NO.1132 忌野清志郎「ぼくの好きな先生」と「こどもの日」。
子どもの日にちなんで、いろいろと。
ちょっと長くなるばってん、付きあってんしゃい。
私ゃ、この人は知らんやったばい。
同じ時代を生きたはずやばってん、田舎者やったけんやろうね。もちろん私が。
ロックの神様やなんて、・・・ご冥福をお祈りします。
薫風にそよぐ麦たち。
15の春まで種子島の農家で育ち、鹿児島市に引っ越した高校時代は受験漬け。
ラジオも聞いたことはなかったばい。
この人の名前を聞いたのは6,7年ほど前。
新人の若い職員が、学生の頃バンドにかぶれていて、イマワノキヨシロウに心酔しよったげな。
そいで名前は覚えた。歌い方がまた、そっくりやったばい。
ばってん、この歌は聞いた事があったったい。
大学に入ったとき友達が歌うとったけん。
なんか、田舎にもこんなよか先生がいたけん、「良かなあ」って思うとったったい。
追悼 忌野清志郎 RCサクセション 「ぼくの好きな先生」
ぼくの好きな先生 作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
タバコを 吸いながら いつでも つまらなそうに
タバコを 吸いながら いつでも 部屋にひとり
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコと 絵の具の においの あの部屋に いつもひとり
タバコを 吸いながら キャンバスに 向かってた
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコを 吸いながら 困ったような 顔をして
遅刻の 多い僕を くちかずも少なく しかるのさ
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコと 絵の具の においの 僕の好きな おじさん
タバコを 吸いながら あの部屋に いつもひとり
僕と同じなんだ 職員室が 嫌いなのさ
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコを 吸いながら 劣等生の この僕に
素敵な話をしてくれた ちっとも 先生らしくない
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコと 絵の具の においの 僕の好きな おじさん
こげな記事を見つけたばい。
清志郎「先生のこと歌に」… 「ぼくの好きな先生」秘話(asahi 2009年5月5日3時1分)
♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。
・・・《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》
69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。
「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。
・・・高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。
・・・「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。後輩の芝田勝美さん(56)は、部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを覚えている。「本当に小林先生を慕っていました」
・・・高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。 (以上部分、引用)

教育とか福祉とか、人に関わる仕事には”余剰人員”が要ると。
いろんな人がおるんやけん、いろんな人が関わる必要があるとよ。
受験指導が得意な先生ばかりで、どこでも尻をたたかれたらかなわんやろう。
”余剰人員”は、国鉄民営化のときにはやった言葉たい。
私は、こればもじって、口癖のごと言うて来たばってん・・・。
寅さんやって、なんか生産性とか、効率とかいいか?
怠け者のアホや!
ばってんなんであげん人気のあるとな?
情があって真っ直ぐで、みんなの憧れの自由人たい。
人間はみんなそれぞれ持ち味があると。それぞれなんよ。
・・・自分の考えにぴったりの歌やったったい。
ところで、
今時も、良かことを書く新聞もあるとばいね。
信州信濃は、つづり方教育や、子どもを大事にする教育の伝統があるけん (あった?)受け継いどるんかね。記念に貼り付けとくけんね。
憲法を生かす(4) 子どもは権利の担い手 (信濃毎日 社説 5/5)
空港でフィリピンに帰る両親と別れるとき、涙が止まらなかった。勉強を続けるため、一人で日本に残る道を選んだ。埼玉県蕨市の中学2年生、カルデロン・のり子さん。もうすぐひと月になる。元気で学校に通っているだろうか。
両親は十数年前、それぞれ他人名義のパスポートで入国した。2006年に不法滞在が発覚。強制退去処分が決まった。
不法入国は本来許されない。しかも偽の旅券を使っている。ほかの不法滞在者への影響もある。法の原則にのっとれば、法務省の判断はもっともな面がある。
戦争繰り返さぬため
一方で、「子どもの権利条約」にはこう書いてある。教育を受ける権利。親と引き離されない権利。自由に意見を述べ、それが十分考慮される権利。いずれも尊重されるべきである、と。
悩ましい。けれど、子どもの幸せを第一に考えるというこの権利条約を、日本も批准している。日本国憲法とともに、子どもの人権を守る土台である。
のり子さんは「家族一緒に日本で暮らしたい」と訴えた。それを「子どもの権利」として受け止める姿勢は、政府やおとなの側にどれほど備わっているだろうか。
権利条約が国連総会で採択されたのは1989年。今年は20年の節目にあたる。
権利条約のもともとの発想は、「コルチャック先生」として知られ、1942年に亡くなったポーランドの作家、ヤヌシュ・コルチャックさんにある。孤児院の院長として教育の実践を重ねるなかで、子どもをおとなと対等の人格ととらえ、子どもの立場から権利の尊重を提唱した。
第二次大戦中、ポーランドはドイツとソ連に分割占領された。コルチャックさんは孤児たちと運命をともにして、ナチスの絶滅収容所のガス室に送られた。
子どもの権利条約を提案し、締結に力を尽くしたのはポーランド政府だ。どんな状況にあっても子どもたちが生き抜いていけるよう、子ども自身が判断力と意思をはぐくむことが大事だ-。条約では、子どもが自由に意思を表し、活動する「参加する権利」が重んじられている。
その背景に、戦争とホロコースト(大虐殺)の苦い歴史があったことを忘れたくない。
暮らしのなかに出番
日本では、おとなは子どもを保護する意識が強い。その代わりに服従を求めがちだ。「権利を与えると、子どもがわがままになる」といった見方も根強い。
実際のところ、どうなのか。
NPO法人が下伊那郡泰阜村で運営する山村留学「暮らしの学校だいだらぼっち」。24年目のこの春も、小学3年-中学3年の17人が1年間の共同生活を始めた。ここの活動は、子どもたち自身が話し合って決めていく。
その話し合いのしかたに特色がある。全員参加で、みんなが納得するまで話し合う。多数決はしない。子どもも、おとなのスタッフも、一人ひとり同じ重さの“一票”を持っているからだ。
自分の意見が認められる代わりに、ほかの人の意見も認める。時間はかかるけれど、その積み重ねのなかから、子どもたちは自ら進む方向を見いだしていく。スタッフの辻英之さんは言う。「子どもたちは未熟かもしれないけれど、そんなに間違っていない。こっちが学ぶこともたくさんある」
食事づくりに掃除、洗濯、風呂たき、まき割り。家では包丁を握ったことのない子も、経験を積むうちに慣れた手つきになる。
まずおとなが変われ
機会さえ与えられれば、子どもたちは生きる力を身につけていく。失敗しながら、権利には責任が伴うことを体験から学ぶ。「暮らしの学校」から見えてくる、子どもたちの可能性だ。
少子化が進む社会のなかで、子どもたちだけでのびのびと動ける空間を確保していくことが、おとなの大切な役目なのだろう。
子どもの健康や安全、人権などの面で、おとなの目配りは欠かせない。けれど、先回りするのはよくない。その兼ね合いが難しい。
子どもに任せると手間がかかるし、危なっかしく見える。結論を急がず、待てるだろうか。
日本国憲法にある幸福追求権や表現の自由は、子どもにも等しく保障されている。
まずおとな自身が変わらなくてはいけない。子どもを権利の担い手と認めること。子どもの意見を引き出し、真剣に受け止めること。参加の道を広げ、その力を伸ばす手助けをしたい。
核家族化が進み、地域のきずなも弱まっている。分かりやすい処方せんはないけれど、子どもはおとなの後ろ姿を見ている。きょうのこどもの日に、一人ひとりが考え、声を掛け合いながら、できることから踏み出したい。 (以上、引用)
まあ、日本の親の子育てがみんな悪かて言わんばい。
参考に、イル・サンジェルマンの散歩道さんのパリのメーデー風景 その2 子ども編なんか見ると、向こうの子どもたちは伸び伸びしとるごたる空気を感じるばい。
ちゃんと自分の思いや考えを「主張」し「参加」しとるばい。
「隣人祭り」と連帯
横道にそれるばってん、フランスの社会保障を支えたのはフランス人の連帯意識げな。
最近はフランスもご他聞にもれず、地域のきずなも弱まっているげな。
そこで10年ぐらい前から「隣人祭り」が始まっているげな。(こちらを覗いてんしゃい)
難しか話じゃなく、同じ建物に住む近所同士、寄り合って食事をして仲良うするらしかばい。
こげんしてまた、連帯を取り戻しよるったい。
よかね。
真似して、やろうかな。

ばってん、子育てはますます複雑で難しうなって来るごたるね。
うちはもうそろそろ卒業やばってん。
親や大人の接し方ばかり言うても、こら違うバイね。
社会的に考えんなら。・・・で、次は定番の「赤旗」からやばってん。
・・・珍しく、柔らかかばい。(笑)
そういう人が意識して書いたっちゃろうね。
主張 こどもの日 安心して成長できる社会に(2009年5月5日(火)「しんぶん赤旗」)
風薫る五月、笑いながら駆けていく子どもたち。見ている側も思わずほほえみます。子どもは社会の宝、未来をつくる主人公です。
その子どもたちが安心して成長していけるようにすることは、おとなの責任です。
心の声に耳を傾けて
何より、すべての子どもに衣食住、保育や教育を行き届かせることです。ところが、この当たり前のことにほころびが生じています。「子どもの貧困」の拡大です。
構造改革による雇用破壊、不十分な社会保障のなか、親たちは子育ての余裕を奪われ、食事もままならない子どもが増えています。
本紙は現場からその姿を伝え、問題解決を呼びかけてきました。今後も力を注ぎたいと思います。
日本の子ども関連の予算は、フランスの四分の一の水準にすぎません。そのもとで養育費や学費の調達は親の自己責任にされています。親の収入がなくなれば、子育てが行き詰まる仕組みです。
子ども関連の予算が多いフィンランドでは、国から母親全員にベビー服やかけ布団、哺乳びんや絵本などがぎっしりつまった箱が届きます。十七歳まで子ども全員に月一万三千円程度支給され、専門学校や大学を含め教育は無償です。学生は月々数万円の返済不要の奨学金をもらえます。
日本も予算の使い方を変えれば、そうした国になれます。次の総選挙で新しい政治への道を開き、子どもの貧困のない国へ大きな一歩を踏み出しましょう。
教育に目を転じれば政府や財界の「いまの子どもはこれが足りない。だからこれをやらせよ」という姿勢が気になります。例えば学力がないから授業時数を延ばし全国テストで尻をたたくなどです。
学力とは何か、人間はどう育つのかの冷静な議論なしに、支配的な人々の「こうあるべき」から発せられる号令は、子どもを貧しい人間観の枠にはめ、未来の芽をつむものでしかありません。
いま必要なことは、子ども一人ひとりをよく見ること、心の声に耳を傾けることです。
なぜ学習がつまらないのか。なぜ人間関係で傷ついているのか。そんな自分のことを理解し、一緒に歩いてくれるおとなを、子どもは求めています。そして、そうした関係を通じてこそ、子どもは人類が築いてきた学問や文化をわがものにしていくはずです。
その仕事の中心に教員がいます。それだけに、教員を上から言われた通りの業務をこなす“実務者”に変質させる、政府・財界の教育統制を許してはなりません。
憲法と「子どもの権利条約」を生かし、子どもたちの豊かな人格形成を支える教育をつむぎ出すための共同を発展させましょう。
「世界の宝」手渡そう
世界では戦火がやむ日がありません。アフガニスタン、イラク、そしてガザ…自分を守る力が弱い子どもは真っ先に殺され、心身を深く傷つけられます。
日本には憲法九条があります。九条は戦争のない世界を築くための「世界の宝」です。高校の教職員組合の調査でも高校生の六割が九条を支持しています。憲法九条を守り、子どもたちに手渡そうではありませんか。
力をあわせて、子どもたちが安心して育つことができる社会をつくっていきましょう。(以上、引用)
やっぱ、よかことの書いとるばい。
いろいろ大人が勉強して賢くなって、子どもたちが伸び伸び育つことができる環境ば作ってやらなね。
あの栗原清志少年が、忌野清志郎になれたのも、 「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」って、気をもむお母さんを説得した小林先生の力が大きかったやろうね。
最後やばってん、
この麦くさ。

一本一本はなんちゃなかもんね。
飛び切り丈夫でたくさん穂をつける優秀な奴がおるわけやないばい。
目だって貧相な奴があるわけでもないっくさ。
似たりよったりやばってん、みんなで片寄せあって生きとるとよ。
もし一本やったら、どげんなるね。
あげな華奢な身体じゃ、風を受けて折れるばい。
みんなで並んで風を交わし、穂をつけ実りをもたらすんじゃろうもん。
もし、へそ曲がりが
「俺は一人で麦になる」って言うたら、
ごっつか木のようにでもならんと生きて行かれんやろうね。
・・・そしたら、麦じゃなくなるとばい。
人間も人間同士は、そうかわらんたい。
みんなそれぞれ、似た人間同士や。
だけん、つながりあって、助けあって生きていくとやないと?
ロックの王様も、俺たちも同じ一人の人間たい。
・・・ばってん、優秀な才能ある奴は、やっぱ、ちょっと羨ましかこつもあるばってんね。ハハ・・・。
・・・ま、俺は俺自身を生きていくか。
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麦と言えば、こんな記事も→過去ログ:NO.484 身体も上げちゃろうか?・・・「麦文象嵌深鉢」(むぎもんぞうがんふかばち) 。

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2009.05.05 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・子どもと福祉・保育・教育
