NO.1451 障害者自立支援法違憲裁判 福岡の原告 敷島さんの意見陳述
(予約投稿です。父の7回忌で鹿児島に帰ってます。)
「 裁判官にお願いします。どうか私たち障害者家族の声を聞いてください。障害者・障害児そしてその家族の生活の実態を見てください。私たちにも、ごく普通の生活をさせてください。
この子を抱きしめたとき、私が泣かなくてもいい、そんな当たり前の社会を築かせてください。」
政府は、障害者自立支援法は廃止すると宣言し、長妻厚労大臣は自立支援法廃止と新法づくりへの当事者参加を約束しました。
そして全国で行われている「障害者自立支援法 応益負担違憲訴訟」についても争わない姿勢を明らかにし、話し合いを申し入れてきました。
障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会は、話し合いに応じつつも、裁判は続けることを確認しています。
そして先ほど、福岡地裁における第3次提訴が行われました。
原告の敷島さんは、息子さんと共に、わが陶友の陶芸教室に通ったことがあり、一緒に飲んで語り合った元気のいいお母さんです。大変さを顔にも出さなかったその影に、言い尽くせない不安と困難があったことを語っています。
女手一つで働きながら障害のある子どもを育てることがどんなに困難なことか、どれほど社会的な支えを求めてきたか・・・、そして自立支援法が、その願いをいかに残酷に踏みにじるものなのか・・・。
意見陳述を、紹介します。多少長いですが、是非生の声をお聞きください。
(陳述書のペーパーは裁判のときのもらっていましたが、テキスト化したものは、「とぜんなか通信」さんより転載させていただきました。)
意 見 陳 述 (敷島篤子)
平成21年11月6日
1 私の子ども敷島祐篤(よしずみ)は、生まれた翌日に全身のチアノーゼで緊急入院しました。よしが救急車で運ばれたときには、この子はもう死ぬんだと思いました。先天性の心臓疾患とわかり、生後3か月間は、一歩もICUを出ることも出来ず母親の私と一緒に眠ることもありませんでした。生後7か月と1歳6か月の時には心臓の手術を受け、医者からは、20歳まで生きられないかもしれないとも言われました。
2歳半のとき、福岡市の身障者センターで、「ひどい知恵遅れで一生手のかかるお子さんでしょう」と言われました。当然のように、「すぐに仕事をやめて、明日からセンターに母子通園をしてください。」とも言われました。
それまでの私は、郵便局に勤めながら、なんとか仕事と療育を両立させていました。ところが、子供が障害児であるというだけで、当然のように仕事を辞めることを求められました。センターだけでなく小学校でも、普通学級に通うためには、母親は、わが子が学校にいる間中ずっと付き添っていなければならないというのが現実なのです。私は、「障害児を産んだ女性には働く権利も認められない社会なんだ!」と叫びたくなる現実に何度も直面してきました。
障害児や障害者が生きていくためには、いろんな制度を利用せざるをえません。その申請手続の数たるや膨大なものです。最近になってようやくヘルパー制度が整備され、ほんの少しは負担が軽減されましたが、それでも障害のある者が当たり前の人間として生きていける社会にはほど遠いものです。障害者の親は一生を投げ打ってわが子の全人生を背負うことになります。そのため、大多数の障害児の母親は「自分が、こういうふうに産んだばっかりに・・・」という筋違いの負い目を感じながら、家族と共にその責任を果たそうと日夜必死で生活しています。
2 よしは、最初、地元である東区の保育園に通っていましたが、「重度の障害があるから保育園にはなじまない」と役所に判断されて、無理やりそれまでの仲間と切り離されて、車で30分かかるところにある通園施設へ通わなければならなくなりました。
その時私は、生まれて初めて、ひどい孤独を味わい、「死にたい・・・」と思いました。養護学校の先生は、愛情深く私たち母子に接してくれてはいましたが、仕事が終わってアパートに帰れば一人ぼっち。言葉がしゃべれない子どもと二人だけの生活でした。行政でも、保育園でも、たった一人だけでも「力になれなくてもずっと傍にいるよ」と発信してくれる者がいれば、私は死にたいとは思わなかったでしょう。
幸い、私には両親の助力がありましたが、よしは多動で、言葉もしゃべれず、外を歩けば車に突っ込んでいくような子で、年を取っている私の両親は常にへとへとでした。
そこで、私は区役所に何度もお願いしましたが、やっとわずかに週に4時間、当時障害児は対象外だったホームヘルプを利用できるようになっただけでした。地元の学童保育を利用しようともしましたが、校長から「勉強ができないとだめだ」とけんもほろろに断られました。
私は、よしや両親のため、そして私自身のために、必死で、ボランティアさんや、よしを受け止めてくれる仲間を探してまわりました。やがて南区に障害児の親たちが自主運営している障害児の学童を見つけて、よしは週に一度土曜日に学童にいけるようになりました。私たち親子の住まいは東区にありましたが、私は南区の学童で初めて、子どもを育ててゆく仲間と地域を見つけることが出来た気持ちでした。その時やっと、生きていこうと思えたのです。
その後、私は、地元でのよしはやっぱり一人ぼっちだと思うようになり、地元に障害児の学童を作りました。どんなに障害が重くとも、地域で、みんなと一緒に生きていける、つながっていける活動の始まりでした。そんな活動を続けてきたのは、よしが一人でも生きていける地域作り、社会作りを、自分が生きてる内にしてあげないといけないと思っていたからでもありました。
私は、よしとの生活をしていく中で、私の時間とお金はこの子の経験ために使おう、この子が一人きりになったときでも、一人で生きていけるだけの経験を積ませてやろうと決意していました。よしは、20歳になりましたが、いまだに小学校1年生の頃から繰り返し教えていることも覚えていません。自動販売機で買い物をすることはできるようになりましたが、お釣りを取ることは覚えていません。一人でバスに乗せて、高額のバスカードをこれまでに何枚無くしたことか。それでも、私は、よしが、たとえ私がいなくなっても一人でも生きていけるようになってほしいと思いながら、毎日必死に教え続けて暮らしています。
障害児は、親が必死になって居場所を作ってあげないと、日々を過ごせません。私が死んだら、この子は生きていけないとしか思えません。この子が一人でも安心して生きていける社会にはほど遠いといわざるをえません。
3 そうした中で、障害者自立支援法が、障害者とその家族の暮らしを根底から突き崩していることを理解していただきたいのです。
障害者自立支援法は、たくさんのお金がなくては生きられないしくみです。障害者とその家族の人間らしく生きたいという当たり前の願いを真っ向から否定している法律です。
例えば、よしが工房まるやヘルパーさんを利用できないということになれば、よしはもちろん私も、仕事をしたり、外出したりという普通の生活ができなくなるでしょう。私が仕事を辞めれば、収入がなくなり、障害者自立支援法によって課せられる工房まるやヘルパーさんの利用料を支払えなくなるおそれもあります。今は軽減措置がありますが、軽減措置は期間限定のものなのでいつなくなるとも知れません。
以前福津市に住んでいた間は、上限3万数千円の利用料負担がきつく、よしにヘルパーさんを利用しての外出を控えさせたこともありました。障害者とその家族は普通の生活をしたければお金を払いなさいというのが、障害者自立支援法なのです。
障害者にとって必要な支援や道具は、一時、一回かぎりのものではなく、生活のあらゆる場面で一生涯にわたるものです。この現実を、もし自分だったら・・と置き換えて考えてみてください。このことは、決して見知らぬ障害者とその家族だけの特別なことではなく、明日にでも皆の身に降りかかってくるかもしれないことなのです。
4 裁判官にお教え願いたいと思います。
憲法に保障された、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という言葉の解釈はいかなるものなのでしょうか。
障害者にも、国民としての当たり前の生活を保障してほしいと思います。それは優遇や贅沢を求めているわけではありません。
障害者は別個のものなのでしょうか。障害者は、憲法25条にいう「国民」に含まれてないのでしょうか。あるいは、憲法の条文は建前だけで、法律により如何様にでも国民を分類してよいと解釈すべきなのでしょうか。厚労省は、「障害者自立支援法は、障害者以外は利用しない制度だから、差別には当たらない」などと言っておりますが、障害者は別個の枠で処理するという厚労省のこの考え方こそが差別の根源なのではないでしょうか。
私たち障害者の親、特に重度の知的障害や、もろもろの障害の重複で色々なヘルプが必要な障害者の親は、「自分は、決してこの子を置いて死ねない!」と、常に死ぬような覚悟で日々を過ごしています。 障害という、天災と同じようにまったく予期せず、偶然に与えられたものをその親や家族と支援者にだけ責任を持たせる社会であって果たしてよいのでしょうか。
私たちがかろうじて日常生活を送れているのは、全国の福祉労働者の、自分の生活も省みない、熱いヒューマニティに突き動かされての献身的な仕事に支えられているからにほかなりません。障害者自立支援法は、彼らの待遇をも悪化させています。福祉労働者の待遇の向上と、施設への報酬日払い制の撤廃は、障害者とその家族の願いでもあります。そのためにも、障害者自立支援法が一日でも早く廃止されることを願っております。
5 この子は、幸か不幸か、自分自身の境遇を知りません。しかし、毎日を必死に生きている家族は、生きていることがつらいと思ってしまう時があるのです。障害者やその家族に、生きていることがつらいと思わせないのが、本来の社会保障ではないですか。障害者自立支援法は、私たち親子を、必死で生きている障害者やその家族を、さらに崖っぷちに追い込んでいるのです。
裁判官にお願いします。どうか私たち障害者家族の声を聞いてください。障害者・障害児そしてその家族の生活の実態を見てください。私たちにも、ごく普通の生活をさせてください。
この子を抱きしめたとき、私が泣かなくてもいい、そんな当たり前の社会を築かせてください。
どうかそのためにも、こうした障害者と家族の真実を裁判官がお聞きになり、直ちにこの障害者自立支援法という悪法を廃止すべきだという判断を下されることを期待して、意見陳述を終えさせていただきます。
以 上
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2009.11.14 | | Comments(6) | Trackback(1) | ・障害者自立支援法2
