NO.89 100万円貰っちゃった!・・・こんなこと言っていいのだろうか?
3行日記
久々の雨。庭には咲き始めのフジバカマ。背振山は雲の中。
相撲協会の体質。親方処分だけで済ますとは根が深いなと思う。北の湖しっかりせんか!
ホークス、シーズン中の悪いパターンで負け。今年もか?
こんなこと、言ってしまっていいのだろうか?
人に金を貰ったことはない。
大学を卒業するとき就職支度金として10万円、親に貰ったことがある。
貧乏で金に縁のない私が桁違いの金を、現金で貰ってしまった。
大卒後13年間、知的障害者の施設で働いた。
このことは、先日のエントリー「『陶友』という名前」で書いている。
13年目に3代目の施設長が赴任した。私は何も期待してはいなかった。
自分の信念に基づいて働くのみ。経営者による評価はどうでもいい。
評価するのは自分自身である。自分自身の仕事は、私が受け持つ障害者自身に映し出されている。その親の声に現れている。
淡々として13年目を迎えていた。
ある日、この園長が、私の窯焚きの残業に付き合ってくれた。
窯焚きは深夜に及ぶ。上司が仕事に付き合ってくれるというのは初めてだった。
「あ、この人は違うな」と思った。
「窯焚きはつきっきりじゃないといかんとな?」
「いえ、定期的に見れば・・・」
「じゃ、隣に飲みに行くバイ」
「いや、仕事中ですから」
「私が、良いと言ってるんだから・・・」
隣の小料理屋でご馳走になることにした。
少し、リラックスしたところで、
どうして付き合ってくださるのか、初めてのことだ、と尋ねた。
中学校の校長を退職後に赴任した彼は、
「遅くまで部活指導して、暗い職員室に1人で入っていくとき、寂しかったものだ」と、若いときの話をして下さった。
何よりも私の仕事を公正に評価してくれているというのが、嬉しかった。
その年は、新しい施設も出来、職員の移動で現場は新人だけだった。
「この人は、現場から支えたい」そんな気になっていた。
一方、そろそろ自分で新しい作業所を作り、小さくとも理想とする福祉の仕事を形にしたいという思いも固まっていた。
ある日、軽く飲みながら、その胸の内を語った。
次の日、廊下をすれ違うとき、
彼は(その頃、職場の外では、彼の事を「かとちゃん」とよんでいた。)私のポケットに、封筒を差し込んできた。
作業室で見ると、ピン札が1束入っていた。
見たことも触ったこともない札束だった。
私は、「まだこれは貰えない、どういう作業所を作るか趣意書も作っていない」、と返そうとした。
「趣意書もちゃんと作って、それで応援していただけるのならその時にお願いします。」と。
すると、かとちゃん。
「そんなものはいい、君にあげるのだ。好きなように使えばいい。」
自分のことをはじめて認めてくれた人に対して、
1年でやめて自分がやりたいことをするのに躊躇もあったたことに対しても、
「人生には時期というものがある、私も1年目だから支えてくれると助かるが、君が必要だと思う時期が1番だ」
こうして、その秋から、仕事の合間を縫って、新しい作業所作りの準備に入ることになった。
最初の一歩の大きな励みになった。
その後もずっと、かとちゃんは、陶友と私を見守ってくださっている。
この人の応援に、いつも誠実に応えようと思っている。
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2007.10.08 | | Comments(5) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
