NO.227 私の助手として・・・信君のこと(3)・・・陶友の歩みと出会い(29)
信君のこと(3)
私は、事を具体的に進めた。
正式に、雇用形態は取れませんが、「俺の助手ということでどうか?手当ては月5万円。」
「仕事はこれまで通りに自由に作品つくりをしていいが、
陶芸教室の指導に入ることと、陶芸班の仲間の朝礼終礼などを援助すること。」
知的な障害のない彼には、色々とこざこざした用事も頼むことが出来た。
彼は「お兄さん」的に仲間たちと関わるようになった。
陶芸教室は当時週に2コマ、水曜は昼間だが、木曜日は夜9時までで、帰り着くのは10時半になった。
ただの居候敵存在ではなくなり、彼は、日に日に明るくなっていった。
教室の人に教えながら、人と関わることも増え、そう言う面でも彼は自信を深めていった。
作品つくりの方も、当時陶芸のボランティアで来ていたT氏にお願いして、本格的に轆轤(ロクロ)を教えてもらっていた。
そうこうしながら、信君は見違えるように、落ち着いていった。
問題の手当てだが、5万円は陶芸教室の受講料収入から出すことが出来た。
信くんが、陶芸教室の有償の講師という事だ。
これは、施設会計とは別で、応援団の事業活動の一環だったので、そういう自由な支出が可能だった。
陶芸教室に関わることは、彼の精神衛生上も特にいいいい効果をもたらしたようだった。
普通に人と一緒に活動をし、交流する。
教室の人たちにも事情は理解してもらっていたので、優しくしてもらった。
ロクロの腕も日増しに上達していた。
このまましばらく進めば、精神的にも安定し、力もつけ(特に対人関係の)、就職に挑戦する日も来るだろうと、私は安堵していた。
・・・しかし、問題はそう易々とは片付いてはくれない。
一歩進めば、また新しい景色が見え、また新しい山があります。
次の課題がそびえていました。
話しは横道にそれますが、陶芸教室の話なのでついでに。
陶芸教室は、今は細々ですが・・・。
当時は気合を入れてやってました。(いや、今いい加減ということはないと思いますが・・)
地域の子どもたちや、PTAのお母さんたち、色々な団体のレクレーションなど、
結構にぎわっていました。
それは施設の地域開放と交流のための役割と共に、
貴重な自主財源つくりの活動でした。
建設費のうち、社会福祉協議会に借りた500万円とその利子は、
10年かかって、この教室の受講料収入できっちり完済出来ました。
借金からは解放されました!
ひかり後援会や法人に頼らずに、作業所の資源を活用して自力で返済できたことは、気分的にかなりスッキリしたものがあります。
(この自力返済ことは、法人や関係者の中でも余り関心ももたれず、知られていないと思います。金がない金がないと言えば、知られますが・・・。だからスッキリ・・・かな?)
なかなか思うようには行かないものです。信くんはどうしても止めなければならなくなり、次はお別れについて書きます。・・・ ポチッと応援して下さい。
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2007.12.25 | | Comments(8) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
