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NO.2239 「障害者自立支援法の廃止見送り 民主、厚労省案を修正」 裏切りは許さない!一票もやらないぞ! 追記:力をつけよう! 学ぼう!「障害者制度改革の重大な岐路 竹端寛」

 障害のある仲間たちの、春を待つ願いは民主党によって完全に裏切られようとしています。

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 ついにこんな記事が配信されています。
障害者自立支援法の廃止見送り 民主、厚労省案を修正(朝日 2012年2月22日1時36分)
   http://www.asahi.com/politics/update/0222/TKY201202210811.html

新しい障害者福祉サービスを議論している民主党の作業チームは21日、障害者自立支援法改正案をまとめた。障害者らの反発を受けて将来の見直し規定を盛り込むなど、厚生労働省案に一部修正を加えた。ただ、法改正で対応する方針は維持し、公約した同法の廃止を見送る形になった。

 自立支援法の廃止と新法制定を09年の総選挙で公約した民主党は、政権獲得後に障害者や支援者らが参加する検討会議を政府内に設置し、昨年夏に新法に向けた提言を受けた。今月、厚労省がこれをもとに現行法の改正案を示したものの、検討会議では「提言内容がほとんど反映されていない」と批判が噴出した。

 これを受けて、民主党の作業チームは厚労省案の修正内容をまとめた。福祉サービスを決めるもとになる「障害程度区分」については、提言が求めた本人の意向を反映する仕組みを今後検討することを、法案に明記するよう求めた。

 また、障害者からの批判に配慮し、「提言実現をめざす観点から、引き続き段階的・計画的に取り組む」との内容を、法案の付則に明記するか、国会で付帯決議する方向だ。


 民主党の裏切りは、障害者にまで例外ななく非道でした。
その会議の中身は民主党三宅雪子議員の嘆き(ツイッター)で伺う事が出来ます。

■朝日、読売、東京に大きく批判記事。いくら詭弁で取り繕い、新法だと言ってもそう受け取られないということだ。厚生労働省の方に、申し訳ないけれど、少なくとも私とは信頼関係はなくなりましたよと伝える。官僚手主導の見本のようなケース。

■障がい者ワーキングチーム会議では多くの議員が異論を唱える。昨日の会議の結果が反映されず、逆に見たこともない内容が盛り込まれていたからだ。私はこの間の障がい当事者の方々、団体の方々に対する誠意のなさ、また、本来は仲間である私たちさえ騙すかのようなやり方に失望している

■続き、新法だと言い張るのは勝手だが、私はそういう詭弁には加担できない。この法案は現段階ではマニフェスト違反だとはっきり明言する。マニフェスト違反ももちろんあってはならないことだが、それを認めない姿勢では、違反にならないよう努力をこれからできないではないか。続く

■続き、昨日会議後に作られたとされる要綱案も、以前から準備されていたのは明白で、そこからも会議の意見など取り入れるつもりではなかったというのが窺える。厚生労働&事務局にどう向き合うかが今後の課題。しかし、今後の行動によっては私は厚生労働外されるんだろうな(ため息)



「障害者からの批判に配慮し、「提言実現をめざす観点から、引き続き段階的・計画的に取り組む」との内容を、法案の付則に明記するか、国会で付帯決議する方向だ。」!!???

・・・!
笑わせるな!!
お前らには、一票もやらないぞ!!



力をつけよう!
学ぼう!

障害者制度改革の重大な岐路 竹端寛



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障害者制度改革の重大な岐路 竹端寛

■「あるべき姿」と「現実」の落差

問題とは、あるべき姿と現実との落差の間にこそ、捉えられるべきものであるはずだ。あるべき姿を見失って、現実と問題だけを見ていても、何も生産的な議論は生まれてこない。これは、震災復興や原発問題、あるいは社会保障改革など、日本社会が突き当たっている多くの課題に構造的に示されている。その多くが「あるべき姿」を見いだせず、あるいは「あるべき姿」が群雄割拠して統合されず、現実と照らし合わせた際の問題点の焦点化ができないまま放置されている。

そんななか、じつはその「あるべき姿」を具体的にビジョンとして示せたがゆえに、現実における問題が明確化された領域がある。それが、この論考の主題とした障害者制度改革である。

2011年8月30日、内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会は、現行法の障害者自立支援法に代わる新法にどのような内容を盛り込むべきか、についての「骨格提言」を示した。この「骨格提言」は、現行法への賛成・反対の立場を超えて、国の審議会レベルで障害者制度改革に必要な「あるべき姿」をまとめ上げた画期的な内容である。

そして、去る2月8日、厚生労働省はこの「骨格提言」をどう具現化するか、を「厚生労働省案」として示した。その中身は、上記の「骨格提言」に対する実質的なゼロ回答、に近い内容であった。現在、この案は政府与党のワーキングチームで議論され、3月上旬には閣議決定の後、今年の通常国会に上程される予定である。だが、骨格提言をまとめた部会関係者だけでなく、多くの障害当事者や関係者は、この「あるべき姿」と「現実」の落差や厚労省の対応に、多くの「問題」を感じている。そしてこの問題の根は、深い。

■介護保険との統合議論をめぐって

2005年の介護保険法改正の議論で、焦点のひとつとなっていたのは、障害者福祉と介護保険との「結婚」話だった。人によっては前者の後者への吸収合併、と言う人もいる。

介護保険法が2000年にスタートして数年で、介護の社会化、は見事に成功した。それまで「福祉の世話になる」のはスティグマの烙印が押されていたが、保険料を払っているのだから必要なサービスを受けるのは当然の権利だ、という意識が、高齢者の間に数年で急速に広まった。それにつれ、要支援・要介護1などの軽度の利用者が爆発的に増加し、また団塊の世代の要介護年齢突入も目前に控え、介護保険財源がこのままでは破綻する、ということが言われはじめたのが、ちょうど介護保険法が施行された3年後の2003年頃からである。

その2003年は、障害者分野でも身体障害者と知的障害者の分野では制度改革が行われ、支援費制度がスタートした。これは、介護保険法と同じように、利用者が使いたいサービスを選択できる契約制度で、規制緩和を行いNPO法人や民間企業にもサービス参入を促進させることを目指したものであった。違うのは、介護保険制度は半分が保険料、半分が国費でその財源がまかなわれているのだが、支援費制度は全額国費である、という点である。この点について、元々稼得能力があり、貯金もしてきた高齢者は保険料を支払う能力があるが、障害者はその多くが先天的な障害を持ち、また中途障害者も人生なかばで稼得能力が大きく損なわれるなかで、その支払い能力はほとんどないため、能力に応じた負担(応能負担)にするのが適切だ、という認識であった。

ところが上記の前提が支援費スタート1年で、あっさり崩れ去る。支援費制度がスタートした直後、これまでサービス利用を控えていた(=利用抑制されていた)多くの障害当事者がサービスを使いはじめ、制度開始初年度だけで100億円を超す予算超過となった。2003年の10月段階では、厚労省の高官も「嬉しい誤算」と社会保障審議会で答弁していたが、2004年春になると一転、「きちんと供給のコントロールがきく予測のつく制度に変えていく」必要がある、と答弁の風向きが変わり、その後すぐに介護保険制度と障害者福祉制度の統合論が浮上する。

折り悪く、小泉政権下での三位一体の構造改革論の最中で、社会保障費の年間2200億円の圧縮が求められていたなかで、障害者福祉予算の増額を求めることなど、財務省が飲むはずもなかった。また前述のように、介護保険制度も中長期的に財源が逼迫する推計が出され、介護保険の被保険者(保険料を支払う人)を40歳以上から20歳以上へと下げることで、介護保険財源の安定化を図ろうとした。その目玉として「エイジレスな介護保障」というかたちで、障害者福祉を介護保険に取り込む構想が掲げられたのである。だが、その発想は、障害者運動から大きな反発を食らうことになる。

■障害者は何を求めたのか

介護保険への障害者福祉の統合にもっとも反発したのは、地域で自立生活を営む重度障害者たちだった。なぜ彼ら彼女らは、一見すると財源的にも安定する介護保険法への統合を拒んだのか。ここには、我が国の障害者福祉の運動の歴史を重ねてみる必要がある。

1970年代までの障害者福祉は、能力主義と隔離収容を前提としたモデルであった。リハビリして健常者並に近づければ地域生活が可能だが、稼得能力が低い(あるいはない)とみなされた障害者は、入所施設や精神病院に「社会的入院・入所」をさせる。このことが、国策として遂行されてきた。人里離れた山の中に精神病院や「社会福祉村」が急増していったのも、70年代である。一方、その70年代から、入所施設や精神科病院で一生を終えるのはオカシイ、と異議申立をした重度障害者たちが現れた。

1970年、横浜で障害児二人を育てる母親が、二歳の女児をエプロンの紐でしめ殺した。当時のマスコミは母親の犯行を日本の福祉施設の不備故に起きた「悲劇」であると報じ、地元では母親への減刑嘆願運動が起こった。これ対して、神奈川県の脳性マヒ者の当事者会「神奈川青い芝の会」は、強い異議申立をする。「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」という当時の支配的価値観自体を告発し、それと戦ったのである。これは、隔離収容への批判や告発、それに変わる地域自立生活を求める運動へと結実し、我が国での障害者の自立生活運動のうねりをつくり上げていった(注1)。

この国は入所施設や精神科病院には多額の国費を投入してきたが、障害者の地域自立生活を支える制度は、きわめて貧弱なままである。たとえば重度障害者の在宅生活を支える長時間介助は、最初は運動団体に共鳴したボランティアの介助者によって支えられ、その実態を地方自治体に突きつけて、自治体が単独の助成金を出すかたちで拡がっていった。障害者が声をあげ、自治体と粘り強く交渉するなかで、少しずつ長時間介護が財源的に保障されてきた、という歴史がある(注2)。

しかも、国はそれを横目で見ながらも、長時間介護に対しては財政制約を課している。月240時間(一日8時間ベース)については国費で面倒を見るが、それ以上に関しては、全額自治体で負担してほしい、という国庫負担基準なる実質的上限である。介護保険でも同じ論理が採用されたため、障害者運動側は、この上限が、重度障害者が地域で生活するための最大の足かせになる、と考えていた。ゆえに、介護保険への障害者福祉制度の吸収合併は、この上限を強固なものにする、と映ったのである。また、介護保険では入所施設や老人病院でのケアも前提となっている制度であるが、障害者運動が求めていたのは、隔離収容中心主義から、どんなに重い障害のある人でも地域生活が可能となる地域自立生活支援中心主義への構造転換であった。そして、この背後には、あるパラダイムシフトが連動している。

■社会モデルというパラダイムシフト

2006年に決議された国連障害者権利条約では、障害の定義も大きく変更された。「障害が機能障害のある人と態度及び環境に関する障壁との相互作用であって、機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずること」というのがその定義である。

我が国だけでなく、世界中で20世紀に主流であった障害者支援の考え方に、「障害の医学モデル」というのがある。これは、障害を個人の不幸であり治療の対象と捉え、健常者に戻ることが目標とされた。一方、1980年代から世界各国の障害当事者が声をあげ、唱えつづけてきたのが、障害を持ったままでの自立や社会参加を求め、変わるべきは当事者ではなく社会である、という「障害の社会モデル」であった。障害者権利条約は、この「社会モデル」を取り込んだ画期的な条約である。

ちなみにこの権利条約制定過程では、知的障害や精神障害、盲ろう者の世界代表など、これまで政策形成過程から排除されてきた当事者代表も、国連の場で議論に参加し、各国政府と互角の立場で議論をして、権利条約は制定にこぎ着けた。また、日本国政府も車いす弁護士の東俊裕さんを特別顧問に置き、当事者参画に大きく力を注いだ。「私たち抜きで、私たちのことを決めないで(Nothing about us without us!)」というキーワードは、ニューヨークの国連議場でも、何度も何度も繰り返し叫ばれ、共通語になっていた。

このように、国連の場では、障害当事者の政策形成過程への参画が当たり前となり、その成果である障害者権利条約も、医学モデルから社会モデルへの転換を果たした、画期的な条約になった。ところが我が国では、介護保険制度と障害者福祉の統合論は、前述のように、当時の財政制約を解決するための、厚労省が突然発表した案であり、そこには当事者からの同意もなかった。

制度の持続的安定のためには「これしかない」と押し切る厚労省の説得に、支援者団体や障害者家族会などでは「仕方ない」と賛同する論調もある一方、地域自立生活を切り拓いてきた、また権利条約制定過程を横目で見ている障害当事者達は、この改革は社会モデルではなく、医学モデル型の抑圧的な改正であり、当事者が政策形成過程から排除されている、と猛烈に抗議をした。

結果、介護保険法との2005年段階での統合はなくなったが、2006年に施行された障害者自立支援法は、介護保険との統合を将来的に見込んだ制度設計であり、サービス利用者の1割負担の導入や、要介護認定にきわめて近い障害程度区分認定にもとづく支給決定制度など、「介護保険に似せすぎた」とも揶揄される法律であった。また、当事者の声にもとづかない制度改革についての批判もかなり強かった。そして最大の不幸は、制度の持続可能性や安心安全を求める支援者団体や障害者家族団体と、当事者の声にもとづく政策を求める障害当事者団体の間で、自立支援法賛成派と反対派に分かれてしまったことだ。これは、医学モデルと社会モデルとの、パラダイム間の相克とも重なる対立であった。

■自立支援法違憲訴訟

自立支援法は、スタートする前から批判にさらされたが、スタート後も大混乱がつづいた。1割負担が重くのしかかり、サービス利用控えや、さらには将来を悲観した無理心中まで起こってしまった。結局、国は実質的に1割負担制度を撤回する改正を重ねていくが、それであればなぜ自立支援法にそれほどまでに拘るのか、という障害者側からの異議申立には応えないままであった。そこで、2008年10月、全国8地裁29名の障害当事者らが、障害を理由とした支援サービスの1割を強要する「応益」負担は、生存権や幸福追求権の侵害であり、憲法に違反すると一斉に提訴した。いわゆる自立支援法違憲訴訟である。

この訴訟が大きな原動力になり、2009年8月の総選挙では、民主党のマニフェストにも自立支援法廃止と新法の制定が盛り込まれた。その後、政権交代後の2010年1月、当時の長妻厚生労働大臣の下で、自立支援法違憲訴訟団と厚生労働省は裁判所で和解し、基本合意文章を取り交わす。この基本合意文章のなかで、障害者自立支援法を廃止するとともに、現行の介護保険制度との統合を前提としない新たな新法を、平成25年8月までにつくることを、政府は約束したのであった。

■政治主導による画期的な委員会

政権交代後、先の障害者権利条約の批准、および自立支援法違憲訴訟団との和解を果たすためには、大きな制度改革が必要となることを政府与党も認識していた。そこで、和解に先立つ2009年12月、首相を本部長とする障がい者制度改革推進本部が立ち上がる。そして、内閣府では障がい者制度改革推進会議が発足する。この会議は24名の構成員のうち14名が障害当事者・家族という、我が国の障害者関連の審議会では初の、当事者が過半数を占める委員会であった。この人選を政府与党が了承した、ということは、少なくとも政権発足時には、与党もこの当事者主導の改革を応援していたことになる。「私たち抜きで私たちのことを決めないで」という政策形成過程への当事者参画が、障害者権利条約制定過程での議論から遅れること数年、ようやく日本でも具現化されたのであった。

以上、長い前口上を終えて、やっと総合福祉部会の話にまでたどり着く。私も構成員の一人をしている内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会は、上記のプロセスのなかで、自立支援法に変わる新たな法律の骨格を提言するために、2010年4月に招集された。

この部会はこれまでの国の審議会とは大きく異なる委員会であった。普通、国の審議会とは、所管する官庁がその人事権と論点整理権を握っている。自立支援法に変わる新たな新法をつくる、のであれば、通常、厚労省が社会保障審議会を開いて議論を展開する。この際、誰を呼んで、どのような議論をさせるのか、の主導権はあくまでも官僚側が握っている。ゆえに、厚労省がコントロールできる範囲での議論が展開され、ときとして国の都合の良いように「まとめ」が修正された上で、答申される。ここから、御用学者やアリバイ審議会、なる批判が出てくる(注3)。

だが、筆者が関与した総合福祉部会は、上記の性質とは対極にあるものだった。厚労省の法律を変えるための審議会であるが、厚労省が人事権と論点整理権を取ると、現行法の枠内での改善にとどまってしまう。これを危惧した当時の政府与党幹部は、人事権と論点整理権を、親会議の所属する内閣府に託した。しかも、内閣府の障がい者制度改革推進担当室の室長には、前述の障害者権利条約の議論時に日本政府代表顧問を務め、障害当事者でもある東弁護士が民間任用された。つまり、人事権と論点整理権に、当事者側が大きくコミットすることができたのである。制度改革推進会議で当事者が過半数になったのも、この事情が大きく影響している。

そして、総合福祉部会では、厚労省側が推挙する人選と、内閣府担当室側が推挙する人選がほとんど重ならなかったので、結果的に55人の委員会という異例の大人数となった。だが、これは裏を返せば、自立支援法制定時の賛成派と反対派、あるいは厚労省審議会メンバーとそこから排除されてきた人びと、入所施設維持派と地域支援推進派、といった垣根を乗り越えて、障害者福祉に関する広範囲なメンバーが国レベルの会議で顔をつきあわせた、という画期的な会議であった。

■何の約束が、どう反故にされようとしているのか

2013年8月の新法の施行のためには、2012年の通常国会で通過しなければならない。そう逆算すると、2010年4月に始まった部会の議論も、2011年8月末には骨格提言をしないと、厚労省としては法律案として書き込むことができない。そういう期限の決まった強行スケジュールであったが、上述の55人委員会は、介護保険法との統合を前提としないという条件下で、現行法からどう体系を変えることが、実現可能で本当に障害者の生活のために必要な支援につながるのか、をゼロベースで議論しつづけてきた。

そのなかで、これまで入所施設や精神科病院が最後のセーフティネットとして機能してきたという事実や、重度障害者が地域生活を求めても、社会資源が貧弱で暮らせない現実など、さまざまな実態が明るみに出た。また、難病や重度重複障害など、普段知られることのなかった異なる障害を持つ人のしんどさが、部会や作業チームの議論のなかでは共有され、現行法で解消されない支援の谷間や空白、格差を越える「あるべき姿」を構築するための議論が深まるようになっていった。

上記のプロセスを経て、2011年8月末にまとめた骨格提言では、現行法の問題点を踏まえた上で、障害当事者が求める「あるべき姿」がしっかり書き込まれた。その柱は次の6点である。

1,障害のない市民との平等と公平(=他の者との平等)の実現
2,現行法でカバーできていない制度の谷間や支援の空白状態の解消
3,自治体間、あるいは障害種別間による支援の格差の是正
4,社会的入院・入所や家族の丸抱え、といった放置できない社会問題の解決
5,介護保険のように「何ができる・できないか」という日常生活動作の査定ではなく、本人が「どのように暮らしたいか。そのためにどういう支援が必要か」という本人のニーズに基づいた支援サービス
6,OECD加盟国で下から5番目、という低い予算水準を打破し、障害者の地域生活支援を充実するための安定した予算の確保

それに対して、冒頭でも述べた2月8日の総合福祉部会で、この6つの柱からなる骨格提言をどのように法制度化するか、についての「厚生労働省案」が示された。その中身は、次のようなものであった。

イ、平成22年の自立支援法改正および改正障害者基本法によって、自立支援法の問題点や、あるいは自立支援法意見訴訟団との基本合意文章の内容の大半は解消できる。

ロ、自立支援法の平成22年改正が今年の4月から完全実施されることで、現場はそれに追いつくために必死の状況だ。ただでさえ制度改革が繰り返されたので、来年また制度が変わることについて、現場の反発や混乱は必死だ。また新法につくり変えるには、現行法の数千もの事項を変えなければならないので、現実的に大変だから無理だ。

ハ、自立支援法は医学モデル的だという批判もあったので、社会モデルを理念規定に入れる。難病の対象拡大やグループホームとケアホームの一本化、あるいは程度区分については今後5年後を目処に検討するなどの努力もした。できることから着実に、段階的計画的に実施して行きたい。

つまりは、自立支援法の改正案でほとんどの問題は解決できる。しかも新たな法律を制定したら、現場はまた混乱する。だから、自立支援法の本体はほとんど変えず、名称と内容を少しだけ手直しをすれば、それで皆さんが求めていた法律は実現できるはずだ。これが厚労省の「言い分」である。

これは、どう読んでも、上記の骨格提言に対する「ゼロ回答」であり、何も変えるつもりはない、という宣言でもあった。そして、以下は私の邪推かもしれないが、厚労省はこの半年間、したたかに上記の内容を国会議員に説明して廻り、「骨格提言のような壮大な内容は予算がないから無理だ」「野党も納得して法改正に協力するためには厚労省案しかない」と吹き込んでいたのかもしれない。与党の障害者制度改革に関するワーキングチームの主立ったメンバーからは、上記の厚労省案をそのまま容認するような発言が、漏れ聞こえてくる。そして、2月末には、厚労省案が追認されるかたちで?法制化に向けての与党案が了承され、3月半ばまでには閣議決定されようとしているのである。

■あるべき姿と現実の落差を埋めるためには

総合福祉部会の骨格提言に関する厚労省案に関して、問題の本質を見誤ってはならない。首相を本部長とする障がい者制度改革推進本部があり、その下に、推進会議(親会議)ができた。この親会議の下にできた総合福祉部会が、新法制定の骨格作成を目的として招集され、無事にその骨格提言を果たした。ところが、首相からのオーダーにもとづいて提言された骨格提言に対して、厚労省は実質的に「ゼロ回答」をした。「現場は混乱します」「自立支援法でもかなり対応できています」というもっともらしい言い訳で、政府の長の命令も無視できてしまう。手続き論としても内容的にも、政府は果たすべき約束を反故にしようとしている。これが問題の本質である。

我が国では官僚機構の上に立つ大臣や政務官がコロコロ変わる。社長がしょっちゅう交替しても会社が持つのは、官僚制がしっかりしているからである。だが、その官僚制に対して「変革」を突きつけた当時の社長命令や、それにもとづいて出された骨格提言に対して、対応できないのは官僚制の機能不全ではないだろうか。もちろん、官僚システムの批判ばかりしても本質は捉えられない。政治家(=厚労省の政務三役)にビジョンがないなら、省を守るための策は、官僚が構築せざるを得ない。省益の追求、と言われるものも、逆に言えば、政務三役の頼りなさの結果とも言える。そして、継続性と安定性を重視する官僚自身に、その枠組み自体を覆すような大胆な改革は難しい。

現実的変革は、たしかに漸進的にしか進まない。ただ、パラダイムシフト期においては、はっきりとした変化の目標値を定めて、それを具体的に導くための方法論の設定をしないと、山は動かない。障害の医学モデルから社会モデルへの転換を法体系のなかに組み込む際にも、上記の方法論が求められる。だが実際に出てきた「厚労省案」なるものを見ると、パラダイムシフトを法律の理念規定のところに組み込みながら、法体系の医学モデル的側面はそのままに残す、という、官僚お得意の「つぎはぎモデル」であった。逆に言うと、「つぎはぎ」しかしたことのない人に、ゼロベース思考は厳しいのかもしれない。

前例踏襲は平時においてはたしかに大切だ。だが、その前例こそが問題になっている場合や前例の「想定外」の事態においては、上記モデルは問題解決に適さず、逆に混乱を増幅させる。パラダイムシフトとは、これまでの枠組みそのものを疑うメタ思考を指すが、従来の法体系の継続性と安定性を守りたい厚労省案に、その枠組みへの批判的捉え直しの芽はない。官僚と協働するか対立するか、という安易な二項対立で考えても本質は捉えられない。新旧のパラダイムの対立時に官僚制にすり寄ることは、アンシャンレジームの肯定に繋がる。緊張関係を孕んでも、新たなパラダイム構築のためにこそ、官民の協働が必要だ。

何かを変える、と決めたのなら、「変えないための100の言い訳」を繰り出すよりも、「変えるための1つの方法論」を徹底的に考えるべきではないか。総合福祉部会が出した骨格提言は、その「1つの方法論」であった。それに対する厚労省案は「101個目のできない言い訳」であった。政策形成過程とは、ステークホルダー間での闘争と妥協のプロセスでもある。総合福祉部会の骨格提言がそのまま一気にすべて実現されるとは思わない。だが厚労省案がそのまま可決されるようでは、政府や議会制民主主義そのものへの信頼が根底から崩れ去る。二つの案の溝を埋めるための、現実的な歩み寄りにこそ、政治家は携わるべきである。ここの部分を政府与党の政治家は勘違いしてないか。

漏れ聞く政治家の対応のなかには、厚労省案「しかできない」と思い込んでいる節もある。官僚の「ご説明」ばかり聞いていると、そうなるのかもしれない。だが、政治家の本領とは、官僚と55人委員会の双方の意見を忖度し、パラダイムシフトに見合う解決方法を指示することにあるのではないか。本当の政治主導とは、まさに「骨格提言」のような「大局観」を示すことである。それも現状追認のトートロジーではなく、変える度胸と突破力を持つことが必要だ。国会対策とか、法律がとにかく通りさえすればよい、という矮小化された議論に終始するならば、どの政党の政治家であれ、有権者から見放されるだろう。

「あるべき姿」という「大局観」を見据えて、「現実」との落差のなかから「問題点」をえぐり出し、改善に向けた枠組みや方向性を官僚に提示し、実現に向けて動き出す。そのような政治主導こそ、いま、まさに求められている課題ではないだろうか。

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