NO.427 「希望ある社会 自分の手で」・・・主権者として主体的に生きる。
戦後を生き抜いてきた政治家が若い人に語る―テレビ朝日系「サンデープロジェクト」の番組20周年スペシャル企画。「激動の歴史を語る」(11日)。日本共産党の不破哲三前議長(78)が、中曽根康弘元首相(89)、土井たか子元衆院議長(79)と語り合ったそうです。(残念ながら観てませんが、しんぶん赤旗より) 「・・・だから私は、社会とか政治とかを与えられたものとして、そのどこに自分の居場所があるかということではなくて、居場所のないような社会は変えて、居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在を見てほしいと思うんですね。
早咲きコスモス
その中で不破さんが次のように語った。
今の社会の貧しさを自分の貧しさにしちゃいけないんですよ。今の社会が貧しければ、豊かな可能性が出る社会に変えられるのが国民主権なんだから。国民主権の主権者に若い人たちがどんどんなってほしい。」
こんな話を聞くと、単純だけどつい青春時代を思い出し、熱くなっててしまう。
どう生きるか、何を生きる指針とするか・・・学生時代に生き方について議論したものだ。
障害者の作業所運動だってそうだ。
つい40年近くまでは、成人期の障害者は、地域や社会で働く場所も居場所もなくなく、家庭内でひっそりと一人ぼっちでいた。
そこで、「大人になったら働くのが普通の当たり前の人間の生き方、暮らし方」と、「柱一本、釘一本持ち寄って働く場を作ろう」と取り組みが始まった。作業所運動は瞬く間に全国に広がり、今度は力を合わせて国に、作業所への補助金制度を作るように働きかけた。
まさに主権者として、居場所のある社会つくりに取り組んできたのである。
障害を持つ仲間たちと、それを支援する人々は将に「今の社会の貧しさを自分の貧しさ」にしないために、自ら主体的に、社会に政治に参加し、それを作り変えるために立ち上がり、今日に至ったのである。
今日に至っても障害を持つ仲間たちは、差別的な扱いから解放されるにいたっていない。障害者自立支援法は、障害を持つがゆえに必要とする支えを「益」とみなし、障害は自己責任だから、受けた「益」には金を払うのが当然と、わずか1万円にも満たない月給の中から「利用料」を取る。
「働くのに会社にお金を払うなんておかしい」と言えば、「訓練指導を受けているのだ」と、障害を持つ人たちには「働く権利」そのものを認めない。
残念ながら、与えられた社会はそういう水準にある。
しかしどんな困難があっても、その営みは、耐えることなく今日に引き継がれ、明日へと続く。
人間が人間らしく生きる日々のために。
人間らしく生きるということは、その理不尽と闘うこと抜きには手に入れられないのだ。
生きるとは闘うこと。
闘うとは、変革し創造することだ。自分と世界を。
上記の討論は、先の戦争をどう見るか・・・例えば、中曽根さんも「アジアへの戦争は侵略戦争だ」と発言したり、今日の状況について「アメリカの風潮を受けすぎて、市場原理主義を教育など経済以外の世界にも入れてきた弊害が日本でも出てきた」と発言したり・・・、さらにはソ連の崩壊、資本主義、社会主義など今の世界ををどう見るか、憲法をどう見るかなど、なかなか興味深いものです。
優しい語り口で解りやすいので、興味ある方は以下のリンクから是非読んでみてください。
不破さんが語る 戦争 青春 世界 憲法
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テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
2008.05.13 | | Comments(4) | Trackback(1) | ・社会評論Ⅱ
