NO.369 新たまねぎ
日月の休みを使い、陶友では土間の全面補修をしました。
今日は養生のために土間も使えないだろうからと、給食は無しにしていたが、「野菜やいただきものがあるから作りましょう」と調理員。
ナツさん、「これは豚肉とたまねぎを塩コショウでいためただけ?」
調理員、「いやあ、カレーも入っているよ」
トノが、「コメ!オオキイ!」とご飯の大盛おかわりをしている。
ツンクンのうちから頂いた新たまねぎの甘さが、優しい味を出している。
あれは桜が遅い年だったのだろうか。
長女が小学校に入学してすぐの事だった。次女と三女を保育園に迎えに行った帰り、散り際の桜が余りにもきれいで、娘達にせがまれて桜が舞い散る公園で遊んで遅く帰ったことがある。
帰宅すると部屋に明かりはなく・・・はてなと思って、鍵の開いたドアから部屋に入ると、薄暗い部屋に長女がぽつんと座っていた。
はっと、状況に気がついた。
「あ、ごめんね。ちょっとお花見して遅くなった!」
それまで我慢していたであろう涙が、こくんとうなづく長女の頬を伝った。
学校に上がりたてで、新しい環境に気も遣い疲れて帰ってきたであろう長女の心細さが痛々しく切なかった。母親は、多分新年度の飲み会か何かで遅くなる日だった。すぐに夕飯の支度に取り掛かった。
献立は覚えていないが、新玉ねぎとわかめの味噌汁をそえた。父娘4人の夕食は静かだった。妹達もおねえちゃんの様子に、花見をせがんだ事を気にしていたのかもしれない。長女が、涙の後の目で「お父さん、オチョはたまねぎとわかめの味噌汁が好き!」と言ってくれた。お父さんは涙が出きてしまった。
さみしさって、人が感じる数ある辛さの中でもどうしようもない耐え難いものだと、さみしがり屋の私は思っている。そんな長女の耐え難いさみしさ心細さと、健気に元気を出そうとするその心が痛々しく愛おしかったのだと思います。
妻も仕事を持っており、私は15年間、4人の娘達の保育園の送り迎えをした。作業所を作り忙しくなってからの最後の5年ほどは、送りだけになったが・・・。それだけ、普通のお父さんよりも沢山、娘達と過ごす時間を得る事ができた。今振り返れば、感謝です。
給食の新たまねぎで、幼かりしころの娘たちとのことを思い出し、泣き虫オヤジはウルウルしてしまったのだ。不覚!
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2008.04.08 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
