NO.330 さすらいのシーさん。(1)
もう10年以上も前。知的障害を持つ兄弟が2人通って来ていた。もう2人とも60代半ばになる。
最近弟の方が頻繁に作業所にやってくる。1日に3回も4回も。
遂に一昨日は、「はち つくる」と言って、粘土で鉢を作り出した。昔とったキネズカである。
最重度の彼は、名前を呼ばれても返事すら出来なかったし、もちろん文字も数もわからない。それでも、50歳を過ぎて初めて仲間が出来、受け入れられて、実に楽しそうにのびのびと参加していた。
お得意の「はち」である。とてもじゃないが、形にはならない。粘土をちぎり積み重ねるだけである。しかし、その土くれのなんと生き生きした存在感か。私は、その表情を生かしつつ、割れないように土を締めて仕上げた。その個性的な「はち」は、結構な人気で売れた。
今でも、初めて売れた時の事は、鮮明に覚えている。ある団体のイベントに参加し販売した時の事だ。公園の芝生や、庭石に直接作品を並べた。シゲさんの「はち」が生きた。自然の力強い土の造形である。お客さんが買った。シーさんが「あーいとまーす」(ありがとうございます)と、帽子を取って頭を下げた。生まれて初めて、誰かに自分を認めてもらった瞬間。シゲさんのくぼんだ目に、誇らしげな安堵があった。
次の日から、ますますシーさんは「はち」つくりに励んだものだった。
その記憶がよみがえったのだろう。昨日は、お情けでつくっても言いと許可したら、大きな作品を2個もつくり、嬉しそうにしていた。
そして昨日である。出勤すると既に、早く来る仲間たちと一緒に玄関にいる。ドアを開けると、早速中に入り、ろくろを出した。「シーさん、今日は作られんとよ」と言うと、外に出て、仲間たちと一緒に箒を持って掃除を始めた。そして終わると、又入ってきて朝礼の席に入っている。当たり前のようになじんでいる。
私は、心を鬼にして(いつも鬼って言われてるけどお。こんなこと言うから、誤解されるんだな)、「シーさんは、時々遊びに来ていいけど、いつも来て、つくる事はできんと。今日はもう、教会に帰りい!」と、追い返した。小さい背中で帰っていった。
自分が受け入れられ心を許せる空間と人々・・・、シーさん、どれほどここに来たかろうか。
出来れば、契約をして、彼が望むだけここに来られるようにしてやりたいのだが、そうは行かない経過と事情がある。
彼は自分の望みに逆らい、泣く泣く陶友を辞めざるを得なかったのだ。自分以外の人々の意思に従い・・・。 (つづく。何回かにわたり、過去の仲間たちのことを書いてみようと思う)
帰るときのシーさんの小さな背中、かなり切ないなあ。
はあーるよこい、はあ~やくこい

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テーマ:私たちにできること - ジャンル:福祉・ボランティア
2008.03.14 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
