NO.430 「蟹工船」・日本丸の航路は?
きのう、吹っ飛んでしまった奴。
どうしても書いておきたいので、少々無理をして書いてみま~~す。
是非お読みくださいな!
「蟹工船」とは?
「蟹工船」(かにこうせん)とは、北洋でとったカニを鮮度の落ちないうちに船の中で加工する「移動缶詰工場」のような船。
1920年ごろから始まり、しだいに大型船にかわってゆき、軍艦の護衛をうけソ連の領海まで進出した。
「蟹工船」の労働条件はすさまじく、不潔な船内と粗末な食事、連日の超長時間・過密労働による病死や、絶え間のない監視と虐待が当たり前の奴隷労働だった。
オダマキ
もう今年は終わり。たくさん種を結び、来年はもっとたくさん花を咲かすことでしょう。
小林多喜二の『蟹工船』はまだ日本資本主義が若かったころ、昭和初期の話である。
ソ連領内であるカムチャッカにまで侵入し蟹を取り、それを缶詰に加工するための「蟹工船」が、「国益」のためと称して、ロシア海軍に対抗するための駆逐艦に守られ出航する。(・・・資源を略奪するための暴力装置、軍隊)
その工船たるや、「二十年の間も繋ぎっ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな梅毒患者のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。日露戦争で、名誉にもビッコにされ、魚のハラワタのように放って置かれた痛院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現わした。」というようなお粗末なもの。(・・・板っこ一枚の下は地獄、そんな労働環境!利益優先のコストダウン、今も良くある話)
そしてそれは、「労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。」ということの表れであった。(・・・キャノンの御手洗会長もそっくり!儲かれば労働者の命や暮らし、人権なんてどうでもいいのだ。)
彼らは労働者といっても正規職員などではなく、単なる季節雇いの肉体労働者である。彼らは「会社」にしてみれば使い捨てにしていい「モノ」でしかなかった。
会社から派遺されてきた監督の浅川は彼らを過酷に使い回す。かれらの「人権」は「会社」の関心の埒外であったから。(・・・今の非正規、日雇い派遣とおんなじ!)
「監督は『賞品』の外に、逆に、一番働きの少いものに『焼き』を入れることを貼紙した。鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような『焼き』に始終追いかけられて、仕事をした。」(・・・わずかなアメと残虐なムチで労働者を分断し酷使する手口は、今も変わらぬ常套手段!)
やがて、浅川の苛烈な仕打ちで一人の労働者が死んでしまう。
それをきっかけに「学生上り」や「吃りの漁夫」を核にして、自然に浅川らに象徴される「資本主義」に対抗する組織が出来上がっていく。
労働者の団結は船全体に広がり、ストライキヘと発展する。しかしストライキは同行していた軍艦の手によって鎮圧され、首謀者九人は捕らえられてしまう。(・・・外には侵略、内には国民の弾圧という軍隊の本質を絵に描いたようだ。)
だが労働者たちは屈せず、そこから学び、再び立ち上がる。
「・・・間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、出来ないからな。」(・・・団結こそ労働者の最大の武器!)
労働者たちは再び団結し、もう一度ストライキを敢行することになる。
以上が大まかな話。(青字の説明が押し付けがましくていやらしいけど・・・ま、いいか。)
この『蟹工船』がウケている、現場の2人のコメントを紹介しておこう。
派遣労働者の境遇に似ている
作家で前全国労働組合総連合(全労連)専従者の浅尾大輔さん。(1・21しんぶん赤旗)
昨年の秋ごろ、派遣で働く首都圏青年ユニオン組合員の女性が私に「今、これを読んでいる」と、文庫本の『蟹工船』を差し出しました。私は非常に驚きました。
携帯小説がはやり、純文学があまり読まれなくなっているなか、小林多喜二さんの小説を若い女性から見せられるとは、全く想定外のことでした。
「蟹工船」が長い歴史の“射程距離”を持った小説として再び評価されているのには、いくつか理由があると思いました。
「蟹工船」に描かれている労働者の状態は、今の派遣労働者と非常によく似ているからです。
就職先を紹介するときに「ピンはね業者」がいる、期間限定の労働者である、お金を稼ぐ前に一定の借り入れ(借金)ができる、厳しく監視されている、セクハラ・パワハラが横行している…。
上司から暴力を振るわれる労働者もいて、「生死をかけた労働」という点でも非常に共通している。労働者が皆バラバラにされ、団結しないように仕組まれている点も。
「寝袋を持参し、職場に泊まり込みで仕事。居眠りをしていたら『寝るな』と殴られ歯が折れた」「正社員と同じ仕事をしていても、文句を言ったら即日、雇い止め」
私たちの下には、このような労働基準法以下の相談が次々に舞い込みます。彼らはプライドを傷つけられ、人間性を否定されています。
青年ユニオンが解決しても解決しても、雨後の竹の子のごとく、脱法行為をする企業が後を絶ちません。絶望感に襲われることもしばしばです。
しかし、おびえきってうなだれていた青年が労基法を学ぶ。勇気をだして面を上げ、団体交渉という権利を行使して会社に挑む。その姿に私は希望を見いだしています。
「蟹工船」を読んだ彼女は、自分の働いている状況をきちんと代弁してくれる小説に初めて出会ったと、すごく感動したのではないでしょうか。たたかう私は間違っていなかったと…。
これから全国各地で多喜二さんの文学と人生をふりかえるイベントが開催されます。このような愛され方をする作家を、私は多喜二さんのほかに知りません。なぜ、彼がこんなにも愛され続けるのか。ぜひ、作品を読んで考えてみてください。
多喜二の切実な思いは現代に息づいている
小林多喜二『蟹工船』エッセーコンテスト大賞に選ばれた山口早苗さん。
「現在の若者がおかれている労働市場競争は、今までにない想像を絶する流動と雇用不安をもたらしている。多喜二が生きた時代と、私達の時代、戦争が終わったのに何も変わっていない。
むしろ働く者同士が連帯する事が難しくなってきていると実感する。
打開策はあるのか、希望は持ち得るのか、多喜二の切実な思いは現代に息づいていると思います。」
色々と書く必要もないでしょう。
小林多喜二は「今」を描いているからこそ、若者たちにウケているのだ。
「今」とは、「蟹工船=日本丸」である。
しかし、多喜二の時代は、天皇絶対の時代で自由も民主主義も人権もなかった時代。
今の日本丸には、「蟹工船」といえども、日本国憲法があり、自由と民主主義と人権が保障されている。団結の力をつなぎ、この憲法という強力な武器を生かし使うことによってこそ、私たちは「蟹工船」を、働く喜びと、誰もが幸せに生きる「船」に作り変えることが出来るのだ。
多喜二の切実な思いは現代に息づき、そして花開くのだ。
「蟹工船」・日本丸の航路は国民自身が決めるだろう。
先ずは、自公政権にストップを!
小林多喜二
1903年、秋田県大館市生まれ。特高警察の非道な弾圧を描いた「一九二八年三月十五日」でプロレタリア作家として注目される。1933年2月20日、特高警察に逮捕され、その日のうちに拷問・虐殺される。最近は「かあべえ」でご存知でしょう、治安維持法で検挙されたのである。
多喜二と面識のあった白樺派志賀直哉が日記に「不図、彼等の意図ものになるべしといふ気する」と書いたことはよく知られている。
長い文章をお読みいただきありがとうございました。

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2008.05.15 | | Comments(1) | Trackback(4) | ・雇用と労働問題Ⅰ
