NO.45 「共感する」と言うこと。理解すること。
人と関わるこの仕事は、「共感すること」が大切だと言う。
最近ふと、共感するって簡単に言っても、それは結構難しいことだと思うことがある。
相手を知ろうとする時、その人の過去や生い立ち、障害の様相やその時々の状況など、出来るだけ多面的に総合的に、集団的な議論もしながら理解しようとしてきた。
そうして、仲間たちが目の前で起こす問題行動や、勿論プラスの行動についても理解しようと勤めてきたが…。
得てして、「とあるその件」に関して、かなり合理的に論理的に「解釈が出来た」というレベルの理解に終わってないか?
何十年もやっていると、経験主義的にも「上手く」やったり、処理したりすることがある。
一人の仲間が何かの問題を起こす。それは多分こうこういうことだろう、と説明がつく。かなり相当な説得力を持って。
最近、何かが違うと思う時や場合がある。
「しょうがないな」「なにやってんだろうな」という価値観がくっついた「説得力ある」解釈、説明がある。揶揄的であったり、諦め的であったり…。
受容的になれなかったり、「そういうことじゃないかな」と言う程度の解釈であったり…。
その基本、奥底に人間的ないとおしさへの共感がないような、そんな技術的な表面的な理解で、済ませてはいないだろうか。
上手く表現できないが、自分をまな板に載せるとき、仲間たちときちんと向き合えていると言い切れない、軽い薄い自分が見え隠れする。
抽象的だが・・・今日は、つぶやいておこう。
2007.09.03 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論
