NO.295 『母べえ』を観てきました。
きのう、映画『母べえ』を観に行ってきました。
映画が終わって館内照明がつく時って、足元だけにしてくれると良いのにと思います。
大の男が、「私泣きました」って顔を見られるのは、ちと恥ずかしい。
山田洋次監督、吉永小百合主演というのがいい。
山田洋次が大好きで、殆どの作品は観ています。
彼の人間に対する、暖かく優しい信頼のまなざしと、時代と社会を鋭く切り取りつつ、かつ日常のリアリズムとして自然に描き出す「山田洋次の世界」には惚れぼれしています。
『家族』『故郷』『息子』・・・などのシリーズです。勿論『寅さん』も、最近の時代物も好きです。
彼の人間に対する信頼に満ちた優しいまなざしが、好きなんだと思いますが・・・。
激しくドラマチックではないこの映画の感想を、言葉にするのは難しい。
こちらが『母べえ』公式サイトです。
以上、公式サイトの解説からの引用である。混迷する現代を生きる すべての日本人に贈るメッセージ
「家族」というテーマは、山田洋次監督が折々の時代に大切に描いてきたテーマである。1970年には『家族』で、高度経済成長期の真っ只中、長崎から北海道へ移動する道中、幾多の困難に出会いながらも生きる希望を捨てない家族を描いた。1991年の『息子』では、バブル崩壊後、田舎と都会に離れ離れに暮らす父と息子が、一度は切れかけた絆を取り戻していく姿を描いた。いずれも、時代の空気を反映しながら、普遍的な家族愛を描き、多くの観客から深い共感を呼び、その年の主な映画賞を総なめにした傑作である。そして今、時代の求めに応じるかのように、山田監督が再び「家族」を描いた。物語の中で主に描かれる昭和15(1940)年から昭和16(1941)年は、日本が太平洋戦争へと歩みを進めていく不穏の時代。国際情勢の変化や不安定な政情の中、人々が先行きの見えない不安を抱えているという点で、現代とも重なる時代だといわれている。しかし、そこには、人と人の絆があった。ちゃぶ台を囲む家族の団欒は、信頼と愛情に満ちた空間であり、隣家に向かって開け放たれた風通しの良い縁側は、他人同士でも気軽に入り込み、助け合える交流の場でもあった。そんな今日の日本が失いつつある心を描き、困難な時にこそ何を信じ、守るべきかを問いかける感動作――それが、『母べえ』である。
2008年、混迷する現代を生き抜くための真の希望を、日本に生きるすべての人に贈ります。
夫、父親を治安維持法で奪われた野上家、母と娘たちの暖かく信頼と優しさに満ちた日々、それを取り巻く優しい人々との関わりが、横糸として丁寧に共感的に描かれていくが、その縦糸に、あの狂気の時代が描かれている。
人間の命と愛と自由に対する最大の暴力=戦争が。
映画は観る人が観るように自由に観ればいい。
私がこの作品に見たのは戦争。
と同時に、その狂気の暴力に負けてはいない、人間の優しさや強さを見たような気がする。
今日は言葉が出てこない。
ただ「解説」には不満がある。
これは、直接その言葉を使わず、声高に叫ばないが、戦争を告発し反対する映画だ。
私にとってはそういう映画だ。
「二十四の瞳」みたいに名作として残るでしょう。
是非、観ることをお勧めします。
予断ですが、鮮烈デビューの「武士の一分」以来、「檀れいは良いなあ」って思っていたけど、スクリーンで再会。
で、やっぱり、いいですね。
しかし、一旦映画が終わりスクリーンが消えると、この人の顔は、目に浮かばないのです。不思議な印象です。これって、俺だけかな?
それと、鶴瓶がいい味出してます。あれって「素」ですね、当時の「寅さん」かも。
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2008.02.17 | | Comments(3) | Trackback(0) | ・マスコミ・テレビ・新聞Ⅰ
