NO.1586 島唄よ風に乗り 届けておくれ ・・・ 4.25沖縄県民大会によせて
時々、「58(ゴーヤ)」という沖縄料理の店に泡盛を飲みに行きます。
沖縄の大衆酒場みたいなところです。アットホームで行く度に始めての人とでも仲良く飲めます。
先日は、初任給前という若い職員が、アパートに帰りひとりで誕生祝をするというので、「そんな寂しいこというな!」と、一緒に食事につれて行きました。
大将が誕生祝いのケーキを準備してくださり、みんなでお祝いをしました。
Beginの「島人(しまんちゅ)ぬ宝」という唄があります。好きです。
・・・ということで、今日は公休日の月曜日。(午後は休んでる場合じゃなさそうだ 涙)
午前中は、今一度「沖縄」について・・・。
基地の中に街があるという沖縄の現実。
悲惨な歴史を、今県民が一丸となって変えようとしています。
(しんぶん「赤旗」より拝借)
昨日の県民大会に関する沖縄地元紙の社説です。(全文は”続きを読む”に転載)
社説 県民大会決議 基地なき島へ新たな始動/未来に誓った約束の重み(琉球新報 2010年4月26日 )
「民主主義は与えられるものではなく、奪い勝ち取るもの」。日本の教科書にはないが、そんな歴史を沖縄県民は先人から学んだ。
その教えと教訓が25日、読谷村で開催された「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外に移設を求める県民大会」で発揮された。
(中略)
米軍統治下で沖縄住民は「銃剣とブルドーザー」で土地を収奪され、犯罪の限りを尽くす米兵らの被害に耐え、命を自衛し、「自治は神話」とさえ豪語する米支配者の圧政をはねのけ、自らの手で自治を奪い民主主義を勝ち取った。
政府が米国に委ねた施政権を返還させたのも、祖国復帰への心を一つにした住民運動だった。
痛めつけられてもくじけず、過重な負担に耐え、侵害された人権や奪われた権利、脅かされた生活を、常に県民は自らの手で取り戻し、勝ち取ってきた。
政府は5月末までに移設先を決断するという。大会決議をいかに実現するか。闘いはこれからだ。
4・25県民大会を、将来の基地撤去に向け県民の新たな挑戦が始まった日として胸に刻みたい。
[4・25県民大会]県内移設は不可能だ
民意に沿い歴史的英断を(沖縄タイムス 2010年4月26日 )
自民党に共産党、親子連れに若者同士。沖縄戦を体験したお年寄りたちの姿も目立つ。党派や世代を超えて集まった人たち約9万人(主催者発表)。静かな熱気が会場を包む。
開会後も会場を目指す車の列は途切れず、周辺道路は大渋滞となった。大会に参加できなかった人たちは黄色のリボンを腕に巻くなどして県内移設反対の意思を示した。
(中略)
鳩山内閣は、首相と関係閣僚の間で意見の食い違いがあるようだ。
鳩山首相は現行案回帰について「自然に対する冒涜(ぼうとく)」とまで言って否定したが、岡田克也外相、北沢俊美防衛相らは県内移設案に傾いているようだ。
鳩山首相は、首相でありながら孤立状態に陥っているようにみえる。鳩山首相が県内移設派の閣僚や官僚に包囲され、県内移設に舞い戻る最悪の事態を憂慮する。
私たちは「4・25」を県内移設が葬り去られた日と理解する。日米両政府ともその意味を見誤ってはならない。
全国紙で社説に掲げたのは『朝日』だけのようです。
沖縄県民大会―基地を全国の問題として (朝日新聞 社説 2010年4月26日)
沖縄だけの問題ではない、国民一人ほとりが考えようと呼びかけています。遠い沖縄での出来事であり、身近なことではない。そのようにしてやり過ごすわけにはいかない。
米海兵隊普天間飛行場の「県外・国外」への移設を求める沖縄県民大会が、9万人の参加(主催者発表)のもとで開かれた。
「全国の皆さん、沖縄の基地問題は沖縄だけの問題ではありません」
大会で沖縄県の仲井真弘多知事は、そう訴えた。日本の安全保障、つまり私たち国民一人ひとりの安全が沖縄の米軍基地の存在と、そしてそれを受け入れてきた沖縄県民の負担と、じかにつながっているのだという叫びである。このことを私たちは大会を機に改めて深くかみ締めなければならない。(以下、略)
余談ですが、テレビなどは、沖縄のことよりも池尻エリカの離婚問題の方が重要な国民的関心事のようですね・・・。
大会での発言した女子高校生も、
「この基地問題は普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。」と呼びかけていました。
Sadaさんの「未来は私たちの手のなかに」から転載して紹介します。
以上、転載。(Sadaさん、楽してごめんなさい!)9.25県民大会では、岡本かなさん、 志喜屋成海さん。二人の高校生が訴えました。ここでは志喜屋成海さんの訴えをそのまま、いま届いたしんぶん赤旗より転載しておきます。
訴える二人の高校生
戦後65年の間、沖縄のなかには、米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤をつくっている人、沖縄のさまざまな場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち、日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。
すべての人が一生懸命生きているからこそ、平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。私には、それぞれの立場の人の考え方を判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人とのつながりを何よりも大切にしてきたことだけは分かっています。この精神はいまも昔も変わらず、沖縄の人びとの心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。
だから、ただ現状に流されて、「しかたない」と受け入れることで本当によいのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないとそう思うのです。
いま私たちの通う普天間高校では、大会をきっかけに、一人ひとりが基地問題について考え始めています。そして、いま、この会場にも、県内外から多くの方々が基地問題をなんとかしたいという思いに突き動かされて集まっている。もちろんこの会場以外でも、それぞれの場所で今この瞬間考えている人がいると思う。
この基地問題は普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。
最後にふたりは声をそろえてこう発言を締めくくりました。
「未来は私たちの手のなかに」
この子たちの手のなかにある未来は明るい。
この人たちの手の中にどんな未来をつかませてあげることができるのか。
私たち大人一人ひとりがが考えるべきことでしょう。
「島唄」も好きです。
夏川りみもいいですが、今日はTHE BOOMで。
1、でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐がきた
繰り返す悲しみは 島渡る波の様
ウージの森で あなたと出逢い
ウージの下で 千代(チヨ)にさよなら
島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ
私の涙
2、でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花
ウージの森で 歌った友よ
ウージの下で 八千代(ヤチヨ)の別れ
島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ
私の愛を
海よ宇宙よ 神よ命よ
このまま永久(トワ)に 夕凪を
島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ
私の涙
島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ
私の愛を
ララ ララララ ラララララ ・・・・・

(こちらから拝借 たくさんのデイゴが見られます)
デイゴが咲く頃、戦争でアメリカ軍が上陸してきた・・・。
ウージの森(さとうきび畑)で出会った人と、ウージの下(防空壕)で、永遠の別れ・・・。
島唄よ 風にのり 届けておくれ ・・・沖縄の現実と悲哀を。
島唄よ 風にのり 届けておくれ ・・・私の愛を。
島唄よ 風にのり 届けておくれ ・・・海を渡って 本土に
・・・こういう説があります。
沖縄の思いを、「4.25」の島唄の合唱をどう聴き、私たち自身が何をなすべきか・・・。
以下、2010年4月26日(月)「しんぶん赤旗」より、転載です。
沖縄県民大会 この力は必ず歴史を動かす
志位委員長が会見
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日本共産党の志位和夫委員長は25日、沖縄県内で開かれた普天間基地の県内移設に反対する「4・25県民大会」の会場で記者会見し、記者団の質問に答えました。
――会場の雰囲気をどう見ていますか?
志位 歴史を動かす日になったと、私も感動を覚えています。米軍基地の「県内たらい回し」に反対するということが、文字通り超党派の一致となり、沖縄の心が一つになった、すばらしい大会だと思います。これは、必ず歴史を動かす、日米両政府を動かす力になって働くと思います。
ぜひ、鳩山総理はこの県民の総意をしっかり受け止めるべきだといいたい。
――これだけの人が集まった背景はどこにあると思いますか?
志位 いろいろな背景・原因があると思いますが、1995年のあの痛ましい事件、それ以後も事件・事故がやまない、これ以上の基地による苦しみは受忍できない、がまんできないという深い思いが、沖縄の人たちにマグマのようにたまって、とうとうそれが噴き出して、いま歴史を動かす力になっているのではないか。
沖縄の怒りは限界点を超えた。だから日米両政府は、それを受け止めて、この声にこたえるべきです。
――辺野古への修正案などが出ていますが?
志位 この大会のスローガンは、普天間基地の閉鎖・撤去と県内移設に反対でしょう。県内のどこであれ、基地の「たらい回し」はノーだということが超党派での県民の意志となったわけです。そうした県民の意志が、かんぬきのようにガツンとかかった。これが今日の集会です。政府のいろいろな「案」が出るという状況がありますが、県内のどこであれ、もはやつくる場所はないということを、政府は認識すべきです。そして鹿児島県・徳之島の大集会にみられるように、日本国内どこにも受け入れる場所はありません。
だから、私たちは無条件で普天間基地を撤去すべきだと、これが一番の解決の道だと考えています。私自身、(21日に)ルース米駐日大使と会談して私たちはこういう立場だとお伝えしました。(23日に)鳩山総理にも会って、無条件撤去に踏み切るべきだ、そういう決断をやるならば、私たちも党をあげて応援するということを、話しました。いまこそ、そこに踏み切るべきだといいたい。
――歴史的な沖縄差別だという見方もあるが?
志位 沖縄問題は、日本問題そのものです。本土が沖縄問題を自分自身の問題としてとらえて連帯するかどうか、私たちも問われていると思います。
かつて沖縄が本土に復帰したとき、まさに今日のような島ぐるみのたたかいが起こりました。そのとき、本土も連帯するたたかいが起こり、沖縄と本土ががっちりと連帯して日米両政府を動かし、サンフランシスコ条約から言えば、条約上は不可能だったことを乗り越えて本土復帰を果たしました。そういう闘争が求められています。
沖縄でこれだけのたたかいが起こったのですから、これに連帯するたたかいを日本列島津々浦々で起こすのが私たちの責任だと思います。
沖縄県民大会の決議
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25日、沖縄県民大会で、女性代表の大城節子沖縄県婦人連合会会長が提案し、採択された「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める決議」は次のとおり。
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普天間飛行場の返還は平成8年(1996年)日米特別行動委員会(SACO)合意から13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
しかも、平成16年(2004年)8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引き起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成18年(06年)の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命(ぬち)どぅ宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にも関わらずSACO合意の「普天間飛行場条件つき返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示されており、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類をみない美しい海域であることが確認されています。
名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。
以上決議します。
鳩山総理に聞いてほしいものです!

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社説 県民大会決議 基地なき島へ新たな始動/未来に誓った約束の重み(琉球新報 2010年4月26日 )
「民主主義は与えられるものではなく、奪い勝ち取るもの」。日本の教科書にはないが、そんな歴史を沖縄県民は先人から学んだ。
その教えと教訓が25日、読谷村で開催された「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外に移設を求める県民大会」で発揮された。
初の超党派の大会には出席が危ぶまれた仲井真弘多知事も登壇し、思想信条を超え、県民が心を一つに危険な基地の早期撤去と県内移設反対を日米両政府に突き付けた。会場には10万人近い県民が押し寄せ、戦後65年間、復帰後38年間も変わらぬ基地の過重負担に強い異議を唱えた。
政府の揺さぶり
「最低でも県外」と県民に公約した鳩山由紀夫首相は、もはや後戻りはできまい。新たな基地の県内建設という野望を捨て、危険な基地の撤去を急ぐべきだ。
県民大会で県民が口にしたのは、未来への約束、子どもたちへの誓いだ。それは「基地のない平和な沖縄の実現」だ。
次代の子どもたちに米軍基地の被害と負担を残さないこと。私たちの世代で基地被害や基地依存から脱却し、明るい未来を描く真っ白なキャンバスを残すこと。それが、県民大会に参加した人々の共通する願いであり、誓いだ。
仲井真知事は、大会直前まで参加をためらった。参加見送りを促す政府の圧力に悩んだか。
政府に盾を突くことで2年後に更新期を迎える政府の沖縄振興計画や振興策に悪影響が出ないか。財政依存度が全国に比べ突出する県経済だ。「ムチ」の痛みはどれほどか。
新基地建設容認と引き換えに自治体に支払われる基地交付金、基地建設に伴う大型の公共事業は、建設業の比重の高い沖縄にとって、手を伸ばしたくなるアメだ。
しかし、知事は大会出席を選択した。「日米同盟を肯定する」という知事でさえ「沖縄の負担は応分をはるかに超えている」と壇上で訴え、「普天間の危険性の早期除去」「過重な基地負担の軽減」の二つを政府に要求した。
同時に沖縄の次期振興計画の柱となる「沖縄21世紀ビジョン」の基本が「基地のない平和な沖縄」と強調した。
2030年までの長期ビジョンだが、知事は次代の子どもたちに「米軍基地の撤去」を誓った。
稲嶺進名護市長は、県民大会のうねりを「国民の民主主義を取り戻し、県民の人権を取り戻す闘い」と表現した。
ことし1月の市長選で普天間の辺野古移設現行案反対を訴え当選した稲嶺市長は、「オール沖縄で反対する原動力となり、先導役を担った名護市民を誇りに思う」と語り、政府内で再浮上する「辺野古回帰」の動きにくぎを刺した。
沖縄には在日米軍専用施設の74%が集中する。日米再編で合意された普天間など嘉手納基地より南の5基地が返還されても、占有率は70%を超える。
政府は「矛盾」解消を
「過重負担に耐え続ける県民に、世界一危険な基地一つ撤去できない政府」(伊波洋一宜野湾市長)への不信感が会場を包んだ。
高嶺善伸県議会議長は、「歓迎しないところに基地は置かない」と語った米元国防長官の言葉を引き合いに、「受け入れを歓迎、決議したテニアン、北マリアナになぜ移設しないのか」と矛盾を突いた。
「4・28」(1952年)は、サンフランシスコ講和条約が発効した戦後日本の「独立記念日」だ。だが、沖縄にとってその日は日本政府が沖縄を切り捨て、米軍統治に委ねた「屈辱の日」だ。
米軍統治下で沖縄住民は「銃剣とブルドーザー」で土地を収奪され、犯罪の限りを尽くす米兵らの被害に耐え、命を自衛し、「自治は神話」とさえ豪語する米支配者の圧政をはねのけ、自らの手で自治を奪い民主主義を勝ち取った。
政府が米国に委ねた施政権を返還させたのも、祖国復帰への心を一つにした住民運動だった。
痛めつけられてもくじけず、過重な負担に耐え、侵害された人権や奪われた権利、脅かされた生活を、常に県民は自らの手で取り戻し、勝ち取ってきた。
政府は5月末までに移設先を決断するという。大会決議をいかに実現するか。闘いはこれからだ。
4・25県民大会を、将来の基地撤去に向け県民の新たな挑戦が始まった日として胸に刻みたい。
[4・25県民大会]県内移設は不可能だ
民意に沿い歴史的英断を(沖縄タイムス 2010年4月26日 )
自民党に共産党、親子連れに若者同士。沖縄戦を体験したお年寄りたちの姿も目立つ。党派や世代を超えて集まった人たち約9万人(主催者発表)。静かな熱気が会場を包む。
開会後も会場を目指す車の列は途切れず、周辺道路は大渋滞となった。大会に参加できなかった人たちは黄色のリボンを腕に巻くなどして県内移設反対の意思を示した。
読谷村運動広場で開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」は、沖縄の世論が一つにまとまった節目の大会となった。
県内の政治状況は昨年からことしにかけて劇的に変化した。民主党は昨年8月の衆院選で「最低でも県外」と公約し、県内全4選挙区で現行案を認めない候補者が当選した。
名護市長選では同じく現行案に反対する稲嶺進氏が当選した。県議会も与野党が初めて足並みをそろえて県内移設に反対する意見書を可決し、全41市町村長が県内移設に反対している。
県民大会に合わせるかのように、政府内で名護市辺野古沿岸部を埋め立てる現行案を、一部修正する案が検討されているとの信じられないニュースが飛び込んできた。「最低でも県外」の公約を裏切るばかりか、この国の民主主義の成熟度を疑わせる。
稲嶺名護市長は辺野古回帰論について「県民を愚弄(ぐろう)するものでとても許せない。海にも陸上にも基地は造らせない」とあらためて誓った。
うるま市勝連沖埋め立て案が浮上していることについて島袋俊夫市長は「巨大軍事都市化につながりかねず、到底容認できない」と拒否の姿勢を明確にした。
もはや県内移設が不可能なのは決定的で、それを前提にしない限り解決策はあり得ない。
11月には知事選がある。知事は公有水面埋め立ての許認可権を持つ。県内世論の9割が国外・県外を求める中で、県内移設容認の知事が誕生する可能性はほとんどない。
2日前に出席を決めた仲井真弘多知事は県内移設反対を明言することはなかったものの、鳩山由紀夫首相に「公約に沿ってネバーギブアップでしっかりやってもらいたい」と注文を付けた。
仲井真知事も引き返すことのできない地点まで来たというべきだ。
そもそも地元合意なしに新基地を建設できると思うのは時代錯誤も甚だしい。移設候補地として名前が挙がった九州中北部の自治体からはすぐに反対の声が上がる。海兵隊は日本のどこからも受け入れられていないということになる。
地元に歓迎されない場所に米軍を駐留させないという米国の原則からすると、海兵隊は撤退を真剣に考える時期にきている。
米軍が普天間の代替施設を求めるのは既得権を手放さないからだ。
しかし、代替施設を県内に求める従来の手法は明らかに限界にきている。海兵隊の国外移設と運用見直しを組み合わせた新しいアプローチが必要だ。
現行案にこだわる米国にも政権交代を認識してもらいたい。米軍受け入れ国で政権交代後に撤退する確率は67%というデータもあるくらいだ。
鳩山内閣は、首相と関係閣僚の間で意見の食い違いがあるようだ。
鳩山首相は現行案回帰について「自然に対する冒涜(ぼうとく)」とまで言って否定したが、岡田克也外相、北沢俊美防衛相らは県内移設案に傾いているようだ。
鳩山首相は、首相でありながら孤立状態に陥っているようにみえる。鳩山首相が県内移設派の閣僚や官僚に包囲され、県内移設に舞い戻る最悪の事態を憂慮する。
私たちは「4・25」を県内移設が葬り去られた日と理解する。日米両政府ともその意味を見誤ってはならない。
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