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NO.927 「派遣切り」問題と憲法27条・・・公の責任に触れて。

     (この記事がNPJ お薦め ブログ」で紹介されました。)  

 年末からの「年越し派遣村」の取り組みは、企業に対してだけではなく、国や自治体に雇用の創出や生活保護、住居の確保などを求める要求を掲げて、取り組みを拡げた。

雪の朝 010 照れ屋なのか、カメラから絶対に目をそらすんだ・・・。

 過去ログ:NO.830 派遣切りと憲法。で、「労働においても当然個人が尊重されなければならないし、物質的にも最低限度の生活を保障するもので無ければならないということだ。
 言い換えれば、労働時間や内容は、人間として働き甲斐のあるもので無ければならないし、当然、そこで得る賃金は、まともな普通の暮らしを可能にするものでなければならないと言うことだ。そういう人間の尊厳に値し、人間らしい暮らしに値する労働の機会を国は保障しなければならないのである。」 「しかし今や、労働者は労働への参加そのものから疎外され、生物学的生存の条件すら奪われている。いくら資本主義とは言え、こういうことがあっていいものか!」「派遣きりは人間の生存そのものへの挑戦」だと告発した。

 ここでは、雇用や生活を守る要求に対する政府や自治体の責任について、改めて憲法27条に基づきながら考えてみたい。

 〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。


 とはいっても私にそんな学があるわけではない。赤旗(1月30日付)に元参議院議員・吉岡吉典氏の「派遣労働者問題と憲法27条」と題する寄稿が、27条に関する問題提起をしている。これを要約・紹介したいということで・・・。

 「27条1項 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」の規定は、「働く能力があり、働きたいという意欲があるものに対して勤労の機会を与えるという趣旨だ」(憲法制定会議速記録)となっている。

 では、この権利と義務を誰がどのように保障し、果たすかという問題に、憲法制定当時の解釈は以下のようになっているという。
「・・・限定された意味においては、労働能力を有するものが、私企業のもとで就業し得ない場合に国または公共団体に対して労働の機会の提供を要求し、それが不可能な場合には相当の生活費を要求しうる権利」だと説明されていると言うのだ。
 憲法制定当時の労働法学者は、「派遣きり」にあった人たちの、冒頭に書いた要求はこういう権利だというのだ。

 当時の憲法学者の解釈も紹介されている。
27条のいう権利と義務は、憲法で定められた生存権を保障するものだということです。その際、生存権を、生存または生活のために必要な諸条件を確保する権利ととらえている。

 そして一般国民にとって「生存権」の確保は、労働の保障として具体化されてくる私企業などへの就労ができない場合は、「国が何らかの形で労働の機会を与えるべきであり。それが不可能な時は適当な保護を講ずるべき」だとしている。前者はかつての失業対策事業など、後者は生活保護などと考えられる。

 ある憲法学者は、27条の意味を「それはドイツのワイマール憲法が『すべてのドイツ人は、経済的労働により、生活する可能性が与えられなくてはならない。適当な労働の機会が与えられない時は、その必要な生活費が配慮される・・・』というのと同じ意味と解すべきである」と解釈している、と紹介している。

 現状では政府も自治体も積極的にこのような姿勢には立っていないが、恩恵や思いやりとしてではなく、憲法上の義務、責任として政府や自治体が、雇用の創出や生活、住居の確保に取り組むことを求めていくべきだと、まとめている。

 生きること、働くことを私企業との私的な契約レベルでとらえ、自己責任とする考え方とは、かくも隔たりがあるのだ。

 こうして考えると、「生きさせろ!」は将に憲法に保障された当然の権利であり、「派遣村」に象徴される取り組みが、これまでは、住所が不定だとかさまざまな口実で生活保護の受給を認めてこなかった行政に対し、これを直ちに認めさせるなど、こうした「権利と義務」に関する新しい成果を実践的に生みだしてきているとはいえないだろうか。



   参考過去ログ:NO.830 派遣切りと憲法。もあわせてお読みください。


 


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2009.02.02 | | Comments(3) | Trackback(5) | ・雇用と労働問題Ⅲ

コメント

勤労の権利とは?

友さん、はじめまして。愚樵ともうします。村野瀬さんのところで紹介されているのを目にして以来、ときどき覗かせていただいていました。今回、はじめてコメントさせていただきます。

>労働においても当然個人が尊重されなければならないし
>労働時間や内容は、人間として働き甲斐のあるもので無ければならないし

「勤労の権利」のなかにこのような観点が含まれていることには大いに同調します。がしかし、そこに同調する者としては

>「国が何らかの形で労働の機会を与えるべきであり。それが不可能な時は適当な保護を講ずるべき」

の考えは、正当なものであることは認めても、先の考えからは後退していると言わざるを得ません。国が緊急対策として失業者に与える労働が個人としての誇りを満たすのに足らぬものになってしまうのは致し方ないでしょうし、保護となれば生活は保障されても個人の尊厳は守れない。私はそれならばまだ新自由主義の方がまだマシかもしれないと考えます。

新自由主義にはニセモノとホンモノの2種類があります。ニセモノは市場原理を崇拝して個人の生存権すら省みませんが、真正新自由主義はベーシックインカムや負の所得税等を講じることで個人の生存権を認め、あらゆる個人が市場に参入する権利を保障しようと考えます。

また、そのことで個人には積極的に勤労しない権利(=市場に参入しない権利)すら認めることになります。つまり、失業者を国が保障するという考え方よりも、真正新自由主義の方がよほど個人の尊厳を尊重するということにもなります。但し、同時に憲法に定めのある労働の義務は蔑ろにされますけれども。

友さんは、個人の尊厳と労働の義務とを比較するならば、どちらの方に重きを置くべきとお考えになるのでしょう? 

2009-02-03 火 13:36:23 | URL | 愚樵 #- [ 編集]

愚樵 さんへ。

はじめまして。コメントありがとうございます。
え~~?難解。
> 新自由主義にはニセモノとホンモノの2種類があります。

こういう論の立て方は、私の中ではありえないし・・・。ここが一番のネックなんですが・・・、そこから導き出された設問に答えるのは至難の業。

「国が何らかの形で労働の機会を与えるべきであり。それが不可能な時は適当な保護を講ずるべき」なのは、本人が望みながらも、私的契約の中でそれが叶えられない人々に対して、国がなすべきことです。本人が望むというところに、個の尊重があるのでは?

> また、そのことで個人には積極的に勤労しない権利(=市場に参入しない権利)すら認めることになります。

理論的にはそういうことでしょう。しかし、実際は、そういう権利を自ら選ぶものは自給生活者以外は、ありえないでしょう。労働者は、働くことでしか、その労働の質はともあれ、生存の条件を手に入れることは出来ませんから。こういう議論は現実的ではないように思います。

> 友さんは、個人の尊厳と労働の義務とを比較するならば、どちらの方に重きを置くべきとお考えになるのでしょう?

現実的ではない議論のうえに、両者は比較すべきところにある価値ではないと思うので、比較するということ自体、難しいとは思いますが・・・。

ここでは、「労働の義務」については、「27条のいう権利と義務は、憲法で定められた生存権を保障するものだということです。その際、生存権を、生存または生活のために必要な諸条件を確保する権利ととらえている。」という考えに立って、私なりにお答えしてみましょう。

基本的人権は、最終的には個の尊重が目的だと思います。
個の尊重を語る前に、その生存がなければなりません。生存の条件は、ある程度共通なものですが、個は具体的には、多様なものです。
生存が確保されて、その上にこそ個の尊重は可能性を描くことができるものではないでしょうか。
そういう関係としてとらえるとき、一般的にどちらに重きを置くとかという議論よりも、その人がどういう状態にあるのか、その人に何が必要とされているのか、という現実的な問題からスタートするのではないでしょうか?あえて言えば、「個人の尊厳」を目指しつつ、先ずは生存(設問では「労働の義務」)を、という関係でしょうか。

 私の仕事の現場(障害者作業所)では、一般論からよりも、目の前にいる個別の一人ひとりの問題から取り組むというやり方をしますのでこういう思考パターンになるのかも知れませんが。

多分に議論がかみ合っていないと思いますが、今日のところはこの辺でご勘弁ください。




 

2009-02-03 火 22:04:27 | URL | 友さん #- [ 編集]

横レスですが

現実に「真正新自由主義」を実践している国があるのでしょうか。現実にそういう国がなければ、「真正新自由主義」は机上の空論なのでは。

>国が緊急対策として失業者に与える労働が個人
>としての誇りを満たすのに足らぬものになって
>しまう
>保護となれば生活は保障されても個人の尊厳は
>守れない

それは、対策にかける予算が少な過ぎたら、そうなるでしょう。
例えば介護とか、今でも予算不足ゆえに重労働低賃金です。一応生活保護を併用できる仕組みにはなっていますが。介護労働者の尊厳は、確かに守られているとは言い難いでしょう。

しかしそれは、「国が何らかの形で労働の機会を与えるべきであり、それが不可能な時は適当な保護を講ずるべき」という理念自体がよくないのとは違うでしょう。

問題は、国の努力(憲法25条2項)が足りないことであって、より根本的には、国が「個人の尊厳」というか基本的人権を守ろうとは本気で考えていないことだと思います。まあ、そういう国の政策を容認する有権者にも問題ありですが。

2009-02-04 水 18:55:57 | URL | latter_autumn #J6Syvwzk [ 編集]

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