NO.54 映画『ヒロシマ ナガサキ』を観て来ました。
久しぶりに、映画館に足を運んだ。
日系3世のスティーブン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」が,KBCキネマで上映中だ。
1931年日本の満州の満州侵略開始から、41年12月8日真珠湾攻撃、45年8月6,9日の原爆投下まで、米国の資料映像で追う。
そして、「8月6日と9日 広島と長崎に原子爆弾投下 戦争で唯一の使用例である」「直後の被爆地の写真や映像は米政府が25年間公表を禁じた」のテロップ。
原宿の雑踏、バンドに興じる若者たち。
「日本の人口の75%が1945年以降に生まれた」のテロップのあと、「1945年の8月6日に何が起きたか?」のインタビューに、知っている若者は誰もいない…。
オカザキ監督が、500人以上の被爆者に会い、30人のインタビューを撮影したうちから、14人の被爆者と、原爆投下に関わった4人の元空軍兵士のインタビュー、記録映像などで構成されたドキュメンタリー。
「ドキュメンタリー映画とはシンプルなものです。」
「私にとってヒロシマナガサキ以上に迫力があり、心をかき乱し、感動的な物語はありません。苦痛、葛藤、真実が、被爆者の言葉に、表情や瞳の中に表れています。彼らは核戦争の脅威をじかに体験した人々なのです。この物語はあまりにも強烈なので、私たちが登場人物をありのままに率直に写しだすだけで、それぞれの人物からの反戦のメッセージが、おのずと、より深く個人的な方法でかもし出されるのです。」
「・・・ナレーションやコメント、学術的、政治的な解釈は一切ありません。あるのは、14人の被爆者の体験だけです。・・・これらの人々が、原爆投下の日にいったい何を見、何を感じたのか、そして原爆によって彼らの人生がどのように変わってしまったのかについて語っています。」
「被爆者はわたしたちそのものなのです。・・・彼らにおきたことは、誰にでも起こりうることなのです。
私たちは現在、不確実な時代に生きています。核兵器の脅威は現実のものであり、恐怖に満ちています。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はないのです。」
以上、監督のあいさつ文から引用しました。
被爆当時の自分の写真を手に、ジッとカメラを見据えて、一言一言語る証言者たち。
シャツを脱ぎ、裸の上半身を見せながら、谷口さんは、
「この骨はですね、非常に薄くなっていますから、うっかり大きな咳でもするとすぐ折れてしまうんです。その中でこうして、傷をさらけ出して話さなきゃいけないということは、再び被爆者を作らないため」
と語ります。
カークさんは、
「何人か集まると、必ずバカな奴がこう言う。『イラクに原爆おとしゃいいんだ!』核兵器が何なのかまるで分かっちゃいない。分かってたら言えないことだ」
下平さんは、
「体の傷と、心の傷、両方の傷を背負いながら生きている。苦しみはもう私たちで十分です、といいたいですね。」
証言は静かに結ばれ、きのこ雲にテロップが重なる。
「現在 世界には広島型原爆40万発に相当する核兵器がある。」
あれから62年。
核の拡散、核戦争の危機が深まる一方、人々の無関心や、「被爆者が死に絶えることを待っている」かのようなこの国の政治のあり方を前に、被爆体験の空洞化が危惧されている。
「その時死んじゃった人は、まあ不幸にしてあれだけども、私は生き残った被爆者のほうが、もっと苦しかったと思っています」(病院で診察をする肥田医師)
「登場する人々はとても率直で、自分たちに何が起きたかについて話をしたがっていましたし、物語を共有したがっていました。私は誰一人説得していません。」(監督)
いわれなき差別と苦しみと対峙しながら、60年を生き抜き証言する彼らの勇気と願いを、人類の明日への警鐘、未来への希望として生かさなければならない。
関心がなくても、必ず、関係するのだ。
追記
この「ヒロシマナガサキ」は、今年8月6日、
全米でテレビ放送されたらしいが
その反響は どうだったんでしょう?
「原爆投下は、戦争終結を早め多くの命を救った」
これが、アメリカ人の常識であり
そう教育されていると聞く。
日本にも
「だから仕方なかった」
と迎合する風潮もある。
気になるところだ。
2007.09.09 | | Comments(1) | Trackback(1) | ・9条・平和Ⅰ
