NO.333 さすらいのシーさん(3)・・・「働く」という事
シーさんが作業所に来て4年目。1997年11月の「陶友通信 NO.37」で、シーさんの働く様子を「働く仲間」というシリーズで紹介した事がある。その記事を転載し、紹介します。
「はち つくった よかろ!」と自信満々!!
「シーさんは どこ行ったと?」作業中のいつもの風景である。
プラプラ しーさん
シーさん(54)。同じところにじっとしておれない。仕事を途中でほっぽり出して、トイレに行ったり、お客さんを見に行ったり・・・。流れに合わせて自分をコントロールしないといけない仕事は彼には向かない。だから、どこにいても落ちけず、仕事に就けなかった。
自分が認められる
この仕事(陶芸)はいい加減なところがある。プラプラしながら気ままに作っても、面白いものが出来れば、それはそれでよしとするような。
仕事と言うものは、自分自身の表現であり、モノをつくる場合、作品が仕事の成果として、具体的な形で自分の目の前に現れる。他者の眼前にも。そして目の前で「面白い」と買われる。シーさんは心地よく、又作ろうと意欲を燃やす。
プラプラしとって良い訳ではないが、今は、認められる自分の仕事がある。
気ままな師匠
「師匠!」(当時、私は彼をそう呼んでいた)「アイッ!」
「もうちっと、しっかり粘土を締めんとモノにならんばい!」「アイッ!」
シー鉢は、そのままでは焼けない。土の締りが悪く、100%割れてしまう。弟子(友さん)が、師匠のタッチを大事にしながら仕上げていく。師匠は又気ままに作る。プラプラしながら・・・。
協業・集団の中で
「これシーさんの作品と言えるだろうか?と疑ったりする。しかし、おおよそこの世の中に1人だけの力で完結している仕事はない。鉄鉱石を堀り、一人で自動車をつくっている人など・・・。それは、分業と協業の中でこそ成り立っている。集団的なシステムの中でこそ、人の仕事は存在しうる。作品は師匠と弟子の協業の中で生まれ、その過程に参加していること自身が、彼にとって「働く」と言うことだ。
かれは、「はち つくった よかろ!」と誇り、輝く。
シーさんの働いていた当時の様子を紹介しました。当時の楽しさががよみがえり 遊びに来ると「はち」を作ってみたくなるんだろうと思います。
シーさんにはお兄さんがいました。喘息もちで、出かけることもなく1日中家でゴロゴロしていて、お母さんは困っていました。そのお兄さんも、作業所に通うことになりました。
次回は、お兄さんのことについても書いてみたいと思います。(つづく)
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2008.03.16 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・仲間とともにⅡ
