NO.362 「ここばあちゃん」の手。
先日、「手」のことについて書いた。
手」の歌・・・自分の手が好きですか? ">過去ログ NO.355 「手」の歌・・・自分の手が好きですか?
手と言えば、どうしても書いておきたい手のことがある。
それは、母方の祖母の手である。なぜだか語源もわからないが、私たち兄弟は「ここばあちゃん」と呼んでいた。歩いて4,5キロだったろうか、隣村のここばあちゃんの家によく泊まりに行ったものだ。
ばあちゃんは、「そうかそうか、よう来たよう来た」と、その大きな手で頭をなでてくれた。いや、そんなかわいいものではなく、頭をわしづかみにして揺さぶられ、弟の表現によると「脳みそがぐらぐらする」ぐらいだった。(それで弟は頭が悪くなったと言う話はないが・・・笑)
働き者で頑丈なばあちゃんは、もう記憶の中である。
その中では、O脚の上に曲がりかけた腰を乗せて少し体をゆするように歩いてていた。
上から6人の娘と下に4人の息子たちを産み育てて、「一人も欠けることなく、みんな元気に大きくなった」が自慢だった。当時は、栄養状態が悪かったり戦争に取られたり、生まれたたくさんの子供たちが欠けることなく育ち、大人になることはまれだった。母は、その三女である。
おかしなもので、世の中には母親っ子とか父親っ子というのがある。
私は前者で兄は後者だった。ついでに、ばあちゃんっ子じいちゃんっ子というものもあり、それも母方父方というものがあった。私は母方のばあちゃんっ子で、兄は父方のじいちゃんっ子だった。
そう思い込んでいたこともあり、具体的にどうということではないが、とにかく可愛がられたという思いがある。
中学を卒業し田舎を出てからは、会う機会もめっきりなくなった。
私は、結婚する時どうしても妻を、ここばあちゃんに合わせたかった。
と言うか、ばあちゃんを妻に見せたかった。
結婚する時にたった5万円しか持っていなかったお金で、「新婚旅行は、海外旅行」と決め、海を越えて種子島のばあちゃんの家に行くことにしたものだった。交通費だけ自前で、滞在費も食費もすべてばあちゃんち。(どこまで甘えとるんじゃ!)・・・とても喜んでくれた。
その時、ばあちゃんと手のひらを重ねあわせてて比べてみて、妻に話したことが嘘ではなかったことを証明する機会を得た。
当時、もう70歳をはるか過ぎたここばあちゃんの手は、世の中でも一番大きい部類の、大人になった私の手とほぼ同じ大きさだったのだ。私自身も改めてびっくりしたのを覚えている。
その手で小さな頭でもなでられようものなら、なるほど「脳みそがぐらぐらする」はずだ。
表の通りに人が歩いていると声をかけ、「さあ、よって行きなさい。お茶を飲んでいきなさい」と招きいれ、お世話好きが大きな手で小さな湯飲みを出す。孫たちの頭をなで、みかんを5個も6個もわしづかみにして「食え食え」という・・・。
大地から作物を育て、子どもたちを育てた手。
節くれだった荒れた手。
ごつごつと、優しさと暖かさをくれた手。
「ふるさと」を心に刻んでくれた手。
時は巡り、母はあのころのばあちゃんの年を過ぎ、私もあのころの父の年齢を超えた。
あれ?心がちょっとセンチになりました。
旭さん、読んで下さっていますか?あなたのお母さんの、暖かい手のことを書きましたよ。
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2008.04.02 | | Comments(2) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片
