NO.266 「ひまわり~!」・・・知的障害者の子育て。
知的障害者による子育てをテーマにしたテレビドラマが始まった。 もうお母さんは10年近く前に亡くなってるので、お父さんと関わっての印象だけですが・・・。
「ありがとう」だったっけ?
「ひまわり~!」と、嬉しそうに赤ちゃんを呼ぶ姿が印象的で、タイトルは不確かだが・・・。
知的障害の若い娘さんに、子どもができる。相手は死んでしまい・・・、さて子どもを産むか?産ませるか?
初回は、出産し、育児の初期を駆け足で描きながら、ドラマの舞台の全貌を紹介するものだった。
全体的には、暖かく前向きで好感が持てた。
私が1番、感じた場面。
さて産ませるべきか、母親が悩み、冷静さを失って、弟が付き合っていたと知っていた事を、どうして知らせなかったのかと詰問する場面の弟のセリフ。
「嬉しかったんだ。お姉ちゃんは小さいころからバカにされてばかり・・・、そして、家とセンターの往復ばかりの日々。そんなお姉ちゃんに好きな人が出来て、楽しそうにしているのを見て、嬉しかったんだ」
と言うシーン。なんか、このドラマを象徴するセリフだったかも。
今日は、ドラマ評ではありません。
前号の記事のコメント欄に、まりもさんから以下の質問がありました。
本当に素朴な質問、いいですか?
>いわゆる知的ボーダー両親
とは、どのような意味合いですか?
以下、私のコメント返し。1部、表現を変えていますが・・・。
私の経験上、お父さんは明らかに、軽度の知的な障害があるのではないかと思われます。色々な理解や対応の仕方を見て。
これにはあくまで、責任ある「判定」や「診断」に基づく根拠はありませんが、多分、間違いなく・・・と言うところです。
社会生活を営むこと、特に子育ては、複雑な理解や判断、関係の調整・・・とにかく、高度な知的能力が必要です。昔のように、飯さえ食わせれば育つだろうと言う風には、ますます行かなくなって来ています。
お父さんは、とても真面目で大人しく優しい感じの人です。「どうしたらいいか分かりません、よろしくお願いします」と言ってます。だから、悪意は無いし、なかったのです。
しかし、先日も、家に職員が話を聞きに来ても、テレビ見ながらしか話には入れないし、次の日に娘2人を夜に送っていったときも、パチンコに行っていて10時に帰ったぐらいです。
そういう知的に障害があるか無いかの、ぎりぎりの人が結婚し、子育てしているのは、私が関わってきただけでも数件あります。
そういう親に共通しているのは、脳の器質的・機能的な障害よりも、育ちの過程で、きちんとしたしつけや訓練、教育がなされないまま育って来たのではないか、とう問題です。
かつては私は「環境精薄」と呼んでいましたが、環境因子が主な原因と考えられる知的障害者のことです。(これはまったくの私見です。そういう類型化した学説があるかもしれませんが・・・)
話がずれましたが、大体以上のようなことです。
要するに、知的障害ぎりぎりのラインの人のことです。
知的障害は、単純に数値化されるわけではありません。
ぎりぎりの人で、相談に行って公的機関で判定されれば「知的障害者」、判定がなければ実態がどうであれいわゆる「健常者」です。
そして後者は、ほぼ決まって貧困層です。
そういう相談機関や制度があることを知らなかった人たちです。
社会から放置されたところで、そういう障害が再生産されているのです。
これまた共通して、近所付き合い、親戚付き合いが希薄です。
支援や助け合いのない、孤立したところで障害が、世代にわたり再生産されていると言ってもいいでしょう。
ついでに「多産」傾向も、事実です。4人ぐらい。
生活の見通しが立てられない、その日暮ですから、計画出産など出来ないのです。
それ以前に、排卵、妊娠の知識も十分ではないでしょう、多分。
「自然」に、「原因」があっただけ「結果」が、生まれてきたのです。
殆どの場合、兄弟皆、同様の傾向にあります。
私がこれまで関わったのは、「知的に単純な遅れがある」障害でしたが、ヒロコの場合は「心」の変容にまで及んで複雑になってしまっていると言うことです。
ここにまた難しさがあります。
見てきた通り、知的障害者の出産・子育ては、大変な問題を含む課題です。
本人の困難だけでなく、新たな障害と人権侵害を生み出す危険があるのです。
しかし、「生む権利」「育てる権利」は、否定されるべきではないと思います。
そこで必要なのが、その権利を守り、新しい命と共にどう支援していくのか。
ドラマに戻りましょうか。
このドラマは、第1回目から、母親や家族、隣人達の温かい支援だけではなく、
行政の関わりを、存在感ある女優さん(名前は忘れたが、あの役はハマリ役だと思う)の演技で、1本の糸として入れている。
ここにこのドラマの評価、テーマの社会性やリアリティーの行方がかかっていると思います。
・・・で、私は、観たいような観たくないような・・・です。
私にとっては、リアル過ぎ。
娘の将来を思ったり、仕事柄でもあったり・・・ちょっと、重すぎて、避けて通りたいような・・・。
追記
私は、仲間達と関係を作る時、小さなことを頼むことにしている。
誰だって人に物を頼まれたら、嬉しいに決まっている、と言う独断の元に。
給食を食べ終わり、「誰か俺んと、片付けてくれる人~?」
ヒロコが、にこーっとして手を小さく挙げた。「よし!頼むね」
作業にも入れ、みんなと食べて・・・好調。
今のところは、ね。
・・・頼まれなくて、残念がるドナタサンには、今度頼もう。
テレビを見ても、ひとこと言うわないかん性格。ちょっといやらしいかも。
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2008.01.18 | | Comments(6) | Trackback(0) | ・障害者福祉いろいろ
