NO.830 派遣切りと憲法。
(この記事が「NPJ お薦め ブログ」で紹介されました。)
毎日毎日報道される派遣社員や期間工、非正規社員の大量解雇。片や、無策な政治。
もし自分がそうだったら・・・。軟弱な私は、住む所もなく仕事も無いとなれば、ほんとに生きようという意欲までも萎えてしまうんじゃないかと思ってしまう。
とても他人事に思えず、この間こんな弱小ブログで何ができるかと思いつつも、この問題について書いてきた。
障害者と労働
私は障害のある人たちの働く権利を守るために、障害者作業所づくりに携わりずっと働いてきた。彼らは、その労働能力が、経済効率に合わない、企業の利益に貢献できない、ただそれだけの理由で長きに渡って働く権利を奪われ、社会への参加を阻まれてきた。
しかし私たちは、障害のある人たちがその能力に応じて働き、人々とつながり社会に参加する中で、その人なりに豊かに発達していく姿を目の前にしてきた。
労働はあらゆるの富の源泉である
「労働はあらゆるの富の源泉である、と経済学者は言っている」・・・有名なエンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」の書き出しである。それは次のように続く。
「その通り。ただし、これは自然と並んでということであって、自然が労働に材料を提供し、これを労働が富に変えるのである。しかし、労働はなお限りなくそれ以上のものである。労働は、人間生活全体の第一の基本条件であり、しかも、労働が人間そのものを創造した、とある意味では言わなければならないほどに基本的な条件である。」
私は、作業所作りに取り組むとき、以下のように自分のやらんとすることの意味を明らかにしてきた。
過去ログ:NO.93 心に届いて欲しい・・・・陶友の歴史(4)より
しかし今や、労働者は労働への参加そのものから疎外され、生物学的生存の条件すら奪われている。いくら資本主義とは言え、こういうことがあっていいものか!5)、本来、人類の発生史からしても、「労働」こそがまさに「人間発達の源泉」でした。労働こそが社会的富を生み出すだけでなく、その主体=人間そのものの発達を保障してきたと言えます。
しかし、今日では「労働の産物」から疎外されるだけ出なく、
命までも疎外される、労働が人を殺す(過労死)時代になって来ています。
そうした時代にあり、障害を持つ仲間たちの、働き社会参加を目指すなかでのたくましい成長は、人間にとって働くことの意味を改めて問うことになるでしょう。
人間らしく生きて働く(このすこぶる今日的なテーマ!)。
より自由に、より個性的に個々人が全面発達への取り組みを展開するという、ささやかな実践の試みが私たちの目指すところとなるでしょう。
非正規の人たちがこのように切り捨てられる中で、正規社員は異常な長時間・過密労働を押し付けられ、「発達を保障する労働」どころか、「人間破壊」が進んでいる。
今日は憲法と働くルールについて考えて見たい。
(そんな悠長なことを言ってる場合じゃないかもしれないが・・・)
このように憲法27条は第1項で「勤労の権利」を保障しているが、その基礎には13条(個人の尊厳)、25条(生存権)があると言われている。〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
即ち、労働においても当然個人が尊重されなければならないし、物質的にも最低限度の生活を保障するもので無ければならないということだ。〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
言い換えれば、労働時間や内容は、人間として働き甲斐のあるもので無ければならないし、当然、そこで得る賃金は、まともな普通の暮らしを可能にするものでなければならないと言うことだ。そういう人間の尊厳に値し、人間らしい暮らしに値する労働の機会を国は保障しなければならないのである。
そして、第2項は「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」としている。不十分ながらも、この国は憲法が示す道を、労働者や国民の闘いによって切り開いてきた。
労働の規制緩和は労働法不要論に行き着く
しかし、規制緩和を叫ぶ新自由主義は、労働の規制まで緩和し労働そのものを市場原理に任せようとしてきた。そして、労働者派遣法の改悪がその法的手段となった。労働を市場原理に任せると言うことは、労働のルールをなくすることであり、「労働法はいらない」とするものだ。
じじつ、労働はその市場で破壊されてきた。不法な雇用、不法な労働が蔓延してきたのである。
しかし、憲法は労働の最低基準を定めるように国に命令しているわけで、国がそれを怠り市場原理に任せると言うのは憲法違反と言わなければならないだろう。
派遣きりは人間の生存そのものへの挑戦
こうして考えると、人間らしい、人間に値する生活を営むに足りる労働の条件を法律で定めるように、労働者派遣法の抜本改正が求められているその矢先に、労働そのものを奪う非正規きりがいかに、非人間的で反憲法的なものであるかがより深く理解できるだろう。
人間の尊厳どころか、人間らしい暮らしどころか、「人間生活全体の第一の基本条件」を奪い、人間の生物学的生存の基盤まで奪うことが、人間社会の名において許されるわけは、絶対に無い!憲法に照らしても、国・政府の無策は許されないものだと強く言いたい。
今、大企業がやっている非正規きりは、人間の生存そのものへの挑戦である。そういう企業の存在を許すような社会であってはならないのである。
お付き合いついでにシャッターはこころで切れ!も、よろしく。
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2008.12.20 | | Comments(5) | Trackback(8) | ・雇用と労働問題Ⅱ
