NO.550 原点に立つ。
原水爆禁止2008年世界大会が今日の国際会議で開幕。
「核兵器のない平和で公正な世界を」がテーマ。
今年の世界大会では、38カ国から98人の海外代表も参加し、2010年の核不拡散条約再検討会議にむけての国際共同行動などが議論される予定。。
広島市の秋葉忠利市長、長崎市の田上富久市長も出席し、被爆地から核兵器廃絶を世界に発信する予定だそうだ。
原水爆禁止について本気で考え始めたのは大学に入ってから。
夏休みに入ると、学習会をしては街頭に出て、或いは団地を一軒一軒まわり、核の廃絶と世界大会の成功を訴える署名と募金をお願いして、広島へ或いは長崎へと世界大会に参加して、それが終わって盆の帰省がお決まりだった。
職場の若者が、「広島に行くので募金を下さい」と言う。
最近また若者の参加が増えていると聞き心強い。そこで、少しばかり偉そうに、しっかり勉強するようにと話す。(ま、「その道の先輩ぶる」って奴)
そしてオススメしたのがこの記事。
SIMANTO BBSの「1945・08・07ヒロシマ新聞・主張」
という記事。この新聞は、原爆投下で発行できなかった1945年8月7日付の新聞を、現在の視点で取材、編集したものです。被爆50周年に、一日も早い核兵器廃絶を願って製作、発行しました。
1995年8月6日 新聞労連・中国新聞労働組合
鮮度の確かな、「当時の」記事を紹介したい。
(記念にここに貼り付けますが、SIMANTO BBSさんの、このエントリーで峠三吉の「原爆詩集」もどうぞ)
主張 未曾有の惨状の中にいて
地獄だ。この世の地獄だ。広島の街が地獄と化した。
廃墟、しかばね、悲鳴、うめき、炎と煙…。夢まぼろしではない。今、目の前に繰り広げられている出来事を地獄と言わずして何と表現すればいいのか。他の言葉を思いつかない。
「水をください」、「熱いよう」、「痛いよう」、「おかあちゃん」…。
市内にはあらゆる悲鳴とうめき声があふれている。熱線で焼けた皮膚がだらりと垂れ下がり、筋肉がむき出しの親子、ポロポロになった服を辛うじて身に着けてさまよう男女。横たわった重傷者はわずかに手を動かし、水を求めている。その横には黒こげの塊もころがっている。
川面は死体で埋め尽くされた。道路には焼けたあらゆる物体が並んでいる。ちぎれて散乱する電線がクモの巣のように絡んでいる。焼け野原の街のところどころに立ち残るビルも多くは内部が吹き飛び、焼け落ちた。
電車の残骸がある。真っ黒焦げの車内には吊革につかまったままの死骸が見える。座ったまま、あるいは床に折り重なった死骸…。ビル入り口の石段には人影が焼き刻まれている。目に入る全ての光景は、死と炎と廃墟しかない。
暑い夏の日、それまで確かにここにあった美しい広島の街は消滅し、代って屍の街が出現したのだ。
なぜ広島が狙われたのだろうか。軍都であるからだろうか。日清戦争時に明治天皇が滞在して臨戦首都となった。第5師団が置かれ、軍の工廠、砲台が整備されてきた。宇品の港は大陸へ将兵を送り出す基地であり、船舶司令部もある。最近は西日本の大本営とも言える第二総軍も置かれていた。
しかし、最大の目的は、この新兵器の威力を誇示し、破壊力を確かめるという軍事目的に違いない。今年に入って全国各地で米軍の空襲が激しさを増したが、広島はほとんど無傷のまま残っていた。デルタの平たん地中央部で爆発させたのは、都市と人体への被害を冷酷に調査、分析するためであろう。
「無警告での爆弾投下はするべきでない」と、米の科学者もトルーマン大統領に上申していた。にもかかわらず投下したのは、新兵器の破壊力を調査する「実験」目的を重視したことを示す。あわせて、ソ連をけん制する狙いもあったに違いない。
大統領は原子爆弾だと発表し「革命的な破壊力」で軍事都市を攻撃したのだと自負した。しかし、その破壊力が都市と人間に対して及ぼす影響を彼は想像しただろうか。広島の街は軍事施設や軍人ばかりでない。むしろ、多くの無辜(むこ)の市民を殺傷している事実を彼は知っているだろうか。
地獄絵図の中にいる者として断言する。この兵器は明らかに人道に反している。原子爆弾は明白に国際法違反だ。特定の軍事目標でない住宅、商業施設、学校、病院…。日常の市民生活が営まれている都市すべてを破壊した。非戦闘員である幼子、女性、老人を見境なく、容赦なしに一瞬にして殺した。死なずに苦しむおびただしい負傷者も悲惨と言うほかない。この爆撃が究極の無差別攻撃だということは明白だ。虐殺である。
この戦争を始めたのが日本であったにしても、報復として原子爆弾の投下は許されはしない。
被害を受けたのは日本人だけではない。友好国ドイツをはじめ、東南アジアや中国、朝鮮の多くの労働者、学生、軍属が被爆した。驚くべきことにアメリカ人の捕虜も亡くなっている。アメリカ政府は承知の上で攻撃したのだろうか。原子爆弾の無差別性は国境や、国籍、敵味方の区別すらつかない。
かってない被害の中、生き残った市民が早くも負傷者救援と復旧作業に立ちあがっている。自ら傷を負った者も、より深手を負った者を助けている。市外からの救助隊も続々駆けつけている。それでも復興にどれだけの時間がかかるかは想像もできない。何万という死者を出し、家族や知人を失った人々がショックから立ち直る事ができるのか。負傷した人々は傷が癒えるのか。今はとても将来が見える状態ではない。
惨状を前に、原子爆弾を投下した者に対する憎しみはわき起こる。しかし、圧倒的な被害を前にして思う。憎悪による復讐は人類を滅ぼすことにつながるだけだ。この爆弾は、アメリカが日本に落としたものでなく、人類が人類に落とした兵器、として歴史に刻まれるべきだ。
私たちは、本日ここで起こっているできごとを多くの人に知らせなければならない。国境を越えて世界のあらゆる人々に知らせなければならない。時を超えて後の世の全ての人々にも広く知らせなければならない。
死と破壊の惨状と、地獄の街に身を置いている者の体験を永遠に伝え続けていく。
核兵器廃絶は世界の願い。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ヒバクシャ。
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2008.08.02 | | Comments(0) | Trackback(3) | ・9条・平和Ⅰ
