NO.2168 「ポア」されるかもしれない教師のもとで子どもたちは?・・・橋下「教育基本条例」を考える
管理された教師と教育は、子どもたちにとってどういうことになるのか。
橋下「教育基本条例」を考えるにあたって、誰が言ったかはわからないが、大学時代に教育学徒の端くれとして出会った言葉を紹介しておきます。
教師が、彼の基本的権利を奪われたとき、
子どもは、支配者の奴隷としてのみ育てられる。
教師が、来るべき社会の理念を忘れたとき、
子どもは、現実に適応する人間としてのみ育てられる。
教師が、訳もなく支配者に頭をたれたとき、
暴力は子どもたちを支配する。
教師が首をちらつかされて管理されたら、子どもたちはどうなるのか?
橋本氏は、知事が決めた教育目標を押し付け、校長に教師を「採点」させ、出来の悪い教師は「ポア」するという。そうなれば、教師たちは自らの保身に走り、校長のご機嫌をうかがうようになる。無論、子どもたちのことは視野の隅っこに追いやられる。・・・そうなれば子どもたちは「サリン」にまみれ…。(極端な比喩だが)
大阪府教育基本条例案 (平成23年10月5日・大阪府議会提出版)前文には、次のようにある。
この認識を受けて、基本理念は次のように謳う。・・・大阪府における教育の現状は、子どもたちが十分に自己の人格を完成、実現されているとはいい難い状況にある。とりわけ加速する昨今のグローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する教育には、時代の変化への敏感な認識が不可欠である。大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない。教育行政の主体が過去の教育を引きずり、時宜にかなった教育内容を実現しないとなれば、国際競争から取り残されるのは自明である。
教育の目的が、あたかも労働市場での付加価値の高い立派な労働力を身につけることにあるといっており、それは、口先では批判できても実際には、多くの親や国民が受け入れているといわざるを得ない。それが「教育市場」を形成している。六 グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
子どもたちの健やかな成長は脇に押しやり、まさに「支配者の奴隷」としての、資本のもうけの手段としての人間つくりがまかり通っているのである。
そもそも教育や福祉や医療…、人間が生きる基本に関ることに、政治とか市場とかが介入すべきではない事は自明の理のようだが、現実には学校も含めた「教育市場」で受験競争に追い込まれているのである。
橋下氏は、さらに教育に政治的・強権的に介入し、力でもって市場原理を貫徹させようとしているのである。
一部ネット上では、大阪での選挙戦について、「ファシズム」や「独裁」の定義がどうかとか、政治対決の構図がどうかとか問われているようだ。
しかし、「橋下を止める」と言うことはこういう教育や社会を問うということじゃないだろうか?迫り来る危機から子ども達をを守るかどうかだと思う。
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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
2011.11.24 | | Comments(1) | Trackback(7) | ・教育問題
