NO.102 友さんはマザコンではありません。・・・母の涙
3行日記・・・07.10.15
庵を建て、半一人暮らしをはじめて1年になる。今日は久しぶりにのんびり、何もしなかった。
夕方カンタ(柴犬8歳、我が家の長男)と散歩に出た。
日が落ちるのが早くなった。秋のこの空気感は、寂しさ。何で寂しく感じるんだろうなあ。
先日の囲炉裏塾で、私は「母の涙」について話した。
一人が「友さんはマザコン」と書いてあったが、この言葉は好きではない。
私の場合は、コンプレックスではなく、心の中に深く存在するということです。
私の母は76歳。
今も、原付を乗り回し元気だ。
口数の少ない人で、働き者で辛抱強い苦労人だ。
私は、父と母と家族と暮らし、言葉ではなくその存在によって育てられれた。と思っている。
私が、娘たちのことでイライラして、
「おかあちゃんは、子育て失敗したと思うことは無かった?」と聞くと、
「そんなことはない。私たちみたいな親から、こんないい子ども達が育って・・・」
と言うような人である。
母に怒られた記憶は、ほとんどない。
囲炉裏塾の時に話したことを、書いておこうと思う。
種子島の田舎での出来事である。
私が小学1年になりたての頃の話し。
農家は日が落ちて暗くなるまで働き、馬車で帰ってくる。
近所はみんな女の子で、彼女達は暗くなると、賄いの手伝いをする。
母親が野良仕事から帰る頃には、晩御飯ができているのである。
うちは、母が帰ってきてから炊事が始まる。
動機は明確には記憶してないが、母の大変さを思った。
ある日私は、自分で飯炊きをすることにした。
今のように、スイッチポンという風には行かない。
水汲みにいき、まきで火をおこしかまどで炊くのである。
水加減も火加減も分からないのに、とにかくやってしまった。
結果は見事に、食べるところが無いほどの焦げつき!
裏山に全て捨てて、お釜を洗いながら、
母は、「お前はバカな子じゃ。」と涙を流した。
そして「火事でも出したらいけないから、子どもは、足を洗って家に上がっときなさい。」
とだけ言った。
私は、無性に涙が出て止まらなかった。
失敗したのが悔しかったのか、よくは分からなかったが、
とにかく涙が出てきて仕方が無かった。
そのうち「お母ちゃんは喜んでくれてるんだ」という思いが沸いて来た。
その日のその後は、記憶に無い。
「お母ちゃんは喜んだ」という思いは、日に日に膨らんだ。
そして、ほとぼりが冷めた1週間後、再び挑戦することにした。
今度は隣の姉さんをコーチに迎えて、水加減火加減を教えてもらいながら。
成功した。
母が喜んで褒めてくれた記憶は、しかし無い。
それから毎日、夕方の飯炊きは私の役割となった。
中学に入り、部活で帰りが遅くなる日まで。
私が自分から、その役割を担うようになるには
「母の涙」だけで十分だった。
自分が何かをすることで、誰かが喜んでくれる。
私のなかで「母の涙」は生き続け、人生を導いてくれている。
こういう仕事を選んだのも、こういう生き方を選んだのも、そこに出発があると思う。
人は出会い、関わりあい、そして誰かの心の中にに生きていく。
たぶん死んでも。
「里の秋」でも歌うと、胸がキュンとなり、涙腺が緩むような、
そんな季節になってきた。
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2007.10.16 | | Comments(4) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片
