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NO.43 きょうは、ワクワクの日

 ちょっと、いやかなりワクワクしてまーす。
陶友通信でホームページを作ったことをお知らせし、そのNO108
が、皆さんに届く頃。
 「覗いてくれるかな、覗いてください」
2500人の読者の皆さん。
 「コメントください。感想きかせて」

あまり、子どもみたいに興奮しないようにしよう。
でも、こんな電子兵器なんて、使うのは初めてだから…!

雨で涼しくなった庵で、虫の音を聞きながら…、パソコンがきになるー。

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2007.08.31 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・このブログについて

NO.42 今日は長女の?才の誕生日

 4人娘の長女が今日、誕生日を迎えた。
夏休み最後の日だったから覚えやすい。家族がそろわず、お祝いは日曜日にお預けだそうだ。

 初めての娘は、それはもう可愛くてかわいくて…。
共働きで、産休明けから妻は働きに出たので、妻が出かけた後、ミルクをあげオムツを変え、保育園におんぶして送り迎えをしていた(4人とも通産15年ぐらい)。

 とにかく、親ばかと知りつつ、自分の娘が一番可愛いと思っていた。抱っこして散歩しながら、みんなに見せびらかしたいぐらい…。
親ばかだから、子育てが出来るんだと思うけど、だって、よその子の方が可愛いと思ったら、子育てなんて義務感の苦痛に覆われてしまいそうな気がする。

 この我が子の可愛さを知ってから、仕事でスランプの時、「俺、仲間たちのことを我が子ぐらいに、可愛くいとおしく思ってないなあ」と悩んだこともあるぐらい、そんなに我が子は可愛いものだった。(過去形?)

 それはおいて、私がが育った家では誕生日を祝う習慣はなかった。宗教的な意味でもなんでもなく。近所でも聞いたことがなかった。ゆとりがなかったのだろうか。

 ある時、小学校低学年の頃だった。
ふとその日、自分の誕生日だと気がつき、夕暮れに帰り着き賄いをする母に、
「お母ちゃん、今日はおいが誕生日じゃろ」と言うと、「あばよ(おやまあ)、そがんじゃあなあ」といって、母は、お客さん用のインスタントココアに熱いお湯を注いで、飲ませてくれた。「内緒じゃろ」と言って。
 大人になるまでの誕生日の記憶は、唯一それだけだ。

 娘たちが生まれて、私も毎年5回は、家庭で誕生会と言うものをするようになった。(3女と4女が同じ誕生日なので、一回ですむ)

23歳の娘は、この日に何を思うのだろうか。
そして、いつか50歳になった時、また何を思うのだろうか。

 

2007.08.31 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ

NO.41 くぼちゃんのコメントによせて・・・「人間らしさ」について考える。

 まじめな話。
 私たちの福祉労働は、人間らしく生きることを支える仕事です。

人間らしさとは何か?
つかみどころのないテーマでもあります。

 浅学な私のメノの中から、共感した先人たちの言を参考のために羅列してみます。

「明日がなければ、人間らしく生きることができない。」
「ひとりぽっちでは、人間らしく生きることができない。」・・・田中昌人

「人間らしさの核心は、希望。希望を育み、希望に向かって学び挑戦する。希望に向かって手をつなぐ。」・・・三上満

「人間らしさを構成しているのは、目的意識性と集団連帯性」・・・坂元忠芳

「国民の人格発達の問題点は『精神的・文化的その日暮らし』と『精神的文化的ひとり暮し』」
「人間らしさは、自然(対象)に働きかけ活動する主体=目的意識的存在と、人とつながり交流する社会的類的存在の統一の中にある」・・・二宮厚美

「発達保障がめざす「人間らしさ」の課題は、①目標、希望、展望 ②信頼、共感、連帯 」・・・加藤直樹

私の共感は、共通してタテとヨコの要素からなるところにあります。

 紹介したいエピソード。
きょうされんの前理事長立岡氏からお聞きしたものです。

 彼の作業所に、ずっと在宅だったある女性が通うようになったそうです。通い続けたある日、彼女が初めて発した言葉が、「マタ アッタ(また明日)」だったそうです。

 「明日も作業所に来るよ。」と、今日につながる明日を見つけ、それを伝える人を見つけた。

それは、まさに人間らしさを、手につかんだ瞬間ではないだろうか。
こんな話でした。ジーンときました。

くぼちゃんの「正直に生きる」話も、未来や希望への正直さであり、自分につながる人々への正直さではないでしょうか。

「人間らしさとは何か」・・・その答えをつかむ為に、つまずきながら生きているのかも知れないと思う。
 

2007.08.30 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論

NO.40 逃げていた。口にしたからには、落とし前をつけないと男がすたる。

 最近なかなか出てこれないHさんのこと。
忙しいとか、手がが回らんとか、私は逃げていた。
 出てこれない仲間に、出てきたときの対応だけで何ができよう。

 彼女は最近、スーパーで遊んでいるところ「友達になろう」と声かけられた、高校生らしき少年に、「3000円貸してくれ」と要求されていたことがわかった。
 非行に巻き込まれたら・・。性犯罪に巻き込まれたら・・・。 
実際、高等部のとき、万引きを強要され、警察に補導されたこともある。 
 ここは動き出さねば。
 待ち合わせの可能性のあるスーパーに行き、アパートに行った。
ひとりの明らかに障害をもった少年が、誰もいない路地で、シャボン玉をしていた。
 そして、私がドアをノックするのを見て、走りよりアルバムをかざし、そのなかのHさんを指差した。「この子の事?」という所だろう。

 どうもこの少年に間違いはない。
顔にたぶん先天性のものだろう、大きくゆがんだ奇形があり、それで聴覚や言語の器官もやられたのだろう。聾唖の少年だった。

 一応名前を確認し、悪い子じゃなさそうだ、と思い引き返した。
後で聾学校に問い合わせると、そこの卒業生だと確認できた。
ほんとに友達が欲しかったのかも知れない。はっきり言って、特殊メイクで思い切り作ったような顔は、私でさえ初めは、強烈な違和感があった。(申し訳ないが)
 聾学校卒業後も就職できず、ふらふらしてるとの、学校の話だった。
やっぱり寂しくて、友達が欲しかったんだ。と思いたい。

 今度また会って、筆談でもっと詳しい話を聞こう、金を借りる事はやめるように、彼女の状況も話そう。必要によっては、学校にも協力を願おう・・・。解決の方向が見えてきた。

 それと、新たにあの少年のことが気になりだした。あのアルバムは彼の大事な出会った人たちであり、コミュニケーションツールなのだろう。

 今日のタイトルから言うと、これからが本題。
Hの件については、消極的だった。本来の自分ではなかった。
この前、ブログに健康保険の問題を書いたときに、「腹をくくる」と表現した。これはいわば、公約。

 私は、軟弱なので、心の中で決意をして物事をやることができないタイプ。だから声に出して、人前で言う。しかもかっこつけたがりで、見栄っ張りだから、なるべく良いことを言い、言った手前恥ずかしいことはできないと、張り切る。

 私にとっては、話を聞いてくれた人たちが心の中にはいってきて、応援してくれる、そんな感じになり、ああ、この人たち裏切れない、がんばろうとエネルギーが沸いてくる・・・そんな感じなのです。大体私の半生はそんなものでした。

 今回も、ここで言ってしまったことが、一歩へつながり、前へ進むきっかけになりました。

 言った手前、やらんと、男がすたるもんな。

 ブログを、こうして心の友として付き合っていこうと思う。
大げさだけど、みんなが自分を見つめてくれていると思えるから・・・。だから人間、生きていけるんだと思うな。


 

2007.08.28 | | Comments(3) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅠ

NO.39 人心一新・・・人は変われど心変わらず。「開き直り内閣」「思い込み内閣」

 自民党役員と内閣の人事が決まった。
「人心一新」を強調する安倍総理だが、国民の期待を裏切り(いや誰も期待してないか・・・)人は変われど、心変わらず、である。

 参議院選挙後安倍首相は、消えた年金問題や閣僚の失言で負けたが、基本路線は支持されたとし、早々に続投を決めた。その首相が任命した面々だから、心変わらずはさもありなん。

 党の麻生幹事長、石原政調会長は盟友、二階総務会長は早々に続投を支持してきた。
 閣僚17人のうち、名前は12人変わった。派閥の面々もかき集め、居座り批判の急先鋒だった舛添参議員を厚労相に取り込んだ。

 しかし要所は、「靖国派」と改憲タカ派で固めた。
 町村外相、高村防衛相、与謝野官房長官、額賀財務相、残留組の伊吹、渡辺・・・。

 選挙で審判された、改憲=「戦後レジユームからの脱却」、格差と貧困を生み出した「構造改革」路線を推し進める陣容だ。

 安倍首相の、「開き直り」と「思い込み」を表現した内閣だ。
あきれてばかりはいられない。アホな奴、自滅するんじゃないのなんて、軽く見てはいけない。なりふり構わず、必死の巻き返しに出るだろう。国民に牙を向けてくるだろう。

 痛手を負った必死の狼の牙に、心して立ち向かわなければ。選挙のときのように、いやそれ以上に国民の監視と参加が求められている。


2007.08.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・政治一般Ⅰ

NO38 金のことを言うと汚いが・・・福祉労働者の賃金はその国の福祉のバロメーター

 今春大学を卒業して、あるメーカーの営業で働く長女に、「いくら貰ってる?」と聞く。大卒30年近い私(28万。これでも大分良くはなった。無認可の頃は8万だった。)と、4万程しか違わない。同じく短大卒で介護施設で働く次女に聞く。「夜勤手当を入れても14万。もう!おかしくない?」

 実におかしい。
 陶友では、大卒3年目で17万。非常勤は13万弱から、残業入れても15万。福祉現場は3分の2が非常勤。
 福祉現場はワーキングプアで支えられている。

 私は機会を見つけて、こんな話をする。金の話は嫌いだが・・・。
これは、私の甲斐性の話ではない。この国の甲斐性の問題。
要するに、福祉の仕事はこの国ではその程度の値打ちしかないのだ。だから沢山ある福祉系の大学を出ても、殆どの学生は一般企業への就職を希望する。人材が確保できない。

 政府は、貿易協定でフィリピンからの介護士を入れることを決めている。国内で人材が賄えないから、安く使えるアジアの労働力を入れるということだ。
アジアの同胞の名誉のために。フィリピン人がだめと言ってるのではない。一応語学研修も入れて入る。しかし、介護保険の点数が、お年寄りとゆっくり話しをすることは認めていないように、飯を食わせ、下の世話をすればいい、それが介護労働だとすることを、問題にしてるのである。

 要するにこの国では、福祉労働は、赤子の守であり、年寄りの世話であり、障害者の面倒見なのだ。関係の法律でどんな立派な文言を並べようとも、この人たちのために金をかけるのは、経済的に無駄ということ。
 現場から、私たちが、人間の尊厳だとか、人としての権利だとか言っても、この国の政策の実態はこれだ。

 大事なのは、福祉労働者の賃金問題は、その対象とする人々の命や暮らしに対する価値観の現れであるということ。

 80年代中頃、メザシの土光(経団連会長)が推し進めた「臨調行革」・・・時の財界の要求をうけた、時の総理大臣は「老人福祉に金を使うのは枯れ木に水をやるようなもの」と言い放ち、ときの厚生大臣は「牛も乳が出なくなったら賭殺場にいく」と言い、それまで国民の世論で作り上げた、老人医療無料制度を有料化した。健康保険もだだで医者にかかれていたたのに、有料化した。

 その流れの、今日版が小泉「構造改革」であり、選挙で審判されたのに安倍がしがみつく路線なのだ。「社会福祉基礎構造改革」その障害者版が、今度の障害者自立支援法なのだ。

 ちょっと話が広がりすぎた。
 
 今日は、金の話。
金欲しいよな。そしたら、職員の給料上げて、職員増やして、もっといい仕事ができて、「福祉の仕事って、ほんとに大事で価値ある」という、国民的共感をつくれる。

 福祉の仕事は、「勝手に情熱的な奴」とか「普通の企業ではやれない」変わった奴らの仕事にしてしまっては、国民の不幸なのだ。

 今日の終礼で、実習の学生に「金の話」をした。
家に帰り、次女とも少しだけ。
 次女は、家に入れるお金の話で「やっぱ、稼ぎの割合でいかんと」と言う。お前の言うことは一理ある、これは家族の話し合いで解決しよう。

 次女よ。私たちは、父娘であり、今や同志。福祉労働者。
福祉労働は、人間の明日を作る仕事。人間の未来を創造する仕事。
共に、誇り高くたたかおう。

 
 

 

2007.08.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論

NO.37 頼みます!福岡市は国民健康保険料を引き下げてください!

 Hさんは18歳。女子。中度の知的障害を持ち、高校を退学した弟と、中学生の弟と妹がいる。
母親を小5のときに亡くし、、父親に育てられてきた。
父親は、建築現場の日雇い。

 夏場になり、頭を痒がるので見ると、できものができている。風呂に入ったり、きちんと着替えをしたり、衛生的に身を保つことができていない。

 たまりかね、職員が病院に連れて行く。
保険証がないので、3000円ほど立て替えて後日清算することにした。
 ところが、お金がないから、保険料を払えず、国民健康保険証がないのだそうだ。

 そんな折、お父さんが現場で大事故に遭い、瀕死の重傷を負った。急遽、いくばくかの金を納め、短期の医療証を発行してもらった。

 いま福岡市では国民健康保険料が高すぎて払えず、保険証を取り上げられる事態が広がっている。
 市の保険料は、年所得200万(4人世帯)で37万円。介護保険料も合わせると、46万円。国保加入者は低所得者が多く、83%は、200万以下だそうだ。

 「40万も払うような病気はしないだろう。だったら、保険料は払わないほうが得だ。」と考えるだろうか。払えるものだったら、誰だって払って安心して生きていたいと思うだろう。

 払いたくても払えないのだ!

 滞納世帯は5万6千件(21%)、そのうち保険証取り上げは1万4千件(25%)。いずれも政令市最悪の水準だそうだ。

 お父さんの入院は3ヶ月を超えた。
職員が髪を洗ってやったり、薬を塗って上げていたHさんは、近頃、陶友に出て来れない日が多くなった。
 二重にも三重にも生きる上での困難が覆いかぶさっている。

 少なくとも、福岡市は、誰でも安心して医療を受けられるように、保険料の大幅な引き下げをすべきだ。

 もちろんそれで、彼女たちの生きづらさが解決するわけではない。

 私たちも、本人だけでなく、兄弟・家族の生活支援もふくめ、もっと踏み込んだ取り組みをしなければならない。

 腹をくくらんと!

 

2007.08.25 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論

NO.36 研修終わりました。

 二日間の研修が終わりました。
内容と感想は割愛。

 これでサービス管理責任者の資格が取れた訳ではありません。
秋にもう一度3日間ほどの研修があります。

 私は、所長(管理者)とサービス管理責任者と、職業指導員と3つの肩書きを持つことになります。
 野球で言えば、球団社長と監督と選手。聞こえはいいけど、零細企業は大変でーす。うちの選手たちがよくやってくれるから、勤まるようなものです。
  
 月は太りだし、虫の音が聞こえ、なんか、心持まで静かな夜半。


 

2007.08.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ

NO.35 ランチュウの仔どもたち、全滅。・・・細やかなやさしさに欠けていた。

 朝起きると、ランチュウの仔どもたちが浮いている。
「しまった!」

 3日前に、数匹死に、治療と水換えをしていたのだが・・・。
慢心して、細やかなやさしさに欠けていた。

 昨年は、病気対策に追われていたが、今年は井戸も掘り、水換えも十分にでき調子もよく、安心していた。それに、繁殖もうまくいき、「お、いけるいける!」と、慢心があった。

 ここのところ、忙しかったのと、体調が良くなかったのとで、丁寧に診て来なかった。

 病気の初期には、5パーセント濃厚食塩水に90秒間塩浴させ、病原菌を体表や鰓(エラ)から切り離す。(菌が血液に回ると、診療所を作り薬浴させないといけないが・・・)この時も、4パーぐらいで「まあいいか」といい加減にしていた。
 水換えも、ひとつひとつ水槽ごとに記録をしていたのに、それを怠っていた。
さらには、日よけのヨシズをはいで、この目で直接泳ぎを見て健康チェックするのも怠っていいた。

 後の祭りである。
ちょっと自信がつき油断があった。

 いきものはこれだから、誤魔化しがきかない。
ちょっと落ち込んだ。
幸い、ひかり祭りにだすオランダたちは、元気である。

 初心に帰り、丁寧な心配り目配りで、元気な仔たちに育てよう。
 (教訓を生かすのは、来年の仔育て時期)

 

2007.08.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・金魚ちゃん

NO.34 主観的障害の重さ。

 このところ、4人の仲間が陶友に出てこれなくなっている。
いずれも知的な障害は、比較的軽い人たち。
軽度の知的障害者は、2次障害とも言うべき、精神の障害を併せ持つにいたる場合がよく見られる。

 ほんの少しの遅れは見えにくいため、周りも受容できずもっと頑張ればなんとかなると思い、頑張らせる。周りがそう見ると、本人も、今の自分は本当の自分じゃないと思い込んでしまう。現実の自分が否定されるのである。そうすれば、ありのままの自分を受容できなくなってしまう。そうして、見ることも、つかむこともできない幻の自分を捜してさまよう事しかできないのである。

 高校進学したり、就職したり、無理を重ねるうちに、ついに心が壊れてしまう。孤独になり人にも社会にも心を閉ざしてしまうことになる。

 陶友に来て、ありのままの姿を受け入れられることによって、長い月日をくぐり、だんだん落ち着きを取り戻し、少しずつ自分をつかみかけていく。

 それでも、一直線に良くなっていく訳ではない。
ジグザグをたどる。
 ちょっとしたきっかけで、落ち込んでしまうことがある。

 上田敏は、障害は、客観的障害と主観的障害で構成されているとして、後者の視点からの、障害理解の大切さを提唱している。知的に軽度(客観的障害)なるがゆえの彼らの障害体験のつらさ(主観的障害)が、2次的に、精神障害をもたらすという理解は、十分に納得できる。障害の軽重は、単純には測れないのだ。

 自分というものが見えない、つかめない、つかみかけた自分をまた見失ってしまう。この不安は、いかばかりのものだろう。

 その姿に、家族もまた深い不安に陥る。
我々もまた、重い日々を送る。
 陶友に来て、だいぶ良くなってきたんだ・・・。このジグザグのむこうに、必ず明るいステージが開けているはずだ。

 そう信じて、待つ。今は、それしかない。


 

2007.08.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅠ

NO.33 研修は、退屈っぽくつらいね。

 今日から二日間、国際会議場で終日缶詰にされ、研修。
『福岡県相談支援従事者初任者研修」

 この8月から、陶友は障害者自立支援法に基づく、「障害福祉サービス事業(就労継続支援B型)」という施設に変わった。
ちょっと、面倒だが、仲間たちが働くという点では、いままでと同じです。

 そこには「サービス管理責任者」の配置が義務付けられており、そのための資格を取る研修の一部。

 資料やテキストの説明で、「必要なときに見ればいいや」などと、横着な根性を出したら、退屈で眠くて・・・。いかんね。

これで、「試験」でもあったらたまらんところ。試験が一番好かんもんなあ・

明日はもっと気合入れていこう。

2007.08.23 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ

NO>32 近所の田んぼで、稲刈りが始まった。

 早めに帰り、長男カンタといつものコースに散歩に出た。

 このところ、稲穂が色づき頭をたれ、そろそろかなと思っていた田んぼで、稲刈りが始まっていた。

 小さな何枚かの田んぼはすっかり刈り取られ、刈りかけの田んぼの真ん中にコンバインがビニールシートを被せられて、置かれていた。

 あの懐かしい草いきれ。刈取りのにおいがあたりに立ち込めている。
山つきのこのあたりでは、夕立があったらしく、草は濡れ、涼しい風がそよと吹いてきた。

 ここはこのあたりでは一番早く植えた田んぼ。本番は、あぜ道が彼岸花で真っ赤になる頃。

 季節が身近に感じられるささやかな、し・あ・わ・せ。
虫の音も聞こえる。背振山の上には、上弦の半月。

 焼酎の水割りを一杯だけ飲んで、きょうは、早めに寝るべし。

2007.08.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅠ

NO.31 休み明けは、ボチボチ・・・行こか。

 盆休みで一息ついて、また忙しい日常がはじまった。

この日を楽しみに、しゃべりたいことが貯まりにたまった仲間、体調を壊し休む仲間、淡々としたなかま・・・。それぞれである。

おまけに、今日から、学生の実習が入る。
しかも ギャルが4人。今はまだ静かだが、仲間たちの中で、バトルが始まるだろう。誰だって、自分に関心を引きたいし、当然だろう。健全な証拠だ。
そんな波風も、日常に刺激をもたらす。

表現が下手すぎたり、ストレートすぎたりで、トラブルになるだけのこと。
解っちゃいるけど、「エークソ!このバカチンが!」と言いたくなる未熟者の私である。

いっそのこと、私も若返ってバトルに参加しちゃおうかな?

10月まで入れ替わり実習生が入り、日常とはちがう人間関係の中で、仲間たちは、体験的学びを深める(?)ことになる。

さてと、休み明けは、ぼちぼち エンジンを回して行こう。

2007.08.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ

NO.30 今日で夏休みも終わり・・・

 今日で終わり。
夕方からの法人の30周年記念実践集の編集委員会で、また仕事が始まる。

これといったことも残さずに、ただ時間が流れて終わろうとしている。

普段の休日もそうだった。
休日の終わりの頃、夕方になるとなぜか憂鬱になっていたものだ。長女も、同様なことを言う。「ああ、なにもせずにやすみがおわるー。」

妻は、「休みは休み、何もせんで当たり前」と。気楽ないい性格してるよ!

そんな妻に感化されてきたのか、開き直ってきたのか、最近はかつてほどはない。
諦めがよくなったのか、達観してきたのか、とにかく、悔やんで落ち込むことはないようだ。

思えば、おかしなもんだ。
休みがどうだったかで、悩んだり、いろいろ思ったり・・・。
なんて暗い性格してんだ!
俺はもうとっくに50歳を越しているのだぞ!

さあ、あと1時間もすれば、エンジン始動だ!!

2007.08.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅠ

NO.29 お父さんは将来何になりたいの?

 「お父さんは将来何になりたい?」

 少し知的な遅れがある四女が、夕食のとき話しかけてきた。
みずきが、小5の時だった。

 普通小学5年生が、その父親にこんな質問はしないだろう。
「ふーん。この子の遅れは、こんな時間認識にも、こんなふうに現れるんだ。」と思いながら、
「そうだな、蕎麦屋さんをして、金魚やさんも花屋さんもするかなあ。」と答えた。「おちゃわんも作って売ったら?」と、返してきた。

 何気ないやり取りの後、考えてしまった。

 50歳にもなると、大体人生が見えてきて、あとは規定の人生を流して生きる・・・。そして老後のことを考えるのが、関の山じゃないか?

 娘の言葉に目を覚まされた気がした。将来というものは、どんな年になっても、決まってしまっているものではない。これから自分で作り上げていくものだ。

 それから、同年代と飲む時、時々「おまえ、将来何になるんや?」とつっこみ、この話をするようになった。結構、聞いてもらえる。受けるといったほうが近いかな。

 あれから自分も、少し若返ったような気がする。未来を創造できるのは、人間だけが持ちうる力である。

 遅れていて、常識的なことが理解できないこともある。しかしそれは、常識にとらわれない理解の仕方、発想でもある。そこには新しい価値や、真理までもあることがある。

 「おとうさんは、決め付けたらいかんよ。」と、生意気なことを言う時もある。それは、正しい、と脱帽するしかない。

2007.08.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ

NO.28 趣味って、いったい何者?

 これまでに関わった趣味らしきもの。
陶芸、バイク、カメラ、熱帯魚、蕎麦うち、山野草、絵手紙、金魚・・・そして今、ブログ?

 陶芸は仕事の一部、バイクと熱帯魚は卒業、カメラと絵手紙は時間をつくってぜひやりたいので一時休止。現在進行形は残りの4つ。

 2つはともかく、金魚と山野草は時間と手をとる。しかも生き物だから毎日。冬場はまだしも、シーズンには毎朝1時間強。子育ての4~6月は2時間。毎朝5時起きだ。こちらが都合のいいときに時間を作ればいいという訳にはいかない。

 金魚は、管理のしかたでは1週間は大丈夫だが、山野草は鉢植えなので毎日水遣りしないと枯れてしまう。
 かつて、入院中に、朝こっそり抜け出し、水遣りに帰ったこともあるし、宿泊研修中に志賀島から帰ったこともある。
 植え替え時期には夜中までかかって、数日しこしことやる。

 寝ることを最大の趣味にしている妻は あきれ返って言う。
「忙しい人が、何でまた忙しい趣味なんか持つかね?!」と。
「解らんだろうなあ。こいつら、俺がいないと生きていけんとよ!生命あるもの、心の友よ!」と答える。

 自分でも時々思う。ほんとに時間が作れないときは、なんでこんなものにはまり込んでしまったのかと。妻は、「私に2,3日預けてごらん、枯らしてあげるから、そしたら諦めがつくでしょ!」と来る。

 趣味っていったい、何者?
それは、お金も時間も計算に入れず、ただ自分だけが好きではまり込むもの。他人から見れば、滑稽、不可解、バカらしい。
客観性も合理性も社会性も抜き。他人に迷惑かけたらいかん。
そして、人を喜ばせたら最高!

 だから私は、「これ、陶友でやれんかな、金にならんかな」と、なんにでも、くっつけてしまう。いや、後ろめたいだけかもしれない。
   

 

2007.08.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・趣味・写真

NO.27 金魚ちゃん、社会貢献活動にデビュー!

 我が家の金魚が、社会貢献活動でデビューすることとなったよー。
なんと、ひかり作業所の夏祭りの 金魚すくいに 出演するのだ。
この春に生まれた、オランダシシガシラの仔たちが、ちょうどいいサイズにそだっている。

 昨日 担当のイシハラクンが、商品チェックにやってきて、生意気にもOKを出していった。

 金魚を飼いだしたのは 5年ぐらい前。
ある人に 黒メダカをもらい、絶滅危惧種だ、大事に育てないかん、ということで、そのついでに、何匹かの金魚を買ってきたのがそもそもの始まり。

 かつて 8年ほど熱帯魚を飼った事があり 多少の自信はあった。
何をやりだすときもそうだが、本を買ってきてはその道の研究にはまりこむ。
すると 金魚もなかなか奥が深い。そうして、はまり込んでいくのである。

 しかしこれがなかなか厄介なものだ。
室内で水温を一定にして飼育するならまだしも、屋外で飼うと、水温の変化や水質の変化でストレスをうけ、病気になったりする。

 去年、庵を建て井戸を掘ったことで、十分な水替えができ、健康に育ち、この春、繁殖に挑戦することができた。

 オランダとランチュウの仔が順調に育っていた。
その仔たちのデビューである。

 おおい チビたちよ 世のため人のために、役に立つのだぞー。

2007.08.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・金魚ちゃん

NO.26 夏休みの「絵日記」

 いまどきの夏休みの宿題に、絵日記を毎日つけるというのは、ないようだ。

 小学校の、毎日の「絵日記」には、本当に、苦労した。

 ひとつには、貯まってしまい、思い出せないのである。これは、誰しも同じだったろう。
 もうひとつは、書くことがないのである。

 野良仕事に連れ出され、合間をぬって必死に遊んだ夏休み。とにかく、単調で毎日が同じなのだ。仕事の手伝いも、遊びも一通り書けば、もうネタが無くなるのである。

「にいちゃんと、いそに、もぐりにいきました。イセエビを10ぴきとりました。はらがへっていたので、すぐにひきさいて、塩水につけて食べました。うまかったです。それから、流木で火をおこして、やいて食べました。とってもうまかったです。家には、6ぴきもって帰りました。お父ちゃんがびっくりしました。お母ちゃんが、ゆがいてくれて、家族みんな1ぴきずつ食べました。えびをとったのは、にいちゃんで、ぼくは、運ぶ係りでした。」
とか、特別に大漁だったらまだしも・・・。(禁漁期間でも、こどもたちは、練習とみなしたのか、おとがめなしだった。)

 ある時、私は、「今日は、書くことがありません。きのうと同じでした。」と、何日分かを、溜め込んで書いていた。夏休みの終わり、母が一通り、チェックを入れたとき、怒られてしまった。
「よく思い出して、なんかあったろうが!?」
 ・・・「先生が、書くことがなかときゃあ、こいじぇよかっちゅうた!」と、抵抗した。

 そんな先生が実際にいたのだ。
「種子島の子は、かわいそうだ。夏休みになったら、朝から晩まで百姓の加勢だ。都会の子は、学校にもいかんで、ほんとの休みなのに・・・おまえたちは、夏仕事じゃあ」と。何年のころの先生だったか記憶は、定かじゃない。

 ふだんはおとなしく、従順な私が抵抗し、先生の話をすると、母は「そうじゃなあ。」と、あきらめ、「わごう(おまえは)正直じゃあ」とため息をついた。
 あの時母が、「もっとしっかり見てみなさい、同じ日があるわけないでしよ!」などと、教育していてくれていたら、私は、暮らしをもっと深く見つめ、描けるリアリズム作家になっていたかも知れないのに・・・。(ナンチャッテ!)
 私は、平凡な「正直者」になることとなった。

 ともあれ、夏休みの「絵日記」。いまは、懐かしきかな。

 

2007.08.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片

NO.25 遊びは、全力。ハンパな根性では遊べないぞ!

 朝から晩までこき使われて、好きじゃなかった夏休み。
それでも、必死に遊んだ夏休み。その根性は半端じゃなかった。

 種子島では、11時から3時までは、大体田んぼには出なかった。熱すぎて仕事にならない。今時の、熱中症予防と同じだろう。
その間、昼食を済ませ、大人たちは、木陰の涼しいところで、縄をなったり、家のことをしたり、昼寝をしたり・・・。

 こどもたちは、チャンス!
裏山に蝉取り、カブトムシやクワガタとりに、川にフナつりに、海に潜りにいったり・・・。野良仕事を手伝う力とは違ったところから、遊ぶぞーっというエネルギーが湧き上がってきたものだ。

 島の最南端の水田地帯、その先には原始林の防砂林があり、そのうっそうとしたトンネルを抜けると、太平洋。はるか彼方の水平線は、弧を描き、地球の丸さを見せていた。家から波打ち際まで1キロもなかった。
 東側にははるか竹崎(今、ロケット基地があるところ)まで白い砂浜。西側には、すぐ近くに鉄砲伝来の門倉岬にいたる磯。

 学校とか町とかが「遊泳禁止区域」なんて野暮なことは言わない。(そんな時代じゃなかったのだろう)
そんなことは、自分たちで判断して決めるものだった。
浜のほうは、遠浅ではなく引き潮が強く、大人から「絶対入ったらいかん!」と教えられていた。どんな悪がきもこれだけは守った。
 海の恐ろしさや、自然とかかわる知恵が、共同体の暮らしの中で伝えられていったのだ。
 
 目指すは磯のほう。長瀬、高瀬、・・淵、ひとつひとつ名前がついていて、そこの海の特徴も教えられていた。波の穏やかなところで遊ぶ。大人はいなくてこどもだけで。しかも、小学校低学年だけとか・・・。手ごろな淵で、泳ぎの練習をする。
 泳げるようになると、素もぐりで、魚を突いたり、イセエビやトコブシを獲る。
 
 今思えば、なんと危ない。こどもたちだけで、太平洋に。
プールなんて見たことも聞いたこともなかった頃。
 しかし、種子島に住んでいた15の春まで、土地のこどもが、海の事故にも川の事故にもあったという話は、一度も聞かなかった。(もっとも、私は中1の頃、一度だけ溺れかけて兄に助けられたことがあるが)

 とにかく、誰も外に出ない炎天下、必死になって遊ぶのである。
親は、「3時にどこそこの田んぼに来い」というだけだった。
 そして、太陽を観れば大体の時間はわかるので、そこに行き、また仕事である。

 夕方になると、こどもたちは早めに家に帰され、家畜の世話やらいろいろ言いつけられる。暗くなる頃母親が帰り、晩飯の頃にはもう、もうへろへろで、上のまぶたと下のまぶたが、くっつき始める。
 その前に、蚊にさされながら、上がり框ではいつくばって寝てしまうこともしばしば・・・。
 そんな毎日が繰り返されていた夏休み。

「遊びをせんとや、生まれけん・・・」
遊びはこどもの仕事とはいえ、思えばすさましいもんだ。山に川に海に、遊び方は変わっていったが、あのエネルギーはどこから出てきたのだろうか。もし、野良仕事もなく、十分な時間があったら、あれだけの執念を燃やして、遊んだろうか?

 あの暮らしが、あの少年時代があったから、あの夏休みがあったから今の自分がある。

 


2007.08.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片

NO.24 夏休みなんか、好きじゃなかった。

 夏休みがいやだったという話は、まだ聞いたことがない。
夏休みは、楽しいものと 世間の相場では決まっている。

 今は、気ままに自分の時間が持てて、それなりに楽しくもあるが・・・。

 こどもの頃の夏休み。
 種子島は、日本で一番早く米が収穫される地方だ。たぶん、台風銀座とよばれた南西諸島では、台風シーズン前に、収穫を終える必要があったからだと思う。

 機械化が進んでいなかった当時の農家では、こどもといえど、一人前の労働力だった。夏休みに入る頃、何の因果か、ちょうど稲刈りが始まる。こどもも、小学生になれば、それぞれに鎌を持って稲を刈ったり、その束を運んだり・・・手はいくらでも必要とされ、役に立った。

 ラジオ体操が終わってから、夏の長い日が落ちるまで、家族とともに田んぼに出る。さぼるなんて、できやしない。広く見通され、ボケッと突っ立っていようものなら、「こら、馬をつなぐぞ!」の声が飛ぶ。

 盆までに、脱穀まですませ、新米をご先祖様に供え、家族で食べる。

 盆に少し休み、こんどは、サトウキビ畑とサツマイモ畑の草取り。両親が両脇の、こどもたちがその間の畝を、それぞれ一畝ずつ配置について、草をとり進む。遅れそうになると、親が手を出して、横一列を保った。
 サトウキビ畑のときは、うっそうとして親の目が届かない時があり、そんな時は、こどもらしくズルをする。草はとらずに、親より少し遅れて歩くのだ。

 そして、夏休みが終わりに近づくと、溜まりにたまった宿題でゆううつになる。

 そんな夏休み。こづかいが貰える訳でもなし、時々、チリンチリンと自転車で回ってくる、アイスキャンディだけが楽しみな・・・。草取りのとき、畑の完熟トマトがうまかった、ぐらいな・・・。

 夏休みが来るのがいやだった、と言うほどでもない。それが当たり前の暮らしだったから。でも、楽しみに思ったことはないし、好きじゃなかった。

 

 

2007.08.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片

NO.23 お父さんに喜んでもらいたい・・・こどもの、「学習法」

 金魚の水換していると、四女が「お父さん ちょっとモデルになってよ」と、庵にやってきた。
「そんなにこにこしないで!きりっとして!・・・」などと注文つけながら、一枚描いて、帰っていった。

 こんどは、「おとうさん、K君に手紙書いたから、これでいいか聞いて」と、やって来た。

 K君は、四女と同じ、特別学級のクラスメート。もうかなり長いこと、登校してないらしい。
 わたしがつらく当たったのならあやまるから・・・。世界中には、戦争や病気で、学校行きたくても行けない子がたくさんいるんだよ・・・とか、みんなまってるから、とか読んで、「どう?」と聞く。
 学校に出て来れない友達が心配らしい。
 時々、こうしたやさしさも見せる。

 これは、彼女のアピールでもある。
つまり、「こんなこといえば、おとうさんよろこぶだろうな」が、何割か入っている。「みずは、やさしいね。」と思われたいのだ。

 ここのところは大切なところだ。
「おまえ、ほんとはそんなにやさしいのか?」などと観たらだめで、「そうね、この手紙見てkが出てこれるといいね。」と、向き合わないといけない。

 こどもが、そんなに立派な一貫したやさしさなんて、初めから持っているはずはない。しかし、こどもは、自分がどんなことをすると、親や大人が喜ぶのかを、探しているのである。
喜んでもらえることで、その価値を学び、それを少しづつ身に着けていく。それは、こどもに限ったことではないが・・・。

 三日ほど、ばあちゃんちに泊まって帰ってからのことである。しばらくぶりに会うと、よくこんな風に、何らかのネタを持って、寄り付いてくる。「まだ幼いな、」と思いつつ、こんなやりとりを楽しむ。

2007.08.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ

NO.22 白球を追う球児たちを見ながら

 今日も、モーレツに暑かった。
テレビに守されたわけではなく、主体的に(?)観た。
高校野球、九州勢が4校中3校も勝った。
こういうことに、入れ込むタイプではないが、何となく嬉しい。
 中学校の頃、柔道部で汗を流した経験があるので、こういう世界にも共感するものがある。

 あの、夜中によかトピア通りに車で集まるハント族や、警護公園にたむろする若者たちは、高校野球などをどういう風に、感じるんだろうか?なんて、ふと思った。

 自分が何者か、何がしたいのか、どうありたいのか・・・それが捕まえられずに、さまよう少年たち。
 切ない。
 社会が、もっと一人一人を大切にすれば、彼らももう少しはなんとかなろうに・・。
 一生そんなことして生きていくわけでもないし、ゆっくり、見守ろう。「道」だけはふみはずすなよ。

汗にまみれ、白球を追う少年たちを見ながら、そんなことを、思った。

 福岡県の少年非行率は、全国一らしい。



 

 
 

2007.08.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・マスコミ・テレビ・新聞Ⅰ

NO.21 歴史を学び、平和を誓う。・・・終戦62周年の夏

‘戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った・・・‘
青春のころに歌ったフォークソング。

 今日は、戦後62周年の終戦記念日。盧溝橋事件に端を発した日中全面戦争から、70年。

 いったいあの戦争はなんだったのか・・・。
 
 日本の教育は、現代史を教えない。それは、大学入試に出ないからだ、と思っていたが、そんな薄っぺらな理由だけではなく、国家の政策的意図があると思えるようになった。
 
 いま、日本の政治、外交にとって、あの戦争をどう見るのか、歴史認識が鋭く問われている。

 先の参議院選挙では、これが、正面から問われた。
 安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」を叫び、憲法改定をマニュフェストに謳った。
 戦後レジームとは、主権在民、恒久平和主義、基本的人権など憲法で明記された、国の政治の基本体制である。
 これをどう観るかは、まさにあの戦争をどう見るかに直結した課題である。

 安倍首相は、あの戦争を「アジア解放の正義の戦争」「自存自衛」の戦争だったと主張し、歴史をゆがめる「靖国派」の中心メンバー。
彼らの狙いは、首相が公言してはばからないように、「海外でアメリカと肩を並べて戦争ができる」体制作り。そのためには、9条改悪だけでなく、国民の戦争協力体制をつくり、人権も民主主義も押さえ込み、男女の共生も認めず・・・そんな国家の体制を作ることです。それが「戦後レジームからの脱却」・・・つまり、戦前の暗黒政治体制への回帰であり、行き着くところは、軍国主義日本の復活です。

 あの戦争は、世界再分割の野望をむき出しにした、天皇制政府と軍部による領土拡張と他国支配を目的にした、侵略戦争であり、そのやり方も、南京大虐殺や、「三光作戦」に見られる、戦時国際法も無視した残虐極まりないものであった。さらに、「創氏改名」、強制連行など、アジア解放などとはどこを見ても言えないものであった。

 7月30日、米下院本会議が全会一致で、「慰安婦問題」で、日本政府の公式な謝罪を求める決議をしたことは、首相や政府の歴史認識が、国際的には通用しないことの証明だろう。

 毎年、この頃には、メディア等で特集が組まれ、戦争体験の証言などが掘り起こされている。

 戦争を知らない世代も、積極的に想像力を働かせ、戦争についてを学ばなければならない。知った者は、伝えなければならないし、知らないものは知る努力をしなければならない。

 誰かが言っていた。

 恋愛は体験して学ぶものだが、戦争は、体験なしで学ばなければ・・・という風なことを。

 最近思うのだが、より若い、戦争を知らない世代には、「あの戦前の暗黒政治・・・」というだけでは、伝わらないのでは、と。
 (ここでは、そう書いただけだが・・)
それさえも、教えられていないように見受けられる。
 戦前の現実、その一つ一つのリアルな事例を、わかりやすく知らせていく努力が必要じゃないだろうか?
 
 国民が、まともに歴史から学んでもらったら、困る事情が、国家の側にある。だから、現代史は教えてこなかった。入試に出題しないという姑息なやり方で。
 ところが、これでは消極的過ぎる。そこで、「靖国派」は、自分たちに都合のいい歴史教科書を作り、無垢な少年たちの頭脳を、洗脳しようと言うたくらみだ。

 今朝のラジオで、山田洋次が言っていた。

 歴史をしっかり学ぼうと。あの戦争の歴史を学べば、どうして憲法を変えようという話が出てくるのか・・・と。

 つまり、歴史を学ぶということは、現在を見抜き、未来を描く力を身につけるということではないだろうか?

 ちょっと、まとまりなくなったが・・・。
 この日を、戦争を許さず、世界中に平和を求めて闘う決意の日としよう。

2007.08.16 | | Comments(2) | Trackback(1) | ・9条・平和Ⅰ

NO.20 親ってどこまでバカなんだ!?

 昨晩は、長女と二人で食事をすることにした。
 久しぶりに、私が作ることに。メニューは、ゴーヤと豚の味噌炒め、砂ずりのピリカラしょうゆ和え、素麺。

 ゴーヤと薬味の青紫蘇は庭で採れたし、実に簡単なものだが、社会人一年生の長女とビールで一杯というわけ。

 娘にしてみれば、母屋より庵のほうが涼しいこと、新型テレビが観たかったこと、労せずえさにありつけることが動機だったろうけど、親父としては、嬉しいもの。

 金魚の水替えのときも、手伝うわけではないが、「わあ、金魚すくいしょう!」と、そばで、遊んでいた。
 となりの田中のおばあちゃんが、「いいですねえ、一緒に楽しめて」
と声をかけてくれる。

 この隣人は、娘たちが小さいころから、よく声をかけて下さったやさしい人。
 「女の子がいいよ、大きくなったら、話し相手にもなるし、男の子は結婚したら、もう寄り付かんよ。」と、四人娘で、男の子がいない私を、気を回して励ましてくれたものだ。

 「お蔭様で、みんな手が掛からんようになって、家の事もよくするし、おまけに、金魚の世話まで手伝ってくれます」と私。
 (そんなことあるもんか!うちの娘たちは、グータラでなんもせん!子育てに失敗したと、もう諦めとる。)

 とは言いつつも、ささやかな父娘の、夏の宵でした。

 親というものは、どこまでバカなんだろうな?!

2007.08.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ

NO.19 テレビに守されたらいかんぞ!

いつの時でもそうだが、休日は無計画だと、あれよあれよという間に過ぎていく。

 この夏は、鹿児島への盆帰省はやめ、家族はそれぞれの休暇を過ごしている。
 
 ふだんテレビはあまり観ないのだが、この二日間、テレビに守されてしまった。

 庵に、ハイヴィジョン液晶テレビを入れてしまったのだ。32型ヴィエラ。思ったよりも安くなっていたので、迷わず買ってしまった。
 昨日は、金魚の水替えなどしながらあ、「やっぱり、画面きれいだな」と、珍しさでズルズル。
 きょうは、BSの証言でつづる、硫黄島の陥落、マニラの市街戦についてのドキュメンタリー。戦争の生々しい事実の検証で、ついつい引き込まれてしまった。
 これはこれで、得るものがあったから、善しとすべきか。

 いずれにしても、テレビの魔力には、用心用心というところだ。
 

2007.08.14 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・マスコミ・テレビ・新聞Ⅰ

NO.18 花は白

 千利休が「花は白」と言ったとか。
 直接会ってはいないので、定かではないが・・・。

「しーろいはなはー すきさー やさしいからと あなたーは 
いいーまーした」って歌があるけど・・・。(おい、テクニカルまつお、音符の絵文字はどこに隠れとるんや?)

 私も、一番は白い花。
今、白鷺の飛ぶ様そっくりの、サギソウが涼やかに咲いている。
一人で見るのは、もったいなーい。お隣の田中のおばあちゃんが、毎日見て、ほめてくれるけど・・・。

 山野草栽培暦は、もう10年以上かな?
 はじめは、どんな草花もそれぞれの、かわいらしさ、美しさがあり、手を広げすぎ、500鉢こえて、管理できなくなり、好みを絞ってきた。今は250鉢ほど。ずいぶん、庵の庭に、路地植えにしたから。

 好みは ちいさきもの。和風のもの。涼やかなるもの。疎なるもの。

 イカリソウ、風知草、日本ヤマアジサイのコレクションを中心に、路地には、カワラナデシコ、シラユキゲシ、センノウ、等の草花をはじめ、椿、夏椿、ニワナナカマド、などの花木。もみじ、ヤマボウシ、くろもじなどの落葉雑木・・・全部は書ききれない。

 母屋の庭には、欲張って植えすぎたから、今度は、計画的に厳選して・・・と思っているところ。

 画像を取り込めるようになって、「季節のくさばな  写真館」のページを作るのが当面の目標のひとつ。
 あのかわいらしさ、ぜひ見て欲しいのだ。一人で見るのはもったいなーい!
 もちろん、庵まで来てもらって、「おりおりの ちいさな 花見   ナニナニ草の巻」と銘打って、静かに、上品に飲みたい!

 なんだ、やっぱり、寂しがりやだから、誰かを呼んで飲みたい!が本音か?

 いまは、涼やかなるもの。
 サギソウに加えて、イワシャジンとフウチソウがおすすめ。
 だれか、(の)みに来んかなあ・・・。 


 


2007.08.12 | | Comments(3) | Trackback(0) | ・山野草

NO.17 思い入れが強すぎると・・・

 思い入れが強すぎると、なかなか決断することができない
ということは、ある!

 去年の十月、ひょんなことから、建ててしまった‘庵‘で、半一人暮らし。
 妻や娘たちに追い出された訳ではないが。

 庭に好きな木を植え、草花を植え、山野草鉢を並べ、金魚を泳がせて、一人さびしく、楽しんでいる。
門のところに作った棚には、ゴーヤが鈴なりで、毎日収穫しては食している。

 今日は、福岡もこの夏一番の猛暑で37度を超えたらしいが、わが庵には、涼しい風が入る。

 かねてから、この「心の庵」に名前をつけたいと思っているのだが、思い入れが強すぎて、なかなか決められない。

 金はないのに、ああでもないこうでもない、ここはこうしたいと、さんざん、我儘をいい、悠工房の湊さんに、形にしてもらった、こだわりの庵だ。

 「日本の家は夏を旨とすべし」という言葉もあるが、この涼しさは、今のところ、合格だ。

 自分の感性にピタリの空間で、思索する時間を持ちたい、が、取り掛かりの動機だった。が、それ以前に、俺は寂しがり屋だったんだということを忘れていた。

 入居1周年を前に、どうしても名前をつけたいものだ。
 ナントカ庵、ナントカ荘、、、ナントカ道場もいいな。それとも、居酒屋ナントカ?まさか!看板は2つあってもいいかも。使い方によって掛けかえる、多目的庵、、、。
 
 あ、思い出した。3番目の娘の名前をつけるとき、なかなか決められず、お7夜すぎてしまったこと。萌絵って決めた時、「もえ、もえちゃん」って、声に出して「よし、決定!」と、嬉しかったこと。
 「萌」は、芽生える、始まる、よろこぶ、という意味。
 やっぱ、意味、大事だもんな。

 だれかあ、名案ないっすかあ。
 しばらく、公募しまーす。 
  
 

2007.08.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅠ

NO.16 きょうはミホチャンの、還暦祝い

 
 きょうは、ミホチャンの還暦祝い。
仲間たちで準備して、飾り付けて 進行。

 主賓は、腰が痛いと少し遅刻はしたものの、散髪もして 小奇麗になって参加した。
 みんなからのプレゼントや、お祝いのメッセージが続く。
ミホチャンのコメントが入る。

おかしいな、えらい饒舌だなと思うと、案の定、一杯ひっかけてきやがった。

あまりやかましく言うわけにも行かず・・・!このバカチンが!

プレゼントの赤いポロシャツに ビールで顔も赤くなり、終始ご機嫌だった。

一人暮らし・・・、寂しくもあり、気ままでもあり、不便でもあり、不安もあり・・・。

 60年生きてきた。支え、見守ってくれる人たちのお陰で、一人暮らし暦も10年近くなる。これからも、生きていく。
 支える方はもっともっと大変になっていく。

ともあれ、今日まで生きてきた くぎりの祝い。


 明日から、1週間ほどの夏休み。
長い休みは、家族も仲間たちも大変だろう。

職員は、つかの間一息入れる。
 

2007.08.11 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅠ

NO.15 急きょ、「しまむすめ」を愛でる会!!

暑かあーっ!
昨夜、急きょ、「しまむすめ」を愛でる会。
スリーピースコミュニケイションズのクボチャン、まつおくんに、わがくがさんの4人。

「ボクハ、ボクハ・・」と、クボチャン。「俺はな、俺はな・・」と、私。・・・9時スタートで、2時過ぎまで。

「しまむすめ」ほぼ1升空けちゃった。

最後は、石井ちゃんに出動願い、家まで送ってもらったりして・・・。

夏は、次の日が、こたえるー!

TPC諸君。残暑お見舞い申す。
今度は、ゲルも一緒にやろうか!

2007.08.10 | | Comments(4) | Trackback(0) | ・のんべえの詩(うた)

NO.14 やさしい作業所職員は、すかんっちゃん。

今日は、私用で休み、夕方から陶芸教室もあるので、はやめに、職員終礼に間に合うように出てきた。

 一日の報告を聞く。
まあ、毎日毎日いろいろあるわ。
こんな時、決まって「俺がいるときは、こんな事ないんだが・・」という事がある。
 要するに、「たががゆるむ」のだ。
 
 「知的障害の人は、素直で心がきれい」と、よく聞く。
確かに、そういう人もいるし、そういう場合もある。
 現実は、人の顔色見たり、うそついたり、ずるかったり、強い者にへつらったり、陰日なたがあったり、弱いものを押さえつけようとしたり・・・およそ、世の中に転がっているいやな面も、それぞれに持ち合わせている。
いい悪いは別に、彼らなりに獲得した「生きる知恵」である。と、私は、見ています。

 彼らとて、この社会の現実の中で生きてきたのです。
美しい、無菌の「ハウス」で、純粋培養されて来た訳ではありません。

それらが、知的障害と複合するところに、単純には行かない難しさがあります。

 ・・・、ともあれ・・・。
 こんな時、そんな報告を聞くたび、
「なんや、おれはだだの怖い監視人か」
と、愕然としてしまう。
 「あーあ、いやな存在!こんな存在になりたくて作業所作ったんじゃないのになあ・・・」

 ま、一人ぐらい怖い人もいていいか、いやな役回りだ、などと言い聞かせて、諦めている。

俺、ほんとは、優しい作業所の職員は、あんまり、すかんっちゃん。と、ひがみつつ・・・。
 
 

2007.08.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論

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軟弱オヤジの「硬派道場」へ、ようこそ。障害者作業所所長やってます。福祉や政治、日々の思いを気ままに…。
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なお、気が弱いので「道場破り」はお断り。
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