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NO.47 ニキビ面の劣等感。

 思春期は劣等感に覆われている?

 おおらかと言うか、のんびりと言うか、そのままと言うか、15の春まで種子島で育った。

 まじめで働き者の父と母、兄妹4人。私は百姓の次男。
 別に特別に将来に夢も持ったこともない。年子の兄貴がスポーツ万能で、中学の時は兄貴のあとにくっついて、柔道部にいた。(こう見えても結構強かったんだぜ)

 兄貴は柔道で身を立てるため、その道の鹿児島の一流高校に進学した(華々しく全国制覇一歩前までいったよ。弟は全国制覇!)。俺は気が弱く、おとなしく、なんとなく一人で勉強するのが好きで、ちょっと成績も良かった。

 親は、農業を継げとか、何も言わず、好きなことをやれと言って、貧乏をしながら、俺を、鹿児島の進学校に行かせてくれた。

 のほほんと種子島でやっていたし少年は、初めて、壁にぶつかる。
島では特に勉強をしなくてもトップ周辺なのに、高校に入ったらなんと450人中400番。少しずつ見えてくる。自分がどんなものか。

 島から来たから友達もいない。
孤独と劣等感。それにホームシック。ついていけない授業中、窓から失対(失業対策の官公需の仕事)のおばちゃゃんが、校舎の横の草むしりをしてると、母を思い出だし涙が出てきたものだった。

 鹿児島は教育立県を標榜し、すさましい受験教育をしていた。
我が高校は新設校で、今考えたら、よくもあんなことしたなと思うぐらい。。
 450人9クラス。50人はトップクラス。次の100人が準トップクラス2つ。あとは、バカクラス。

 準トップクラス以上から国立大学に何人通すか、これが最大の教育目標。勿論、バカクラスの俺たちはおとなしく卒業してくれれば良いだけ。

 いじけるよな。初めて、劣等感と言うものを味わった。

 自分がどうしたいと言うよりも、親をガッカリさせたくなかった、それが一番だった。母は、俺が小学4年の頃、当時田舎では大学に行く人は誰もいなかった頃、百姓をしながら、どんな苦労をしても「この子は大学に行かせたやりたい」と決めたそうだ。(あとで聞いたのだが)

 当時4当5落と言った。4時間しか寝ないで頑張れば通る、5時間寝れば落ちる。俺は、体力にまかせ寝ないで3年間頑張って、間違って、30番~50番ぐらいになってしまって、Q大に受かってしまった。

 友情なんか培うゆとりもなかった。それでも、島出身の何人かと心許す友達にはなれた。

 何を書きたかったのか忘れた。
劣等感にさいなまれ、それでももがききった、ニキビの少年。

 また、あの時の俺に会いに行こうと思う。



 
  

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2007.09.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・自画像・自分史断片

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