NO.46 青春の六本松。
ここんとこ3,4日、まともにお陽さんが顔を出さないと、さすがに涼しい。
六本松を思い出した。
ちょっとセンチになっている。
あの狭い何もないキャンパス。我が青春の六本松。
普通一年半で通過するそこに、俺はさまよいながら、2年も留年し3年半もいた。
もっとも、大学にはほとんど顔を出さなかったから、六本松周辺に3年半と言うことだ。拠点は、田島寮。
そこで得たものは、友と、生き方の指針。それと、教育学部進学のためのぎりぎりの単位。
頭悪くてどうしようもなかったのに、体力に任せて受験勉強をし、間違って合格してしまった。場違いなところにきてしまい、自分の居場所も見つけられず、ひたすら劣等感とどろどろとつきあった。
そんな俺にも友と呼べる奴が出来、「何のために学ぶのか、時代をどう生きるのか」幼くも、必死にもがきあった。
学費値上げ、ベトナム戦争、水俣、オイルショック・・・時代が生き方を問い詰めてきた。
初めて自分自身が生きることを正面から問うた、まさに青春。今や、ちょっと甘酸っぱいかもしれない青春。青春は、常に友とあり。
最近、学生の実習生が来てるので、どうしても自分の学生時代を思い出してしまう。
直接の音信はたまにしかないけど、いまでも俺はあの頃のあいつらと生きている。
優秀な奴が多く、俺なんかちっぽけ過ぎて、でもなんでか、皆俺の貧乏な生き方をほめてくれる。この間、先輩が「大脇君を見ると応援しなきゃっておもうもんな」といってくれた。
居場所のない劣等感を乗り越え、自分を好きになりかけたのもあの頃。
あんなに優秀な奴が一杯いたのに、悩みこんだら、そいつらの所に相談に行けばいいのに、みんな俺の部屋に来て一緒に、焼酎を飲んでいた。一著前に、「きょうのしごとはつらかったあ、あとはあ、焼酎をあおるだけえ」と、岡林の山谷ブルースを歌いながら…。
その頃から、俺は何にも出来ないけれど、一緒に悩むことだけは出来るな、と思った。俺みたいなあほでも、健気に生きていれば、誰かの力になることも出来る。
そのことを体で知ってから、俺の自覚的主体的人生が始まった。
それが、六本松。
友が教えてくれた、俺の生き方。
今、自分の顔で、ここにいる。
おーい、おっさんおばさんになった友よ。飲もうよ!
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2007.09.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片
