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NO.2112 戦争とともに障害者が消えた?

 障害と人間についての生成史については、ずいぶん前に以下の三部作で浪花節的に書きました。

     金魚4098

人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作
NO.258 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(1)
NO.259 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(2)
NO.260 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(3)

 この3部作は、今日の新自由主義政策の福祉切捨てを概観し、考古学資料の人骨・重い障害を持った後期ネアンデルタール人と対話しながら、新自由主義の人間観を批判し、人間と福祉について考えたものです。
 とはいえ、学術的ではなく「浪花節的」ですが、最も自分らしい記事で、思想的原点ともクロスするものです。お読みいただければ、幸いです。

 今回は、その後の歴史の中での障害者について概観してみたいと思います。

縄文人と弥生人と障害者
 文字で記録がない有史以前のことは考古学の知見に頼るわけですが、日本でも、大腿骨骨折をしながら生き延びていた縄文人の骨が発見されています。
 ところが弥生人の中には障害者は発見されていないそうです。
(それはたまたまだと言えば考古学は成り立ちません。考古学は出土した遺品を例外としないで、当時の普通のこととして扱うのが基本だそうです。なるほど)

 縄文人は、狩猟と狩りを生業とした原始共同体の中で暮していました。そこでは基本的には「重い障害者とともにに生きた」後期ネアンデルタール人たちと同じような人間関係・・・相互扶助と連帯の関係の中にあったと思われます。

 弥生時代の遺跡から発見される鏃(ヤジリ)は、鋭く殺傷用のものだそうです。
農耕が始まり、食料に一定の余剰生産物が出来ると、それは人口の増加に寄与しつつも、一部の者がその富を支配しようとするようになる。部族内でも争いが起こり、他部族への略奪も行われる・・・、戦争が起こるようになっていきます。その武器としてそれまでもっぱら狩猟の道具として使われていた道具が武器に発展していったと考えられます。

 そうして、戦争が始まり武器が出現するとともに障害者は消えたというのです。
社会的な富を一部の者が独占しようとする階級社会は、奴隷制社会、封建制社会と引き継がれ、今日の資本主義社会へと発展してきました。

 障害者の存在と問題も、こうした社会発展の歴史の中でとらえることが重要だと思います。

蛭子は川に捨てた
さて、次は有史の中で障害者の姿を概観してみたいと思います。
ある古文書に「蛭子は川に捨てた」と記されているそうです。蛭子、手足が無いか、或いは奇形でしょうか。そうやって、人為的に淘汰した歴史がうかがえます。

 奈良時代に光明皇后が興福寺に悲田院、薬施院を作り、行き倒れや病人、老人や捨て子、障害者を保護したことは知られていますが、これが記録に残る最初の障害者保護でしょうか?

 江戸時代には、幕府が捨て子禁止令を出したり、五人組で保護体制を作らせたりしたそうです。また、寺子屋には5%のろう児がいたという記録もあるそうです。
 これらは、権利保障には程遠い取り組みですが、お上の温情で慈恵的な「福祉」が芽生えてきていたのでしょう。

 このように、人間の命の一部として生まれてくる障害者には、人類史とともに長い歴史があります。
「めくら蛇におじず」「めくらに提灯」「ばかと鋏は使いよう」などの、障害者を侮蔑した言葉が出来たのも江戸時代だという・・・。
 或いは路上に、あるいは見世物小屋で、また或いは・・・、社会の片隅にひっそりとではあるが確かに存在して来た障害者の歴史です。

「戦争とともに障害者が消えた?」と書きましたが、今日世界の障害者の圧倒的な数は、戦争による障害者です。

 生産力の爆発的な発展を遂げた今日の高度に発達した資本主義の社会。
まとまりなくなりましたが、この国での障害者問題を考える時、歴史は様々な示唆に富んでいると思います。

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テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

2011.08.02 | | Comments(5) | Trackback(0) | ・障害者福祉いろいろ

コメント

だれでも、どこでも、いつでも

こんばんは。ほでなすです。障害者と障害について考えました。しかしピンとこないんですよね、わたし。病院に勤めていた時、整形外科と小児科にいたんですが、だれでも、どこでも、いつでも、障害者になることは、ある。それは、交通事故であったり、部活だったり、公園で遊んでいた時であったり、或いは、お隣の雪が、屋根から落ちてきて全身に麻痺が起きてしまった男性もいました。小児科デハ、ダウン症の未熟児がよく運ばれてきたのですが、それは、それはかわいくって、そのかわいさゆえにダウン症がなんだか、かすんでしまうんですねー。ご両親は苦しむし、悩みます。でももちろんかわいいから、そんな、障害なんて超越したところで、うちの子かわいい!と。それでいいのだと。世間は、医療は、障害という記号をたまたまつけるだけで、便宜上。ダウウン症だからどうした!とおもうのです。もちろん、心疾患、聴覚障害、さまざまな合併症もありますから、心配が尽きないでしょう。わたしの子も障害があり、自殺してしまいましたが。それを超えたところに、やっと、見えてきたわたしなりの結論。障害は、厚生労働省の区分。息子は人間でした、ただそれが真実。
大脇様の、福祉、介護は人間らしさを自覚的に発揮する営みを社会的に組み立てた制度。
福祉の仕事をする方こそ政治に関心を持って!とのご意見が特に心にしみました。
3万年前のナンディーさんの頃より、なんか退化してませんか?

家の夫の兄も重度の知的障害者です。今グループホームで生活しています。ほんとうは、住み慣れた舟形コロニーという施設で生涯過ごさせたかったのが、両親の願いでしたが、前浅野史郎宮城県知事の脱施設政策によって、無理やり出されました。施設かグループホームかではなく、どちらも選べる自由があってしかりと思うし、高齢の親の方は困ってました。親の会の方が、署名活動をしましたが、結局、強引に推し進められました。最近前知事の浅野さん、テレビで障害者も街にでて地域で暮らすべきだと言っているのをみましたが、もっと柔軟性を持ってほしい。白血病でくるしんでるので、あんまり文句言いたくないけど、やっぱり当時者の意見を尊重してほしいですね。兄とずっとかかわっていくのは、夫とわたしですから。

2011-08-02 火 20:04:05 | URL | ほでなす #.udystI. [ 編集]

ほでなすさんへ。

こんばんわ。

>やっと、見えてきたわたしなりの結論。障害は、厚生労働省の区分。息子は人間でした、ただそれが真実。

それでいいと思います。

> 3万年前のナンディーさんの頃より、なんか退化してませんか?

そうなんですね。
それが問題なんです。

>やっぱり当時者の意見を尊重してほしいですね。

浅野方式がもてはやされ全国的な方針に取り入れられたのですが、現地での問題が検証されませんでした。
地域生活への移行を強引に進めていますが、地域生活を支援する手立てがないまま、「地域に追い出されている」実態もあります。
豊かな生き方は多様な選択肢が準備され、自己決定できることだと思います。
上から「これが幸せな生き方だ」と押し付けるところに、幸せなどあり得ないでしょうね。

障害に関する理解の問題は、解釈と区別化のためではなく、問題解決・支援のためです。
「同じ人間だ」を前提にしつつも、それだけでは問題の具体的解決には向かわないのではないでしょうか。

簡単ですがコメントへの感想、・・・ということで。

2011-08-02 火 21:03:09 | URL | 友さん #- [ 編集]

改めて、新たに

こんばんは。ほでなすです。深いことばです。
障害に関する理解の問題は、問題解決、支援のため。
人間はみな同じだけということだけでは、具体的解決には向かわない。
改めて、肝に銘じます。心も新たに。
大切な真実のご指摘に感謝します。

2011-08-03 水 17:29:15 | URL | ほでなす #.udystI. [ 編集]

ほでなすさんへ。

こんばんわ。

何度も読んで返事を考えました。
とてもデリケートな問題で、しかもほでなすさんはつらい経験の当事者です。
顔を見てのお話ならいいのですが、短い言葉で真意が伝わるのだろうかと。

決して十分じゃなかったかもしれませんが、伝わったことに率直に安どしています。
基本的な信頼関係があればこそのことだと思います。
ありがとうございました。

もし、お時間が許すなら、ご参考までに以下のエントリーもお読みいただければ嬉しいです。
これまた、「障害と個性」という似たような問題です。
「個性」という、耳触りのいいことばの中に障害の本質が埋没してはならないと思います。

NO.1856 「『障害=個性』は一度も口にしたことはない」(乙武洋匡さん) 
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1897.html

NO.241 障害は個性か?
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-254.html

NO.245 障害は構造的。
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-258.html

2011-08-03 水 20:12:30 | URL | 友さん #- [ 編集]

考えて見れば誰でも障がいある???

広い意味で言えば誰でも障がいはある。年を取れば高齢者と言う障がい、拒食症、過食症の人も広い意味の障がいだ。障害という言葉は嫌いだ。その存在が害みたいな存在だから私は障壁の「障」にひらがなの「がい」を付け加えて誰でも生きる意味はある。悪イメージの障害の言葉を和らげている。生産性うんぬんでは無いものがあると思っている。そこに障がいの人の生きる価値があると思う。

2011-08-03 水 20:28:51 | URL | ぶじこれきにん #U9m.xr6A [ 編集]

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