NO.135 受容はするが迎合はしない。
トノは本日も快調である。
作業モード全開か。ひっきりなしにさえずりながら、マグカップ作りに励んでいる。この間、「ジドウシャ」「ノウヒン」にこだわって来た。
職員が、車で外用に出かけようとすると、鋭く察知して、
私に「ジドウシャ!ノウヒン!」と、
「自動車で納品に行っていいですか?」と聞いてきた。
これまでは、ストレスを貯めないために、大目に見て、OKを出してきた。
ダメと言えば、最後には従うのだが、ストレスがたまり本人にはマイナスになるという状況判断から。
さて今日は、やはり出かける職員に「ジドウシャ!」と言って来たらしい。
「今日はマグカップでしょ!」と切り返すと、何も無かったかのように作業に戻ったそうだ。
2日前の彼と今日の彼は違う。そこを見抜き、
迎合せずに、きちんと要求することが必要なのだ。
そういう関係の中でこそ、学びはある。
どんなに障害が重くとも、辛抱強く観察しながら要求する。
これまで、外に出るとき私にきちんと断ることを要求してきた。
「コーヒー」「ラーメン」「ジドウシャ」・・・最近はほとんど言って来てくれる。
作業所に来た頃のように、いつの間にか居なくなり,あわてて探すということも無くなった。
そういう小さな積み重ねで、お互いが関わりやすくなっていくのである。
関わりが、気持ち良くなると言う事は、「生き辛さ」が和らぐことである。
ICFで言う、「環境との相互作用」で障害を観る時、
こういう人と人との関係=環境をどう築くのかという課題は、個々の狭い意味での能力を伸ばすことよりもはるかに重要だと思う。
例えば、トノは、「連絡帳を持ってきて。」というと、殆どの場合すぐに持ってきて、
「オネガイシマス」と両手で渡す。
最初の頃、持ってきてはそこら辺にポイッと置いた時、「仕方ないか」と思ったけど、
私にはどうしても違和感があった。
そこで、私は気をつけの姿勢で両手で受け取ることにした。
すると、トノも両手で差し出すようになった。それから「おねがいします」をつけるのは、まもなくだった。
本人がそういう関係の形の意味をどれだけ理解しているのか?そんな事に意味があるのか?
と言う考えもあるだろう。
しかし、私はそういう風に差し出されたほうが気持ちいい。
彼が、関わる人たちに気持ちよさをもたらすとすれば、それは、彼自身が「人環境」を変えているということだ。
自閉症だからとか、障害が重いからとか、そういう現実に迎合しては、世界は変わらないのだと思う。
障害ゆえの「生き辛さ」(上田敏は「生きるうえでの困難」と呼んでいるが←クリック!この本オススメ)は、
それを和らげるあらゆる可能性と方法を模索しなければならないと思う。
日々の関わりから政治闘争まで。


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2007.11.02 | | Comments(1) | Trackback(0) | ・実践的福祉労働論
