NO.245 障害は構造的。
障害とはなにか、について書くって宣言してみたものを、これは余りにもテーマが大きすぎ。
一冊の本でも書くぐらいに、気が重くなったので、小出しに覚え書き程度に気楽に行きたいと思う。
ちょっと、面倒くさいですから、関心外の方はスルーしてください(全員だったりして!汗)
我流で学んできたことなので、参考になれば、ということです。(だんだんトーンが下がったりして!大汗)
学生時代は、一応教育学部で教育心理と発達心理を専攻した。(一応だ、一応!)
現場にはいるまで、障害については何も知らずにいた。
障害とは、見える形の範囲でしか認識がなかった。
はじめになるほどと思ったのが、世界保険機構の「国際障害分類」(1980年)。2001年にはICF(国際生活機能分類)=(WHO(世界保健機構)で採択された「生活機能・障害・健康の国際分類」(International Classification of Functioning, Disability and Health)の頭文字をとったもの。)へと発展しているが、
先ずは「国際障害分類」の考え方を押さえた方が、入りやすいだろう。
一言で言えば、障害は平面的な薄っぺらなものではなく、構造的なものだと言うこと。
3つのレベルの構造から成るものだと見る見方です。
(日本語の「障害」は、様々な意味を持つので、その言葉だけではわかりにくいのです。)
3つのレベルとは、「機能(形態)障害」「能力障害」「社会的不利」のことです。
①機能・形態障害とは、
直接病気や怪我、(遺伝子レベルのものも含み)から引き起こされる、生物学的なレベルでとらえられる障害のことです。例えば、心臓が悪い、腎臓が悪い、脳のどこかの損傷や働きが悪い。
脳や神経系の機能障害は、身体的にだけでなく精神的にも様々で複雑な問題を引き起こします。脳と神経系が高度に発達した生命体の、宿命的なリスクかも知れません。
いずれにしても、生活する上での困難をもたらす、器官や臓器と言った生物学的・医学的レベルの異常や変調を意味する「障害」です。
②能力障害とは、
①から生じてくる問題を、人間個人の活動のレベルでとらえた障害です。
平たく言えば、心臓が悪いと、きちんと血液を送れない。腎臓が悪いと、毒を取り除けない。
麻痺があると、歩行や移動や日常動作が十分に出来ない。脳に障害があると、上手に論理的に思考できない、心の安定を保ちづらい・・・等々。
③社会的不利とは、
病気や怪我、①②から生じてくるもので、社会生活レベルでとらえられる不利益のことです。
その社会の、その時代の、多くの人々が保障されている社会生活水準や社会参加が保障されていないという事です。就職や、家庭生活や、あらゆる社会的生活・活動です。
日本語の障害には、こういう3つのレベルが階層構造をなして含まれているのだと言うことです。
ちなみに英語では、Impairment(機能障害), Disability(能力障害), Handicap(社会的不利)で、全てをまとめて、「Disability」(障害)・・・シンプルです。
平たく言えば、「体のどこか悪いところがあると、そのために出来ないことがある、そうなると世の中で不利や不便なことが起きる・・・この全部を合わせて、障害は見らないかんよ。」と言うこと。
こう考えると、①は医療、②は教育や訓練、③は社会福祉がそれぞれに中心的な対象領域となりそうです。(実はそんなに単純ではないが、あくまでも入り口として解りやすく言えば)
成人障害者の施設が、いつまでも訓練施設と位置づけるられるようなことは、どうしてもおかしい。
どうやって社会的な不利を克服するのか。福祉の政策や制度というものは大変重要な役割を持って来ることが解ります。
30年近く前のこの考え方は、「国際障害者年」の取り組みを機に、世界中に受け入れられ、障害者運動を励まして来ました。
しかし、中には疾病→①→②→③となり運命論だ、と言う批判もありました。
この3つのレベルは、一方的なものではなく、相互に関係し合うものです。
例えば、1978年(確か、間違っていたら指摘してください)が、障害児の全員就学が曲がりなりにも勝ち取られた年です。
なんとそれまでは「就学免除」という名で、少なくない障害児が憲法に基づく教育権を国家政策によって剥奪されていたのです。
何が一番変わったか。
障害を持つ子どもたちの寿命が飛躍的に延びたのです。
それまでの生活と違い、学校や教育の場に参加する(③を克服する)ことによって、命が活性する日々を送る、健康状態が向上する(②が改善される)という、関係です。
それ以前は、医者が「この子は生きても、3歳まで、6歳、9歳・・・」と言うと、医学的「予言」通りに命は召されていたのです。
教育や人間的なふつうの活動が持つ偉大な力です。
人は朝は起きて、昼活動し、夜は休むのです。人は人に会い、挨拶しふれあって生きるのです。その生活を手に入れたことで、子どもたちはもっと生きる事が出来るようになったのです。
成人の仲間達も同じ事が言えます。
仕事にも行けずに在宅を余儀なくされていた。
そこでは規則正しい生活も活動もなく、能力はさらにどんよりと眠り込んでいく。
しかし作業所に通うことによって、体が、脳が、命が活性化し、新たな活動に参加することで新たな能力を獲得し、発達し成長ていく。
逆のこともあります。
かなり回復した障害者が、復職や就職の機会を閉ざされてしまうと、能力が再び低下し、不活発な生活が筋力低下などを引き起こしてしまう。社会的不利が、能力障害や機能障害にまで作用を及ぼすこともあるのです。
それから20年、「国際障害分類」は、世界的な実践で鍛えられながら、2001年にはICF(国際生活機能分類)へと、新たに生まれ変わるのです。
この、障害の3レベルの構造的理解は、それでも意義が失われるものではなく、ICFの理解には不可欠と思い、振り返ってみました。
横浜の迷子の障害児捜索情報・岩田和輝君のホームページ
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テーマ:知的障害児のいる暮らし - ジャンル:福祉・ボランティア
2008.01.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・障害者福祉いろいろ
