.02.26 | | Comments(0) | Trackback(1) | ・教育問題

N.974 世界の学費 「教育費はタダ」をめざそう!

 卒業・進学のシーズンが近づくと、思うことがある。
近所の友人は、二人の息子さんを遠くの私立大学に行かせている。学費や生活費を捻出するために、仕事を増やし、苦労多く最近痩せてきた。
 貧困と格差が広がる中、授業料の滞納が増えたり、お金が払えなくて学業をあきらめる若者たちが増えている。

 我が家は、あと一年で学費問題から解放されそうだが・・・。

 私は4人兄弟の中で一人だけ大学に行かせてもらった。幸い国立大学で、当時の授業料は年間2万円にも満たず、月額1万2000円の奨学金と2万円の仕送りで、何とか卒業できた。それでも我が家はいっぱいいっぱいだった。後に父親が、「もっと頑張って、兄も弟も大学に行かせてやればよかった」といっていたが、それは敵わぬことだった。

 そのもっと前、我が種子島の田舎の中学からは3分の1の仲間たちが中卒で集団就職し、都会に出て行った。みな貧乏だったからだ。以来、「貧乏人は学校に行けない」という問題は、私の中でどうしても向き合わざるをえないこととなった。必然的に70年代の学費値上げ反対の学生運動に参加することになった。それは私の、社会への入り口でもあった。

   関連過去ログ:NO.400 金のあるなしで、教育を受ける権利に差別があってはならない。

 そんな訳で、ちょっと調べてみたら、日本の学費の高さに改めて驚いた。
まず言いたい。
せめて学費、教育費はすべての子どもや若者たちにタダにすべきだ!
 貧乏人の家に生まれたら最後、貧乏になるしかないというのはおよそ封建時代の遺物だ。人権だとか憲法だとかここでは理屈はいらないことにする。理屈抜きに、子どもたちを平等なスタートラインに立たせるのが大人の、まともな市民社会の仕事だ。 

学費世界1 

 「高校や大学の学費無料をめざす」という国際人権規約の条項を承認していないのは、157カ国のうち、日本、ルワンダ、マダガスカルの3カ国だけ。ほとんどの国が、若者がお金の心配なく学べるように努力している。どんな貧しい国もだ。こうしてみると日本という国が、いかに野蛮で未開な国かがわかる。

国際人権規約 学費無償化をめざす条項
 国際人権A規約(社会権規約) 1966年国連総会で採択

□13条2項b 高校教育の無償化
 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること

□13条2項c 大学教育(高等教育)の無償化
 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること

 以下、資料をコピーしておきますのでご覧ください。

世界の学費
世界の学費2

 当面は「軽減」だろうが、目指すは「無償」、タダだ!
共産党も、「教育費無料化を目指す!」と打ち上げて、当面の現実的な政策を語ればいいのだ。実際そういう方向なのだから・・・。
 先ずはリンクに飛んで、具体的な「4つの提言」もご参考にどうぞ。

「世界一高い学費」を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために
                                     2008年4月16日 日本共産党

 この春、多くの新入生が希望に胸をふくらませて学校の門をくぐりました。新入生のみなさんは、有意義な学園生活をおくり、自分のやりたい勉学やスポーツなどにうちこみたいと、期待に胸はずませていることでしょう。日本共産党は、そうしたみなさんの願いが実現するように全力で応援します。

 <「ひとしく教育を受ける権利」が侵害されている>

 ところが日本には、進学を手放しで喜べない事情があります。「世界一高い学費」が、高校生や学生、その家庭に重くのしかかっていることです。子育て世帯についての実態調査(国民生活金融公庫)によれば、高校入学から大学卒業までにかかる費用は一人平均1045万円、わが子のための教育費は年収の34%に達しています。

 とりわけ見過ごせないことは、「貧困と格差」の拡大の中で、学費が高すぎるために毎日深夜までアルバイトをして体を壊したり、学校を去らざるをえない若者が増えていることです。「1年間で2クラス分くらいの人が高校をやめた」「大学に合格したが入学金が払えず、1年間バイトをしてお金をためて再受験する」など、その実態は深刻です。私立大学では毎年1万人の学生が経済的理由から退学しています。

 憲法は国民に「ひとしく教育を受ける権利」(第26条)を保障し、教育基本法は「すべての国民は……経済的地位……によって教育上差別されない」(第4条)と明記しています。いま起きていることは、憲法と法律が禁じている「経済的地位による教育上の差別」そのものです。

 <「学費無償化」の方向は世界の流れ>

 こうした事態を招いた最大の原因は、自民党政府の極度に貧困な教育対策です。高等教育予算の水準(国内総生産にしめる割合)は、OECD(経済協力開発機構)加盟国全体の平均1.0%に対して、日本は0.5%にすぎず、加盟国中で最下位です。その一方で自民党政府は、“学費は、教育で利益を受ける学生本人が負担する”という「受益者負担」の考え方を教育にもちこみ、学費値上げをすすめてきました。1970年に1万2000円だった国立大学の授業料は今では53万5800円(標準額)で、これほど高騰した公共料金は他にありません。

 国際人権規約(1966年に国連総会で採択)は「高校や大学の教育を段階的に無償にする」と定めており、欧米のほとんどの国では高校の学費はなく、大学も多くの国で学費を徴収していません。

 教育を受けることは基本的人権の一つであり、経済的理由で妨げられるべきではありません。若い世代が高校や大学で新しい知識や技術、理想を身につけることは、社会の発展にとって不可欠ないとなみであり、それは社会全体にとっての貴重な財産となります。それだからこそ、学費をできるかぎり低額にとどめ、無償に近づけてゆくことが世界の大勢になっているのです。このことは、国民の「ひとしく教育を受ける権利」を保障した日本国憲法の精神にも合致しています。国民の生活や権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識になっているルールが確立していないことは自民党政治の大きな歪みですが、「世界一高い学費」もその一つにほかなりません。

 誰もがお金の心配なしに教育を受けられる条件を整えることは、若者に安心と希望をもたらし、日本の未来を支える安定した基盤となります。困難なもとでも真面目に学ぼうとしている若者の努力に応えることこそ政治の責任です。

 日本共産党は、経済的理由で学業を断念する若者をこれ以上出さないために、以下の4つの提言をおこなうとともに、「世界一高い学費」を軽減させるための国民的な運動をよびかけます。



政策の骨子・4つの提言

一、公立高校の授業料の減免対象枠を年収500万円まで広げる。私立高校の場合は年収500万円以下の世帯を授業料全額免除に年収800万円以下の世帯は一部減額する直接助成制度をつくる。

二、国立大学・高専の授業料の減免枠を引き上げ、世帯年収400万円以下は全員授業料免除に。私立大学は年収400万円以下の世帯を減額とする授業料直接助成の制度をつくる。

三、国の奨学金をすべて無利子に戻す。年収300万円に達するまでは返済猶予に。経済的困難を抱える若者への給付制奨学金制度をつくる。

四、高校と大学の段階的無償化を定めた国際人権規約を批准する。

 




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2009.02.24 | | Comments(2) | Trackback(4) | ・教育問題

NO.642 ノーベル賞4人受賞の快挙の教訓は?

 私の近い知人に「益川さんは、大学時代の同級生だ。それがどうしたと言われてもどうもしないが・・・」という人がいる。「どんな人でしたか?」なんて聞いてみれば、話のネタにはなったかも知れないが・・・。

 我々凡人には、ノーベル賞の何が凄いのかはよくわからない。
平和賞ぐらいは評価できるが(キッシンジャーや佐藤栄作が妥当かどうかというレベルでは)、その他の分野は・・・。 「物質になぜ質量があるのか」、「宇宙はどのようにできたのか」・・・「対称性が自発的に破れる」に至ってはチンプンカンプンだ。しかし、一度に4人とはやはり凄いことだろう。

105まつり1496

 「一芸に秀でる者は・・・」というが、スポーツの世界でも職人の世界でもいろんな分野の優れた人というものは、その見識や人格においても優れている方が多い。

 益川さんは、幼少期の戦争体験を原点に、反戦平和を貫き、京都大学時代は教職員組合の書記長をされ退官まで熱心に活動を支えられたそうだ。

ノーベル物理学賞:反戦語る気骨の平和主義者…益川さん(毎日)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000e040018000c.html

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。

 作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の1人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。

 原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。

 05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。

 1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その1人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。

 受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。



 小林さんと益川さんは、日本人の誇りだ、あたかも日本の教育や科学政策の成果だと言いたげにはしゃぐ塩谷文化相に、ピシャリと釘をさしたのは痛快だ。
 ノーベル賞:物理学賞・小林さんと益川さん、文科相表敬
http://mainichi.jp/select/science/news/20081010dde041040060000c.html

 塩谷文科相が「政治、経済で暗い話が続く中、(受賞で)国民は大喜びした。お礼申し上げます」とたたえた。

 益川さんは「受賞した業績は30年前のもの。この先も安泰かというと、必ずしもそうじゃない」と切り出し、「選択式の試験問題で、教師は『知らない問題はパスしろ』と指導し、考えない人を育てている」と、熱弁を振るった。小林さんも「今の教科書には最低限のことしか書いてない。全体のストーリーが見えない」と加勢し、塩谷文科相はたじたじだった。


 益川さんは教育について次のような発言もされている。

 「(日本の教育は)大変危機的な状況にあります。考えない子供を一生懸命製造している。大学受験の厳しさが非常に大きな影響を与えています。日本福祉大の先生が「教育汚染」という言葉を使っていますが、私も今の教育は(筋道を立てて考える力を奪うという意味で)、子供を汚染していると思います。」

 さらに、日本の科学研究が実利・実用を重視する傾向が強まっていることに対して。
 「東北のある湾でカキを養殖していたが、あるときから生産性が落ちてきた。調べてみると湾に流れ込む川の上流で開発が進み、栄養が流れ込まなくなっていたという。科学も同じで、上流(基礎研究)から栄養が流れ込まなくなると大変なことになる。そのことを為政者は注意してほしい」

 「(基礎研究予算が少ないという)お金の問題もあるが、それよりも精神構造が問題だ。大学でもベンチャービジネスばかりに目がいくような体制はよくない。基礎科学に十分関心がいく社会であってほしい」

 小林さんも、
 「日本では基礎研究はどちらかといえば、ないがしろにされていると思う。物理のように日本人が世界的に活躍している分野でも、応用に近いものが多い印象があり、考え直すべきではないか。」と。

 基礎科学研究への支援を
 純粋に知的な好奇心から出発した自然の謎を探究するさまざまな基礎研究は、長い目でみれば、生産や医療、生活に役立つ新しい技術をうみだすことにもつながって来た。

 しかし、基礎研究に対する国の支援はどうなっているか。
自民党政治の「構造改革」路線は、「国際競争力」を高めるとしてすぐに経済効果のでる研究に重点投資し、研究者を目先の業績競争ばかりに駆り立てた。
 その結果、研究現場ではじっくりと長期的視野で研究する環境が弱められ、国立大学法人では4年間で602億円もの予算削減によって、研究費が底をつく事態にもなっている。民間資金も基礎研究には冷たい。

 そうした中で、若い研究者たちは博士になっても安定した研究職につけず、ポスドクなどの非正規雇用、「高学歴ワーキングプア」になり、研究への夢を奪われている。

 日本学術会議は、こうした事態打開のために、政府に「基礎研究を推進する基盤は大きく揺らぎ、危機的といえる状況」であると警告し、「早急な対策を講じること」を求めた。

 益川さんは「受賞した業績は30年前のもの。この先も安泰かというと、必ずしもそうじゃない」と、基礎研究軽視に警鐘を鳴らしている。

 塩谷文科相の「国民は大喜びした。お礼申し上げます」という言葉には、個人の努力の成果を「国家の成果・誇り」にせんとする根性が見え隠れしている。その言葉が本物なら、4人の快挙から教訓を学び、教育や科学行政を改めるべきではないだろうか。
 

  
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2008.10.13 | | Comments(2) | Trackback(5) | ・教育問題

NO.400 金のあるなしで、教育を受ける権利に差別があってはならない。

 今、格差貧困の広がりの中で、経済的理由で学業をあきらめざるを得ない若者が増えている。

 学費のことを思うと、目に浮かぶ光景がある。

 15の春、幼馴染たちを涙で送った日のこと。
郷里の種子島は西之表港から、中学を卒業したての友達は、色とりどりの紙テープをたなびかせた船とともに、水平線のかなたに消えていった。

    背振山 014
    ニホンサクラソウ

 1960年代の最後のころ、三分の一の級友たちが、中卒で大阪、名古屋方面に集団就職で旅立った。
桟橋には、父や母、じいちゃんばあちゃん、弟妹、友達、先生・・・別れを惜しむたくさんの見送りがあった。
 船が岸壁を離れれテープが切れると、見送りの友らは近くの丘に駆け上り、その姿が遠く水平線に消えるまで、ちぎれるほど手を振り、別れを惜しみのどをからしたものだった。そしてみんな、・・・涙した。

 島に公立高校が4校もあったのに、殆どが貧乏ゆえに進学もかなわなかった。

 私はたまたま、両親が頑張って進学させてくれたので、大学まで行くことができた。
大学に入るまでは彼らの事は忘れていた。しかし、大学に入ってすぐ、当時年間1万2千円であった国立大学の学費が3倍化されるということで、全国的に学費値上げ反対の運動が広がっていた。ノンポリであった私も、背に腹は変えられない問題に直面し、学習会に参加したりしたものだ。

 その時、幼馴染のの友らのあのときの光景が、よみがえった。
彼らの多くは夜間高校に通って学んでいたということも知った。
「へえ、あいつ勉強すかんけん就職するって言っとったとに・・・」そんな話じゃない。好き嫌いではなく、必要だったのだ。

 ただ、金がなかったから進学への道をあきらめざるを得なかったのだ。
大学に入って、学費値上げ問題に直面したとき、田舎でともに過ごした友達のことを思った。
そして、理屈ではなく、「貧乏人は高校へも大学にもいけない」という現実に怒りを覚えた。

 今、格差貧困の広がりの中で、経済的理由で学業をあきらめざるを得ない若者が増えている。

日本国憲法 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

教育基本法 第4条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、 信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。


読んで字の如くである。
教育を受ける権利は、基本的人権であり、金のあるなしによって差別があってはならないのである!


 日本共産党が去る16日、「『世界一高い学費』を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために」と題する政策を発表した。大歓迎です!

  政府にやる気があれば1900億円で出来る。
    米軍への思いやり予算(本年度2083億円)を回せばおつりが来る。


 石井氏は、こうした事態を招いた自民党政府の極度に貧困な教育政策を批判しつつ、それと対照的に無償化をすすめる欧米諸国の事例を紹介。その根底にある「教育を受けることは基本的人権であるとともに、社会の発展にも不可欠だ」との精神を強調しました。

 小池氏は、政策の特徴について、経済的理由で学業を断念する若者をこれ以上ださないためという考え方で、緊急に必要なことを押し出したと強調。高校、大学の授業料減免の拡大などの日本共産党の四つの提言をくわしく説明しました。提言を実現するための経費は、年間約千九百億円であり、政府がやる気になれば、ただちに実行可能だとのべました。

 記者からの質問にも答えて「たとえば、米軍への思いやり予算を廃止すれば生みだせる」と答えました。

 石井、小池両氏は、「学費値下げの機運が起こっており、多くの団体、個人によびかけて運動を広げていきたい」とのべました。


高い学費」を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために">「世界一高い学費」を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために2008年4月16日 日本共産党

政策の骨子

一、公立高校の授業料の減免対象枠を年収五百万円まで広げる。私立高校の場合は年収五百万円以下の世帯を授業料全額免除に年収八百万円以下の世帯は一部減額する直接助成制度をつくる。

二、国立大学・高専の授業料の減免枠を引き上げ、世帯年収四百万円以下は全員授業料免除に。私立大学は年収四百万円以下の世帯を減額とする授業料直接助成の制度をつくる。

三、国の奨学金をすべて無利子に戻す。年収三百万円に達するまでは返済猶予に。経済的困難を抱える若者への給付制奨学金制度をつくる。

四、高校と大学の段階的無償化を定めた国際人権規約を批准する。


 国際人権規約(A規約=経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)の第一三条は、高校と大学を段階的に無償化することを定めているそうだ。しかし、残念ながら、日本政府は批准していない!
こすかあ!

   背振山 010


 命も暮らしも、健康も介護も教育も、・・・全てが金次第の、この貧しい国を、このままにしておくわけにはいかない。

 自公政権をやめさせ、命と暮らし、教育と福祉を大切にする、新しい政治を!

参考過去ログ
NO.357 世界に類を見ない日本の高学費が、「教育の機会均等」を奪う。


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2008.04.27 | | Comments(4) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.360 再び、学費・教育費問題を考える。

 みなさん こんにちわ。
今日から新年度の始まり。といっても、陶友 は仲間が変わるわけでもなく、仕事が変わるわけでもなく、仲間たちには難しい切り替えです。「気持ちを新しく引きしめてがんばろう」と、話しました。

 さて、先日から、日本の高すぎる学費の問題について考えて見ました。

   過去ログNO.354 「進学断念し家出」・・・岡山・線路突き落とし事件の少年の胸のうちは?
         NO.357 世界に類を見ない日本の高学費が、「教育の機会均等」を奪う。

 考えさせるコメントを頂きました。日本中の親が頭を痛めています。親のみならず、本人も、私たちがそうであったように親に負担をかけまいと気を遣っていることでしょう。コメントを紹介し、ご一緒に考えられればと思います。長くなりますので関心のある方だけどうぞ。
 気軽に感想などコメント頂ければ嬉しいです。

 貧困が広がり格差が拡大するなか、学費の滞納が増え、中高生の経済的理由による退学が増えています。大学は国公立、私学を含め学費値上がりで学生は生活費稼ぎのバイト漬け、奨学金は更なるローン化・・・、こうした状況の中、政府・文科省は、更なる学費値上げと共に、義務教育への国庫負担さえ減らそうと躍起です。新自由主義は、国家百年の計といわれる教育の営みも公共性を剥ぎ取り、自由競争主義のなかに叩き込もうとしてきました。
これでいいのか、日本!

 しかし、これをなんとか変えようという運動も取り組まれていますね。

    参考にどうぞ→注目のキーワード  学費問題

 では、コメントを紹介します。私のコメント返しも付録につけて。(挨拶部分など、一部は省略させていただいています)

高すぎっ!! 学費(ヒルトップのうさぎさん)
 
 実はうちの「みかん箱入り息子」がちょうど同じくらいの年齢で、みかんも一浪の末やっと今年、念願のとある国公立(今は「法人」)に合格し・・・旅立ちの準備に追われている最中の事件でした。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 それにしても「学費」の高いこと(大涙)。うちはホンマ、たった一人「公立」にやるのさえ、2年目からの学費どころか、年2回の授業料さえ(30万×2)、もう今から心配でたまりません。両親揃ってて、一人っ子なのに(!)ですよ(怒)・・・・奨学金をいくらかずつ「貯金」させる予定です。今どき300人くらいの寮がある(珍しいらしい)、いい大学で助かります。食費と寮費(2食)で2万くらいとかって。助かりますっ。貧しい親で、申し訳ないですけど。しっかり勉強して欲しいです。
 「私立と公立の格差をなくす」というのは、公立の学費を上げることじゃないでしょー!!ほんのこないだ(ウン十年前)まで、年間1万とか3万だったのにね。

僕らの時代の45倍。(友さん)

ヒルトップのうさぎさんへ。
学費、いつの間にこんなに高くなったとやー!ですね。
国立は、私達のころに比べて45倍。物価(食料品)の伸びが3倍として、学費の異常な値上げぶりが見えますね。
私も学生時代は寮でした。家賃ただ同然で助かりました。
しかし今時2食付で2万円は、ほんとに助かりますね。しっかり勉強してもらって、その成果を還元してもらわなきゃ!


学費と奨学金(ヒロシさん)

 私は貧乏な家から大学にいかせてもらいました。 (国立)大学入学は1963年です。 
大学の授業料は年間12000円(月額1000円)。 育英会の奨学金(自宅通学)は月額5000円でした。 
40Km離れた大学までの国鉄定期券が月額1000円程度。 
奨学金で授業料と定期券を買っても半分以上残ったのです。
 
 これで親に頼らず(正確には衣食住を頼っていた)大学に行けました。 
貧乏でも大学に行けたのです。  (稼いで家族を支えなくてはならない人も少なくなかったので、その人たちに比べたら私は恵まれた方でした) 

 今は皆さんご承知のように奨学金を全部はたいても遠く及びません。  貧乏な親のもとに生まれたら(そんなに貧困というほど貧乏でなくても)自分で大学に行けなくなったのです。
 税金の使い方に節操がなく、税金や公共料金の集め方にも哲学がない。 取れるところから(無理にでも)金を取り上げ、集まった金は利権がらみの無駄遣いをする。
 もうこれは無法地帯です。 将来ある若者に学ぶ機会を与える考えがない。 国をどのようにしていくかという将来像を描いていない。
 自分さえよければいい。 今さえ楽ならいい。 これでは政治不在です。  これが日本の姿です。 今の調子では、直すのに100年単位の時間を必要とするのではないかと思っています。

 私の考えではこのような問題は文化(歴史的に出来上がった体質)の問題であり、一部の官僚や、政治家だけの悪行であるとは思わないからです。
 国民が立ち上がってこのような国の姿に反対し、戦わなければ国民は『被害者』だといっていられないと思うのです。  孫たちに対する『加害者』になってしまう。


まったく同感、同感です。(友さん)

ヒロシさんへ。
私は、1972年入学。その年間12000円が3倍化されようとするときの学費値上げ反対の運動で、大学は学生ストで数ヶ月休講になりました。
その取り組みの中で、私も色々と社会に目を向け考えるきっかけをつかみました。
結局3倍化されましたが、それでも額は今に比べれば知れたものでした。
奨学金は月12000円ほどだったと記憶しています。少しバイトをして、親からは月1万ほどの仕送りをしてもらっていました。
寮には仕送りのない学生もたくさんいました。
いまや、10万円の仕送りは学費とは別に、ざらのようです。
命も暮らしも教育も、金、金、金。

ヒロシさんのおっしゃる通りだと思います。
特に 「国民が立ち上がってこのような国の姿に反対し、戦わなければ国民は『被害者』だといっていられないと思うのです。  孫たちに対する『加害者』になってしまう。」については、ただ現実を嘆き批判するだけではなく、自分がその問題とどう関わっているのか、それを見極め主体的に生きると言う点において、強く共感します。


初めまして、( 琳子さん)

 うちの高校では、授業料とは別に進路指導費を払い、補講を受けたり、教材や赤本の購入、模擬試験に使っていましたが、税務署から収益事業と見なされ、繰越金に課税されるようになりました。
 購買での収益に関しても課税。これら繰越金や剰余金は、部活や勉強のためにまわされていたお金でした。今、部活の遠征や、用品の購入、高価な参考書はすべて自己負担となりました。
 知人の学校(中学校)は、国立の付属学校だったので、交付金の削減に伴って、全校生徒の家庭から寄付金を集めました。

 まわりを見ればうちも含めて皆塾通い。大学受験のスタートラインにたどり着くまでに、かなりの負担が親にかかってきています。


ほんとに大変ですね。(友さん)

琳子さんへ。
琳子さんは、娘さんが3人,一番お金がかかる時のようですね。
我が家は娘4人、金銭的には峠を越えました。

しかし、子育てにこんなにお金がかかっていいものでしょうかね。
少子化はその一つの兆候ですが、社会そのものの維持が困難になってきています。
社会とは一体なんなのか、社会と個の関係はどうあるべきか、考えなければならないときにきていると思います。
それは人間らしく生きるという問題と結びついていると思います。
抽象的な言い回しになりましたが・・・。

以上コメントから紹介しました。

 多くの親は子供たちを学校に行かせるためにだけ生きて働く?もちろんそれは楽しみでもあるが、それだけに縛られる人生じゃつまらないから、子どもは産まない?

   そもそも、貧乏人には学ぶ権利などないというのか?
   これって、立派な憲法違反じゃないですかね。


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2008.04.01 | | Comments(4) | Trackback(0) | ・教育問題

NO.357 世界に類を見ない日本の高学費が、「教育の機会均等」を奪う。

 昨日の岡山の少年事件の記事に関連して、今日は学費問題について書きます。
(ただいま出張中につき、予約投稿です)

 家計に重くのしかかる学費を前に、多くの国民が「親の経済力によって生まれる教育格差」を実感しています。貧困と格差が広がる中で、今国がやるべき事は、経済的理由での進学断念や、学業を中断する若者を無くすための支援の拡充です。

 結論的に言えば一言、教育予算の増額を!です。

 日本の学費は「世界一高い」といわれ、奨学金が貸与制のみというのは日本だけ。欧州では、授業料を徴収しない無償制が一般的で、奨学金も返還の必要の無い給付奨学金制度が充実しています。
 日本の高等教育予算はGDP比で0・6%と、OECD(経済協力開発機構)加盟国(平均は1・3%)中、最低。
 OECD加盟30カ国中、授業料を取っているのは半分の15カ国。そのうち12カ国では返さないでいい
給付奨学金制度があり、給付奨学金がないのは、日本、韓国、メキシコの三カ国だけ。
経済大国のお粗末な現実です。

 高い学費の実態
 詳しく見ると、初年度納付金は、国立大学で約82万円(標準額)、私立大学で約131万円(平均)も。授業料を1970年と比べると国立は45倍、私立は9倍です。食料品物価の3倍をはるかに上回る値上がりです。

 出産から大学卒業まで子ども一人に家計が支出する平均総額は約2400万円といわれます。そのうち大学4年間は1000万円近くかかり、その6割が学費

 これでは「お金がないから大学進学はあきらめる」という現実が出てくるのは当然でしょう。経済力によって、教育の機会均等が奪われてしまいます。

 東京大学では新年度から、親の収入が低い(400万円未満)学生を対象に授業料を全額免除する制度を導入するそうです。学生自治会などの運動が実ったものです。在学生も適用という事ですから、10数%の学生が適用の見込みといいます。

 政府の対応はどうか?

 政府は、大学や学生の強い反対の声に押され、2007年度の国立大学の授業料標準額の値上げを見送りました。
 ところが、各国立大学が決める学費の上限を現行の標準額の1割増から2割増に引き上げ、その一方で、今後5年間、国立大学への運営費交付金と私立大学への助成をそれぞれ毎年1%ずつ削減するとしました(「骨太方針206」)。これは、学生1人あたり国立で10万円、私立で1万円減らすという事であり、そうすれば大学側は学費値上げをすることになるでしょう。

 政府・与党は、少子化対策の中で教育費負担の軽減を掲げてはいるが、その中身は、高学費の負担を親から子どもに移そうというものです。
「子ども自身が教育費を負担できる奨学金の充実」「『学費は将来の自分が払う』ことを基本として」などというのです。
 これでは、学生が卒業後に多額の借金の返済に迫られ、子育てにも支障をきたすことになります。今でさえ奨学金滞納は、困窮を理由に19万人にのぼっています。親の負担を次の世代に転嫁させるだけであり、少子化の根本的解決にはなりません。

 奨学金の民間ローン化は許されません。
世界でも常識の、返還の必要の無い給付奨学金制度を実現すべきです。
少子化対策を言うなら学費の無償化にむけて、段階的に引き下げることにこそが、必要です。

 そもそも少子化対策の枠組みではなく、高等教育をどう位置づけるかの問題です。
「高学歴は、安定した生活と収入を生む」、したがって学費は自己への投資であり、受益者が負担するもの。これが政府の政策の根本にあります。

 果たして学問や科学技術は個人の所有物でしょうか。
それが個人に一定の「収入」をもたらすことは否定しないが、今日それらは社会的に発揮されて、社会全体に還元され、経済社会・文化の発展に寄与するものです。そこにこそ本質はあります。だからこそ、先進国では、無償化が当たり前になっているのです。

 新自由主義は、教育をも利潤追求のための市場として開放する政策をとってきている。
大学学費の無償化と、給付奨学金制度の創設めざし、教育予算の増額を!



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2008.03.30 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・教育問題

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軟弱オヤジの「硬派道場」へ、ようこそ。障害者作業所所長やってます。福祉や政治、日々の思いを気ままに…。
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