NO.1240 野中広務氏が「赤旗」に語る 憲法・戦争・平和/いま日本がおかしい
総理・麻生太郎と野中広務元幹事長は犬猿の仲だそうだ。
麻生が自民党の会合での野中元幹事長に「部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」とヒドイ差別発言を吐いたことがあるとか・・・。事実なら、麻生の暴言の中でも最たるものであろう。
同じ自民党政治家といえど、方やぼんぼんの成り上がり者、方や叩き上げの筋金入り。
今や、その政治家としての風格、違いは歴然である。
野中広務と「赤旗」・・・かつての「宿敵」同士が、面白い組み合わせじゃないか。
既にいくつかのブログで取り上げられ、紹介もされているが、当道場でも記録し紹介したいのが、「赤旗」の野中広務さんのインタビュー記事です。
いまの時代が、そうさせる
野中さんは、かつては、共産党の強い京都で反共産党の先頭にたったであろう保守政治家だが、
「25歳で郷里の町会議員になり、衆議院引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。」と切り出している。
また、国会議員を退いたのは、「とくに小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思」ったからだと語る。
次に、テロ特措法以来、自衛隊の派兵には議場を退場し、棄権することでで抗議したいきさつを語っている。
「正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。」 と。
種を蒔(ま)いていく使命
そして、憲法への思いを語り、戦争の傷跡を振り返り、歴史を学ぶことの大切さに触れ、戦争に加担しない道を行かねばならないと説き、次のように希望と使命感で結んでいる。
「去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。」
電子版にはないので、全文打ち出すのは大変だなと思っていたら、どこへ行く、日本。さんのところに、全文が掲載されていましたので拝借しました。
<特別インタビュー>野中広務さん 憲法・戦争・平和/いま日本がおかしい (しんぶん赤旗 2009年6月27日)
全文は”続きを読む”(↓一番下をクリック)に転載していますので、是非ともお読みください。
保守で政治的立場は違うとはいえ、真面目な政治家がいるということ、その言葉の重みはずっしり来ます。
あわせて、この記事が政界でも話題になっているそうです。
WordPressでBlog生活さんのコメント欄に、「日刊スポーツ」6月29日付「政界地獄耳」から、という記事が紹介されていました。以下、引用して紹介します。
「日刊スポーツ」6月29日付「政界地獄耳」から
野中が党でふん張っていれば・・・
★27日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」の1面インタビュー記事が政界で話題だ。自民党ベテラン秘書は「過去に正副議長が議会人として出たことはあるがOBとはいえ、選挙の近いこのタイミングも驚いた」。小渕恵三内閣で内閣官房長官を務め、自民党幹事長経験もある野中広務だ。03年に政界は引退したものの、いまだ全国土地改良事業団体連合会長などの職にあり、政界に一定の影響力があると言っていい。引退後は講演などを精力的にこなし、全国で既に300回を超えているという。
★「今静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じる」で始まったインタビューは「憲法、戦争、平和」と題され、民主党代表代行・小沢一郎の「国連の下でなら自衛隊を海外に出してもいいなんておかしなことを言っている」と民主党の政策を疑問視するとともに「政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思う」と政界再編にも批判的だ.
★記事の冒頭、議員引退の理由に触れた野中は「小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、米国型の市場万能主義をそのまま持ち込み、(中略)日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員を退いたのです」と話している。野中の政治家としての生きざまを評価する者は多い。だが、そこで引退せずに党でふん張り続け、間違いを正し、屋台骨を守る努力はできなかったものか。政権の中枢にいた人物だけに残念な気もする。また、今、野中の声を聞こうとするのが自民党ではなく、赤旗なのも興味深い。(F)
6月30日付の「朝日新聞」夕刊では、「窓」という論説委員のコラムで取り上げられたそうです。。
こちらも「WordPressでBlog生活」さんより拝借。
窓・論説委員室から 共産党の「変身」[朝日新聞 2009年6月30日夕刊]
27日付の「しんぶん赤旗」に、目を見開いた人もいるかもしれない。
野中広務・自民党元幹事長の大型インタビューが掲載され、憲法と戦争、平和について熱弁をふるっている。
野中氏といえば、小渕内閣の官房長官として日の丸・君が代の国旗・国歌化の旗を振るなど、共産党と激しく対立した。いわばかつての「宿敵」である。
インタビューを読みながら、13年前の「赤旗」の記事が、共産党ウオッチャーの注目を集めたことを思い出した。
阪神大震災被災者への公的援助に向けて、作家の小田実氏と志位和夫書記局長(当時)が会い、協力を約束したことを報じる記事である。長く市民運動の先頭に立ってきた小田氏もまた、かつて共産党とぶつかった時期があった。
志位氏は当時、こう語っていた。
「過去の経緯はあったとしても、前向きな方向で一致点があれば、どういう方々とも共同する努力をしていきたい」
時をへて委員長になった志位氏は、日本経団連やトヨタと雇用問題を話し合ったり、オバマ米大統領に核兵器廃絶演説を歓迎する書簡を送ったり。 「共同の努力」をさらに進めているように見える。
自民と民主の2大政党対決が注目される次の総選挙。そのはざまで小政党が活路を開くには、党の「幅」を広げるしかない。そんな思いも伝わってくる。
志位共産党の「変身」が有権者にどう受け止められるか。それも、総選挙の見どころのひとつだ。〈恵村順一郎〉
なお、貴重な情報を提供していただいている、「どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は阿呆な政治家に支配される)」さんと、「Internet Zone::WordPressでBlog生活」さんをリンクに登録させていただきました。よろしくお願いします。
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<特別インタビュー>野中広務さん 憲法・戦争・平和/いま日本がおかしい
(しんぶん赤旗 2009年6月27日付 1面・2面から)
小渕恵三内閣で内閣官房長官を務めた野中広務さん(元自民党幹事長)に、憲法などをめぐって最近思うことを聞きました。野中氏は2003年秋の総選挙を機に衆議院議員を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに全国各地を講演に歩き、テレビや雑誌上で活発な発言を続けています。
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25歳で郷里の町会議員になり、衆議院引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。
■議員引退の訳
国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を守ろうという会もあります。
いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員を退いたのです。
私自身は、軍隊経験は6ヶ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。
■大政翼賛会に
01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会議場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会議場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といっていました。
正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。
このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。
しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。
私は、振り返って今も三つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。
戦争に荷担しない道を
最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭堡(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下でなら自衛隊を海外に出してもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。
日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。
■憲法
たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を一つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。
憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています。
私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。
私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし、海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。
■戦争の傷跡
私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。
僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されて来た朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。
戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。
北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本が遺棄してきた化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。
■歴史に学ぶ
幕末から明治維新にかけて「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革ではあったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、そう思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。
シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。
国の根幹を決めなくてはいけない政治家達が、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていく流れにブレーキをかけなくてはならないと思います。
去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。
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のなか・ひろむ 1925年、京都府船井郡園部町(現南丹市)生まれ。大阪鉄道局(旧国鉄)入り、召集で陸軍に。戦後、園部町議、同町長、京都府議、同副知事をへて、83年衆院京都2区補選で初当選、以後当選7回。自治相・国家公安委員長、内閣官房長官、自民党幹事長を歴任。03年10月、解散・総選挙で衆院議員引退。
現在は全国土地改良事業団体連合会会長など。著書に『私は闘う』『老兵は死なず 野中広務全回顧録』ほか。
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2009.07.05 | | Comments(6) | Trackback(3) | ・2009総選挙Ⅰ
