NO.119 結婚24周年でした。
午後、次女から電話。何事かと思えば
「昨日お母さんに何かしてあげた?」
「は?なん?」
「結婚記念日じゃなかったと?」
そうか、手帳を見ると、そうだった。
数字は苦手だし、こういうことには無頓着だし。
娘たちがささやかなお祝いでもしてくれるらしい。
早く帰るように言われたので、真っ直ぐ帰宅。
妻と次女、三女は、来たる姪の結婚式に備えコーラス教室へ(出し物の練習らしい)。
三女が台所に立っていた。母親の大好物、チャンポンを作るらしい。
オイオイ、何で俺が母親に何かをしてやらないかんで、母親の好物なんだ?
24周年。
惚れあって結婚したつもりも、そのかけらもなし。
子育てと仕事に追われ、あっという間だった。
うちは世間一般の、夫婦とはちょっと違っていたかもしれない。
私の仕事と生き方では、家族は養えないのは明瞭だったので、家計の主な稼ぎ手は妻だった、である(ing)。妻は定年退職まで丈夫に勤め上げてもらう必要がある。
従って、家事育児などに過重な負担はかけられない。
やっぱ、世の中は金よ、金を持ってるものが強いの!
だから私は悟りを開き、争わず、尻に敷かれる前に、自ら主体的に尻の下にもぐり込む作戦でやった来た訳だ。
そう言う訳で、私は、世間のお父さんよりも遥かに、家事育児に関わることになった。
要するに、食わせてもらい好きなことをする紐稼業だったから、だから(ing)、その穴埋めはしないといけないと言うこと。
おむつ交換から、風呂、15年にわたる保育園の送り迎え、学校に入ったら参観にPTAの役員も。
炊事も朝は殆ど(おっかあが低血圧で、朝が苦手だったこともあるが)、夕方も時々。
(でも、娘たちが中学に入ると、食事時間がそろわず、味噌汁作ってもパンを食ったり、バカが、やる気なくして止めたけど。料理って喜んで食う人がいるから出来るんだもんな)
俺って結構いい親父、夫と思うけど、我が家では評価低いもん。当たり前視されている。
それはそれでいいか。
チョー可愛い娘たちが4人も出来て、好きなことを好きなようにやらせて貰って来たから。
おまけに、庵つくりを認めてくれ、半一人暮らしも・・・。
何より、金の心配しなくていいのは、これって大きいもんな。
やっぱり、有難いことだ。
ここで一言。
金の稼ぎが悪いのは、俺の甲斐性が悪いんじゃないからな。
この国が福祉をないがしろにして、福祉労働者の低賃金構造を作っている。
この国の甲斐性が問題なんだ。(こういう話になると、がぜん燃える!)
それが我が家の力関係に反映している。・・・ここで張り切っても仕方ないか。
そんなこんなで、皆でチャンポンを食べ、ちいさなケーキを食べ、ささやかなお祝いは終わった。
「24年間も有難い事で」というと
「そうね」である。
しょうもない私話に付き合っていただき、恐縮。


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2007.10.24 | | Comments(5) | Trackback(0) | ・家族・娘たち(今・回想)Ⅰ
