NO.113 伝照寺さんに土地を貸してもらうことに。・・・出会い(4)
土地探し
作業所作りを始めるにあたっては、場所の確保が難題である。
最初は、早良の奥まったところに一軒家を買った。
便利なところは高いし、借地して気を遣うのはいやだから、自分で土地を買うことにした。
家を立てる事等考えもしなかった人生を歩んで来てたから、土地探しなど初めて。
たまたま妻の同僚が新聞で見たという広告を紹介してもらい、見に行った。
土曜の午後見て、夕方には契約した。
いろいろ探すのも面倒で、迷えば迷うほど迷うのが私の性格。
「おっ父がよければ決めるよ」で決まり。(俺は金なし、財布はおっ母のもの)
交通の便は悪いが、90坪に中古の平屋。改装すれば、立派な工房になる。
「要らなくなったら売ればいいや」バブルの頃であった。
1991年の秋のこと。
そうこうしているうちに、
宅老所のS女史から「お寺さんが土地貸してくれるってよ。」と言う話が来た。
S女史は、ここ伝照寺の茶室を借りて、全国の先駆けとなる「宅老所」の産声を上げる準備をしていた所だった。
そこで私が作業所の準備をしていることを話してくれたらしい。
S女史は、若い頃からの知り合いで、その連れ合いはひかりの所長である。
彼も若い頃から、障害者問題の学習会を通じて知り合った。妻は彼の後輩でもある。
お互いに、それぞれの結婚を祝う会の実行委員長をやった中である。
そして伝照寺の住職。
彼も、私が大学卒業後に働きだしたとき、この近所のアパートに住み、地域の平和運動で知り合った方だった。
「友さんなら知ってる。彼なら土地を貸してもよかばい。」と言って下さったそうで。
世の中狭いものだ。
浄土真宗の中にも、福祉の勉強会があり、
地域が変わって檀家さんがばらばらになる中で、檀家さんだけのお寺としてではなく、
地域の中でいかに共存するかを探っていたときらしい。
それから、この寺は、お年寄りと障害者を受け入れて、支えてくださっている。
こうして、都心の住宅街の1等地で、作業所を始めることができた。
地下鉄から5分、ヤフードームの近く、しかも住宅街で静かで緑も沢山と来てる。
ただでいいと言われたが、そう言う訳にも行かないだろうと、形ばかりの借地料で。
有難いことである。
あの時そのときの出会いがつながり、その力に支えられて最初の大きな一歩が踏み出せた。
自分では描きもしなかった、予想外に大きな一歩が。
私事だが、あの土地は、家族も増えることだし、何とか支払いは出来ることでしょう(おっかあ頼みで)、ということで、今の我が家を建てる事となった。
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Sさん、伝照寺さんありがとう、出会いに感謝!の気持ちをこめて
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2007.10.22 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
