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NO.554 「核兵器は廃絶される事だけに意義がある」。

 6日は広島、9日は長崎・・・アメリカによる原子爆弾の投下から63年を迎える。
1945年8月6日、午前8時15分、B29「エノラ・ゲイ」が投下した爆弾は、広島市上空約580メートルで炸裂。数千度の熱線・爆風と放射線が市民を襲った。たった一発の爆弾で年内だけで、当時の広島市全人口の4割、約14万人の命が奪われた。

蓮0453


 それはアジア太平洋での日本の侵略戦争が敗戦を決定的にしていた1945年8月。米軍は広島、長崎に原爆を投下し、一瞬にして二つの都市を焼き尽くして、20万人以上(広島で14万、長崎で7万)の人命を奪った。両市への原爆投下は、人類が初めて体験した、非人道的で残忍な核兵器による惨劇として歴史に記された。それは当時の国際法でも許されない重大な戦争犯罪。
生き残った人たちも、放射線などの被害に苦しめられ、いまなお多くの人々が、入院や治療を余儀なくされている。

 被爆者健康手帳を持つ被爆者は24万3692人。平均年齢は75.1歳。
被爆者が全国各地で取り組んでいる原爆症認定訴訟は、7月18日の大阪地裁判決まで原告側が10連勝。被爆者救済をかたくなに拒絶してきた被告・国を司法が断罪し続けている。
 しかし、原爆症と認定された人は2118人、被爆者手帳を持つ被爆者のわずか1%にも及ばない。
この一年で亡くなった広島の被爆者は4300人、原爆死没者は合計で25万8310人。


「核抑止」に頼っては、「廃絶」は口先だけ。
「日本は、平和協力国家として国際社会で責任ある役割を果たしていかなければならない」
「非核3原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」
・・・福田首相は平和記念式典で、お決まりどうりの挨拶文を読み上げて見せた。

しかし、記者会見では、「日本の安全を考えればやむをえない。核抑止も現実的に必要な事ではないか」と、アメリカの「核の傘」に頼る本音を明らかにした。首相は1月の施政方針演説でも「平和協力国家」を強調してきたが、やってきたことは自衛隊のインド洋派遣を続けるなど軍隊の海外派遣だけ。
・・・絵に描いたような二枚舌を披露した。

一方、秋葉広島市長は記念式典の平和宣言の中で、「核兵器は廃絶される事だけに意義がある」と述べ、政府が「憲法を遵守し」核廃絶への道筋を示す「ヒロシマナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働きかけるなど、核兵器廃絶へ向けて主導的な役割を果たす事を求めた。

 今唯一の被爆国でもある日本が、世界から求められているのは、いつまでもアメリカの「核の傘」=「核抑止論」にくっついて行くことでも、自衛隊を世界中に派遣することでもない。

原爆投下で発行できなかった1945年8月7日付の新聞は次のように述べている。

惨状を前に、原子爆弾を投下した者に対する憎しみはわき起こる。しかし、圧倒的な被害を前にして思う。憎悪による復讐は人類を滅ぼすことにつながるだけだ。この爆弾は、アメリカが日本に落としたものでなく、人類が人類に落とした兵器、として歴史に刻まれるべきだ。
私たちは、本日ここで起こっているできごとを多くの人に知らせなければならない。国境を越えて世界のあらゆる人々に知らせなければならない。時を超えて後の世の全ての人々にも広く知らせなければならない。
死と破壊の惨状と、地獄の街に身を置いている者の体験を永遠に伝え続けていく。

 被爆の実相を伝えながら、実効ある核廃絶への努力をする事こそが求められているのである。それでこそ、「国際社会で責任ある役割を果たす」道だ。ここでイニシアチブを発揮する事ができるなら、日本の国際的な信頼もドーンと増すだろうに。

 あわせて、国内においては「核廃絶」とは並び行かない、「核安保」である日米軍事同盟を破棄・解消する世論へと高めることがますます重要だ。

 ついでに、「核拡散防止」問題にも一言。
本質的に言えば「世紀の詭弁」である事を指摘しておく。
例えば、今度のオリンピックでスピード社の競泳用水着がいいといって普及しているが、「核拡散防止」とは、「初めに着た選手は着用してもいいが、あとからはダメです」というようなもの。歴史的な経過はあれ、このような詭弁が、核保有国の論理に基づいていまだに通用する世界でもあることも見ておかなければならない。

 ま、アメリカの国防に携わった元高官などの中からさえも、「核廃絶」の声があがっている現実なども見れば、あまり悲観的にならずに、この流れをみんなで大きくして「核にしがみつく勢力」をどんどん孤立させ、地球上から追い落とそうということだ。

「核兵器は廃絶される事だけに意義がある」・・・まさにそうだ。


参考記事:
◆広島市 平和宣言
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html

広島・長崎63年 今こそ核固執勢力包囲して(赤旗)

見過ごされた被爆(大津留公彦のブログ2)
被爆の実相がアメリカによって隠され、ヒバクシャ救済も遅れたという。



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2008.08.07 | | Comments(14) | Trackback(8) | ・9条・平和Ⅰ

コメント

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2008-08-07 木 13:10:17 | | # [ 編集]

疑問に思います

例の新聞は、現在の視点で取材、編集したにしては、あまりいい記事ではないというか、当時の日本の独善的な視点と大して変わらない部分も目立つような気がします。

そういう独善的な訴え方では、「実効ある核廃絶の努力」にはならないのではないでしょうか。

2008-08-07 木 20:05:34 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

latter_autumn さんへ。
再読してみましたが、私としては違和感は感じないんですが。
具体的に指摘していただければ、気が付くところかもしれませんが・・・。

2008-08-07 木 22:01:54 | URL | 友さん #- [ 編集]

>死と破壊の惨状と、地獄の街に身を置いている者の体験を永遠に伝え続けていく

どんなことでもそうですが、実際そういうことを通り抜けてこないと、そういう目にあった人の苦しさは解らないですよね…。
難しいです…。
周りの人間は、その人の立場で理解してくことが必要なんでしょうね。
私もきちんと理解していかないとダメですね。

2008-08-08 金 07:46:45 | URL | まりごま #- [ 編集]

こんにちは。

 私も全く友さんの意見に賛成です。
 広島と長崎に原爆が投下されたことが、どれほどのことだったのか。今でも苦しんでいる多くに人たちにとっても、何十年たっても忘れてはいけないことだと思うんです。
 アメリカでは戦争を早く終結させるために仕方がなかったように思っている人たちが多いと言われていますが、絶対にいけないことなんだと日本は声を大きくして言い続けなくてはいけないと思います。
 核の恐ろしさをもっともよく知っているのは、日本なんだから・・・。

2008-08-08 金 09:45:16 | URL | sachiko.t #- [ 編集]

まりごまさんへ。
確かに直接体験とそうでないものは違うでしょうが、人間には「知」の力があります。想像する力も。

恋愛は体験によって学ぶもの。
戦争や原爆は体験で学んではいけないもの。

誰かがそんな事を言っていたような・・・。

sachiko.tさんへ。
こんにちわ、お元気ですか?
あれから63年。
直接の語り部達も、どんどん減っていきますね。
学びを繰り返し、記憶を風化させないためにささやかな努力を続けたいものですね。


お二人さん、暑さもまだまだ続きます。
ご自愛下さい。

2008-08-08 金 14:05:41 | URL | 友さん #- [ 編集]

広島長崎の果たしたこと

 アメリカは原爆を作って間もなく、広島長崎に落しました。 その後、アメリカ以外の国も原爆を持ちました。 そして厳しい国際紛争がたくさんありました。 しかし、ベトナムでもイラクでも原爆は使われず、すでに60年以上経過しました。  この現実の意味することは何でしょう?  それは広島長崎の惨状を知り、核兵器の応酬を始めたらいかに恐ろしいことになるか、通常兵器とは違った取り返しのつかない悲劇が何十年も続くのだということを世界中が恐れたためだと思います。
(核兵器のことをよくわかっていないかも知れない読者には、今の核兵器は広島長崎よりもはるかに強力であり、もし核兵器が使用されたら広島、長崎に比べてけた外れな規模の惨劇が起こることを言っておかなくてはなりません。 広島長崎の時はまだ核兵器ができたばかりのほんの開発品だったのです。 その後60年も研究開発したのですから格段に『進歩』したことは想像できますよね)
 核兵器ほど威力のある兵器はないことを知っていて、60年間も世界中で一度たりとも使わなかったということはすごいことです。
 このことは偶然などであるはずがありません。  
 言い換えれば、広島長崎の犠牲者は、その後60年以上も世界中の人類を核兵器による死から救ったとも言えるのではないかと思っています。  また、戦力は防衛には役立たないという事実があります。 国を守るために軍隊を持つ、と言いますが、核弾頭を積んだミサイルが撃ち込まれた時、これを撃墜する迎撃ミサイルを持っていると言いますが、これは全くのペテンです。  このようなペテンを言わなくてはいけないほど今の軍拡競争は答えのない事態に落ち込んでいます。  日本はアメリカと共同してこのペテンに加わりました。(イージス艦のパトリオットミサイル実験のこと)  具体的に言えば、もし北朝鮮が日本に核ミサイルを発射したら、もう全くなすすべがありません。  できることと言えば、日本も同じように核ミサイルを持ち、打ち返すことです。  つまり日本を守るのではなく、北朝鮮に報復し、お互いに核兵器の被害に遭うということです。 その意味は、お互いの国で、広島長崎よりももっと大規模な悲劇を再現するということです。
 広島長崎の後、核兵器を使うということはこういうことだと国の指導者はわかったのだと思います。  でもいまだに核兵器が使われる危険性はあります。  そもそも一部の国(国連常任理事国=第二次世界大戦戦勝国)は正義の国だから核兵器を持って世界平和を守るが、それ以外の国は信用できないから核を持ってはいけない。 などという見えみえの詭弁が60年も続いていることもまた奇妙なのです。  日本のようなお人よしは珍しく、今ではそんなインチキなルールなど知ったことかと開き直り核を持っている国はじわじわと増えています。  核をなめた今のインチキ国際ルールをぶち壊し、いかなる国も核兵器を根絶するように働きかけなければ、広島長崎の犠牲者は浮かばれません。 60年の平和では十分ではないのです!

2008-08-08 金 17:29:14 | URL | ヒロシです #- [ 編集]

独善的というのは、日本側に都合の悪いことはほぼ全く触れていないという意味です。
自己陶酔的な呼び掛けでは世界の共感は得られないのではないでしょうか。

>その破壊力が都市と人間に対して及ぼす
>影響を彼は想像しただろうか。
>多くの無辜(むこ)の市民を殺傷している
>事実を彼は知っているだろうか。

>復興にどれだけの時間がかかるかは想像
>もできない。

想像を絶する破壊力によってもたらされた想像を絶する大惨事ならば、想像もできないでしょう。
・・・というのは冗談というか皮肉ですが。
トルーマンの答えが「それがどうした?」だったことは、現在の視点ならば既知の事実です。
トルーマンに限ったことではない。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper19.htm

日本がアジア各地を侵略し荒らし回り多くの無辜の人民を殺傷してきた事実を、指導者である昭和天皇や近衛文麿や東条英機らは知っていたが、彼らも「それがどうした?」と思っていた。
日本の臣民の大多数も「それがどうした?」と思っていた。
やはり、現在の視点ならば既知の事実です。

昭和天皇が「被爆者には気の毒だが、戦争中だから仕方なかった」という主旨の発言をしたことも、現在の視点ならば既知の事実です。

逆に問いたい。現在の視点からこの記事を書いた記者は、日本側も自らの破壊行為に躊躇いを抱いていなかった事実を、どのように受け止めているのか?

2008-08-08 金 17:38:45 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

>「無警告での爆弾投下はするべきでない」

ポツダム宣言の中で一応婉曲に警告しています。
「現在日本国に対し集結しつつある力は抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合に於て全「ドイツ」国人民の土地、産業及生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し測り知れざる程度に強大なるものなり。吾等の決意に支持せらるる吾等の軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避且完全なる壊滅を意味すべく又同様必然的に日本国本土の完全なる破滅を意味すべし。」

この警告を無視しポツダム宣言を黙殺したのは日本です。

>この爆撃が究極の無差別攻撃だということ
>は明白だ。虐殺である。
>この兵器は明らかに人道に反している。
>原子爆弾は明白に国際法違反だ。

日本は、中国で無差別爆撃をやりましたし、毒ガスと細菌兵器も使用しました。
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/
アメリカ向けに発射した風船爆弾も、低性能ではあるけれど紛れもなく無差別攻撃でした。
日本は、さらに原爆の研究開発もやっていました。

>報復として原子爆弾の投下は許されはしない。

日本がさんざん国際法違反の人道に反する行為をしてきたのに、そのことを棚に上げて「許されはしない」などと言っても、世界の共感は得られないでしょう。

2008-08-08 金 17:40:31 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

>惨状を前に、原子爆弾を投下した者に
>対する憎しみはわき起こる。しかし、
>圧倒的な被害を前にして思う。憎悪に
>よる復讐は人類を滅ぼすことにつながる
>だけだ。この爆弾は、アメリカが日本
>に落としたものでなく、人類が人類に
>落とした兵器、として歴史に刻まれる
>べきだ。

「そもそも日本は加害者であり、日本が連合国とアジア各地に攻め込んで人民に多大な惨禍をもたらしたのであり、その結果日本が反撃されて敗退を重ね、しかしなお侵略戦争とアジア各地での蛮行を止めようとせず、枢軸国中最後の一国になってもポツダム宣言を拒絶した」
という史実を隠蔽するような物言いには、非常に違和感があります。

連合国とアジアの人々にとって、日本を憎悪するのは自然であり、大日本帝国に反撃し大日本帝国を滅ぼすのは必要なことでした。
南京にしてもシンガポールにしてもマニラにしても「日本がアジアに対して加えた害」なのであり、その因果応報として広島や長崎や日本各地の都市は「連合国が日本に対して加えた罰」を受けたのです。

「人類が人類に」などと言うのでは、因果関係は見えませんし、未来の平和のための指針にもなりません。

前述の毒ガス島サイトの「加害者としての日本-そして広島」で、「被害者としての平和運動を乗り越えよう」という主張があります。

本島等氏も似たような主張をしています。
http://www.h2.dion.ne.jp/~kinki-bc/z14-8-8.htm#1489

2008-08-08 金 17:43:01 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

以下は、本島氏の発言の一部抜粋です。
「最初はアメリカに責任があると考えました。次は日本の15年間の中国からアメリカまでの侵略と加害のすさまじさね、これを知るたびにつくづく日本が悪かったと感じるようになりました。
しかし今日の平和宣言は、広島長崎の被害だけをいってそれから核兵器廃絶だけをいっていてはいけないんじゃないかと。私達は、昭和20年の8月15日に過去の侵略加害の罪を切り捨てて平和の人になって、被害だけをいうのは日本にとっていいことではない。
アジアを始めとして戦争に参加した人たちがそれだけでは日本を本気に信頼しないという結果が出てきたわけですから、そのことを考えていかなければ、長崎は被害者の多くの人が兵器工場に勤めていたわけですから、その兵器工場は日本で使われる魚雷の8割近くを作っていたわけですから、それが真珠湾攻撃のときにも使われていたということですから、我々は戦争というものを反省しそういう国々に謝罪をし謝罪よりも贖罪をしなければ、今後の日本というのは国々の間に信頼を作り上げる事はできないと、そういう風に思ってるわけです。」
「原爆は世界で落としてはならん大変な兵器だと。だから原爆の悩み苦しみも究極において残酷さの極限を越えてる事だから、やっぱり全部が助け合って日本のこれからのみせしめとして考えていかなければいかんのじゃないかと、そういう所に来ているわけです。だから原爆の問題も原爆原爆というんじゃなくして戦争全体を戦争を起こしてはならんぞと、原爆が言われているから子供たちが日本の戦争は正しかったのかアメリカが正しかったのかわからん人がたくさん日本に出てきたわけですから。そういうことを考える新しい時代ですね、そういうものを我々は立ち上げていかねばならんと思ってるわけです。」

2008-08-08 金 17:44:10 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

latter_autumn さんへ。

長文のご説明ありがとうございました。
日本の国家としての戦争責任の問題の指摘は、その通りだと思います。

2008-08-09 土 12:18:09 | URL | 友さん #- [ 編集]

latter_autumnさんと友さんのやりとりに割り込みます

 日本の戦争責任と原爆投下の是非についてlatter_autumnさんは友さんの考えに異論を唱えていますね。 私も日本の戦争責任は重大だと思います。 しかし原爆投下が正当であったかとどうか、という議論とは全く次元が違うと思います。 なかなか降参しない日本に対して原爆投下だけが残された手段であったと言う論法がなんとなく信じられているように見えます。 しかし、当時の日本の状況はもう風前の灯であり、通常兵器であっても十分、降参させることはできたと思います。 アメリカ側からすると、原爆の威力を世界に見せつけ、『アメリカに逆らったらどんな目に遭うか覚えておけ!』という見せしめの戦略であったと思えるからです。  日本の戦争責任、特にアジアの人々への責任について日本人の反省が不十分であることは同感します。 このことと、広島、長崎への原子爆弾投下の正当性を直接結び付けることは全く納得できません。  戦争責任、国家の責任という課題はあまりにも多くの要素を含んでいるので、一国民にも責任があったということすら否定できません。 だからといって、あの戦争の責任を一般の日本国民にあるとは言えません。  結果的に原爆投下が戦争終結の引き金になったのですが、だからと言って、原爆投下は不可避であったとする議論には全く同意しません。  同じ過ちを繰り返さないようにするためにはもっ冷静に深く分析するべきだと考えます。  でもlatter_autumnさんの意見も理解します。  いろいろ違った角度からよく考えることは大切です。    

2008-08-09 土 19:47:38 | URL | ヒロシです #- [ 編集]

ヒロシですさんへ

>当時の日本の状況はもう風前の灯であり、
>通常兵器であっても十分、降参させること
>はできたと思います。 

日本がポツダム宣言を一旦黙殺したのは、「まだ降参する気はない」という意思表示でした。

>なかなか降参しない日本に対して原爆投下
>だけが残された手段であったと言う論法

>原爆投下は不可避であったとする議論には
>全く同意しません。

連合国がポツダム宣言で「速やかに降伏せよ、さもなくば迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」と警告していたのを、日本が「迅速かつ完全なる壊滅、やれるもんならやってみろ」という具合に黙殺したのです。
すなわち「日本が降参しなかった」「日本の指導層はもっと戦争を続けたかった」のです。
連合国はそういう日本の選択に対して事前の警告の通りに行動したまでです。

>日本の戦争責任、特にアジアの人々への
>責任について日本人の反省が不十分である
>ことは同感します。このことと、広島、
>長崎への原子爆弾投下の正当性を直接結び
>付けることは全く納得できません。

日本はアジアの人々を酷い目に遭わせていた加害者ですから。加害者が反省の態度を誠実に示さず、それどころか被害者面して原爆について語っても、世界の共感は得られないでしょう。

原爆が悲惨で非道であるのは事実ですし、それを世界に伝えていくことも結構なことです。
しかし、伝え方に注意しない、日本がアジアにもたらした悲惨と非道の事実から目を背けたような主張をするのならば、相手にしてもらえない可能性は十分あります。
その点例の新聞記事は問題ありだろうと思います。

>同じ過ちを繰り返さないようにするためには
>もっ冷静に深く分析するべきだと考えます。

えーと、私は冷静に深く分析しているつもりですが。
アジアの人々から見れば、原爆は日本が犯した過ちの因果応報である、と受け取られても不思議はありません。

2008-08-12 火 18:15:52 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

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