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NO.2429 「体罰」は日本の伝統ではなく、「近代の遺物」だそうですね。

 土筆が出ていました。
春はすぐそこまで来ていますね。

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 さて、三月末が自治会の総会で、その折に町内学習会を予定しています。
テーマは「『体罰』、いじめ・・・、人権を考える」。

 もともとは「解同」が、社会教育の中に「同和教育」を押し付けてきて、公民館が町内ごとに押し付けてきた企画なんですが、今は自由に企画してやっています。
公民館は、講師を呼んだりして欲しいらしいのですが、私は「自分たちで!」と。

 世の普通の親父たちは、「先生!息子が言うこときかんやったら叩いてください!」と平気で言ってきたのです。 みんな身に覚えのあることを、ざっくばらんに話しながら、考えられるといいな・・・と。

「体罰は日本の伝統」などではなく、むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあったそうです。

 体罰の起源は、軍隊(特に日露戦争以降)、そして学校にも「軍事教練」で導入され、「大和魂(やまとだましい)」の精神が注入されたのだそうです。

 結論を押し付けるものではありませんが、そこら辺はみんなで振り返っておく必要があるでしょう…、ってことで、資料をメモしておきます。

『体罰は近代日本の遺物 「持たざる国」補う軍隊の精神論
  政治学者・片山杜秀(かたやま・もりひで)』朝日新聞2013.2.19

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・・・ 実際、日本の軍隊では体罰は日常茶飯事だった。戦後5年めの座談会。政治学者の丸山真男は徴兵体験をこう振り返る。「(なぜ殴られるのか)考えているうちに十くらい殴られてしまうん(笑声)ですからね」
 軍隊での暴力的指導はいつからのことか。明治維新期の建軍当初からか。そうでもないらしい。敗戦時の首相、鈴木貫太郎は海軍軍人。日清戦争前に海軍兵学校を卒業した。自伝を読むと、その頃の兵学校は暴力と無縁だったという。
     ■     ■
 転機は日露戦争。元陸軍大将の河辺正三が戦後に著した『日本陸軍精神教育史考』にそうある。相手は超大国。ロシア軍は大人数で装備もよい。「持たざる国」の日本が張り合えるのか。大慌てで新規徴兵した。しかし中身が伴わない。練度が低い。弾も少ない。戦闘精神も上官への服従心も不足。おまけに敵は西洋人。体格がいい。小柄な日本人が白兵戦を挑むとなるとつらい。
 苦心惨憺(さんたん)のやりくりの末、日露戦争は何とか負けずに済んだ。が、次は分からない。仮想敵国は西洋列強ばかり。常備戦力を彼らに太刀打ちできるほど増やす。装備も訓練も一流にする。そうできればよい。しかし、日本は人口も武器弾薬も工業生産力も足りない。結局、期待されたのは精神力だ。戦時に動員されうる国民みなに、日頃から大和魂という名の下駄(げた)を履かせる。やる気を示さぬ者には体罰を加える。痛いのがいやだから必死になる。言うことも聞く。動物のしつけと同じ。
 もちろん軍隊教育だけではない。大正末期からは一般学校に広く軍事教練が課された。過激なしごきは太平洋戦争中の国民学校の時代に頂点をきわめた。
 『日本人はどれだけ鍛へられるか』という戦争末期の児童書がある。日本人はしごかれると英米人よりもはるかに高い能力に達するという。理屈はよく分からない。でもそう信じれば勝てるという。これぞ精神論である。
     ■     ■
 戦後、日本から軍隊は消えた。しかし暴力的指導の伝統はどうやら残存した。「持たざる国」の劣位や日本人の体力不足は気力で補うしかない。日本人は西洋人に個人の迫力では劣っても、集団でよく統率されれば勝てる。そういう話は暴力的な熱血指導と相性がよい。体格の立派な外国人と張り合うスポーツの世界ではなおさらである。・・・

  1963年、仙台生まれ。政治学者、音楽評論家。慶応大法学部准教授。著書に『音盤考現学』『近代日本の右翼思想』『未完のファシズム――「持たざる国」日本の運命』など。


   
 以下は、三橋貴明の「新」日本経済新聞より。

http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/02/08/se-6/

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

おはようございます(^_^)/

最近、何かと「体罰」が話題になっていますね。

周囲の学生などに訊くと、「体罰は日本の伝統」だと考えている子が多いようです。マスコミの議論でも、体罰は、「日本型組織運営の伝統」などと断定しているものを見かけました。

これ、間違いです。
(`・ω・´)キリッ

体罰は日本の伝統なんかではありません。むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあるといえるでしょう。

渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)では、日本の温和な子育てについて、昔の多くの欧米人の記述が引用されています。

たとえば、戦国時代(16世紀)に日本を訪れたポルトガル出身の宣教師フロイスは次のように記しています。

「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。

江戸時代以降でも同じだったようです。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」(18世紀後半に日本を訪れたスェーデン人ツュンベリ)。

「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」(19世紀前半の日本を訪れたオランダ人フィッセル)。

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」(19世紀後半(明治初期)の日本をみたアメリカ人モース)。

実際、江戸時代の子育ては、非常に温和で、子供を大事にしたようですね。
( ^^)/(^^) ナデナテ
「溺愛」といっていいほど子供をかわいがり、その一方で子育てに対する人々の知的関心も庶民にいたるまで高く、数多くの育児書が出版されていました(中江和恵『江戸の子育て』(文春新書、2003年))

日本における体罰の歴史を研究した江森一郎氏によると、江戸時代の始め(17世紀前半)ごろから、日本人は、家庭や学校(寺子屋など)で体罰をほぼ用いなくなったそうです(『体罰の社会史』新曜社、1989年)。

上記で触れた日本を訪れた欧米人の言葉からもわかるように、同時代の欧米や中国ではムチで打つなどの体罰がさかんだったため、体罰の少なさは、日本のしつけや教育の際立った特徴でした。

江森氏は、庶民教育を担った寺子屋では、罰として、居残りさせたり、立たせたりすることは行われていたようですが、体罰は非常に少なかったと推測しています。

藩校など武士の教育機関でも、同様だったようです。武士は誇りを重んじ、体罰は体面を傷つけると考えられたことから、武士の教育でも体罰はあまり用いられなかったというわけです。

江森氏は、「武士のモラルがわかり興味深い話」として次のエピソードを紹介しています。

明治六年に、できたばかりの日本の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)は、英国海軍少佐ドークラスを招聘し「新兵学寮規則」を制定しました。ただ、その際、佐賀藩士出身の校長・中牟田倉之助は、英海軍式の鉄拳制裁を、「武士の伝統と作法を説き、頑として受け付けなかった」そうです(江森氏が参照している元ネタは、鎌田芳朗『海軍兵学校物語』(原書房、1979年))。

つまり江戸時代には、庶民も武士も、子供への体罰を強く嫌っていたといえるでしょう。

明治12年(1879年)に教育令が定められるのですが、そこには「凡そ学校に於ては、生徒に体罰を加うべからず」(第46条)と体罰禁止規定が明文化されました。

日本が体罰禁止規定を法文化したのは、欧米の大多数の国々よりむしろ早かったのです。江森氏によれば、「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、(日本の)教育令の規定より8年遅れている」のですから。

日本の学校で体罰が結構みられるようになったのは、1930年代から第二次大戦中にかけてのようです。
近代化が進み、江戸の記憶が薄れてきたころから、まず日本の軍隊が徐々に変質し、鉄拳制裁が行われるようになった。そして、その影響が、学校での軍事教練などを通じて、次第に、1930年あたりから学校教育の現場に伝わった。そのように描けるのかもしれません。

この点について、著名な文化人類学者・梅棹忠夫氏(1920年生まれ)は、あるシンポジウムで、自身の体験にもとづき、「一つの証言」として体罰について次のように述べていました。

「私は、1920年代に幼稚園、小学校教育を受けた、まさに戦前の非民主主義教育を受けた人間ですけれども、私の記憶の中には、たたかれたという記憶は一切ありません。…体罰というのは考えたこともない。全然ありません。…日本はもともと幼児に対する観念が(欧米などと)非常に違うんだ。たたいたりはしない」(梅棹忠夫・栗田靖之編『知と教養の文明学』中央公論社、1991年)。

同じシンポジウムで、日本政治思想史の研究者・渡辺浩氏も次のように述べています。

「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。明治時代にはやらなかったというのです。

それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。

軍隊の私刑は…、…むしろ武士的なものがなくなってから軍隊ではじまったんだという説があるのです。それが1930年代になったら、学校教育へ還流してきたと言えるのかもしれません」(同上書)。

戦後は、どうなんでしょう。

読者の皆様のなかにも、個人的体験から、「結構、先生にたたかれた」という人、あるいは逆に「ほとんどたたかれたりしなかった」という人が、それぞれいらっしゃるんではないかと思います。

一般的には、日本の家庭や学校でのしつけや教育(特に初等教育)は、意外だと思われるかもしれませんが、欧米と比較して、温和で、情緒や人間関係を大切にし、非権威主義的だと言えるようです。

たとえば、アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、現代日本の学校教育、特に初等教育をとても高く評価しています。

ルイス氏は、日本の親や教師は、アメリカに比べて、頭ごなしに命令したりルールを押し付けたりするなど権威主義的にふるまうことが少なく、子供の自発性を大切にしている、学業面だけではなく情緒や共感性や意欲など全人格的発達を重視している、と論じています。

また、そういう日本の教育の良さは、江戸時代以来の日本の伝統的な子ども観や教育観の影響が大きいとルイス氏は述べています(土居健郎、キャサリン・ルイス『甘えと教育と日本文化』PHP研究所、2005年。またはLewis, C. C., Educating Hearts and Minds: Reflections on Japanese Preschool and Elementary Education (Cambridge University Press, 1995)。

***
えーと、結局、何を言いたいかといえば、体罰は日本の伝統とは言えない、日本のしつけや教育の伝統はまんざら捨てたもんじゃなく、誇るべきものがある、ということです。

経済の議論でよくみられますが、どうも日本の議論というのは、「悪いのは日本の文化や伝統だ! それをとっぱらい、世界に学んで、もっと合理的にしていくべきだ! 良いものは日本の外にある!!」というようなのが多い気がするので、そうとは言えない例も大いにあるぞ、と言いたかったのでした。





 政党も討論を呼びかけています。
学校教育やスポーツから「体罰」・暴力をなくすために、府民的討論と共同をよびかけます
2013年2月18日  日本共産党大阪府委員会

大阪市立桜宮高校バスケットボール部キャプテンの2年男子生徒が、同部顧問の教員から暴力・「体罰」を受け、自ら命を絶った痛ましい事件は、多くの府民と学校・スポーツ関係者に強い衝撃を与えました。
私たちは、改めて亡くなられた男子生徒に哀悼の意を表明し、遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
「なぜこうしたことが起こったのか」、「生徒の自殺を防ぐことができなかったのか」――二度とこうしたことを繰り返さない固い決意で、また、遺族の知る権利を尊重して、関係機関が徹底した事実調査と解明をおこなうことを求めます。

「いじめ」、「体罰」など子どもたちのかけがえのない命を脅かし、発達を損なう問題をどうなくしていくか――これは日本社会の大問題であり、その解決は私たちおとなの責任です。
日本共産党は、学校教育やスポーツから「体罰」・暴力をなくすために、学校、地域、社会の各分野で解決の道を語り合う府民的討論と共同を広げることをよびかけます。

子どもへの「体罰」・暴力は許されません
子どもの心身を傷つけ、苦痛を与える教師の「体罰」は暴力行為そのものです。子どもの命と安全を守るべき教師が、どんな理由であれ、「体罰」という名で暴力をふるうことは絶対に許されません。「体罰」は子どもの人権を侵害し、子どもの人格を否定するものです。

戦前の軍国主義教育では事実上、「体罰」・暴力は当然のこととされました。こうした軍国主義教育の痛切な反省の上に立ち、戦後の憲法・教育基本法(1947年)のもとで、教育の目的は人格の完成にあり、子どもの人権を尊重する立場から、学校教育法(11条)では「体罰」を禁止することが明記されました。子どもの権利条約(1994年批准)は、「体罰」など学校における暴力を根絶する視点に立っており、これが世界の流れです。

子どもの人権を尊重し成長・発達を中心においた教育は、「体罰」など権威にもとづく威嚇や強制によらず、教師の専門性を高め理性の力を発揮することによって成り立ちます。

人間の身体的な能力を伸ばすスポーツのあり方や、スポーツ精神の発揮ということからみても、スポーツの場での「体罰」・暴力は許されません。生徒の自主的な活動の場である学校の部活動で、顧問の教員が「体罰」をふるうことはあってはならないことです。

しかし、今日なお、「体罰」が教育の場に少なからずある事実に直面して、多くの府民が心を痛め、関係者が「体罰をなくそう」と声を上げ始めています。私たちは改めて、学校教育やスポーツの場で「体罰」・暴力は許されないという基本的な認識をもつことが大切だと考えます。

学校教育から「体罰」・暴力を一掃するために――日本共産党の提案

 学校教育から「体罰」・暴力を一掃するために、日本共産党は次の5つの提案を行います。府民のみなさんのご意見をお寄せ下さい。

(1)「体罰」の実態を調査し、学校での徹底した民主的議論と取り組みを進める
いま必要なことは、「体罰」の実態を調査し、「愛のムチ」などと「体罰」・暴力を容認する姿勢を改め、学校教育から「体罰」・暴力を全面的に排除・一掃する取り組みを進めることです。
子どもの命と人権を守る立場から、学校では「体罰」・暴力をなくすための徹底した民主的な議論と取り組みが必要です。保護者との話し合いや子どもの発達段階に応じた意見表明権を尊重することも大切です。「改革」の押し付けなど教育行政が命令・統制することで、問題を解決することはできません。

(2)「体罰」問題などへの相談と対応を行うセンターの設立
「いじめ」、「体罰」問題など解決の困難なケースの相談・対応をおこなう「いじめ・体罰防止センター(仮称)」を国と自治体の責任で設立します。医師や心理の専門家、法律家、ケースワーカー、教育研究者などで構成し、高い独立性を保障します。
「体罰」・暴力問題について、被害者、遺族の知る権利を保障します。

(3)背景にある「勝利至上主義」や競争主義の克服
学校教育での「体罰」・暴力の土壌となっている問題を解決することが大切です。部活動における「勝利至上主義」の克服や、大阪府や大阪市の高校「多様化」など競争主義的な「教育改革」の抜本的な見直しが必要です。

(4)教育条件整備を進めることが教育行政の役割
ひとり一人の子どもにゆきとどいた教育を行うために、35人学級・少人数学級を小・中学校の全学年から高校へ広げることは、この問題の解決にとっても土台となる教育条件です。長時間・過密労働など教職員の多忙化の解消も必要です。
学校教育から「体罰」をなくし、子どもの成長・発達を保障する教育実践にむけた教職員の自主的な研修、職場ごとの研修などで指導力の向上やチームワーク強化をはかることも大切なことです。教育行政の役割は、教育条件整備をはじめ、こうした学校でのとりくみを支えることにあります。
改めて学校の部活動を生徒の自主的な活動として位置づけることも重要です。

(5)政治権力による教育への介入をやめる
学校教育から「体罰」・暴力を一掃する取り組みや学校改革は、学校関係者の真剣な議論と合意により進めることが基本です。ところが、橋下徹大阪市長は、政治権力を振りかざして教育に乱暴に介入し、“従わないなら予算を執行しない”と脅して、多くの府民が反対する体育科「入試中止」を押し付け、教職員の総入れ替えを要求しました。これは、今回の問題の事実調査と解明、今後の学校改革への議論を遅らせ妨げるものです。「体罰」問題は理性の力で解決すべきです。政治権力の教育への介入はやめることを強く求めます。





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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

2013.02.19 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・教育問題

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なお、気が弱いので「道場破り」はお断り。
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