人を探しています。こちらをどうぞ→
岩田和輝君捜索願横浜市の障害を持った12歳の少年です。早く見つかりますように。
今年最後のエントリーです。
先ずはこちらを→
仲間達の「一年の振り返り」とくいさんが、頑張ってHPにアップしてくれました。
ちょっと長いですが、ほぼ生の仲間達の発言です。お時間許す限り、よろしく。
さて、ここで私も1年を振り返り、ということころだが・・・、気軽に書いてみたいと思う。今年の手帳の1ページ目に、次のようなことを書いている。(公開できる範囲でアップ)
①
新聞を良く読んで、
世の中を、もっと
自分の言葉で語れるようにする。
② 自立支援法に基づく事業移行を、8月に行う。
③ 作業所論・福祉論を、「自立支援法」との闘いの中で、わかりやすく深め広げる。
④ 陶友のホームページを立ち上げ、発信する。
⑤
自分と向き合う時間、思索する時間をつくる。
⑥ パソコン使えるようになって、文章化する。
⑦ 「わかりやすい、
あたたかい、
やさしい、真剣、かっこいい」をモットーに。
⑧ ・・・・などなど。(以下は内緒)
仕事では、自立支援法に基づく事業移行。
何とか8月に移行を完了した。困難は続くが、闘い続けるのみ。
その他諸々は、ブログという物を知って、手に入れてから、
これを書く活動を柱に、有機的に効果的にいい方向に向かった。
勿論こんな物が存在の全てではないし、訪問者の量は微々たるものだ。
しかし、これは量の問題ではなく、
自分の生きる姿勢の問題として、今のところ有効だと言うこと。
関心を持って、読んでいただいた皆さんや、コメントいただいた皆さんに、
心からお礼を申し上げます。
国内の政治や国民生活を振り返ると、なんと言っても参議院選挙における自公の大敗と、安部内閣の投げだし・崩壊である。
80年代中曽根内閣以来、徐々にその姿をむき出しにしてきた
新自由主義は、小泉内閣で全貌を
国民の目の前に表し、その牙を突き刺した。それを、「戦後レジュームからの脱却」で体制的に固めようとしたのが安倍
政治である。
国民は、全面的とは言えないが、反撃を開始したと見るのが、希望的ではあるが、現局面の大局だと思う。
多少の修正はしつつもこの路線を踏襲しようとする福田内閣は、難航している。
難航こそは、自民に後継者が居ないとかいう理由ではなく、
国民の力が働くという
政治の力学の表れである。
肝炎問題や自立支援法などの福祉分野での譲歩にもそれは現れている。
「偽」が、今年を象徴する漢字に選ばれた。モラルハザードである。
儲かれば、安全もルールも無視。
新自由主義は、人間そのものを経済的にだけでなく、精神的に蝕むところまで来た。
「偽る」行為が蔓延した。
それに終わるだろうか?
問題はその行為の底にある、人間存在のあり方そのものにあるのではないだろうか?国民生活のリアルな現実から、このことを検証し告発することが今特に重要のように思う。
以下は、NHK「ワーキングプアⅢ」について書いた記事で紹介した2人の言葉である。
記事はこちら
→「NHK ワーキングプアⅢを観て」参照。
釧路の職安の支援で、障害者施設で嘱託として働くようになり、
正規職員になりたいという母子家庭のお母さんが、
「私は社会の邪魔者ではない、私も生きていてもいいのだと思えるようになった。」
と語っていた。
堺市だったかなあ、清掃業務の委託事業に参加できるようになった青年。
以前は、捨ててある本を拾って売りながら、パンをかじっていた。人目を避けて生きていた。
今は貧しくも、食堂で食べ、銭湯にも入れる。顔を隠して生きることもなくなった。
以前のインタビューに「生まれて来なければ良かった」といっていたが、
今はどうかと聞かれて長い間の無言と慟哭の後に、嗚咽しながら、
「前だったら絶対泣かなかった。人間らしい感情が戻ってきた。一人でも多く自分のような人を救いたい。」
・・・ワーキングプアは、「浮浪者、不労者」の問題ではない。
真面目にふつうに働いても貧困にあえぐ人々のことだ。
これは、経済問題を通り越して、人間の尊厳に関わる問題であることが、映像を通じて描かれていたと思う。
気楽に書くつもりだったが・・・、ちょっと気合いが入りすぎ、
このまますらすら行かなくなってきたばい!
これは、このブログと私の今後の課題に結びつく話になってくる。
つまり、結論的に言えば「人間とはなにか?」「人間らしく生きるとはどういう事か?」が問われていると言うことである。
「人間らしさ」は、働くこと、「労働」と切り離しては考えることは出来ない。以下は、私がこの作業所を立ち上げるときの呼びかけからの引用で、いわば初心である。
私の初心全文は
→過去ログ参照下さい。5)、本来、人類の発生史からしても、「労働」こそがまさに「人間発達の源泉」でした。労働こそが社会的富を生み出すだけでなく、その主体=人間そのものの発達を保障してきたと言えます。
しかし、今日では「労働の産物」から疎外されるだけでなく、
命までも疎外される、労働が人を殺す(過労死)時代になって来ています。
そうした時代にあり、障害を持つ仲間たちの、働き、社会参加を目指すなかでのたくましい成長は、人間にとって働くことの意味を改めて問うことになるでしょう。
人間らしく生きて働く(このすこぶる今日的なテーマ!)。
より自由に、より個性的に個々人が全面発達への取り組みを展開するという、ささやかな実践の試みが私たちの目指すところとなるでしょう。
私は、職員6名、利用者16名という小さな障害者施設で働いている。
この人達と関わる日常から見える「人間」を、「
人間らしさ」を世に問うのが、私の主戦場である。
来年は、初心に返り実践を深め、事実を持ってこの社会に切り込みたい!と言うことだ。
変革のために!雑な展開になり・・・尻切れトンボになりましたが、
来年につづく!ということで、お許しを。
今年は、これにて打ち止め。
みなさん、どうぞ良いお年を お迎え下さい。
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テーマ:自己紹介 - ジャンル:ブログ
2007.12.31 |
| Comments(0) | Trackback(0) | ・あいさつ・自己紹介
大晦日です。この冬1番の寒波です。
裏山の背振山が、薄く雪をかぶっています。
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岩田和輝君捜索願横浜市の障害を持った12歳の少年です。早く見つかりますように。
信君のことについては、今年のうちにまとめておきたい。 これまでのことはこちら
→過去ログを参照。信君は、私の助手として
陶芸教室のお世話をしたり、仲間達のお兄さん的役割を果たしたり、自分のろくろの修行をしたりと、それまでとは違う立場で参加する日々を送っていた。
ところが、お父さんの退職を機に又新しい選択が求められた。父親は
退職して、郷里の雲仙に戻り農業をするという。
そこで、信君も一緒に行き、農業を手伝う傍ら、
陶芸を続けることになった。
本人もさんざん悩み、親御さんも私たちも悩みながら話し合いを重ねた。
今の形でゆっくりと次の
一歩を探ろうという私の思い。
親御さんや本人の不安・・・。
どうしようもなく先の一歩が見えないときも、踏み出さなければならない時がある。生身で生きていくと言うことはそう言うことである。
98年の3月を限りに、彼は陶友をやめて父親とともに雲仙に引っ越した。
その年の10月、仲間の旅行は「雲仙島原方面」に決まった。
仲間達が決めたのだが、職員のかなり意識的な「誘導」もあった。
信君に会いに行こう、である。優しい彼は、仲間達にも慕われていた。
たまたま、もう一人無認可時代の仲間N君も、島原に転居していたので、2人の友への再会の旅と言うことになった。
後ろに普賢岳、眼下に不知火海、山の中腹ののどかなところであった。日焼けした彼は、いくらかたくましく成ったように見えた。
古い家で、みんなでお茶をいただき、あの何とか豆腐(名前を思い出せない、つるんとして美味しいあの豆腐、なんだったっけ?)をいただき、休憩を取った。
敷地の奥には、小さな窯が据え付けられていて、ろくろがあった。
細々とながら、ろくろをひきながら暮らしている様子が、切なかった。
陶芸が好きでも、唯ろくろをひけば満足できる物ではない。そういう自分をどう社会と結びつけていくことが出来るか。
「
陶芸教室もしているが、田舎なので・・・」と彼なりに頑張ってはいる。
しかし、彼の技量と田舎という条件は、その先をなかなか見せてはくれないだろう。
そう思うと 切なかった。
彼は、気遣ってくれたのだろう、案内をかねて、1日付き合ってくれた。手元に写真がある。
雲仙の温泉の湯煙をバックにした、その時の集合写真。
信君はぽつんと後ろにいる。仲間の顔ではない。
寂しそうに、不安そうに、静かに立っている。
空気が違う写真を後で合成したかのようだ。
その後は、陶友時代に、彼の十八番で売れ筋だった作品を、こちらから発注し少しでもお金に換えてあげれるようにしたりしながら、細々としたつきあいが続いた。
時々、あの美味しい何とか豆腐や、特産のジャガイモを送ってもらったこともあった。
去る者日々に疎し、である。殆ど音信もなくなった。
先日、数年ぶりに、発注の電話を入れた。
お母さんが「今はもう、
陶芸はしてません。」という。
?・?
「愛知に行って季節工で働いている」という。自動車関連の日雇い労働をしているそうだ。
社員を
派遣に切り替え、下請け孫請けを支配することで、世界のトップに踊りでたあの自動車会社の関連だ。
仕事があるとはいえ、明日をも見えない「ワーキングプア」として、彼は働き、生きている。世の中という物はなんと過酷なのだろう。
信君の日々に、
笑顔はあるのだろうか?
明日という、
希望はあるのだろうか?
友達はいるのだろうか?
「明日がなければ、人間らしく生きることができない。」
「ひとりぽっちでは、人間らしく生きることができない。」人間発達研究所の田中昌人はこのように述べている。
関心のある方はこちら→
過去ログ「人間らしさについて考える」をお参照。先日の陶友祭には、お母さんがわざわざ、挨拶に来てくれた。一升瓶を下げて。
信君は、この年の瀬をどこで、どんな思いで迎えているのだろうか。
寒さが身にしみる。
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テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.31 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
人を探しています。こちらをどうぞ→岩田和輝君捜索願
横浜市の障害を持った12歳の少年です。
この件に関し、
多くの善意の方が、関心を寄せていただきご協力いただいています。
お一人ずつお礼に伺うことは出来いませんが、この場でお礼申し上げます。
いよいよ今年も
大晦日。
昨日は、求めてくれる人があり、
年越し用の蕎麦を40食ほど打って何人かにお届けした。
有難いことに、
正月用にと、お酒「久保田・千寿」を頂いたりして、数百円で数千円を釣った様な・・・。
喜んでいただければそれだけで、嬉しかったのに。
夜は、テレビで「武士の一分」を観て、ゆっくりした。
藤沢修平はいいなあ、山田洋次はいいなあ。
今年の
正月は、
家族皆それぞれ。
おっかあと4女は、老人施設から帰宅している爺様の介護で昨日から実家。
次女は、夜勤続き。高齢者施設で、シフトが組めないそうだ。
それでも、お年より好きの娘は苦にする様子もない。我が娘ながら、気持ちのいい娘だ。
長女は、お気楽にニューヨークに旅行。マイペースだ。日ごろの仕事が大変だから、いい息抜きになれば。
プー子の3女は、大掃除など家事をせっせとやっている。
鹿児島のばあちゃんからの贈り物の中に、
お年玉を見つけ喜んでいた。
「私がまだ、働いていないからだ・・・」とか言いながら。
子どもたちが、働きだす前までは、盆も
正月も必ずそろって、両方の爺婆さんのところに顔を出していたが、寂しがってるだろうな。
鹿児島からの宅配便には、薩摩地鶏の刺身とつけあげ(さつま揚げ)、
お年玉などが入っていた。
昔の田舎の
正月は、親戚中が集まり賑やかだったのに・・・様変わりです。
今年は一人で静かに年をとって見るのもいいだろう。
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テーマ:年末&お正月 - ジャンル:日記
2007.12.31 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅠ
横浜の、迷子になっていた障害児岩田和明君は、昨日千葉で無事発見されたそうです。
2008年1月9日 更新
いや、無事ではなく事故がきっかけのようです。
詳細はわかりませんが、「接触とのことですから、ここは「怪我の功名」と、いい風に解釈したいものです。
以下ホームページ情報です。
ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
もしご自分のブログで呼びかけ頂いた方は、発見情報を周知してくださるようお願します。
田和輝のホームページ
[最新情報]
08.01.08午後8時更新
1月8日
岩田和輝が無事保護されました。千葉県四街道市にて接触事故に合い、交通事故の加害者から父親に連絡が入ったのをきっかけに保護に至りました。
皆様の御協力と御努力のお陰です、心より感謝申し上げます。有難うございました。
休みでゆっくりしながら、ブログサーフィンしてたら・・・、
もっと早く気がつけば良かったんだけど。
少しでも力になれないかな・・・?
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岩田和輝君捜索願障害を持った12歳の少年です。
弱小ブログではどうしようもないですが・・・。
今からメジャーなブログにも協力お願いに行きます。
追記ⅠFC2のランキング上位のブログには、各ジャンルとも一応お願いに回りました。
以下の内容です。
はじめまして。
弱小なブログにはどうしようもありません。
障害を持った少年が行方不明で探しています。
そこで、
沢山の訪問者を持つブログにご協力をお願いに回っています。
どうか記事の中で紹介していただけないでしょうか。
よろしくお願いします。捜索願が出ているURLです。
http://ns.mediagate.co.jp/kazukikun/
コメント欄にリンクの貼り方が解らない初心者なので、お手数掛けます。
もしくは私のブログに、リンクは貼り付けています。
これは、ランキングを見て、お願いしています。
どうぞ、力を貸してあげてください。
・・・後で考えたら、事後情報まで責任もてるのか・・・、不安になってしまいました。
出しゃばって、かえって迷惑掛ける人が沢山出るのではないかと・・・。
私も、何回か利用者が行方不明になり捜索した経験があります。
迷ったら動かないようにと言うのが、日常指導の原則ですが、
不安になって動きます。初動が鍵ですが、岩田君の場合は時間が経っています。
私は事情の説明はしません。情報源は1つの方が正確です。
紹介しているサイトは、親御さん公認のものだそうです。
日々更新されている模様です。
今後は、そちらの方を注目願います。地元で配られているビラです
。→地元警察の公開したビラです。無事を祈ります。
追記Ⅱ後で、これをチャンと言わないかんと気がついた。
このことを知ったのは、数日前に、人気ブログランキングに登録して、
この人のブログを昨日見ての事です。→
福祉屋あおいのブログ信頼できるソースです。
最初に書くべきでした。初心者はおたおたするよ!
テーマ:伝えたい事 - ジャンル:ブログ
2007.12.29 |
| Comments(11) | Trackback(3) | ・このブログについて
今日から冬休み。
9時間も寝て、寝疲れ気味です。
で、のんびりしながら、紹介したいことがありまして・・・
このページの1番左下に
「福岡のホームページ制作会社はTPC」が、バナーとともにリンクが貼られています。
我が弱小ブログも、ここで宣伝に一役買ってみたいと思って・・・
数日前にアンケートの取材に来ました。
早速アップされていますので、どうぞ。
こちらです→スリーピースコミュニケイションズ
丁寧で親切です。PCちんぷんかんぷん者でも、
手取り足取り助けてくれて、アフターもとてもいいです。
福岡近辺の方(遠方も相談できるそうですが)で、
HP作りやバージョンアップを検討中の方は是非、相談してみてください。
気持ちのいい若者達が頑張っていますよ。
お暇な方は、こちらを→過去ログ・彼らの紹介です・
飯、菓子、酒・・・等があれば、親切に磨きがかかるかも・・・ははは。
よろしく。
なんだか急に、年の瀬気分。
あわただしい時に、すんましぇ~ん!ポチッと応援して下さい。ふ・た・つ・と・も。 ↓ ↓
テーマ:伝えたい事 - ジャンル:ブログ
2007.12.28 |
| Comments(9) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅡ
今日は、仲間たちの仕事納め。
大掃除をして、1年の反省会。
仲間たちは、自分の頭で「1年」と言うくくりで考える事が難しい。
先ずは職員が時系列的に、時間をかけて1年間のことを話し、みんなで振り返る。
そして次々に発言します。
少しだけ紹介すると・・・。
先ずはアイちゃん。
「一年は、絵付け・・・温泉に言ってカッチャンとか、ガラス工房に行って、ふぐの花びんを作りました。写真をとりました。ホテルに泊まって、温泉に行きました。・・・ほらほら、、階段がって、ハチがおったやん、そして、ほらほら・・・あれ、あれよ(旅行の話が続きます)」
次は、ミホチャン。「今年、嬉しかった、事。仕事が、いろいろ、プレスとか、つるつるにする奴。印刷とか仕事が増えて、嬉しかったです。・・・ヘルパーさん、イライラする事が、あります。ごみを、袋に、詰めすぎて、重かです。」
お次は、カゴサン行ってみますか。「一番楽しいと言うか、リヤカーいって頑張りました。お客さんに、寒いのにがんばるねえって言われて感激したね。お客様は神様やけん逃がしたらいかん。・・・(延々と演説しアピールし始める)」
ここで、トモクンが張り合います。
「あっという間の1年でした。殆どは人間関係がうまく行ったようないかないような、僕の中では爆発寸前まで行くかなーと思う時もあって・・・、仕事は、ゆとりをもったお陰で、信じる心で発揮できたかなあ、カッちゃんは成長したかなと思いました。障害者を助けるために応援する事が必要かなと・・・(チンプンの張り合い演説です)」はい、わかりました!
オサチン。
「1年間の反省は、旅行に行って宴会係りをした事が楽しかったです。神社に言った時とくいさんが、僕のために字を読んでくれていい勉強になって・・・(必ずとくいさんが入ります)云々・・・]
マイペース・ジュンクンは、
「夏越祭りに行きました。陶友祭ありました。クローバープラザに行きました。バザーに行きました。西新商店街に行きました。素焼きの窯出しと本焼きをしました。絵付けを書きました。囲炉裏の跡かたづけしたり、掃除をしたりして、とってもきれいになりました。友さんと、ゆうゆうの人と蕎麦うちをしました。旅行に・・・(頭の中の映像をたどりつつ、2語分の報告が続きます)とっても楽しかったです。」
15人が延々と発表します。1時間の予定が、1時間40分。
職員はもっと上手に、援助せんかなと思いつつ、
みんな言いたくてたまらないのだから、ま、いいか。
キリがないので、報告は中略。
後日ホームページにまとめたらお知らせしますので、よろしく。
最後の締めは、トノ。
「マグカップ。がんばった。ラーメン!」
で、後は、買出しして、忘年会。
自治会でやると言うのに、しゃべる時はしゃべくりまわって、いざと言うときは職員を当てにする。だから、今回は職員は、買出しの車だしと、おにぎり作りの援助だけ。
食事の席も別にして自分達だけでやらせる。
冒頭、12月生まれのカッちゃん、アイチャンの誕生会。
で、忘年会。みんなで食べてる。
食べて終わり。
彼らの忘年会は、「忘年会しようと、話し合い、係りを決めて買出しをして、準備をする、そしてひたすら食べる・・。」これが忘年会なのだ。
片付け、洗い物も自分達でやれよ!と、
見ると、オサチンとジュンクンが2人で洗っている。
が,あの、名前は言わないが、
でしゃばる時だけ口だけでしゃばる連中は知らん顔でおしゃべりして、たむろしとる!
友さん、久々で今年最後の爆発!
「2人で片付くか!でしゃばる時だけでしゃばって、こういう時は知らん顔!
こういうときにこそ進んでやるのが、値打ちのある人間や!バカチンガ!
そんな、でしゃばる奴が威張るような自治会なら、認めんからな。
みんなで、さっとやらんか!」
はい・・・チャチャチャット動き出しました。
後は、わずかばかりの一律1万円のボーナスを渡して、終わりました。
職員は、一部の仲間の休み中の生活援助がありますが、しばし息が抜けます。
仲間たちは・・・退屈な日が続き、親は大変でしょう。
休み中、よろしくお願します。
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テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
2007.12.27 |
| Comments(10) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅠ
昨日の忘年会は、唐人町の「ときかわ」で、普通の鍋を囲んで。
私は、もっと美味しい豪勢な鍋を希望だったが、皆近場がいいとの事で。イロケ無いなあ。
6人だから改めてという事も無いんだが、
とくいが「せっかくの忘年会なので、この1年を振り返って一言ずつ・・・」と仕切りだした。
で、記憶の限り(飲んだ時の記憶だからチョー怪しい)、かなり主観的だが紹介します。
先ずは言いだしっぺ、とくい。「とにかく楽しい1年だった。沢山学習もしたし、忙しかったけど楽しかった。」
←ツッコミは「ほんと、忙しくしてるね!元気がいいもの。」「頭に残っとうや?」
2番手は団塊の調理人、
「ん~?今年は物忘れがより激しくなって、カゴサンよりも覚えてないし・・・。食材をやりくりし献立を変えることもあったり、今日なんかは初めて作る料理で・・・(汗)」
←「みんな、給食が一番の楽しみで来てまーす!」「はーい、みんなでーす!」
次は、クリ、
「忙しく試された1年。ヒロコの事など、勉強してきた事が実践で試された。大変だったが、成長できて、益々やる気が出てきた1年でした。」
←「そうね成長したね。」「真面目なのはいいが、もっと柔軟に頭働かせろよ!」
お次は、ため息の事務員さん、
「請求事務が変わり特に初めの頃は大変でした。・・・(記憶が・・・!)」
←「・・・(ああ、記憶が・・・)事務だけでなく、物販やら、応援団ゆうゆうの事務局やら、何かにと、細腕繁盛記!ホントにお疲れ様。」
そしておかちゃん、
「えー、コロッケ作ってパン焼いて、コロッケ作ってパン焼いて・・・追いまくられて・・・」
←「アンパン、あんこが一杯ね!もっと高くしたら?・・・」「独立してパン屋さんやったら?」・・・ここら辺から、色々話は飛んで・・・「とにかくお疲れさん。」
最後に所長。
「エ~、コホン。・・・でありまして、一年間本当にご苦労様でした。」
いやいや、もう一言!
「自立支援法に基づく事業移行1年目。新しい仲間も加わり、ヒロコの件を含めて、更に忙しく大変な1年でした。話し合いを重ね、力を合わせ最善を尽くす事ができました。職員集団として確実に力をつけてきたと思います。団結は(6人以上の)力です。本当にご苦労様でした。」
「・・・個人的には、より深く物事を考えたり、すこし優しくなれた気がします。
ブログをはじめた事が、いい効果を及ぼしています。書くという事は、よく見ることよく考える事、書くに値する仕事と生活をするということ。」
お隣の席に、夏越祭りの実行委員長さんもおられ、
「今年の1番の思い出は夏越祭りでーす!のノリで突っ込みあったり・・・。
そんな感じでした。
席が9:30までだったので、「ときかわ」を引き上げ、陶友へ。
「熱いお茶でも・・・」と2次会が始まり、・・・多分12時ごろまで。
ここら辺の記憶は、殆ど皆無!
・・・今朝の職員の表情から推測するに、
ひんしゅくを買うようなことは・・・・・、
言ってないようです。・・・多分。ほっ。
12.10 ヒロコの作文
陶友のみんなは、みんないい人ばかり すきな人もいるけど きらいな人も みんなだーいすき みんなかぞくみたいだね みんなとしよりだけど げんきな人ばかり 作文する事は、ヒロコにとって、ある種のカウンセリング機能があるようにおもいます。さっき仲間の
忘年会用の
おにぎりを作ってたので、
「友さん用特性
おにぎりを作って!」と言うと、
調理人さんと一緒に、喜んで大きな
おにぎりを作っていました。
私は、「色々と頼み事をする」ことで、言葉だけではなく、行動で関わりあう事を、意識してしています。
多分、人に物を頼まれると言う事は、嬉しい事だと思います。
会話だけよりも、関係つくりは身体に沁み込むんじゃないかなあ?
なんだか急に、押し迫ってきた感があります 。
あわただしい時に、すんましぇ~ん!ポチッと応援して下さい。ふ・た・つ・と・も。 ↓ ↓
テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
2007.12.27 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅢ
職場で、上司が残っていると帰りにくい、という話をば聞いたことのあるばってん。
そげなことあるっちゃろうか?
俺は、どっちかちゅうと職員が残ってると帰りにくいけん。
「じゃ、先に帰るけんね!」といって、出かけてから、又戻ることがよくあるとよ。
何でか、解るや?
1人残ってると、
「ああ、ご苦労やな、悪かな・・・」と思いつつ帰ると。
ばってん、2人以上いると、
「俺が居らんごとなってから、俺の悪口言うとるんやないやろか?」と心配になって、
一度チェックに戻るとよ。
今日もクリとりょうこが、残っとった。
(ション○ンを忘れて)引き返し、
「お前ら、俺の悪口言いよらんか!?」と突っ込む。
「いいえ!」
まあ、口ばそろえて怪しか!
「もう早う、帰って寝りぃ!明日はデスマッチやぞ!」
「え~、デスマッチですか~?」
そうたい。明日は、職員の忘年会!
たっぷり、望年さしちゃる!
デスマッチですば~い!
3行日記・2007.12.25(水)窯だし、納品、通信折り順調。ヒロコが、早く席についてみんなと食事。「友さんの食器も一緒にかたずけて」に、こくんと「はい」。髪も洗ってもらい、カットして貰った。「友さんと同じくらい短くしてもらいぃ」と言うと、笑って「うん」とうなずいた。ほかの会話もスムーズ。本物ばい・・・。
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テーマ:今日の日記 - ジャンル:日記
2007.12.25 |
| Comments(10) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
今日は、最後の窯出しと納品。
納品先は、こちら→パーレンス小野屋さん。
悠工房のミナトさんに紹介いただき、売店で販売していただいています。
最初はせっかくの紹介だから(失礼)、と言う感じでしたが、
お客さんの評判もよく、結構売れるんですよ。
売店の方も好くして頂き、目立つ所に並べていただいてるようで。
通常は、月初めの納品ですが、今回は色気を出して、お正月客用に臨時搬入。
・・・渋滞に巻き込まれたそうで、今(6:30)帰ってきた。
合い間を縫って、資金つくりのための物品販売の品物の納品にもあっちこっち行ってます。
午後は陶友通信no.111の発送準備。
2500通のダイレクトメールです。
今回は、署名用紙も一緒なので、ちょっと手間がかかりますが、
明日には発送できるでしょう。
ここでは、前回分も合わせて本日アップ。こちら→陶友通信 NO.110 NO.111
先ほど、スリーピースコミュニケイションズで、アップしてもらいました。
(大きなスキャナーが無いので、サービスして貰ってます。
お礼に「大原松露饅頭」を持っていったら、喜んでくれました。)
陶友祭、仲間の旅行の報告や署名のお願いなどなどです。
ぜひお読み下さい。
友さんも、ほろ酔いの画像でちぃさく登場しています。
仲間と「陶芸一直線」(柔道一直線の替え歌)を踊ってます!
ご感想などいただければ、嬉しいです。
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テーマ:福祉のお仕事 - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.25 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・陶友通信
信君のこと(3)
私は、事を具体的に進めた。
正式に、雇用形態は取れませんが、「俺の助手ということでどうか?手当ては月5万円。」
「仕事はこれまで通りに自由に作品つくりをしていいが、
陶芸教室の指導に入ることと、陶芸班の仲間の朝礼終礼などを援助すること。」
知的な障害のない彼には、色々とこざこざした用事も頼むことが出来た。
彼は「お兄さん」的に仲間たちと関わるようになった。
陶芸教室は当時週に2コマ、水曜は昼間だが、木曜日は夜9時までで、帰り着くのは10時半になった。
ただの居候敵存在ではなくなり、彼は、日に日に明るくなっていった。
教室の人に教えながら、人と関わることも増え、そう言う面でも彼は自信を深めていった。
作品つくりの方も、当時陶芸のボランティアで来ていたT氏にお願いして、本格的に轆轤(ロクロ)を教えてもらっていた。
そうこうしながら、信君は見違えるように、落ち着いていった。
問題の手当てだが、5万円は陶芸教室の受講料収入から出すことが出来た。
信くんが、陶芸教室の有償の講師という事だ。
これは、施設会計とは別で、応援団の事業活動の一環だったので、そういう自由な支出が可能だった。
陶芸教室に関わることは、彼の精神衛生上も特にいいいい効果をもたらしたようだった。
普通に人と一緒に活動をし、交流する。
教室の人たちにも事情は理解してもらっていたので、優しくしてもらった。
ロクロの腕も日増しに上達していた。
このまましばらく進めば、精神的にも安定し、力もつけ(特に対人関係の)、就職に挑戦する日も来るだろうと、私は安堵していた。
・・・しかし、問題はそう易々とは片付いてはくれない。
一歩進めば、また新しい景色が見え、また新しい山があります。
次の課題がそびえていました。
話しは横道にそれますが、陶芸教室の話なのでついでに。
陶芸教室は、今は細々ですが・・・。
当時は気合を入れてやってました。(いや、今いい加減ということはないと思いますが・・)
地域の子どもたちや、PTAのお母さんたち、色々な団体のレクレーションなど、
結構にぎわっていました。
それは施設の地域開放と交流のための役割と共に、
貴重な自主財源つくりの活動でした。
建設費のうち、社会福祉協議会に借りた500万円とその利子は、
10年かかって、この教室の受講料収入できっちり完済出来ました。
借金からは解放されました!
ひかり後援会や法人に頼らずに、作業所の資源を活用して自力で返済できたことは、気分的にかなりスッキリしたものがあります。
(この自力返済ことは、法人や関係者の中でも余り関心ももたれず、知られていないと思います。金がない金がないと言えば、知られますが・・・。だからスッキリ・・・かな?)
なかなか思うようには行かないものです。信くんはどうしても止めなければならなくなり、次はお別れについて書きます。・・・ ポチッと応援して下さい。 ↓
テーマ:福祉のお仕事 - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.25 |
| Comments(8) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
夏休みの絵日記の宿題でもなかろうに、
・・・「今日は特に書くことがありません」→こちらの過去ログを参照。
今日はほんとに何もせずボーっと一日が終わった。
私の中では、今年の仕事は終わってる。
明日窯だし、納品。後は掃除片付けをしたり、年末残務処理。
26日に陶友通信の発送作業。夕方から職員忘年会。
仲間の仕事納めが27日。昼食かねて仲間の忘年会をするようだ。
ちなみに、仕事始めは1月5日(土)。
(ケロ子さん、お問い合わせの年末年始予定は以上です。)
後は、こなすだけで、組み立て考えることが終わっているので、
気が抜けたのかもしれない。
気が抜けて風邪引いて、休みが惨めになるってことにならないように、
油断禁物!
今日は、そうかクリスマスか、一応あいさつ、「メリークリスマス」・・・ ポチッと応援して下さい。 ↓
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2007.12.24 |
| Comments(1) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
信君のこと(2)
何のことはない・・・気を使って、肩身が狭かったのです。正式な利用者じゃないのに・・・と。
いや、本人にとっては重大なことです。
「いいじゃない。給食代は払ってるし、手伝ってもらってるんだから・・・」
なかなか納得してくれません。
何のことは無いなどとは、浅はかな私の読みでした。
ことはそう単純ではありませんでした。
「いつまでも稼げずに、家族に迷惑をかけている」ということこそが、大きな問題でした。
・・・そんなこと言ったって、就職できないんだから仕方ないだろう・・・なんて言えないもんな。
そこでまた、相談しました。
親御さんは、とてもまじめで一生懸命で、「そんなことは考えなくてもいい、好きな陶芸を楽しくゆっくりやればいいじゃないか」と言いますが、本人にとってはそう言うわけには行かないのです。
30過ぎて、親に寄りかかり・・・そういう自分を受け入れきれないのです。
みんな、そういう自分に又悩み、堂々巡りをしてしまうのだと思います。
・・・どうすればいいのか?
どうすれば、信君は、その重さから解放されることが出来るのか?
これには、悩みました。
ああ、金さえあれば、補助職員にでも採用という手もあるのだが、とてもじゃない。
こういう時は、ほんとに金が欲しくなり恨めしくなります。
「やっぱり、世の中金だよなあ」・・・。
「自分としては、大体どれぐらいあれば、とりあえず、親の世話になってるという気持ちは納まるのか?」
単刀直入に聞くしかない。
交通費(遠くから来ていたし、市外からで割引もなくそこそこの金額だった)、給食代、自由になる小遣い銭・・・、なかなか自分から言い出せる立場ではなかった。
「5万だったらどうや?」こちらから言うしかなかった。・・・遠慮しながらも、それぐらいなら何とか、という事になった。
さて、何処にそんな金があるんや?
彼が「世話になってる」気持ちを少しでも楽にし、自分の働きで稼いだといえる金が。
金は作るもの。
見通しなく「5万」なんて数字を挙げることは出来ませんから・・・。(つづく)
3行日記・2007.12.23(日)寝袋での2泊を終え、残りの蕎麦を打ち、だらだらと夕方帰宅。長女と三女のために蕎麦をゆでる。「久しぶり!」と喜ぶ。残りは夜勤明けの次女用。おっかあと四女は実家。「M1グランプリ」観ながらうとうと。娘たちは好きなようだ。一人で飲む気もせず、もう寝るわ。
「世の中金だよなあ」と思うことってありますか?・・・ ポチッと応援して下さい。 ↓
テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.23 |
| Comments(3) | Trackback(1) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
囲炉裏を囲む、蕎麦うち忘年会。
30数名かな?おなか壊したりで10名ほどキャンセル・・・ザンネン。
これまで最高の6キロ、約80食分。
お土産やお届けも含めて。
又腕を上げましたよ。見た目作品は。(自画自賛)
今回の味は、自分的にはいまいち、そば粉かな?
あと、やっぱり本格的な大きな窯が欲しいな。
沢山打つと、お湯が汚れて、湯で上がりが遅くなり味と香りが飛ぶ。
みんなそれぞれに一品持ち寄り。
手間隙かけて作ったり、参加できないからと届けてくれたり、
はたまた街の大型冷蔵庫からだしてきたり・・・。
色々あったけど、余り食べられなかった(残念)。
ヒロシさんが、9時間掛けて作ったという燻製を持ってきて、
「職人は、食べられないかもしれないから、確保して・・・」と、別に頂いた。
今冷蔵庫の中。今日帰って、ゆっくり賞味しようかな。
ありがとうございました。
仲間たちも6名参加して、挨拶。口々にお礼の口上を述べていた。
普段は、家の手伝いで早退するカゴサンも、「お母さんがいいと言った」と参加。
みんな、こんな風に「普通の一人」として参加するのが、嬉しいんだと思う。
酒に目がないミホチャンなんかは、「参加してよかですか?」と言うから、
「今から髭もそって、風呂も入りきれいにせんと、参加させんばい!」と言ったら、
小奇麗にさっぱりして、旨そうにチビリちびりとやりよった。
その気になってやれば出来るだろう、・・・やっぱ、酒で釣らないかんかね。
陶友の常連さんに、そばの席の常連さん、初めての方・・・、
「そばにはやっぱり酒だな」といい酒が集まった。
囲炉裏を囲み、みなさん、それぞれに盛り上がっていました!です。
職員は、ちょっと可愛そうだな。そば居酒屋の店員さんになって忙しいからから。まあ、これもおもてなしの勉強だ。どうすれば、気持ちよくしてもらえるか・・・。
ちゃんと美味しいもの食えたか?
ご苦労参でした。
職員の忘年会の時は、動かんで座ったままで、口だけ働かせればよかけんんね。
で、いつもの事だが、最後までなかなか帰ろうとしない人がいる。
3時まで囲炉裏を囲み語り合って・・・。歌ったり。
半強制的にタクシーに押し込み、・・・終了。
寝袋で2連泊。
10時に目が覚め、・・・飲んだ次の日っていつも、頭の中が空っぽ。
(飲まんでもいつもじゃないかって?・・・誰や!ま、似た様なもんだが。)
作業所やめたら、蕎麦居酒屋をやろうと思っていたけど、
毎日こんなんじゃ、たまらんな。趣味で時々ってことにするか。
片づけをして、そば粉が1キロ残っていたので、もったいない、
また打って近所の「友さん蕎麦ファン一家」にプレゼント。
半分は、たまには娘達にも持って帰ろうかな。
そんなこんなで、ブログを書いてるところです。
では、帰ろうかな、と見ると、酒が口があかずに1本あるやんか!
「出羽桜 純米吟醸」・・・こっそり貰うたばい!
今宵は、自宅の庵で、囲炉裏に火を入れて、
一人しみじみ・・・。明日は休み。何も荷はない。安心。
よしっ。帰ろ!
人が飲み食いした話なんて、面白くもおかしくも無いわね。
寛大なる読者の皆さん 。そこは大目に見てポチッと応援下さい。 ↓
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
2007.12.23 |
| Comments(13) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
数日前の早朝、友人H君の義母さんから、TELが入った。
年金の受給についての相談だ。
Hくんは、奥さん(Mさん)と、高校生の息子と義母との4人暮らし。
二人は、大学時代に学生寮の自治会活動を通じて出会い、結婚した。
二人は学生時代からの、私の友人である。
よく寮の部屋で議論しあったり、様々な活動に一緒に参加したりしていた。
Mさんは、学生時代交際中に統合失調症を発症した。
以後、30年にわたり30回以上の入退院を繰り返しながら暮している。
この間も、症状があまりよくない時だろう、「自費出版の本を取り扱ってくれ」とか、頻繁に電話がかかった事もあった。「夫がかまってくれない」と愚痴もこぼしたり・・・、他の友人達にも・・・。
結婚当初は、たびたび会うこともあったが、このところはご無沙汰である。
1昨年、是非にと招待されてお宅に伺った事がある。
往年の美少女の面影は無かった。
その彼女の、障害基礎年金が貰えるかもしれないという事での、義母からの相談電話だ。
今まで、障害基礎年金があることも知らなかったらしい。
そこで、障害が発症した日を証明しないと、認定が受けられないので、その件で認定委員会に引っかかっており、書面で証言して欲しいと言うものだ。
その障害につながる症状が出て、初めて受診した日が、20歳前である事を、2人の第三者が証明する事が必要だと。
病院に行っても30年前のカルテは無い。
無年金障害者問題というのがある。
今詳しく説明できないので、こちら→無年金障害者の会のサイトを参考にどうぞ。
Mさんの場合は、学生だったが、「学生無年金者」としてではなく、20歳前の父親の扶養の元での発症の問題であるようだ。
審査会から、20歳前の発症を証明できるかが、受給の鍵になるといわれているとの事。
第3者2名の、書面による証言が必要だと言う事での相談電話だった。
Hくんは、大資本の系列企業に勤め所得もそこそこで、家事は同居の義母が支え、経済的困窮はさほど無かったといえ、受給できるはずの年金が、知らなかったために申請せずに、貰えていなかったのである。
(病院のソーシャルワーカーは何してたんだろう!)
当時の記録は無いが、記憶はかなりしっかりしている。
私達は誕生日が2月で、H君が1日、Mさんが7日、私が8日と近く、その事が話題になってた事をよく覚えている。
彼女がもうすぐ20歳の誕生日だから、みんなで一緒にお祝い会をしようと話していた。
そのしばらく前より、彼女の症状は出ていた。
寮のH君の部屋に遊びに来ていた彼女は、夜に同じ事を何度も何度も繰り返し、遂には大声で歌いだし・・・心が壊れていくのを目の当たりにし、当時の私達は、なす術も無くみんなで朝まで見守るだけだった。
そんなある夜に、彼女は倒れて、私達はタクシーで彼女を病院に運び込んだ。
彼女が壊れていく時に発する言葉は、彼との付き合いに強いプレッシャーを感じている事をうかがわせるものだった。
好きでたまらないが、私は未熟でHくんのそばに並ぶ事はできない、でも頑張る・・・。
聞いていて痛々しかった。
優しい、ほんとに物腰から何まで優しいH君は、静かに聴いていた。
そして、数年後、H君は入退院を繰り返すMさんと結婚した。
あれから30年・・・。
当時の事を書面にしようと思う。
遠い記憶だが、誕生日が近かったという事が、確かな記憶をとどめてくれていた。
もう一人、これもH君としたの名前が同じで、優しい友人が書いてくれる事になった。
早く、申請が受理される事を願って。
PS. ヒロコが、昨日も今日も、みんなと同じ席でお昼を食べている。完食だ!
これって、大変なことですよ~!嬉しい。でも、一喜一憂しないこと。
少しずつ心を開くヒロコの記録は、カテゴリー「ヒロコのこと」を参照下さい。
身近にこんな問題で困っている人がいた。ついでに言えば、学生無年金者問題とは、まだ学生の保険加入が任意で、加入者が数パーセントしかいないときに、未加入だったから受給資格が無いと言う、まったく理不尽なものです。全国で裁判闘争中です。もし、そういう方に出会ったら、ご支援をよろしくお願します。
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2007.12.22 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・障害者福祉いろいろ
歴史(27)
ここで、信君(仮名)のことに触れておかなければなりません。
彼は無認可の2年目の途中から仲間になりました。
精神障害の30歳代の青年です。知的障害はありません。
細かな診断名については不明でしたが、比較的軽い統合失調症とうつのようでした。
服薬しながら、コントロールに努めていました。
就職に失敗して、家にいましたが、「陶芸を習いたい」と、陶友に来ました。
絵も好きだといっていました。
おとなしく控えめでしたが、仲間たちとも仲良くやってくれました。
当時、認可施設に移行するということは、「知的障害」がないと、利用できなくなるということでした。
縦割り行政の犠牲です。
(現在の自立支援法では、障害種別は問われませんが、当時は、種別の施設でしたから。だからと言って自立支援法が良いという事ではありません。同法については、応益負担が本質的な問題です。私の基本的な考えはこちらを参照下さい。→過去ログ「応益負担は許さない!(1)(2)」)
ほんとに黙々と一人で作るのが好きな青年でした。
認可になると「僕はやめなければならないのか?」彼は悩みました。
そのまま打ち明けて相談してくればよかったのですが、一人で抱え込んでしまっていました。
調子が悪く暗い日が続き、やっとそのことに気がつきました。
どうしたらいいのか?
制度的には、利用は出来ないのです。
制度が無いからと、切る事は出来ません。
必要と求められ、一緒にやってきたのです。
そこで私は、「ボランティアで手伝いに来る」という形にして、これまで通りに陶友に来られるように提案し、了解を貰い、来られるようにしました。
新築開所の最初の頃は、それで、特に問題もなく過ぎました。
しかし、だんだん作業所が落ち着くに従って、また彼の調子が悪くなって来ました。
お母さんに聞いても、どうも原因がよく解りません。思い当たらないというのです。
思い切って正面突破、直接聞き出すことにしました。
聞いてみれば、成る程です。又次には次の課題があるものです。(つづく)
3行日記・2007.12.21(金)今年最後の窯詰め完了。雨のため、バイクで帰るのは・・・と思いつつ、陶友通信版下つくり。年内には届けられる、安堵。が、バスもなくなり、諦めて今日は泊まり。明日は本焼きしながら蕎麦うち忘年会。40人は来るかな?飲み過ぎないように固く決意!
冬の雨には珍しくしとしと しとしと降ってます。・・・ ポチッと応援して下さい。 ↓
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2007.12.22 |
| Comments(0) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
大相撲界の、感心しない話が続いていたが、先日の朝、
テレビのワイドショウで、いい話が紹介されていた。
女子相撲の話。
鳥取県のある中学校の3年生、上田幸佳さん(15歳)。
東南アジア(国は忘れたが)で開催された第6回女子相撲世界大会で、
世界最年少出場で、見事3位になった少女だ。
170センチ、130キロ。でかい?周囲は180センチ、150キロ級だから・・・。
相撲でいじめを克服したと言う話題。
上田さんは、小さい時から体が大きくて、小学校に上がっていじめられたそうだ。
「デブ!」「ブタ!」「死ね!」と言われたり、黒板に書かれたり・・・。
お父さんとお母さんが当時のことを語っていた。
特に3,4年生の時がひどく、
「帰ってきたら、部屋に閉じこもり泣いてばかりいた」
「もういつ、自殺するんじゃないかと、目が話せなかった」そうだ。
転機が来る。
小5の時、地域の子ども相撲大会に出て優勝したらしい。
そのご、相撲道場に通いだし、力をつける。
今や、日本女子相撲界では、有名人らしい。
高校は、男子生徒とぶつかり合いをする映像が紹介されていたが・・・、
そして今回の快挙!
「相撲を始めて、・・・成績がついてきて、みんなが寄ってきてくれて、関わり合うようになった。それまではズーッと下ばかり向いてたけど、・・・ただの豚じゃない!・・・笑えるようになった。」
はちきれそうな顔で、はにかみながら語っていた。
テレビも、殺伐としたくらいニュースばかりを、センセーショナルに追いかけず、
こんな、ささやかでも暖かくなるようないい話しを、探してきてくれたらいいのにな。
世界一じゃなくても、日本一じゃなくても、自分の「心の一等賞」が沢山あるはず。
そや。俺、番組の企画を提案しようかな。
題して、「心の一等賞・・・みんな生きてる。」
視聴者からの募集で、取材して構成する。
のりは、あの鶴べぇが、ぷらっと旅先で・・・あるやろ?あれみたいな。
どうやろ?
「初回放送は、ここ福岡市の・・・工房陶友からです。」
うちの中間達の、脳天気アホぶりと、優しさをライブで・・・。
画面から、「優しさウイルス」を、日本中にまきちらす~。
・・・なんて、どうよ?
いじめの話を書いてたら、テレビの話になってしまった。タイトル、どっちがいいかね?
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2007.12.21 |
| Comments(0) | Trackback(0) | ・マスコミ・テレビ・新聞Ⅰ
歴史(26)
希望に満ちた船出、前途洋々?
毎日楽しく土こねて・・・、人間そんなにおめでたく単純ではありません。
仲間15人。少ないようですが・・・。
作業は陶芸だけでしたので、はっきり言って上手く行きませんでした。
作業がというより、仲間関係が。
それまで無認可の頃は、少人数に加え、陶芸の経験があるし、仲間たちはそれぞれのかかわりあい方、お互いの距離・・・さまざまな面で、落ち着き、それぞれの居場所、立居地を「完成」させていました。
集団が安定していたのです。
一人迎え、関係を作り、また一人迎え・・・でしたから、無理なく受け入れながら、自分たちの関係を作って来られたのでした。
しかし今度は、一気に倍近くになります。
これまでの集団は、この変化に対応できず、グッチャグチャ!の「無政府状態」になって行きました。
「○○さんがうるさくて、集中できない」
「XXさんが、私に・・・言うからいや」
「○が、だれそれにプレゼントして、僕にはくれない」
「だれそれがおるけん、気に食わん、やめて欲しい」
・・・物言える仲間も、いえない仲間も・・・。
毎日毎日、トラブルばかり。
(え~くそ!うるさか、バカチンどもが!)
あの楽しかった無認可時代がなつかしく、疲れる毎日が続きました。
個人的には、精神的に最も重苦しいい数年が始まったのです。
容れ物の美しさとは逆に、中身は、最低。
・・・こんな筈ではなかったのに、なあ。
(怒りとばして、管理すれば納めるのは、表面上は簡単だが・・・)
「家が人を作る」?・・・つくらなければ。
お互い顔を合わせて日が短いこと。
作業集団が1つであること。
空間が1つであること。
そもそも作業になじみきれないこと・・・。
・・・。
原因は、単純ではありません。
先ずは仲間たちの小集団化をすすめること、新しい作業を開拓すること。
試行が続きます。
3行日記・2007.12.20(木)平凡な1日。仲間達は、忘年会の件で喧々諤々。結局、買出しをして陶友でやるらしい。福祉保育労時代の知人来る。保育士辞めて、又職探しとの事。40代後半、大変だ。子育ての事で話し弾む。いずこも親は大変。ありがとう、又来てね、Kさん。ヒロコも穏やか。
ポチッと応援下さい。 ↓
テーマ:ああ、よかった - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.21 |
| Comments(0) | Trackback(1) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
福岡市議会第2委員会は、12月18日、「国保をよくする福岡市民の会」が提出した、
「国保料引き下げを求める請願」を、継続審議にしました。
(採択を主張したのは、共産、ふくおかネット、継続主張は、自民、みらい福岡、公明、民主市民クラブ)
14万5899筆。
これまで、国保料値上げに賛成してきた自民、公明、民主の圧倒的な数の力も、
14万もの「正論」を前に、不採択にする事はできませんでした。
福岡市の国保料の事については、
ヒロコの家が、保険証を持たず、病院に行かれないでいる事が分かった時に、
いちど、書きました。→こちらの過去ログを参照。
いま福岡市では国民健康保険料が高すぎて払えず、保険証を取り上げられる事態が広がっている。
市の保険料は、年所得200万(4人世帯)で37万円。介護保険料も合わせると、46万円。国保加入者は低所得者が多く、83%は、200万以下だそうだ。
「40万も払うような病気はしないだろう。だったら、保険料は払わないほうが得だ。」と考えるだろうか。払えるものだったら、誰だって払って安心して生きていたいと思うだろう。
払いたくても払えないのだ!
滞納世帯は5万6千件(21%)、そのうち保険証取り上げは1万4千件(25%)。いずれも政令市最悪の水準だそうだ。
ヒロコのお父さんは、保険も年金もない労働者。
真面目に働いても、4人の子どもを食わせるのが、精一杯で、保険料までは出せないという。
どうしても必要な時は、短期の医療証を発行してもらって、通院している。
(ごめんなさい。この制度、正確には調べてないので・・・、どなたか詳しい方、教えてください!)
議員の数の力を、市民の数の力が抑えている。
更に一押し!
ヒロコのうちの保険は、12月一杯で切れると言う・・・。
次から次へと公約を破る吉田市政(民主が押した市長、いかがなものか)。
署名ありがとうございました。市民の声で 、優しい市政に!・・・ポチッと応援下さい。 ↓
テーマ:正論 - ジャンル:政治・経済
2007.12.20 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・福岡市政/地方自治
残念。切ないな。
「不合格通知
」とメールが届いた。
今日は3女の入試の発表日。
「そうか、残念だったな。気を落とさずに、次どうするか考えよう。今日は盛大な残念会をしてもらいぃ。」
と、書いてl送った。
やる気になって、自己推薦入試に挑戦したのだが・・・。
よろしければ→こちらの過去ログも、どうぞ。
仕方ないよな。高校の時は、な~んも勉強しとらんっちゃけん。
通ったら、他の人に悪かもんな。
世の中甘くはないよ。わが子だけ上手くいってくれなんて・・・。
いつか、いい肥やしになるだろう。
次を考えないと。
・・・今頃一人、家で・・・あ~、せつなか~。
今日は陶芸教室で遅くなる。
おっかあに「盛大な残念会をしてやりぃ」と、メールを送った。
今度は、オヤジがなんな旨い物でも食わしてやらないかんとに・・・。
親ばかの、身内の話ですが、・・・ ポチッと応援下さい。 ↓
テーマ:親ばか日記 - ジャンル:育児
2007.12.20 |
| Comments(5) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
「陶友 周辺・気楽な?風景」というカテゴリーを作った。
そんなしかめっ面しなくていい、現場の日常にあるエピソード。
仲間や職員や、訪問者・・・いろいろ。
お気楽とは言え、シビアな事も・・・。
ま、お気楽に書いていこうと思う。
昨日の昼休みの事である。
職員クリが、「フリースペース(お隣)のトイレのドアのガラスを割ってしまいました。」
と、報告に来た。
タッチンとキャッチボール中、タッチンの投球がそれて、当たったそうだ。
「報告して謝って、すぐにガラス屋に手配しといて!」
その後、クリが、
「報告手配、終わりました。あの~、ガラス代は、僕とタッチンで半分づつ・・・お母さんにも了解取りました。」
「よかが、誰が弁償しろっち、言うたな?!」
現場の職員には、自由な昼休みなどない。
この頃よく出てこれるようになったタッチンのために、一緒にキャッチボールをやっていたのだ。
タッチンはいつも、所在無げにクリの尻にくっついて回っている。
金魚の糞と言うよりも、「背後霊」と呼ばれている。
タッチンには、「気にすんな、大リーグからスカウトが来るぐらいに、投げ込め。」と。
ニコリとしていた。
今朝は、8時前にはチャリで来ていた。
母親には「行くだけで、いいっちゃん。」と言ってたらしい。
少しづつ足が向き出したのか。
職員にとっては、
立派な時間外労働なのだ。
弁償どころか、こちらが手当てを出すべき問題だ。
そんな、つましい責任感は持たなくていい。ガラス代ぐらいはどげんでもなる。
俺が泣きたくなるやろうが。
うちの職員体制は6名。うち4人が非常勤の「ワーキングプアア」クラス。
この人たちも、終日常勤と同じように働く。
事務員は、ぎっくり腰をかばいながら、昼休みも、物品販売の商品の仕分けチェック・・・。
調理員は休日に、遠くの業務用食材屋に、安いものを求め買出し、豆腐の配達のピンチヒッター・・・。
等々・・・書けば、キリがない!
手当ては、すずめの涙、殆ど無償のボランティアである。
クリは「結婚も出来ない。」と言う。
・・・おい!厚生労働省のキャリア組み、市の役人ども!
あんたら、ここで1週間でも働いてみろ!
・・・お気楽に・・・いかなくなったやないか!
怒り炸裂!だよ。(ははは)・・・笑えないよ。
俺は、「この国の甲斐性がないからだ。この国の社会福祉を変えるために共に闘おう。」
と、「宣伝、教育、・・・洗脳」する。
「自由のために闘うぞ!人間解放のために闘うぞ!」
皆一緒に勉強して「そうだそうだ、闘うぞ!」と言う。
・・・一体・・・どこまで~?(あ、流行語は、どんだけ~だった?)
生身の人間が、生きて働いてるんだよ。
福祉現場からお気楽で、心温まる「笑い」をお届けしたいのだが・・・。
又お笑いネタを探してみますので、ポチッと応援下さい。 ↓
テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル:日記
2007.12.19 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
歴史(25)
資金つくりではホントに苦労しましたが・・・。
1円たりといえども、貴重な支えです。貴重な出会いです。
大事なのは金額ではなく気持ちです。
「お一人お一人、この気持ちに応える。」
つながりのきっかけを大事にし、もっとつながりを深めたい。
仲間たちのことをもっと知って欲しい。見守り続けてほしい。
名簿化された人たちに「その後」をきちんと報告するように、「陶友通信」を発行しています。
現在ダイレクトメールで2400部ぐらい。地域配布も含めて3000部印刷しています。
お金はかかりますが、「心を結ぶ」大切なものです。
参考までに→「陶友通信」は、こんなものです。
近いうちに、バックナンバー全てをUPする予定です。
この通信が、その後の陶友の歩みにとっても、大きな力になりました。
設備改善とか増築とか、資金つくりの面でも、気持ちの面でも。
後に増築の必要があり、通信だけで呼びかけてお願いして、
4ヶ月で350万円以上の募金を、読者の皆さんから寄せていただいたこともあります。
仲間たちのことを知ってもらうこと。
とにかく知ってもらい、力を貸してもらおうと、発行を続けてきました。
私は、書くことが好きです。
上手くなりませんが・・・。ほんとは手書きのほうが好きなんですが。
若い職員たちには、とにかく書くように言ってるんです・・・。
書くことを通じて、自分の考えや理解が整理される。
増してや、伝えることを前提にした文章は、である。
その際、「相手を具体的に想像して書くこと」・・・一般的な読者じゃなくて、友達でも誰でも、「このことを、あの人に」知って欲しいと思って書くこと。
「ラブレターを書くつもりで書かないかん。
ただ書けばいいというものじゃいかん。
ラブレターは、その手紙で相手の心をつかまないと、意味ないだろう?」と。
(あれ?最近は恋もメール?味気ないよな。俺、メールなんかは、「わかった」とか「ok」
とかだけで「もっと色気のあるメール打て」なんて言われてるけど・・・、もっとも、メールも電話もケータイには1日1本ぐらいしか来ないけどぉ。(ははは)
「陶友通信」、これからも心を込めて、発行していきます。
ブログ読者の皆さんも、今後発行するたびにブログで紹介しますので、
どうぞ、ご愛読下さい。今日もポチッとよろしくお願いします。 ↓
テーマ:みんなに紹介したいこと - ジャンル:ブログ
2007.12.19 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
よっこらさっと、ブログを開けば、TBが来とるばい。。
なんじゃろな?っと、覗いてみれば、
「なんじゃい こりゃあ!どげんしたとやあ!」
読まして貰うたら・・・おおきにおおきに、ありがとう。
おおきんな!(種子島弁の、ありがとうね!)
みなさんこちら→SIMANTO BBSさんのブログば、見ちゃってんしゃい!
なんか、俺もうほとんど、死んだばい。
褒め殺し!に、はめられた!
ありがとうございます。(か・ん・る・い
)
弱小ブログの連帯は、暖かいね。
「きらりと光る弱小ブログ」やっちよ。
しかも1番バターばい。
ムネリンばい、オリンピックにも行かな、いそがしかぁ。
「ブログの片隅で、ちまちまと運営を続けている」のは事実やばってん、
「その「友さん」のブログのアクセスは、平均して1日、50件ちょっと…くらい。」
そこまでばらさんどきぃ、恥ずかしかやんね。
ま、俺は小さいときから、素直さだけが取り柄の少年やったけん、
そのまま素直に、喜んどこ。
そうか・・・SIMANTさんは、唯(ただ)物論者か。物に弱いんだ。わかった。
大きか,小さかは問題じゃなかばい。
俺は、俺の顔して、俺のハートとわずかな脳みそと、俺の言葉で、書くと!
障害を持つ仲間達が、物言うことさえ出来んで、それでも、生きとっと。
その事実ば書くと。
人間っちゃ、何な?生きるっちゃ、どげなことな?
こんな、人間が消耗品か何かのごと、あつかわれるこの日本と世界。
「炭坑のカナリヤ」って、ご存じですか?
昔、ガス感知器もない頃、炭坑夫は、カナリヤをかごに入れて、坑道に入っていったげな。
で、ガスやらがあると、人間が気付く前に、バタバタして危険ば知らせてくれたとよ。
障害を持つ仲間達は、現代のカナリアばい。
自立支援法に限らず、この人間の生きづらい世の中に、その生きる困難やら矛盾やら・・・、背負い込んだ苦しみで、バタバタしながら、人間に警告し、危険を教えとっとよ。
「これから先に行ったらいかんばい!人間の行く道じゃなかばい!」って。
・・・あ、いかん、なぁんか一人で盛り上がっとるばい。
もし、お暇な方は、いや、忙しかろうとここまできたら、付き合わな!
最後まで。それが、仁義っちゅうもんや。
こちらも読んでやってんしゃい! →私のブログのコンセプトです。
リアルで、頑張る。ブログで語る。
ではでは。
SIMANTOさん、ありがとうございました。
みなさん、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
焼酎は戸棚にあります。ビールは冷蔵庫。下戸の方はお茶でも・・・。
その他、お好きな物、持ち込み可です。ご自由に。
すべてセルフサービスでお願いします。エンドレスで結構。
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2007.12.18 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・このブログについて
俺はへそが曲がってるから、
「いいですねえ」何て言われても、
「そうかな?そうは思わんけど・・・」と言うことがある。
例えば結婚前。
「いいねえ、今が一番いい時よねぇ」なんて、気の優しいお節介なおばちゃんが言ったもんだ。
すると、「なんがもんね。今が一番なら先が見えてる。もっと幸せになるために結婚するんや。」とか。
子どもが小さかった頃、
「可愛いかね、今が1番可愛かときねぇ。」なんて声かけられると、
「なんがね、これで1番なら、これからの楽しみがないがね。」とか・・・。
・・・でも最近、少しわかってきた。
結婚はともかく、子どものことは。
時々、娘たちが小さかった頃の写真を見る機会がある。
当時のことが目の前によみがえる。
「ああ、あのころが一番可愛かったなあ」と思ってしまう。
先のことも考えず、日々が一生懸命で、目の前の娘たちが可愛くて・・・。
今は、大きくなるといろいろ考えることも多く・・・。
大体、憎たらしくなってきたし・・・。
そんなこと無いですか?
そんな事ある人は、・・・年をとったと言うこと。・・・かもね。
ふと、どげんでんよか事、考えたりするとよね。
ぁ~、俺、暇人なんかいな?
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2007.12.18 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
歴史24・認可
建物つくりが終点ではありません。それは新たな始まり。
「家は人が作る、が、また家は人を作る」
建築家佐藤千澄氏の家つくり哲学です。
後日、氏は
「この建物に変わって、仲間たちが良く会話し明るくなってきたみたいで、僕は嬉しいねえ。ここで愛情を持って過ごし、是非みんなそれぞれに成功して欲しいな。」といわれました。
「ひかりと出会って6年。ひかりの仲間たちに出会ってから、僕は、人に対して自分を素直に出せるようになった気がするんだ。それが自分の人生や仕事にプラスになっているような気がする。だから仲間たちのことをたくさんの人に知って欲しいんだ。」
・・・その後も、佐藤さんはたくさんの人を陶友に連れてきてくださいます。
そして、今も陶友応援団「ゆうゆう」の団長として、ご多忙な中で、陶友と仲間達を支えてくださっています。
さて、いよいよこれからです。
仲間15人、職員6人の、小さな小さな作業所が、
「日本一の作業所」をめざして、再出発です。
4月6日、仲間、家族、職員だけの入所式。
4月14,15日と2日に分け、落成式典と祝う会。
資金つくりも大変でしたが、実は、所長としてはこれからが・・・。
新しい仲間たちを、どう迎え支えて行くのか。
いよいよ本番の「苦闘の日々」が待ってました。
ちょっと、余談ですが・・・
陶友の囲炉裏の横の戸袋には、一升瓶を立てて入れるところがあるんよ。床なしで地面までの。設計段階で、佐藤さんと一番先に「合意」したところ。
「たくさん人が集まったら・・・やっぱり・・・」なんて。あとから、「工房よりも、酒房か居酒屋作りたかったんじゃない?」と言われてますが・・・。(ははは)
ちょっと、見に来てんしゃい。「アホが何ば考えとっとや!」って怒られるかも・・・。
すべては、陶友の発展のために。すべては、仲間達のために。
私もも飲めない酒を、努力して段々と飲める様になって行くのでありました。(?)
おい。クリ、りょうこ。この苦難と創造の事業、感動のドラマに、なんかコメントぐらい書かんか。
この忙しかとに、お前達のために書いとるようなもんや。ちゃんと、歴史を学んで感想を。次代を担う覚悟はあるとな。さびしかやんか。このエントリーには、みんなノーコメントやろ。
・・・一般読者の皆さんには、内輪の話で申し訳ありまっしぇん!お聞き逃しくださいませ。
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2007.12.18 |
| Comments(0) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
NHKスペシャル「ワーキングプア」をちょっと観た。
番組紹介は→こちらをどうぞ。
先輩ブロ友からTBが送られてきた。この問題については、今書く準備をしているところだったので、ちょっとコメントをした。
こちらを参照→大津留公彦のブログ2
釧路の職安の支援で、障害者施設で嘱託として働くようになり、
正規職員になりたいという母子家庭のお母さんが、
「私は社会の邪魔者ではない、私も生きていてもいいのだと思えるようになった。」
と語っていた。
堺市だったかなあ、清掃業務の委託事業に参加できるようになった青年。
以前は、捨ててある本を拾って売りながら、パンをかじっていた。人目を避けて生きていた。
今は貧しくも、食堂で食べ、銭湯にも入れる。顔を隠して生きることもなくなった。
以前のインタビューに「生まれて来なければ良かった」といっていたが、
今はどうかと聞かれて長い間の無言と慟哭の後に、嗚咽しながら、
「前だったら絶対泣かなかった。人間らしい感情が戻ってきた。一人でも多く自分のような人を救いたい。」
胸に響いた。
青年に、お母さんに、「頑張ろうね。」と声を掛けたくなった。
ワーキングプアは、「浮浪者、不労者」の問題ではない。
真面目にふつうに働いても貧困にあえぐ人々のことだ。
これは、経済問題を通り越して、人間の尊厳に関わる問題であることが、映像を通じて描かれていたと思う。
障害をもつ人たちの問題にも通じます。
仲間達の中には、就労経験のある者がいる。
しかし、馬鹿にされ傷つき・・・家に閉じこもる。
今陶友で働きながら、経済的な貧困は免れないが、彼らは、人間の誇りを取り戻した。
取り戻しつつある。
自分を必要としてくれる人たちがいることを知り、その人達の喜びを自分の喜びとして、働くことを知ったのだ。
番組は、アメリカやイギリスの取り組みを紹介していた。
職業訓練をして就労させる政策的取り組みだった。
しかし、NHKのこのテーマの視点には、物足りないものがあった。
解決策への模索を取材していますが、企業の社会的責任については、その追求を避けていた。
ワーキングプアを救うのは勿論必要だ。
もう一つ大切なことは、それを生み出さないこと。
これこそが根本問題である。
80年代以来の「労働者派遣法」をはじめとする労働法制の改悪が、
資本、企業の新たな搾取強化、利潤追求の中心的な戦略であったこと。
新自由主義的なこの政策の影響の検証が必要であり、これをどう転換させていくのか。
この課題を抜きには、問題は解決されずに、焼け石に水だろう。
企業、資本の社会的責任を、監視し機能させるという視点は、見られなかったように思われる。
残念だ。なんでだろう。
ついでに言えば、釧路のお母さん。
福祉職場で働いても、経済的にワーキングプアは抜け出ることは出来ないだろう。
いや、出来て欲しいが、出来たとしてもそれはたまたまである。
福祉労働者の半分はワーキングプアだという現実は、まだ国民の中には知られていないようです。
福祉労働者の労働実態については、過去ログ「福祉の担い手はワーキングプア」を参照下さい。
紹介された2人が、人間としての誇りを取り戻し、この人間としての力を発揮し、頑張って欲しいと思わずにはいられない。
労働問題は、作業所の実践に関わる問題である。
一方で過労死、一方でワーキングプア・・・。この問題については又の機会に書きたいと思う。
作業所では「発達を保障する労働」と位置づけている。問題が何処にあるのか。
この問題については又の機会に書きたいと思う。
長々とお読みいただきありがとうございます。
あわせて、労働法制の変遷、改悪についても振り返り勉強したいと思います。
この国会でも、「最賃法」「労働契約法」などが、巧妙に改悪されたばかりだ。
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テーマ:ワーキングプア(働く貧困層) - ジャンル:政治・経済
2007.12.17 |
| Comments(3) | Trackback(2) | ・雇用と労働問題Ⅰ
末娘、4女も受験シーズン?
先日は、面接の練習だといって、3女と受け答えの練習をしていた。
今夜の夕食時、学校のことが話題になった。
「○くん最近全然出て来れんとよ。もうずっとやもんね」
「△さんは、教室には入れないとよ。みんながうるさいって言うからよ。落ち着かんけんしゃべりよるっちゃん。私は、もうなれたけど・・・」
「□さんは、人がおると話できんっちゃんね。私とだけの時は話すよ」
・・・
友達のことが心配なようだ。
中学の特別支援学級に入っている。3年生だ。
2,3年生で8人。
うち2人は出てきてないらしい。
この2人は、学校の見学で陶友に来たことがあり少しだけ知っている。
あの時はそんな感じには、そこまでには見えなかったけどな。
「なかなか、みんなの前で心が開けないとよね」と、ため息混じりに言う。
姉ちゃん達も、「そうね、そうね」と相づちを打ち、「やさしくしてやらなね」と応える。
「そうね、どうしたっちゃろうね。心はむづかしかね。」と、私も応える。
4女は、軟弱で、まだまだ幼いがところがあるが、
心だけは、天真爛漫でのびのびしてくれてるから(いじける時もあるけど)、それだけは救いだ。
でも、これから進学。現実の社会にだんだん近づいていく。
もうこの子だけは、このままの方が幸せなのかも知れない・・・などと、
福祉のプロが考えてはいけないことを、思ってしまうときがある。
軽度知的障害の場合は、「就職させる」ということが、高等部の強い要請になっているようだ。
なんだか、尻をたたいて就職させることがそんなに価値あることかと、思う。
就職のために尻をたたくことよりも、
こういう人たちも働ける場を広げることの方が、遙かに大事なことだと思うのだが。
自立支援法の目玉も「就労移行支援」だ。
就職はしたものの、友達もなく、働くのに耐えているだけの人たちが一杯いる。
そんな人生だけは、送らせてやりたくはないな。
だんだん現実的になってくる・・・。
一人一人が、そのままの姿を認められて、受け入れられて、助け合って生きていくことが出来る世の中は、・・・こうして考えると、まだまだ遠いなあ。
・・・よしっ。気持ち取りなおしてがんばろう。 ↓
テーマ:こどもと一緒に♪ - ジャンル:育児
2007.12.17 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
歴史(23)分場時代へ。
また、陶友の歩みについて書いていきます。これまでの分はこちらです。→「陶友の歩みと出会い」
1月28日の上棟式以来、工事も資金つくりも順調に運びました。
そして、1995年3月末には完成引渡しが行われ、引越し作業を経て、
4月1日、「ひかり作業所 分場 工房 陶友」として、新たなスタートを切ることが出来たのです。
総額2720万円に上る事業でした。
わずか1年足らずで資金つくりも達成することが出来ました。
Tシャツ販売やバザー、コンサートなどでの収益が500万円、社会福祉協議会からの借金が500万、一般からの募金は名簿化されただけで1700件以上でなんと、1720万円!
「お金がないという人と契約したのは初めてだ」という佐藤さんにも悠工房さんにも、
約束通り期日までに支払いを完了することが出来ました。
・・・ほっとしました。
当時の陶友通信は、新しい作業所を次のように紹介しています。
欅のシンボルツリーのある駐車場から、木造瓦葺、漆喰の白壁のすっきりと落ち着いたたたずまいが望めます。明かり窓越しに天井の梁が見えます。格子窓が表情を優しく引き締めます。
スロープを上がって、広い寄付きから玄関の引き戸を開けると、そこは作品展示室と食堂、奥には厨房。
右手には囲炉裏を囲む談話室と作品展示コーナー。
三和土(タタキ)の土間を右奥に進むと作業室とまたその奥には窯をすえた焼成室。
作業室の表は、広いひさしの下にバンコを置いたピロティー。
食堂から裸階段を上がると、2階は職員事務室、更衣室等のスペース。勿論トイレは1回にも2回にも男女別々にあります。
天井、壁がなく、空間は吹き抜けて自由につながりあっています。
たくさんの窓がすがすがしい風を呼び込み、天窓からは障子を通してやわらかな光が降り注ぐ・・・そして木の香りが一杯。
みなさん、「料亭みたい。」と言います。
日本中探しても、こんな「障害者施設」はないでしょう。
仲間たちの願い、職員の想い、多くの人たちの共感と支えが、一つの形になりました。
「本物」の形です。
お陰様で仏は作りました。さて次は、魂を入れる仕事です。
中身つくりの仕事は、これはまた大変なエネルギーを必要とするものでした。
次をお楽しみに、どうぞ、ポチッとお願いします。よろしければコメントも。 ↓
テーマ:ああ、よかった - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.17 |
| Comments(2) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
みなさんこんばんわ。
冷えますねぇ。風邪ひくなよ。
明日から又始まりだよ。暖かくした早く寝てくださいな。
あ、お休み前に、ちょっとだけ、こちらをどうぞ→あくしゅさんのブログです。
ブロ友、あくしゅさんが、陶友の「9条マグカップ」を紹介してくれましたよ。
早く画像アップできるようにと思ってた矢先。
有難きかなブロ友。
きょうは、寒いので少しだけ。
ブロ友に感謝をこめて(そう、あなたのことですよ)ポチッと行こう!
↓

テーマ:世界平和 - ジャンル:福祉・ボランティア
2007.12.16 |
| Comments(4) | Trackback(0) | ・9条・平和Ⅰ
なんで、こげなこと考えたっちゃろ?
少子化って言うばってん、ほんとに街でおなかの大きい人は、以前ほど見かけんよな。
おなか突き出して堂々と歩く若いお母さんば見ると、一種の感動を覚えない?
いやその話やなくて。・・・ん、関係あるな。
子どもの風景。
昔は、子どもって、女の子は必ずお人形さんをおんぶしてなかった?
今頃見た事ないね。保育園なんかでは、どう?
子どもの目に、赤ちゃんをおんぶしているお母さんが映り、
それが憧れで、お人形さんをおんぶさせてもらう・・・。
お母さんの子育ての姿は、子どもの憧れだった。
その姿が、母親の姿そのものだった。・・・じゃない?
子育ての姿も、家族の姿も変わってしまってるのかな。
いや、今日は少子化問題にやら、突っ込むつもりはないと。
ちょっと、気になっただけ。
なんでやろ。
娘と一緒にいて、子育て時代を思い出したのかなあ・・・。
子どもは、大事に優しくしてやらんとね。
あ、思い出した!
借り物だけど、→ここをクリックしてね!ここをクリックしてね!"保健師tomoさんのブログにあった詩。
『子は親の鏡』 ・・・ By : ドロシー・ロー・ノルト
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子だ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもはやさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
あんまり、考えすぎて神経質になってもいかんけど・・・。
実際は、こんなもんじゃない事もある。この程度の影響で終わるような・・・。
最近、メンタルヘルス関係のブログ読むと、心が痛くなる。
たくさんの、元子ども達が、心や脳まで壊されて、今も苦しみ続けている。
皆、しっかり生きて、生き抜いて!と、ここから応援しよう。
「どげんでんよか話」なんかでは、なくなった。
子どもは、逞しくもあるけど、壊れやすい弱いところもあるとよ。
大事に優しく育ててあげないと。
親よ!、しっかりせんか!俺も含めて・・・。
ゆとりをもって、優しく育てられる「
子育て環境(社会的な)」を、皆でつくらなね。
気楽に書こうと思ってたら、ちょっと重く?なった?。
多くのお母さん達には、悪意はなかったと思うけど・・。
壊してしまった事実が、現にあるから・・・。
しっかり生き抜こうね。大切な自分を抱きしめて。
みんな、応援のぽちっとをお願します。 ↓
テーマ:おもちゃ・玩具 - ジャンル:育児
2007.12.15 |
| Comments(11) | Trackback(0) | ・ゆう楽庵つれづれⅠ
人生史上最高の買い物ってなんやろ?
そんなに難しい話じゃなくて・・・。
21年生きてきた次女の「人生史上・・・」です。
軽乗用車を買うのだ。
ボーナスと母親からの借金で。
買うと決めた日から、口を開けば車の話。
いよいよ、契約。
うちでお世話になってるディーラーなので、ついて来てくれと言う。
で、行って来ましたよ。
もう今すぐにでも欲しい、できればお持ち帰りで、の気分だった、・・・ようだ。
昨日から、駐車場の拡張工事も始まり、
年内には・・・の心積もりだったが。
保険の関係が、1月20日過ぎになると、年に3万近く安くなる事が判った。
今すぐ欲しいという気持ちはわかるが、
期日がハッキリすれば気持ちの整理はつくだろう・・・
ということで、オススメどうり契約の運びに。
待ち遠しかろうね。
こんなことあったな。
もっとも、僕はバイクに凝ってたから、車は道具感覚だったが。
バイクの時は、寝ても醒めても手元に来るまでは・・・だったもんな。
どうでもいいような話・・・一件落着!
こんなどげんでんよか話に、ポチッとお願いやらあつかましくて出来んばいね。
親ばかにお情けでもよかです~。
お陰様で、今、史上最高ポイント。私の短いブログ史上ばってん・・・。
「障害」じゃなくて、その上位ランクの「障害・ボランティア」ランクでダントツの1位ばい。
ここは訪問者が少ない割りに、やさしか人の多かとばい。
おおきんな!(種子島弁では、おおきに、ね。が、撥音便で、こうなる)
優しか人が好いとうばい。神様やけん・・・。ほんとに、おおきんな。
↓

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
2007.12.15 |
| Comments(0) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
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