NO.241 障害は個性か?
陶友に見学に来られた方が、仲間達の働く様子や作品を見て、
「障害も個性ですね。」と感想を述べたり、
「陶友では障害を個性としてとらえ、一人一人にあった取り組みをしている」と、紹介していただいたりすることが良くある。
善意で、いい意味で言っていただいているのだが・・・。
人は一人一人みんな違う。それは障害者も同じ。
体つきや、顔つき、身のこなし方など、外から見えるものも、
知的な発達や性格など見えにくいものでも、色々な違いがある。
そう言う意味においては、みんな、勿論障害者も個性がある存在だ。
しかし、「個性を発揮する」「個性を伸ばす」などと言うことがあっても、
「障害を発揮する」とか「障害を伸ばす」とは言わない。
「障害」と「個性」とは、明らかにレベル、質の違うものなのだ。
私たちの日常で使う「障害」という意味は極めて曖昧なものだ。
実習に来る学生に聴いても、「なにかが出来ない」面をとらえて言うことが多い。
この曖昧さ、不理解が「障害=個性」という考えに結びついているのではないだろうか。
日常的に善意で言う場合は、そう細かくやかましく言う必要もないのだが、
「個性尊重」論という価値の中に、「障害」が埋没すると成れば、実践的には極めて危険になる。
つまり、特別な教育や支援や配慮の必要性を過小評価し、これが高じると「障害児教育」(今は特別支援教育と言うようだが)や、福祉の不要論まで出てくるのである。
実際、障害者運動の中にそう言う流れが悪影響を及ぼした時期もあった。
福祉や介護の勉強をしているはずの学生達が、「障害とは、何々が出来ないこと」ぐらいな認識のレベルにあるのを見ると、「おいおい、大丈夫かよ」「マジやばい」と思う。
うちでは、実習期間中に必ず「障害とはなにか」の特別講義を入れることになる。
障害とはなにか、科学的な認識がなければ、自分ががやっていることの意味がわからず、仕事が出来ないのである。
マニュアル化された事を、実務的にこなすことしかできない。
個別的・創造的な関わりや支援が出来ないのである。
福祉の仕事は、対象者一人一人の人間として生きる願い、その要求に、多様なあらゆる方法で応えることである。
(福祉分野でもコンプライアンス(顧客満足度)という言葉が大流行だが・・・私は好きじゃないが)
この「多様なあらゆる方法」を、個別的に創造する仕事なのだ。
事実・実態に即して、考える頭がなければ仕事にならないのだ。
そのためには、障害に関する科学的な理解が必要なのだ。
さて、障害福祉分野では、
「障害とは、病気や怪我のために、体の組織や器官が傷ついたり失われたりして、人間が社会生活をしていく上での必要な力の一部が元に戻らなくなった状態」と、一般的には理解されている。
次から、WHO(世界保険機構)のICFをもとに、もう少し具体的に見ていこうと思う。
横浜の迷子の障害児捜索情報・岩田和輝君のホームページ
昨日は、酔っぱらってしまい読み返すと恥ずかしいが、まあ、そのままにいておこう。きょうは一転、堅いなあ・・・
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2008.01.04 | | Comments(6) | Trackback(0) | ・障害者福祉いろいろ
