NO.34 主観的障害の重さ。
このところ、4人の仲間が陶友に出てこれなくなっている。
いずれも知的な障害は、比較的軽い人たち。
軽度の知的障害者は、2次障害とも言うべき、精神の障害を併せ持つにいたる場合がよく見られる。
ほんの少しの遅れは見えにくいため、周りも受容できずもっと頑張ればなんとかなると思い、頑張らせる。周りがそう見ると、本人も、今の自分は本当の自分じゃないと思い込んでしまう。現実の自分が否定されるのである。そうすれば、ありのままの自分を受容できなくなってしまう。そうして、見ることも、つかむこともできない幻の自分を捜してさまよう事しかできないのである。
高校進学したり、就職したり、無理を重ねるうちに、ついに心が壊れてしまう。孤独になり人にも社会にも心を閉ざしてしまうことになる。
陶友に来て、ありのままの姿を受け入れられることによって、長い月日をくぐり、だんだん落ち着きを取り戻し、少しずつ自分をつかみかけていく。
それでも、一直線に良くなっていく訳ではない。
ジグザグをたどる。
ちょっとしたきっかけで、落ち込んでしまうことがある。
上田敏は、障害は、客観的障害と主観的障害で構成されているとして、後者の視点からの、障害理解の大切さを提唱している。知的に軽度(客観的障害)なるがゆえの彼らの障害体験のつらさ(主観的障害)が、2次的に、精神障害をもたらすという理解は、十分に納得できる。障害の軽重は、単純には測れないのだ。
自分というものが見えない、つかめない、つかみかけた自分をまた見失ってしまう。この不安は、いかばかりのものだろう。
その姿に、家族もまた深い不安に陥る。
我々もまた、重い日々を送る。
陶友に来て、だいぶ良くなってきたんだ・・・。このジグザグのむこうに、必ず明るいステージが開けているはずだ。
そう信じて、待つ。今は、それしかない。
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2007.08.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅠ
