NO.92 陶友の立ち上げ、ひかりに合流・・・・陶友の歴史(3)
陶友の歴史について書きます。
今日の部分はあまり面白くはないが、流れとしては抑えておく必要があるので・・・。
どういう形で作業所を立ち上げるか。独自にやるのか・・・。
当時の状況は、作業所も市内には数えるぐらいしかなく小さなものだった。
当時、九州で最初に開設されたひかり共同作業所が13年目を迎え、社会福祉法人化目指して新しい発展段階にあった。
私自身もささやかながら、バザーや運営に協力した経緯もあり、その理念には共感を覚えていた。大学時代からの友人(現かしはらホーム所長 古賀氏)もいた。
そこで、ひかりと合流して作業所を立ち上げるべく申し入れをした。
先方は、法人格を取得し、新しい施設作りの真っ最中だった。
「ひかりが落ち着いてから1年後に」との考えだった。
私は、名前やノウハウは、貸してもらい援助してもらうが、足手まといにはならない、運動的にも落ち着いてからと言うよりも、勢いがあるときに一気に進め、ひかりを大きくしたほうがよいと主張し、それならと、折れてもらった。
こうして、陶友誕生への方向が決まった。1991年の暮れ頃だった。
明けて1992年、本格的な準備が始まった。
土地探しは大変なことだが、これは既には決まっていた。(この件については別項で書くことにする)
問題は資金作りだ。
どう見積もっても窯関連で300万、プレハブの建物で100万、最低でも計400万が必要だった。
募金の訴えを作った。
公式の訴え文書は、字数も制限されいまひとつぴんと来なかった。これで人の心を動かすことが出来るだろうか?不特定多数の人たちには、一般的な呼びかけも仕方なかった。
私は、知り合いに向けて、個人的な呼びかけ、お願い文書を作った。
自分のすべてを語らなければ、誰の心を捉えることができようか?そんな思いだった。
大学時代以来、つながってきた殆どの人たちに呼びかけた。それは300人を超えた。
(つづく)
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2007.10.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | ・陶友の歩みと出会いⅠ
